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信仰の試練 ― スロバキアで目ざめよ! 2002 | 12月22日
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そして1924年,13歳になった私は,バプテスマを施してほしいと兄弟に頼みました。母は,私がそのような重大な段階に進むにはまだ若いと思っていましたが,私は自分の決意が固いことを母に伝え,分かってもらいました。それで,オンダバ川の近くで一日大会が開かれたその年の7月に,エホバへの献身の象徴として,その川でバプテスマを受けました。
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信仰の試練 ― スロバキアで目ざめよ! 2002 | 12月22日
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1930年代には,首都のプラハで開かれたさらに大きな大会に出席する特権も与えられました。1932年に,チェコスロバキアで初めての国際大会が取り決められ,バリエテー・シアターで集いました。「滅びる前のヨーロッパ」という公開講演の題は人々の注意を引き,約1,500人が出席しました。1937年にもプラハで国際大会があり,私は一つの話をする特権を与えられました。ヨーロッパの多くの国から代表者たちが出席し,わたしたちすべては間もなく起きようとしていた第二次世界大戦中の試練に耐えるのに必要な励ましを受けました。
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信仰の試練 ― スロバキアで目ざめよ! 2002 | 12月22日
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戦後開かれた大会は業に大きな弾みをつけました。1946年9月に全国規模の最初の大会がブルノ市で開かれました。私は,「収穫,世の終わり」という題の話をする特権をいただきました。
1947年には別の全国大会がブルノ市で開かれました。そこでは,ニューヨーク市ブルックリンにあるエホバの証人の世界本部から訪問した,ネイサン・H・ノア,ミルトン・G・ヘンシェル,ヘイドン・C・カビントンが励みとなる話をしました。私は,これら訪問者の話の通訳者として奉仕する特権を与えられました。当時チェコスロバキアの王国宣明者は1,400人ほどでしたが,公開講演には約2,300人が出席しました。
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