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  • エホバの日にはどんなことが明らかになるか
    ものみの塔 2010 | 7月15日
    • エホバの日にはどんなことが明らかになるか

      「エホバの日は盗人のように来ます。そのとき……,地とその中の業とはあらわにされるでしょう」。―ペテ二 3:10。

      1,2 (イ)現在の邪悪な事物の体制はどのようにして終わりますか。(ロ)どんな質問について考えますか。

      現在の邪悪な事物の体制は,人間はエホバに頼らなくても地をうまく治めてゆける,という根源的なうその上に成り立っています。(詩 2:2,3)うそや偽りを基としているものが永久に存続することなど絶対にありませんが,サタンの世の自滅を待つ必要はありません。神の定めた時に神の方法で滅ぼされるからです。この邪悪な世に対する神の行動は,神の公正と愛を完全に反映するものとなります。―詩 92:7。箴 2:21,22。

      2 使徒ペテロはこう書いています。「エホバの日は盗人のように来ます。そのとき天は鋭い音とともに過ぎ去り,諸要素は極度に熱して溶解し,地とその中の業とはあらわにされるでしょう」。(ペテ二 3:10)ここで言われている「天」とは,また「地」とは何でしょうか。溶解する「諸要素」とは何のことですか。また,ペテロはどういう意味で「地とその中の業とはあらわにされる」と述べたのでしょうか。こうした質問の答えを知るなら,近い将来に起きる畏怖すべき事柄に備えることができます。

      天と地は過ぎ去る

      3 ペテロ第二 3章10節の「天」とは何のことですか。それはどのように過ぎ去りますか。

      3 「天」という語は,聖書中で象徴的な意味に用いられている場合,臣民の上に高められた支配勢力を指すことが少なくありません。(イザ 14:13,14。啓 21:1,2)『過ぎ去る天』は,不敬虔な社会に対する人間の支配を表わしています。それらが大きな「鋭い音」― 別の訳によれば,「轟音」― とともに過ぎ去るとは,その天が瞬く間に滅び去るということであろう,と思われます。

      4 「地」とは何のことですか。それはどのようにして滅ぼされますか。

      4 「地」は,神から疎外された人類の世を表わしています。その世は,ノアの時代にも存在していましが,神の命令により,大洪水に覆われて終わりました。「その同じみ言葉によって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれて」います。(ペテ二 3:7)大洪水の時には不敬虔な人々がみな一度に滅ぼされましたが,来たるべき滅びは「大患難」の期間中に段階的に生じます。(啓 7:14)最初の局面で,神はこの世の政治支配者たちに「大いなるバビロン」を滅ぼさせることにより,その宗教上の娼婦に対する侮べつを示されます。(啓 17:5,16; 18:8)次いで,最終局面であるハルマゲドンの戦いの時,エホバ神がみ子イエス・キリストを用いて,サタンの世の残りの部分をぬぐい去られます。―啓 16:14,16; 19:19-21。

      『諸要素は溶解する』

      5 比喩的な諸要素には何が含まれていますか。

      5 『溶解する諸要素』とは何でしょうか。ある聖書辞典は,「諸要素」を「根本原理」もしくは「基本的な事柄」と定義しています。その辞典によると,この語は「言葉の要素である,アルファベットの字母を指して用いられ」ました。ですから,ペテロが言及した「諸要素」とは,世の不敬虔な特質,態度,やり方,目標などの要因となっている根源的なもののことです。この「諸要素」には「世の霊」が含まれています。それは「不従順の子らのうちに……働いている」霊です。(コリ一 2:12。エフェソス 2:1-3を読む。)その霊つまり『空気』はサタンの世に充満しており,人々を駆り立てて,考え方,計画,話し方,行動が,誇り高く反抗的な「空中の権威の支配者」サタンの思いを反映したものとなるようにしています。

      6 世の霊はどのようなかたちで表われますか。

      6 そのため,世の霊を吸い込む人たちは,気づいていてもいなくても,思いと心をサタンの影響にさらしてしまうので,サタンの考えや態度を反映するようになります。その結果,神のご意志を無視して,自分のしたいことをします。何かがあると誇りや利己心に基づいて反応し,権威に対して反抗的な態度を取り,「肉の欲望と目の欲望」の赴くままに行動します。―ヨハネ第一 2:15-17を読む。a

