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「わたしを待て」ものみの塔 1996 | 3月1日
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「わたしを待て」
「『ゆえに,……わたしを待て』と,エホバはお告げになる」― ゼパニヤ 3:8。
1 預言者ゼパニヤはどんな警告を述べましたか。そのことは今日生きている人々にとってどれほど重要ですか。
「エホバの大いなる日は近い」。この警告の叫びは,西暦前7世紀の半ばに預言者ゼパニヤが発したものです。(ゼパニヤ 1:14)この預言は,その時から40年ないし50年以内に成就しました。エホバの裁きの執行の日がエルサレムに,またエホバの民を虐待することによりエホバの主権を侮っていたそれら諸国民に到来したのです。そのことがなぜ,20世紀末に生きている人々にとって重要なのでしょうか。わたしたちはエホバの最終的な「大いなる日」が足早に近づいている時代に生きています。ゼパニヤの時代と同様,エホバの「燃える怒り」はエルサレムの現代版であるキリスト教世界に対して,またエホバの民を虐待し,エホバの宇宙主権を侮る諸国民すべてに対して今にも燃え上がろうとしているのです。―ゼパニヤ 1:4; 2:4,8,12,13; 3:8。ペテロ第二 3:12,13。
ゼパニヤ ― 勇敢な証人
2,3 (イ)ゼパニヤについてはどんなことが知られていますか。ゼパニヤが勇敢なエホバの証人であったことは,どんな点から分かりますか。(ロ)ゼパニヤが預言の業を行なった時代と場所については,どんな事実に基づいて判断することができますか。
2 その名(ヘブライ語,ツェファンヤー)に「エホバは覆い隠して(蓄えて)くださった」という意味のある預言者ゼパニヤについては,ほとんど何も知られていません。しかし,他の預言者たちとは対照的に,ゼパニヤは自分の家系を4代前の「ヒゼキヤ」にまでさかのぼって示しています。(ゼパニヤ 1:1。イザヤ 1:1; エレミヤ 1:1; エゼキエル 1:3と比較してください。)これは極めてまれなことなので,ほとんどの注解者たちは,ゼパニヤの高祖父は忠実なヒゼキヤ王であるとしています。もしそうなら,ゼパニヤは王族の者であり,そのことはゼパニヤの伝えたユダの君たちに対する厳しい有罪宣告に重みを加えるものとなり,またゼパニヤがエホバの勇敢な証人また預言者であることを示すものとなったはずです。ゼパニヤは,エルサレムの地勢や宮廷内で生じていた事柄を詳しく知っていたことからすると,エホバの裁きをまさに首都でふれ告げたのかもしれません。―ゼパニヤ 1:8-11,脚注をご覧ください。
3 注目に値するのは,ゼパニヤが,ユダの民間の「君たち」(高貴な者たち,すなわち部族の長たち)や「王の子たち」に対する神からの裁きをふれ告げながらも,その批判の中で王自身には一度も言及していないことです。a (ゼパニヤ 1:8; 3:3)このことからすると,年若いヨシヤ王はすでに清い崇拝を求める性向を示していたものと思われます。とはいえ,当時の状況はゼパニヤの非難の対象となっており,ヨシヤがまだ宗教改革を始めていなかったことは明らかです。こうしたことすべてを考え合わせると,ゼパニヤは,西暦前659年から629年まで統治したヨシヤの初期の年月の間,ユダで預言したものと思われます。ゼパニヤのその精力的な預言の業が,当時のユダに広く見られた偶像礼拝や暴力行為や不正行為を非とする年若いヨシヤの意識を高め,後にヨシヤの進める偶像礼拝一掃運動を促進するものとなったことは疑えません。―歴代第二 34:1-3。
エホバが燃える怒りを抱かれる理由
4 エホバはユダとエルサレムに対するご自分の怒りをどんな言葉で表明されましたか。
4 エホバがユダとその首都エルサレムの指導者たちや住民に対して怒りを覚えられるのには,もっともな理由がありました。エホバは,ご自分の預言者ゼパニヤを通して,こう述べておられます。「わたしは,ユダに対し,エルサレムのすべての住民に対してわたしの手を伸ばす。そして,バアルの残っている者たち,すなわち異国の神の祭司たちの名をその祭司たちと共にこの場所から断ち滅ぼす。また,屋上で天の衆群に身をかがめている者たち,身をかがめてエホバに誓いを立て,かつまたマルカムにかけて誓いを立てている者たちを(断ち滅ぼす)」― ゼパニヤ 1:4,5。
