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コスタリカ1988 エホバの証人の年鑑
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さらに多くの宣教者たちが業に弾みをつける
1960年代には,さらに多くの若い「人々[から成る]賜物」が活躍するようになりました。(エフェソス 4:8)ギレアデがコスタリカの霊的な成長と円熟を促進したのは確かです。アルバロ・ムニョスとミルトン・ヒルトンは,ギレアデに招待された後,再びコスタリカに任命されたコスタリカ人です。二人は巡回奉仕に携わっていた時,人々から大いに感謝されました。また,自分たちの会衆に戻ってからも,長老として引き続きさわやかさの源となっています。
1968年,ギレアデの第45期卒業生である,米国出身のダグラス・リトルとフレデリック・ヒルトブランドがコスタリカに任命され,共に巡回奉仕に携わりました。ダグラス・リトルは1972年,すでに7年間開拓奉仕を行なっていたサライ・カンポスと結婚しました。宣教者の家族は,さらに二人の兄弟たち,ジョン・グリフィンとローサー・ミハンクが到着して,一層大きくなりました。
フレデリック・ヒルトブランドは1976年に,ギレアデの第55期卒業生である宣教者のミルタ・チャパと結婚しました。現在フレデリックは支部委員として奉仕しています。
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コスタリカ1988 エホバの証人の年鑑
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宣教者の精神が受け継がれる
コスタリカでは,元宣教者の親を持つ子供たちが全時間奉仕者の際立った一団を成しています。1959年にパートナーのジョン・アレクサンダーと共に到着したロバート・コンロイは,のちに結婚し,コスタリカで巡回奉仕を続けました。ロバートは,妻のディナが妊娠した時,「私たち夫婦は子供を育てる点でエホバの導きを祈り求めました。そして,子供を育てるのもエホバからの祝福であることが分かりました」と述べました。この二親は20年ぶりに巡回奉仕に携わるようになり,彼らの二人の子供たち,ジュディーとロドニーは現在コスタリカのベテルで奉仕しています。
ギレアデの第22期卒業生であるドナルド・フライは,50期後に息子のデービッドが父親の足跡に従うのを見ました。デービッドはギレアデの第72期のクラスに出席し,父親と同じ国,コスタリカに任命されました。デービッドはなぜ父親と同じ宣教者になることを決意したのでしょうか。「コスタリカの幸福な宣教者たちとのそれまでの交わりや,両親からの神権的な指導に動かされて,彼らのようになりたいと思いました」と,デービッドは述べています。
外国の地で引き続き暮らしてゆけるかどうかは別として,この精神は受け継がれ,多くの元宣教者の子供たちに浸透しています。コール夫妻,シェルドン夫妻,ブラックバーン夫妻は皆,この健全な精神に基づいて子供たちを育ててきました。
コスタリカは宣教者たちを放出する
過去において,コスタリカの宣教者の中には,他の国に任命換えになった人たちもいました。比較的最近では,1959年にギレアデからコスタリカにやって来たジョン・アレクサンダーと妻のコリナが,1979年にパナマに任命換えになりました。その後1982年の春,ローサー・ミハンクと妻のカルメンもパナマで奉仕するよう求められました。
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コスタリカ1988 エホバの証人の年鑑
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[239ページの図版]
印刷作業を確立するのを援助したフレデリック・ヒルトブランド,妻のミルタと共に
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