      7 『自分の心を守る』必要があるのはなぜですか。

      7 ですから,友達,読み物,娯楽や,インターネットで見るウェブサイトなどを選ぶ際,敬虔な知恵を働かせることによって『自分の心を守る』のは,本当に重要なことです。(箴 4:23)使徒パウロはこう書いています。「気をつけなさい。もしかすると,人間の伝統にしたがい,また世の基礎的な事柄にしたがってキリストにしたがわない哲学やむなしい欺きにより,あなた方をえじきとして連れ去る者がいるかもしれません」。(コロ 2:8)この命令に従うことは,エホバの日が近づいている今,ますます急務となっています。その日に生じる未曾有の『熱』によって,サタンの体制の「諸要素」すべてが溶解し,それらに耐火性の全くないことが明らかになるからです。このことから,マラキ 4章1節の次のような言葉が思い起こされます。「炉のように燃える日が来る……。そして,すべてのせん越な者,また悪を行なうすべての者はまさに刈り株のようになる。それで,来たらんとするその日は必ず彼らをむさぼり食うであろう」。

      「地とその中の業とはあらわにされる」

      8 地とその中の業とは,どのように「あらわにされ」ますか。

      8 ペテロは「地とその中の業とはあらわにされる」と書いていますが,何がどうなるのでしょうか。「あらわにされる」という語は,「見いだされる」,「むきだしにされる」とも訳せます。ですから,ペテロが言おうとしていたのは,エホバが大患難の際にサタンの世をむきだしにし,その世をご自分とご自分の王国に敵対しているもの,またそれゆえに滅ぼされるべきものとして示す,ということです。イザヤ 26章21節には,その時のことが預言的にこう述べられています。「ご自分に対する地の住民のとがに関して言い開きを求めるため,エホバはその場所から出て来られる……。その地は必ずその流血をあらわにし,もはやその殺された者たちを覆い隠すことはない」。

      9 (イ)わたしたちは何を退けるべきですか。そうすべきなのはなぜですか。(ロ)何を培うべきですか。そうすべきなのはなぜですか。

      9 エホバの日には,世とその邪悪な霊によって形作られている人たちが,本性を表わし,殺し合うようにさえなるでしょう。実際,今日,世でもてはやされている様々な形態の暴力的娯楽によって多くの人の思いが形作られてゆき,やがて各人がその手を『友の手に向けて上げる』時が来る,というのは大いにあり得ることです。(ゼカ 14:13)ですから,映画,書物,テレビゲームなど何であれ,誇りや暴力に対する愛といった,神が忌み嫌われる性向を自分の内に生じさせるようなものを退けることは,本当に重要です。(サム二 22:28。詩 11:5)そして,神の聖霊の実を培いましょう。そうした特質こそ,エホバの日に生じる象徴的な熱に耐える助けになるからです。―ガラ 5:22,23。

      「新しい天と新しい地」

      10,11 「新しい天」とは,また「新しい地」とは何のことですか。

      10 ペテロ第二 3:13を読む。「新しい天」とは,「諸国民の定められた時」の終わった1914年に設立された,神の天の王国のことです。(ルカ 21:24)この王国政府は,キリスト・イエスと14万4,000人の共同支配者で構成されており,そのうちの大半はすでに天での報いを受けています。それら選ばれた人たちは,「啓示」の書の中で,『天から,神のもとから下って来る,そして自分の夫のために飾った花嫁のように支度を整えた,聖なる都市,新しいエルサレム』として描かれています。(啓 21:1,2,22-24)古代イスラエルの政府は,地上のエルサレムに置かれていました。一方,新しい事物の体制の政府は,天の新しいエルサレムとその花婿で構成されます。この都市は,地に注意を向けるという意味で『天から下って来る』のです。

      11 「新しい地」とは,神の王国に進んで服する態度を示してきた人々から成る,新しい地上の社会のことです。神の民が今すでに享受している霊的パラダイスはついに,その麗しい「来たるべき,人の住む地」の,本来あるべき場所に収まるのです。(ヘブ 2:5)では,わたしたちはどうすればその新しい事物の体制に入ることができるでしょうか。

      エホバの大いなる日に備える

      12 エホバの日が来ると,世が衝撃を受けるのはなぜですか。

      12 パウロもペテロも,エホバの日は「盗人のように」― 思いも寄らない時に,不意に ― 来る,と予告しています。(テサロニケ第一 5:1,2を読む。)その日を待ち望んでいる真のクリスチャンでさえ,その突然さに驚くことでしょう。(マタ 24:44)しかし,世は単に驚くだけではすみません。パウロはこう書いています。「[エホバから疎外されている]人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決して逃れられません」。―テサ一 5:3。