5,6 (イ)ゼパニヤの時代のユダの宗教事情はどのようなものでしたか。(ロ)ユダの行政上の指導者たちと彼らに従属する者たちの状態はどのようなものでしたか。
5 ユダは,バアル崇拝の下劣な豊饒祈願の儀式や,悪霊の関係した占星術,異教の神マルカムの崇拝などで汚れた状態にありました。ある人たちが提唱しているように,もしマルカムがモレクと同一であるとすれば,ユダで行なわれていた偽りの崇拝には,子供をいけにえにする忌まわしい儀式も含まれていたことでしょう。そのような宗教上の習わしは,エホバの目に嫌悪すべきものと映っていました。(列王第一 11:5,7; 14:23,24。列王第二 17:16,17)彼らは,偶像礼拝者でありながらなおエホバの名によって誓うことをしていたため,いよいよもってエホバの憤りを買っていました。エホバはそのような宗教上の汚れをそれ以上容認せず,異教の祭司と背教した祭司をみな切り断たれるのです。
6 そのうえ,ユダの行政上の指導者たちは腐敗していました。君たちは飽くことを知らない「ほえたけるライオン」のようであり,裁き人たちはむさぼり食う「おおかみ」に似ていました。(ゼパニヤ 3:3)彼らに従属する者たちは『自分の主人の家を暴虐と欺きで満たしている』としてとがめられました。(ゼパニヤ 1:9)物質主義が浸透していました。多くの人は事に乗じて富を得ようとしていました。―ゼパニヤ 1:13。
エホバの日についての疑念
7 ゼパニヤは「エホバの大いなる日」の到来する何年前に預言しましたか。多くのユダヤ人の霊的な状態はどのようなものでしたか。
7 すでに見たように,ゼパニヤの時代に広く見られた悲惨な宗教事情からすると,ゼパニヤは,ヨシヤ王が西暦前648年ごろに偶像礼拝一掃運動を始めるより前に,証人また預言者としての業を行なったようです。(歴代第二 34:4,5)ですから,ゼパニヤは,ユダ王国に「エホバの大いなる日」が到来する少なくとも40年前に預言した,と考えられます。その間に,多くのユダヤ人は疑念を抱き,エホバに仕えることを「やめ」,無関心になりました。ゼパニヤは,「エホバを求めず,これに問い尋ねることをしなかった」者たちのことを述べています。(ゼパニヤ 1:6)明らかに,ユダの人々は無感動で,神のことを気にかけていませんでした。
8,9 (イ)エホバはなぜ,「自分の滓の上で固まっている者たち」を検閲されますか。(ロ)エホバはユダの住民と彼らの行政上の指導者や宗教指導者にどのように注意を向けられますか。
8 エホバは,エホバの民であると主張する者たちを検閲する目的をお知らせになりました。自らエホバの崇拝者であると称する者たちの中に,人間の物事に介入するエホバの能力もしくは意図に関して心に疑念を抱いている者を見いだされるのです。エホバはこう言明されました。「その時,わたしはともしびを携えてエルサレムをくまなく捜すことになる。そして,自分の滓の上で固まっている者たち,その心のうちで,『エホバは善いことをしてくれないが,悪いことをもたらすわけでもない』と言っている者たちに注意を向ける」。(ゼパニヤ 1:12)「自分の滓の上で固まっている者たち」という表現(ぶどう酒造りへの言及)は,樽の底に沈殿した滓のように安逸をむさぼり,人間界の物事に対する神の介入が差し迫っているといったどんな布告にも心を乱されることを望まない人たちに当てはまります。
9 エホバはユダとエルサレムの住民,およびご自分の崇拝に異教の習慣を混ぜていた彼らの祭司たちに注意を向けられます。たとえ彼らがエルサレムの城壁の内側で夜のとばりに包まれているかのように安心感を抱いていたとしても,エホバは彼らが避難している霊的な暗闇の中を明るいともしびで照らすかのようにして,彼らを見いだされます。そして,宗教的に無感動の彼らを,最初は畏怖の念を起こさせる裁きの音信により,次いでその裁きを執行することによって震撼させられます。
「エホバの大いなる日は近い」
10 ゼパニヤは「エホバの大いなる日」をどのように描写しましたか。
10 エホバはゼパニヤに霊感を与えてこう宣明させました。「エホバの大いなる日は近い。それは近い。しかも非常に急いでやって来る。エホバの日の響きは悲痛である」。(ゼパニヤ 1:14)祭司であれ,君であれ,民であれ,警告に留意せず,清い崇拝に立ち返ろうとしないすべての人の前途には,まさに悲痛な日が待ち受けていました。その預言は続けて,裁きの執行されるその日を描写し,こう述べています。「その日は憤怒の日,苦難と苦もんの日,あらしと荒廃の日,闇と陰うつの日,雲と濃い暗闇の日,角笛と警報の日であり,防備の施された都市を攻め,隅の高い塔に攻め寄せる」― ゼパニヤ 1:15,16。
