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「言葉は違っても愛で結ばれている」ものみの塔 2007 | 7月1日
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プラハでのこと,ある晩,英国からの代表者と同じホテルに泊まっていた男性が大会出席者たちに,自分もその日大会に行った,と話しかけてきました。どうして行こうと思ったのでしょうか。市内の通りで10人もの伝道者から招待状をもらって,行かなくてはと思ったとのことです。男性は聞いた事柄に深く感動し,さらに情報を得たいと願っていました。―テモテ第一 2:3,4。
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「言葉は違っても愛で結ばれている」ものみの塔 2007 | 7月1日
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出席者にとって,この大会が忘れがたいものとなることには,ほかにも理由があります。チェコのクリスティーナという姉妹は,外国からの代表者のバスグループに同行する奉仕をしました。姉妹は次のように言います。「皆さんと別れる際,一人の姉妹がわたしを脇へ連れて行き,抱き締めてこう話してくれました。『よくお世話してくれましたね。食事を会場の席まで運んでくださって,水まで持って来てくださったでしょう。自己犠牲の愛にとっても感謝していますよ』」。この姉妹は,外国からの代表者に昼食が提供されたことについて述べていたのです。ある兄弟はこう説明します。「こんな奉仕をしたのは初めてでした。毎日,6,500食ほどの昼食を配ったのです。あんなに大勢の人が,子どもたちも一緒になって自発奉仕をする様子を見て,胸が熱くなりました」。
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「言葉は違っても愛で結ばれている」ものみの塔 2007 | 7月1日
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プラハ大会のニュースサービス部門で働く兄弟は,次のように述べています。「日曜日の朝,会場に配置されている警察官たちの責任者が私たちのところにやって来ました。とても平和で暇だと言っていました。また,スタジアム周辺の住民の中にはどんな集まりかと尋ねる人もいる,と話してくれました。エホバの証人と言うと,たいていの住民は不快感をあらわにするので,そういう時には,『もしみんながエホバの証人の半分ほどもできていれば,警察は要らないですよ』と答えるそうです」。
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「言葉は違っても愛で結ばれている」ものみの塔 2007 | 7月1日
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プラハ大会ではすべての話がチェコ語,英語,ロシア語でなされました。
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「言葉は違っても愛で結ばれている」ものみの塔 2007 | 7月1日
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チェコ共和国の首都プラハ,
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