      13 どうすれば,「平和だ,安全だ」という叫びに欺かれないですみますか。

      13 「平和だ,安全だ」という叫びも,悪霊の霊感によるうその一つです。しかし,エホバの僕たちをだますものとはなりません。パウロはこう書いています。「あなた方は闇にいるのではありませんから,盗人たちに対するように,その日が不意にあなた方を襲うことはありません。あなた方はみな光の子であり,昼の子なのです」。(テサ一 5:4,5)ですから,サタンの世の闇から遠く離れて,光のうちにとどまっていましょう。ペテロもこう書いています。「愛する者たちよ,あなた方はこのことをあらかじめ知っているのですから,無法な人々[クリスチャン会衆内の偽教師たち]の誤りによって共に連れ去られ,自分自身の確固たる態度から離れ落ちることのないように用心していなさい」。―ペテ二 3:17。

      14,15 (イ)エホバはどのようにわたしたちの尊厳を認めてくださっていますか。(ロ)わたしたちは霊感によるどんな言葉を心に銘記すべきですか。

      14 エホバはここで,「用心していなさい」と告げるだけで済ませてはおられません。わたしたちの尊厳を認めて,ご親切にも,将来起きる事柄の概略を『あらかじめ知らせて』くださっているのです。

      15 それでも,残念なことに,ある人たちは,目ざめているようにという諭しに対して無頓着になり,冷笑的にさえなってしまいました。そして,『これまで何十年もその同じ諭しを聞いてきた』と言うかもしれません。しかし,そのように言う人は,単に忠実な奴隷級にではなく,実際にはエホバとみ子に異議を唱えていることになるのです。エホバは,「待ちつづけよ」と言っておられます。(ハバ 2:3)イエスも,「ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです」と述べました。(マタ 24:42)さらにペテロも,こう書いています。「あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心のうちに,エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める者となるべきではありませんか」。(ペテ二 3:11,12)忠実な奴隷級とその統治体は,そうした真剣な勧めの言葉に,決して無頓着になったりはしません。

      16 わたしたちはどんな態度を避けるべきですか。そうすべきなのはなぜですか。

      16 実のところ,『主人は遅れている』との結論を下すのは,「よこしまな奴隷」です。(マタ 24:48)そのよこしまな奴隷は,ペテロ第二 3章3,4節で描写されている人々に含まれます。ペテロによれば,『終わりの日にはあざける者たちがやって来ます』。その者たちは「自分の欲望のままに」進み,従順な態度でエホバの日をしっかりと思いに留めている人たちをあざけります。そうです,王国の関心事にではなく,自分自身に,また自分の利己的な欲望に注意を集中するのです。わたしたちは決してそのような不従順で危険な態度を取らないようにしましょう。そして,『わたしたちの主の辛抱を救いと考える』ようでありたいものです。そう考えていることを,王国を宣べ伝えて人々を弟子とする業に励むことにより,また事を起こすエホバ神のご予定の時について過度に思い煩わないことにより,示してゆきましょう。―ペテ二 3:15。使徒 1:6,7を読む。

      救いの神に依り頼む

      17 忠実なクリスチャンたちは,エルサレムから逃げ去るようにというイエスの訓戒にどう反応しましたか。そのように反応したのはなぜですか。

      17 西暦66年にローマの軍隊がユダヤに侵入すると,忠実なクリスチャンたちは,イエスの訓戒に従ってエルサレムの都から即刻逃げ去りました。(ルカ 21:20-23)彼らが速やかに,決然として行動したのはなぜでしょうか。イエスの警告をしっかりと思いに留めていたからに違いありません。もちろん,そのように決定すれば,キリストの予告どおりに辛苦を忍ばなければならなくなる,ということは承知していました。しかし同時に,エホバは決してご自分の忠節な者たちをお見捨てにならない,ということも知っていたのです。―詩 55:22。