11,12 (イ)エルサレムに対して,どんな裁きの音信が発せられましたか。(ロ)ユダヤ人は,物質的に繁栄していれば救われましたか。
11 何十年もしないうちにバビロンの軍隊がユダに侵入することになっていました。エルサレムは侵略を免れません。居住区も商業区も荒廃させられるのです。「『その日にはこれがある』と,エホバはお告げになる。『すなわち,“魚の門”からは叫び声,第二地区からは泣きわめく声,丘からは物のぶつかり合う音である。泣きわめけ,マクテシュ[エルサレムの一区画]に住む者たちよ。商い人であるそのすべての民は沈黙させられたからである。銀を量り出す者はみな断ち滅ぼされた』」― ゼパニヤ 1:10,11,脚注。
12 多くのユダヤ人は,エホバの日が近いということを信じようとせず,もうけの多い投機的事業に深入りしていました。しかし,エホバはご自分の忠実な預言者ゼパニヤを通して,彼らの富が「略奪され,その家々は荒れ果てる」ことを予告されました。彼らはぶどう酒を造っても飲むことはなく,また「その銀も金もエホバの憤怒の日には彼らを救い出すことができない」のです。―ゼパニヤ 1:13,18。
他の諸国民も裁かれた
13 ゼパニヤは,モアブ,アンモン,およびアッシリアに対して,どんな裁きの音信を伝えましたか。
13 エホバは,ご自分の民を虐待していた諸国民に対しても,預言者ゼパニヤによって,怒りを表明されました。こう宣言しておられます。「『わたしはモアブのそしりと,アンモンの子らのののしりの言葉とを聞いた。それをもって彼らはわたしの民をそしり,その領地に対して大いに高ぶった。それゆえ,わたしが生きているとおり』と,万軍のエホバ,イスラエルの神はお告げになる,『モアブはソドムのように,アンモンの子らはゴモラのようになる。いらくさの所有する所,塩の坑,荒れ果てた所となって定めのない時に至るのである。……また神はその手を北に伸ばして,アッシリアを滅ぼす。そして,ニネベを荒れ果てた所,荒野のように水のない地域とする』」 ― ゼパニヤ 2:8,9,13。
14 異国の民がイスラエル人とその神エホバに対して「大いに高ぶった」どんな証拠がありますか。
14 モアブとアンモンはイスラエルの宿敵でした。(裁き人 3:12-14と比較してください。)パリのルーブル美術館にあるモアブ碑石には,モアブのメシャ王の自賛の言葉を含む碑文が残っています。メシャは,自分の神ケモシュの助けによってイスラエル人の都市を幾つか奪った,ということを誇らしげに語っています。(列王第二 1:1)ゼパニヤと同じ時代の人であったエレミヤは,アンモン人がイスラエル人の領地であるガドを自分たちの神マルカムの名において占領したことに言及しています。(エレミヤ 49:1)アッシリアについて言えば,ゼパニヤの時代より1世紀ほど前に,王シャルマネセル5世がサマリアを攻め囲んでこれを奪い取っていました。(列王第二 17:1-6)その少し後には,セナケリブ王がユダを攻撃し,防備の施された都市を幾つも奪い,エルサレムを脅かすことさえしました。(イザヤ 36:1,2)アッシリアの王の代弁者は,エルサレムの降伏を要求した時,まさにエホバに対して大いに高ぶりました。―イザヤ 36:4-20。
15 エホバはご自分の民に対して大いに高ぶった諸国民の神々をどのように辱められますか。
15 詩編 83編は,モアブ,アンモン,およびアッシリアを含む多くの諸国民に言及しています。それら諸国の民はイスラエルに対して大いに高ぶり,「さあ,国民としての彼らの存在をぬぐい去り,イスラエルの名がもはや思い出されることがないようにしよう」と豪語したのです。(詩編 83:4)預言者ゼパニヤは,それらごう慢な諸国民と彼らの神々すべてが万軍のエホバによって辱められる,ということを勇敢な態度で告げ知らせました。こう記されています。「これが,その誇りの代わりに彼らの持つところとなる。彼らが万軍のエホバの民をそしり,これに対して大いに高ぶったからである。エホバは彼らに畏怖の念を抱かせる。地のすべての神々を必ず衰退させるからである。そして民は,各々その所から神に身をかがめる。諸国民のすべての島々がそのようにする」― ゼパニヤ 2:10,11。
「わたしを待て」
