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コスタリカ1988 エホバの証人の年鑑
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初期の大会
1914年にプエルト・リモン市で大会が開かれ,11人がバプテスマを受けました。ウィリアム・グディンと妻のクローディア・グディン,ヘンリー・スティールと妻のマティルダ・スティール,そしてウィルソン家やウィリアムズ家の人々は皆そのころバプテスマを受けました。それら初期の働き人たちの子供や孫や曾孫たちは今日,コスタリカで証言の業にあずかっていますが,そのことについては後で詳しく取り上げることにしましょう。
それら初期の大会では,協会は話の筋書きを用意しなかったので,割り当てを受けた話し手は自分で主題を決め,自分で筋書きを準備しました。中には,原稿なしで話をした人さえいました。お金や食料品が食事のために惜しみなく寄付され,一人の兄弟の家で食事が無料で提供されました。ゆっくり煮込んでよく味付けされた鶏肉,ご飯,ココナッツミルクで煮たエンドウ豆,それに油で揚げた食べごろの料理バナナは,どの大会にも欠かせませんでした。
大会の終わりには,愛餐として知られていたものを祝うのが習慣となっていました。愛餐では,兄弟たちが宗教的な歌を歌い,出席者全員にソーダクラッカーが回されました。歌は,四部に分かれた美しく豊かな声で調和よく歌われました。
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コスタリカ1988 エホバの証人の年鑑
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生後わずか40日で母親に連れられ,プエルト・リモン南部の海辺の町カウイタで開かれた大会に行きました。蒸し暑い天候のもと,列車や小舟やラバで丸一日旅行することは,ちょっとした冒険どころではありませんでした
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