      18 ルカ 21章25-28節のイエスの言葉は,来たるべき大患難についてのあなたの見方にどんな影響を及ぼしますか。

      18 わたしたちも,エホバに全幅の信頼を置いていなければなりません。現在の体制が人類史上最大の患難に遭遇する時にわたしたちの救いとなってくださるのは,エホバだけだからです。大患難が始まって,エホバが世の残りの部分に裁きを執行する前のある時点で,人々は「人の住む地に臨もうとする事柄への恐れと予想から気を失います」。神に敵対する者たちは恐れおののきますが,エホバの忠節な僕たちは恐れたりしません。それどころか,自分たちの救出が近づいていることを知っているので歓びます。―ルカ 21:25-28を読む。

      19 次の記事では,どんなことについて考えますか。

      19 そうです,世とその「諸要素」から離れている人たちの前途には,実に胸の躍るような将来が待ち受けています。とはいえ,次の記事で説明されているように,命を得たいと思うなら,単に悪を避ける以上のことをしなければなりません。エホバに喜ばれる特質を身につけ,エホバに受け入れられる業を行なう必要があるのです。―ペテ二 3:11。

      [脚注]

      a 世の霊の助長する性向に関する,より詳しい説明については,「聖書から論じる」の419-422ページを参照。

  • 『このような者となるべきです』
    ものみの塔 2010 | 7月15日
    • 『このような者となるべきです』

      『これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心を保つ者となるべきではありませんか』。―ペテ二 3:11,12。

      1 ペテロ第二の手紙は当時のクリスチャンに時宜にかなった勧めを与えるものであった,と言えるのはなぜですか。

      使徒ペテロが霊感による第二の手紙を書いた時,クリスチャン会衆はすでに多くの迫害を耐え忍んでいましたが,そのために熱意が薄れたり成長が鈍ったりすることはありませんでした。それで悪魔は,別の戦術,すなわち以前に何度も成功した戦術を用いました。ペテロが明らかにしたとおり,サタンは,「姦淫に満ちた目」と「強欲さの面で鍛えられた心」を持つ偽教師たちによって神の民を腐敗させようとしたのです。(ペテ二 2:1-3,14。ユダ 4)それゆえに,ペテロの第二の手紙は,忠実を保つよう心から勧めるものとなっています。

      2 ペテロ第二の手紙の3章にはおもに,どんなことが書かれていますか。どんなことを自問できますか。

      2 ペテロはこう書いています。「わたしがこの幕屋にいるかぎり,思い出させるためにあなた方を奮い立たせるのは正しいことであると思います。わたしは自分の幕屋をまもなく脱ぎ捨てることになるのを知っているからです。……それで,わたしは,自分の去った後,あなた方が自分でこれらのことを語れるよう,時あるごとに力を尽くして励むつもりでもいます」。(ペテ二 1:13-15)そうです,ペテロは自分の死期が迫っていることを知っており,自分の与える時宜にかなった諭しが語り継がれることを願っていたのです。その願いどおり,それらの諭しは聖書の一部となり,今日のわたしたちのだれもが読めるものとなりました。わたしたちにとってペテロの第二の手紙の3章は特に関心のあるところです。その章にはおもに,現在の事物の体制の「終わりの日」と比喩的な天と地の滅びのことが書かれているからです。(ペテ二 3:3,7,10)ペテロはわたしたちのためにどんな助言を述べているでしょうか。その助言を自分に当てはめることは,エホバの是認を得るうえでどのように助けになるでしょうか。

      3,4 (イ)ペテロはどんな熱烈な勧めの言葉を述べましたか。どんな警告を与えていますか。(ロ)これからどんな三つの点について考えますか。

      3 ペテロは,サタンの世が溶解することに言及したあと,『あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心を保つ者となるべきではありませんか』と述べました。(ペテ二 3:11,12)それが問いかけではなく,熱烈な勧めの言葉であったことは明らかです。ペテロは,エホバのご意志を行なって敬虔な性向を表わし示す者たちだけが,来たるべき「復しゅうの日」を生き残れる,ということを知っていました。(イザ 61:2)ですから,次のようにも述べました。「したがって,愛する者たちよ,あなた方はこのことをあらかじめ知っているのですから,無法な人々[偽教師たちと]の誤りによって共に連れ去られ,自分自身の確固たる態度から離れ落ちることのないように用心していなさい」。―ペテ二 3:17。