16 (イ)エホバの日が近づいていることは,だれにとって喜びのもとでしたか。それはなぜですか。(ロ)この忠実な残りの者たちに対して,人を鼓舞するどんな呼びかけがなされましたか。
16 ユダとエルサレムの指導者たちや住民の多くの間には,霊的な無気力,懐疑的な態度,偶像礼拝,不正行為,物質主義などが広く見られましたが,一部の忠実なユダヤ人たちはゼパニヤの警告の預言に耳を傾けたようです。それらのユダヤ人はユダの君や裁き人や祭司たちの忌まわしい行ないのために悲しんでいました。それら忠節な者たちにとって,ゼパニヤの宣言した事柄は慰めの源でした。彼らにとって,エホバの日が近づいているということは,苦もんを引き起こすどころか,喜びのもとでした。なぜなら,その日が来ればそのような忌むべき習わしはなくなるからです。この忠実な残りの者たちは,人を鼓舞するエホバのこの呼びかけに留意しました。「『ゆえに,わたしが獲物に向かって立ち上がる日までわたしを待て』と,エホバはお告げになる,『わたしの司法上の決定は,諸国民を集め,わたしがもろもろの王国を集め寄せて,その上にわたしの糾弾を,わたしの燃える怒りをことごとく注ぐことだからである』」― ゼパニヤ 3:8。
17 ゼパニヤの伝えた裁きの音信は,いつ,どのように諸国民に成就し始めましたか。
17 その警告に留意した人たちは,不意を突かれることはありませんでした。多くの人は,生きてゼパニヤの預言の成就を見ました。西暦前632年にはニネベが,バビロニア人,メディア人,およびスキタイ人と思われる北からの大集団の連合軍により攻め取られ,滅ぼされました。歴史家のウィル・デュラントはこう述べています。「ナボポラッサル率いるバビロニア人の軍隊は,キャクサレスの率いるメディア人の軍隊,およびコーカサスのスキタイ人の大集団と連合し,北部の城塞をいとも簡単に素早く攻略した。……一撃のもとに,アッシリアは歴史から姿を消した」。ゼパニヤが預言していたのはまさにそのことでした。―ゼパニヤ 2:13-15。
18 (イ)神からの裁きはエルサレムに対してどのように執行されましたか。それはなぜでしたか。(ロ)モアブとアンモンに関するゼパニヤの預言はどのように成就しましたか。
18 また,エホバを待っていたユダヤ人の多くは,生き長らえてエホバの裁きがユダとエルサレムに対しても執行されるのを見ました。ゼパニヤはエルサレムに関してこう預言していました。「逆らっている者,自分を汚している者,圧制の都市は災いだ! 彼女は声に聴き従わなかった。懲らしめを受け入れなかった。エホバに依り頼まなかった。自分の神に近づかなかった」。(ゼパニヤ 3:1,2)エルサレムはその不忠実さのゆえに,二度にわたってバビロニア人に攻囲され,ついに西暦前607年に攻め取られて滅ぼされました。(歴代第二 36:5,6,11-21)モアブとアンモンについては,ユダヤ人の歴史家ヨセフスによれば,エルサレムの陥落後5年目にバビロニア人が両国に戦いを仕掛け,これを征服しました。預言どおり,その後モアブとアンモンは存在しなくなりました。
19,20 (イ)エホバはご自分を待った人たちにどのように報いをお与えになりましたか。(ロ)わたしたちは,こうした出来事になぜ関心を抱きますか。次の記事ではどんなことが考慮されますか。
19 エホバを待っていたユダヤ人や非ユダヤ人にとって,ゼパニヤの預言のこれらの点や他の詳細な点が成就するのを見ることは,信仰を強められる経験でした。ユダとエルサレムに臨んだ滅びを生き延びた人たちの中には,エレミヤ,エチオピア人のエベド・メレク,およびエホナダブの家,すなわちレカブ人がいました。(エレミヤ 35:18,19; 39:11,12,16-18)忠実なユダヤ人のうち流刑にされた人やその子孫で,その後もエホバを待ち望んだ人たちは,西暦前537年にバビロンから救出されて清い崇拝を再確立するためにユダに帰還する,幸福な残りの者の一部になりました。―エズラ 2:1。ゼパニヤ 3:14,15,20。
20 こうしたことすべては現代に何を意味するでしょうか。ゼパニヤの時代の状況は,キリスト教世界で今日起きている忌むべき事に多くの点で対応しています。さらに,当時のユダヤ人が示した様々な態度も,今日見られる,時にはエホバの民の間にさえ見られる態度と類似しています。次の記事では,そうした事柄が取り上げられます。
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「あなたの手を垂れ下がらせてはいけない」ものみの塔 1996 | 3月1日
