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    2000 エホバの証人の年鑑
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      ボフミル・ミュラー

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    2000 エホバの証人の年鑑
    • この時期に良いたよりは,後日この国におけるエホバの証人の活動で重要な役割を果たす,一人の人のところに伝えられました。その人の名前はボフミル・ミュラーです。彼は1987年に地上での歩みを終えるとき,55年以上にわたる忠実な奉仕を思い返すことができました。それには,信仰を曲げなかったために強制収容所と刑務所で過ごした約14年間も含まれています。

      1931年のこと,16歳だったボフミルは,植字機の使い方を学んでいました。ボフミルの兄弟のカレルは製本技術を学んでいました。父親のトマーシュ・ミュラーは,古い伝統と歴史を大いに誇る,一致兄弟団の主要な成員でした。カレルは上司から「創造の写真劇」のチケットをもらったので,見に行くことにしました。最初の部を見た後,カレルは非常に興奮して家に帰りました。自分の見聞きしたことを全部説明し,もらってきた2冊のドイツ語の本を父親に渡しました。次の晩,カレルはますます興奮して家に帰ってきました。そしてチェコ語の「創造」の本を手にしていました。自分の感想をみんなに話したとき,聖書の話をさらに聞けるようにプログラムの終わりに自分の住所を書いて出してきたことにも触れました。

      約1か月後,日曜日の昼の食事をちょうど家族で食べ終わった時にドアのベルが鳴りました。後にボフミル・ミュラーはこう書いています。「父が応対に出ました。しばらくの間,父は玄関先でその訪問者と話していましたが,驚いた表情で台所に戻って来ました。そしてまずこう言いました。『こんな経験は初めてだ。考えてみてごらん,講演会に招待しにわざわざ日曜日に男の人が家に来たんだ。聖書研究者の講演だよ。兄弟団のわたしたちはそんなことを一度もしたことがない。怠けすぎだ』」。後に,ミュラー家の人々は,エホバの証人の小さなグループと定期的に集まるようになります。

      その後,ボフミルはエホバに献身しましたが,バプテスマを受けたのはその後2年たってからでした。その時までにはすでに会衆の監督(当時は,奉仕の主事と呼ばれた)の補佐を務め,集会を司会し,協会のプラハ事務所のベテル・ホームで働いていました。当時,すべての証人がクリスチャンのバプテスマの重要性を十分認識していたわけではありませんでした。

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