      4 ペテロは,『あらかじめ知っていた』人たちの一人なので,終わりの日のクリスチャンは忠誠を保つために特に用心しなければならない,ということを知っていました。なぜ用心すべきなのかについては,後に使徒ヨハネがはっきり説明しました。ヨハネは,サタンが天から放逐されて,「神のおきてを守り行ない,イエスについての証しの業を持つ者たち」に対して「大きな怒り」を抱くさまを,あらかじめ見たのです。(啓 12:9,12,17)神の忠節な油そそがれた僕たちは,忠実な「ほかの羊」である仲間たちと共に,勝利を収めます。(ヨハ 10:16)しかし,わたしたち個人はどうでしょう。忠誠を保つでしょうか。(1)敬虔な特質を培い,(2)道徳的また霊的に汚点もきずもない状態を保ち,(3)試練に対する正しい見方を持つよう努めるなら,忠誠を保つことができます。では,それらの点について考えましょう。

      敬虔な特質を培う

      5,6 わたしたちはどんな特質を培うよう努めるべきですか。「真剣な努力」が必要なのはなぜですか。

      5 ペテロは,第二の手紙の初めのほうで,こう書いています。「真剣な努力をつくして答え応じ,あなた方の信仰に徳を,徳に知識を,知識に自制を,自制に忍耐を,忍耐に敬虔な専心を,敬虔な専心に兄弟の愛情を,兄弟の愛情に愛を加えなさい。これらのものがあなた方のうちに在ってあふれるなら,それはあなた方が,わたしたちの主イエス・キリストについての正確な知識に関して無活動になったり,実を結ばなくなったりするのを阻んでくれるのです」。―ペテ二 1:5-8。

      6 確かに,敬虔な特質を培う助けとなる活動に加わるには,「真剣な努力」が必要です。例えば,クリスチャンの集会すべてに出席し,聖書を毎日読み,良い個人研究の習慣を維持するためには,努力しなければなりません。また,晩の“家族の崇拝”を定期的に行ない,楽しくて意義深いものとするためには,良い計画と共に懸命な努力が求められます。それでも,いったん軌道に乗ると,特にその良さを味わい知ったなら,健全な習慣を続けることは容易になります。

      7,8 (イ)晩の家族の崇拝について,どんな感想が寄せられていますか。(ロ)あなたは家族の崇拝からどのように益を受けていますか。

      7 家族の崇拝というこの取り決めに関して,ある姉妹は,「おかげで,いろいろな論題について学ぶことができます」と書いています。別の姉妹も,こう言います。「正直言って,書籍研究は終わってほしくありませんでした。好きな集会だったからです。でも,夜の家族の崇拝を行なうようになって分かりました。エホバは,わたしたちに何が必要か,いつ必要かをご存じなのです」。ある家族の頭は,こう述べています。「家族の崇拝は,本当に大きな助けになっています。そのひとときをわたしたち夫婦の必要に合ったものにできるのは素晴らしいことだと思います。二人とも,自分たちが聖霊の実を表わす点で進歩しているように感じますし,宣教奉仕でもこれまでにないような喜びを味わっています」。別の家族の頭も,こう言います。「子どもたちは自分で調査をして,多くのことを学んでいます。しかも,それを楽しんでいます。この取り決めによって,エホバはわたしたちの益になる事柄をご存じであり,祈りに答えてくださっている,という確信が深まりました」。あなたも,この素晴らしい霊的な備えをそのように見ておられますか。

      8 ちょっとしたことで家族の崇拝を欠かすようであってはなりません。ある夫婦は,こう述べています。「我が家では,ここ4週間,木曜の夜になると何かと邪魔が入りました。でも,予定どおり家族研究を行ないました」。もちろん,時には予定を調整しなければならないこともあるでしょう。それでも,晩の家族の崇拝を欠かしてはなりません。たとえ1週といえ,行なわない週がないようにしましょう。

      9 エホバはエレミヤをどのように支えられましたか。エレミヤの模範からどんなことを学べますか。

      9 預言者エレミヤは,わたしたちの倣うべき立派な模範です。必要な霊的糧をエホバから与えられて,深く感謝しました。その滋養物を得ていたからこそ,良い反応を示さない民に忍耐強く宣べ伝えることができたのです。「エホバの言葉は……わたしの骨の中に閉じ込められた燃える火のようになりました」と言っているとおりです。(エレ 20:8,9)またエレミヤは,その滋養物のおかげで,エルサレムの滅びによって最高潮を迎える苦難の時代を耐え忍ぶこともできました。今日,わたしたちの手元には,一式の書き記された神の言葉があります。わたしたちも,勤勉にそれを研究して神のお考えを自分の考えとするなら,エレミヤと同じように,宣教奉仕において喜びつつ忍耐し,試練のもとでも忠実を守り,道徳的また霊的な清さを保つことができます。―ヤコ 5:10。