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「あなたの手を垂れ下がらせてはいけない」
「あなたの手を垂れ下がらせてはいけない。あなたの神エホバがあなたの中におられる。強大な方であり,救いを施してくださる」― ゼパニヤ 3:16,17。
1 ある聖書学者はゼパニヤの預言に関して何と述べましたか。
ゼパニヤの預言は,西暦前7世紀から6世紀にかけて見られた最初の成就にとどまらず,はるか後のことをも示していました。C・F・カイル教授は,ゼパニヤ書に関する注解の中でこう書いています。「ゼパニヤの預言は……全世界に対する一般的な裁きの発表をもって始まっている。その発表に基づいて,ユダ自身の罪ゆえにユダに臨む裁きと,エホバの民に対する敵意のゆえに諸国民の世界に臨む裁きとが生じるのである。しかしそれだけでなく,その預言は,エホバの大いなる恐るべき日の全体を扱っている」。
2 ゼパニヤの時代の状態と今日のキリスト教世界の状況との間にはどんな類似点が見られますか。
2 今日,エホバの司法上の決定は,ゼパニヤの時代におけるよりはるかに広い範囲にわたって諸国民を滅びのために集めるということです。(ゼパニヤ 3:8)キリスト教徒であると主張するそれら諸国の民は特に,神から見てとがめられるべき者たちです。ちょうどエルサレムがエホバに対する不忠実さの恐るべき代償を払ったのと同じように,キリスト教世界も自分たちの不品行のことで神に対して責めを負わなければなりません。ゼパニヤの時代にユダとエルサレムに対して宣告された神からの裁きは,キリスト教世界の諸教会や分派に,より一層の効力をもって当てはまります。それら諸教会や分派はまた,神の名を汚す,多くは異教に起源を持つ自分たちの教理によって,清い崇拝を汚してきました。また,自分たちの健康な息子たちを幾百幾千万人も,戦争という現代の祭壇の上で犠牲にしてきました。さらに,対型的なエルサレムの住民は,いわゆるキリスト教に,占星術や,心霊術の行ないや,バアル崇拝を思わせる下劣な性の不道徳を混ぜています。―ゼパニヤ 1:4,5。
3 今日の世俗の指導者や政府については何と言えますか。ゼパニヤはどんなことを預言していますか。
3 キリスト教世界の政治指導者の多くは,教会にいる自分を人々に見てもらうことを好んでいます。しかし,ユダの「君たち」と同様,彼らの多くは「ほえたけるライオン」やむさぼり食う「おおかみ」のように人々を食い物にしています。(ゼパニヤ 3:1-3)そのような者たちの政治上の取り巻きは,『自分の主人の家を暴虐と欺きで満たして』います。(ゼパニヤ 1:9)贈収賄や不正行為が広く一般に行なわれています。キリスト教世界内外の政府について言えば,万軍のエホバの民,つまりエホバの証人に対して『大いに高ぶり』,彼らを偏屈な一「派」として扱う政府がますます多くなっています。(ゼパニヤ 2:8。使徒 24:5,14)そのような政治指導者やその追随者すべてに関して,ゼパニヤはこう預言しています。「その銀も金もエホバの憤怒の日には彼らを救い出すことができない。神の熱心の火によって全地はむさぼり食われる。神は地に住むすべての者の滅び,まさに恐るべき絶滅をもたらすからである」― ゼパニヤ 1:18。
「エホバの怒りの日に隠される」
4 エホバの大いなる日に生き残る人たちがいることは,どんな点から分かりますか。生き残りたい人は何をしなければなりませんか。
4 西暦前7世紀にユダの住民のすべてが滅ぼし絶やされたわけではありません。同様に,エホバの大いなる日が到来する時にも,生き残る人たちがいます。そのような人たちに対して,エホバは預言者ゼパニヤによってこう述べておられます。「法令が何も産み出さないうち,その日がもみがらのように過ぎ去らないうち,エホバの燃える怒りがあなた方に臨まないうち,エホバの怒りの日があなた方に臨まないうちに,地の柔和な者たち,神の司法上の定めを守り行なってきたすべての者たちよ,エホバを求めよ。義を求め,柔和を求めよ。恐らくあなた方はエホバの怒りの日に隠されるであろう」― ゼパニヤ 2:2,3。
5 この終わりの時にエホバの警告に最初に留意したのはだれでしたか。エホバは彼らをどのように用いてこられましたか。
