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    2000 エホバの証人の年鑑
    • 公の活動を再び始めることについては,政府高官に,1990年1月にすでに通知していました。その月,すべての会衆のために特別プログラムが設けられました。「神のおきてに服することから益を得る」という時宜にかなった主題のものです。実際には2時間の巡回大会でした。それほど大きい集まりではありませんでしたが,ホールを借りて使用し,一つか二つの会衆がそれぞれの場所に集まりました。このあと春のさらに大きい巡回大会が開かれました。

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    2000 エホバの証人の年鑑
    • こうした大会がすべて順調にいったので,地域大会の取り決めが設けられました。その夏にプラハでの四日間の全国大会を行なうというものです。そのためにプラハのエブジェン・ロシィツキー・スタジアムを借りることになり,統治体の二人の成員,ヘンシェル兄弟とジャラズ兄弟がプログラムを扱いました。出席者の最高数は2万3,876人で,1,824人がバプテスマを受けました。大会は清い崇拝の全き勝利を表わすものでした。大会の雰囲気は前の年のポーランド大会にたいへんよく似たものでしたが,今回は自国で,そしてチェコ語とスロバキア語で開くことができたのです。その出来事に深く感動していることは喜びの笑顔と心からの感謝の涙の中によく表われていました。

      40年間にわたって「エホバの証人」という表現は,チェコスロバキアで公にはささやかれる程度のものでした。このグループに関して信じがたいうわさが流れ,しばしば「違法な派<セクト>」と呼ばれました。今では,ジャーナリストをはじめとしてすべての人が,証人たちをもっと身近に観察できるようになりました。大会に関する新聞報道はおおむね好意的なものでした。そして,証人たちが大会前にスタジアムで行なったことに驚きを表明しました。2か月の間に,9,500人もの自発奉仕者が5万8,000時間をかけてすっかりきれいにし,ベンチを修理し,下水道を改善し,スタジアム全体を白く塗ったのです。日刊紙「ベチェルニク・プラハ」(プラハの夕刊紙)の記者は,チェコスロバキア各地や他の国々からやって来た人々の笑顔,むつまじい交わりや,さわやかな話し方に驚いていました。

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