5 この世の終わりの時にこの預言的な招きの言葉に最初に留意したのは,霊的イスラエル人の残りの者,つまり油そそがれたクリスチャンたちでした。(ローマ 2:28,29; 9:6。ガラテア 6:16)彼らは義と柔和を求め,エホバの司法上の決定に敬意を示したため,大いなるバビロン,つまり偽りの宗教の世界帝国から救出され,1919年に神の恵みを受ける立場に復帰しました。その時以来,特に1922年以来,この忠実な残りの者たちは,キリスト教世界の諸教会や分派に対し,また政治上の諸国民に対して,恐れなくエホバの裁きを宣明してきました。
6 (イ)ゼパニヤは忠実な残りの者たちに関してどんなことを預言しましたか。(ロ)この預言はどのように成就してきましたか。
6 この忠実な残りの者たちについて,ゼパニヤはこう預言しています。「わたしは必ずあなたの中に,謙遜でへりくだった民を残す。彼らはまさにエホバの名に避け所を得るであろう。イスラエルの残っている者たちは,何も不義を行なわず,偽りを語らず,その口にたばかりの舌が見いだされることもない。彼らは食物を得,まさに身を伸ばして横たわり,これをおののかせる者はいないのである」。(ゼパニヤ 3:12,13)これら油そそがれたクリスチャンは常にエホバのみ名を前面に出すようにしてきましたが,エホバの証人という名称を採用した1931年以来は特にそう言えます。(イザヤ 43:10-12)彼らはエホバの主権に関する論争を際立たせることによって神のみ名を敬っており,このことは彼らにとって避け所となりました。(箴言 18:10)エホバは彼らに霊的な食物をふんだんに与え,彼らは霊的パラダイスの中に恐れを抱くことなく住んでいます。―ゼパニヤ 3:16,17。
「すべての民の中で名とし,賛美とする」
7,8 (イ)霊的イスラエルの残りの者たちの上に,さらにどんな預言が成就してきましたか。(ロ)幾百万という人々はどんなことを認めるようになっていますか。この点に関してあなた自身はどのように感じていますか。
7 残りの者たちの示す,エホバのみ名と,み言葉の義の原則に対する深い傾倒ぶりは,見過ごされることはありませんでした。誠実な人々は,残りの者たちの行ないと,この世の政界や宗教界の指導者層に見られる腐敗や偽善との違いに気づくようになりました。エホバは「[霊的]イスラエルの残っている者たち」を祝福してこられました。彼らにご自分の名を担う特権を栄誉として与え,地の民の間で立派な評判を得させておられます。これはゼパニヤが預言したとおりです。こう記されています。「『その時,すなわちわたしがあなた方を集め寄せるその時に,わたしはあなた方を連れて来る。あなた方の目の前に捕らわれ人たちを連れ戻す時,わたしはあなた方を,地のすべての民の中で名とし,賛美とするのである』と,エホバは言われた」― ゼパニヤ 3:20。
8 1935年以来,文字どおり幾百万もの人々は,エホバの祝福が残りの者たちの上にあることを認めるようになりました。彼らは喜々としてそれら霊的ユダヤ人,すなわち霊的イスラエル人に従い,「わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです」と言っています。(ゼカリヤ 8:23)これら「ほかの羊」は,その油そそがれた残りの者たちこそキリストが「自分の[地上の]すべての持ち物をつかさどらせる」ために任命した「忠実で思慮深い奴隷」である,と認めています。そして,その奴隷級により「時に応じて」用意される霊的な食物に感謝してあずかっています。―ヨハネ 10:16。マタイ 24:45-47。
9 幾百万という人々はどんな「言語」を話せるようになっていますか。ほかの羊はどんな大きな業において,油そそがれた残りの者たちと「肩を並べて」仕えていますか。
9 これら幾百万人ものほかの羊は,残りの者たちと相並んで,「清い言語」に調和した生き方や話し方を学んでいます。a エホバはゼパニヤを通してこう預言しておられました。「その時わたしはもろもろの民に清い言語への変化を与える。それは,すべての者がエホバの名を呼び求め,肩を並べて神に仕えるためである」。(ゼパニヤ 3:9)そうです,ほかの羊は「王国のこの良いたより(を)あらゆる国民に対する証しのために」宣べ伝える緊急な業において,「小さな群れ」を構成する油そそがれた者たちと「肩を並べ」,一致してエホバに仕えているのです。―ルカ 12:32。マタイ 24:14。
『エホバの日が来る』
10 油そそがれた残りの者たちは常に何を確信してきましたか。一つの級としての彼らは生き長らえて何を見ますか。
10 油そそがれた残りの者たちは,霊感を受けて記された使徒ペテロの次の言葉を絶えず思いに留めてきました。「エホバはご自分の約束に関し,ある人々が遅さについて考えるような意味で遅いのではありません。むしろ,ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなた方に対して辛抱しておられるのです。しかし,エホバの日は盗人のように来ます」。(ペテロ第二 3:9,10)忠実な奴隷級の成員は,エホバの日が今この時代に到来することについて疑念を抱いたことは一度もありません。その大いなる日は,対型的なエルサレムであるキリスト教世界と,大いなるバビロンの残りの部分に対する神の裁きの執行をもって始まります。―ゼパニヤ 1:2-4。啓示 17:1,5; 19:1,2。
11,12 (イ)ゼパニヤの預言の他のどんな言葉が,残りの者たちの上に成就してきましたか。(ロ)油そそがれた残りの者たちは,「あなたの手を垂れ下がらせてはいけない」という呼びかけにどのように留意してきましたか。
11 忠実な残りの者たちは,1919年に,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンに霊的に捕らわれていた状態から救出されたことを歓んでいます。彼らはゼパニヤのこの預言の成就を経験してきたのです。「シオンの娘よ,喜びの叫びを上げよ。イスラエルよ,歓呼せよ。エルサレムの娘よ,心のかぎり歓びかつ歓喜せよ。エホバはあなたに対する裁きを取り除かれた。あなたの敵を退けてくださった。イスラエルの王エホバがあなたの中におられる。あなたはもはや災いを恐れない。その日エルサレムに向かってこう言われる。『シオンよ,恐れてはいけない。あなたの手を垂れ下がらせてはいけない。あなたの神エホバがあなたの中におられる。強大な方であり,救いを施してくださる』」― ゼパニヤ 3:14-17。
12 油そそがれた残りの者たちは,エホバが自分たちの中におられるという確信と数多くの証拠を得て,神からの任務を果たす点で恐れなく前進してきました。王国の良いたよりを宣べ伝え,キリスト教世界と,大いなるバビロンの残りの部分と,サタンの邪悪な事物の体制全体に対するエホバの裁きを知らせてきました。彼らは1919年以来幾十年にもわたって,どんな逆境のもとでも常に変わらず,「シオンよ,恐れてはいけない。あなたの手を垂れ下がらせてはいけない」という神からの命令に従ってきました。幾十億ものパンフレットや,雑誌,書籍,小冊子などを頒布してエホバの王国を告げ知らせる点で手を緩めませんでした。彼らは,1935年以来彼らの側に集まって群れを成しているほかの羊にとって,信仰を鼓舞する模範となっています。
「あなたの手を垂れ下がらせてはいけない」
13,14 (イ)一部のユダヤ人はなぜエホバに仕えることをやめましたか。そのことはどのように明らかになりましたか。(ロ)わたしたちがどうするのは愚かなことですか。わたしたちはどんな業に関して手を垂れ下がらせるべきではありませんか。
13 わたしたちはエホバの大いなる日を『待っている』間,ゼパニヤの預言からどのように実際的な助けを得られるでしょうか。第一に,わたしたちはゼパニヤの時代のユダヤ人のようにならないよう気をつけるべきです。彼らはエホバの日が近いという点に疑念を抱いたためエホバに従うことをやめたのです。そのようなユダヤ人たちはその疑念を必ずしも公に口にしたわけではありませんが,彼らの行動の仕方は彼らがエホバの大いなる日の近いことを実際には信じていないことを露呈していました。彼らはエホバを待つ代わりに,専ら蓄財に努めていたのです。―ゼパニヤ 1:12,13; 3:8。
14 今は自分の心に疑念が根を下ろすのを許すべき時ではありません。エホバの日の到来を,思いや心の中で先に延ばすのは非常に愚かなことです。(ペテロ第二 3:1-4,10)わたしたちはエホバに従うことをやめたり,エホバへの奉仕の点で「手を垂れ下がらせ」たりしないようにすべきです。これには「良いたより」を宣べ伝えるときに「緩慢な手で働(か)」ないことも含まれます。―箴言 10:4。マルコ 13:10。
無関心さと闘う
15 わたしたちは何が原因でエホバへの奉仕に関して手を緩めてしまうことがあり得ますか。この問題はゼパニヤの預言の中でどのように予告されていましたか。
15 第二に,わたしたちは人を弱らせる無関心さの影響に用心すべきです。西洋の多くの国では,霊的な事柄に対する関心の薄さが,良いたよりの伝道者たちの間に落胆を生じさせる原因となる場合があります。そのような無関心さはゼパニヤの時代にも見られました。エホバはご自分の預言者を通してこう言明されました。「[わたしは]その心のうちで,『エホバは善いことをしてくれないが,悪いことをもたらすわけでもない』と言っている者たちに注意を向ける」。(ゼパニヤ 1:12)A・B・デービッドソンは,「ケンブリッジ版学校用聖書」の中でこの節について考えを書き表わし,この言葉は「より高い力が人間界の物事に介入することに関して全くの無関心を決め込んだ,もしくはすっかり不信をきたした」人々のことを指している,と述べています。
16 キリスト教世界の諸教会に属する多くの人の間にはどんな精神状態が見られますか。しかし,エホバはわたしたちにどんな励ましを与えてくださっていますか。
16 無関心な態度は,今日,地上の多くの場所に,特に比較的豊かな国々に広く見られます。キリスト教世界の諸教会の成員でさえ,エホバ神が今この時代に人間の物事に介入される,ということを全く信じません。わたしたちが王国の良いたよりを彼らの心に伝えようと努力しても,彼らは疑うような微笑を浮かべるか,「興味ないね」とぶっきらぼうに答えるかして,わたしたちの努力をはねつけます。こうした状態でたゆまず証しの業を行なうことは非常に難しく思える場合があります。わたしたちの忍耐が試されます。しかし,エホバはゼパニヤの預言によってご自分の忠実な民を激励し,「あなたの手を垂れ下がらせてはいけない。あなたの神エホバがあなたの中におられる。強大な方であり,救いを施してくださる。歓びを抱いてあなたのことを歓喜される。その愛のうちに沈黙される。幸福な叫びを上げてあなたのことを喜ばれる」と述べておられます。―ゼパニヤ 3:16,17。
17 ほかの羊の中の比較的新しい人たちは,どんな立派な模範に,どのように従うべきですか。
17 残りの者たち,ならびにほかの羊の中の古い人たちが,この終わりの日に膨大な取り入れの業を成し遂げてきたことは,エホバの民の現代史における事実です。これら忠実なクリスチャンすべては,幾十年にもわたって忍耐を示してきました。キリスト教世界の大多数の人が無関心だからといって落胆したりはしませんでした。ですから,ほかの羊の中の比較的新しい人たちも,多くの国や地域で今日ごく一般に見られる,霊的な事柄に対する無関心さによって意気をくじかれることがありませんように。彼らも『手を垂れ下がらせる』,つまり気力を失ってしまうことがありませんように。かえって,あらゆる機会を活用して「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌,その他エホバの日とその後の祝福についての真理を知るよう羊のような人々を助けるために特に用意されている優れた出版物を提供したいものです。
大いなる日を待ちながら前進しなさい
18,19 (イ)マタイ 24章13節やイザヤ 35章3,4節には,耐え忍ぶ上でのどんな励ましがありますか。(ロ)わたしたちはエホバへの奉仕の点で一致して前進するなら,どのように祝福されますか。
18 イエスは,「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」と言明されました。(マタイ 24:13)ですから,エホバの大いなる日を待つわたしたちは,『手が弱って』いたり,『ひざがよろけたりする』ようであってはなりません。(イザヤ 35:3,4)ゼパニヤの預言はエホバに関して,「強大な方であり,救いを施してくださる」と,心強い保証の言葉を述べています。(ゼパニヤ 3:17)そうです,エホバは「大患難」の最終局面において,ご自分の民に対して『大いに高ぶって』いる政治上の諸国民を粉々にするようご自分のみ子に命じ,「大群衆」に救いを施されるのです。―啓示 7:9,14。ゼパニヤ 2:10,11。詩編 2:7-9。
19 エホバの大いなる日が近づいている今,わたしたちは「肩を並べて」神に仕え,熱心に前進してゆきたいものです。(ゼパニヤ 3:9)そうすれば,わたしたち自身と数えきれないほど大勢の人々は「エホバの怒りの日に隠され」,エホバの聖なるみ名が神聖なものとされるのを目撃する者となれるのです。
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