      「汚点もきずもない」状態を保つ

      10,11 「汚点もきずもない」状態を保つよう力を尽くして励む必要があるのはなぜですか。そのためには,どうしなければなりませんか。

      10 クリスチャンであるわたしたちは,今が終わりの時であることを知っており,世が貪欲,性的堕落,暴力といった,エホバの憎み嫌われる事柄に取りつかれていても,驚きません。そうなっているのは,サタンが,“神の僕たちを怯えさせることはできないとしても,腐敗させることならできるだろう”と考えているからなのです。(啓 2:13,14)ですから,わたしたちは,「最終的に汚点もきずもない,安らかな者として[神に]見いだされるよう力を尽くして励みなさい」という,愛のこもったペテロの訓戒を心に銘記していなければなりません。―ペテ二 3:14。

      11 「力を尽くして励みなさい」という表現は,ペテロが前のほうで勧めた,「真剣な努力をつくして」答え応じなさい,という言葉と似ています。エホバがペテロに霊感を与えてそう述べさせたのは,わたしたちが「汚点もきずもない」状態を保ち,サタンの世の汚れに染まらないように努力すべきであることをご存じだからです。わたしたちの努力すべき事柄には,悪い欲望に負けないように自分の心を守ることが含まれます。(箴言 4:23; ヤコブ 1:14,15を読む。)また,人々がクリスチャンであるわたしたちの生き方に当惑して『わたしたちのことをいよいよあしざまに言う』場合に,おびえることなくしっかり立つことも含まれます。―ペテ一 4:4。

      12 ルカ 11章13節には,どんな保証の言葉がありますか。

      12 わたしたちは不完全なので,正しいことをするのは容易ではありません。(ロマ 7:21-25)エホバに頼って初めてそうすることができます。エホバは,誠実に求める人に惜しみなく聖霊を与えてくださるからです。(ルカ 11:13)聖霊を受けるなら,神の是認される様々な特質を育むことができ,人生における誘惑に対処しやすくなるだけでなく,エホバの日が近づくにつれて増大すると思われる試練にも対処しやすくなります。

      試練を通して自分を強める

      13 試練に遭うとき,忍耐するのにどんなことが助けになりますか。

      13 わたしたちは,今の古い事物の体制下で生きている限り,何らかの試練に遭います。それを避けて通ることはできません。しかし,気落ちするのではなく,試練を,エホバに対する愛を確証するための機会,またエホバとみ言葉に対する信仰を精錬するための機会とみなしましょう。弟子ヤコブはこう書いています。「わたしの兄弟たち,さまざまな試練に遭うとき,それをすべて喜びとしなさい。あなた方が知っているように,こうして試されるあなた方の信仰の質は忍耐を生み出すからです」。(ヤコ 1:2-4)また,「エホバは,敬虔な専心を保つ人々をどのように試練から救い出すか……を知っておられる」ということも忘れないようにしましょう。―ペテ二 2:9,10。

      14 ヨセフの例について考えると,どんな励みが得られますか。

      14 ヤコブの息子ヨセフの例について考えてみてください。ヨセフは自分の実の兄弟たちによって奴隷として売り飛ばされました。(創 37:23-28; 42:21)そうした無慈悲なことをされて,ヨセフの信仰は砕かれたでしょうか。自分の身に災難が臨むのを許された神に対して苦々しく思ったでしょうか。神の言葉は,ヨセフがそのような気持ちにはならなかったことを明らかにしています。しかも,ヨセフの受けた試練はそれだけでは終わりませんでした。後には,強姦未遂の濡れ衣を着せられて投獄されました。しかしその時も,ヨセフの敬虔な専心は全く揺るぎませんでした。(創 39:9-21)それどころか,試練を通して自分を強めたのです。その結果,豊かな報いを受けました。

      15 ナオミの例からは,どんなことを学べますか。

      15 もちろん,試練に遭うと,つらい気持ちになるものです。意気消沈することもあるでしょう。ヨセフも,時にはそのような思いをしたかもしれません。神の他の忠実な僕たちも,そうでした。ナオミのことを考えてみてください。ナオミは夫を亡くしたうえに,二人の息子まで亡くしました。それで,こう言いました。「わたしのことをナオミとは呼ばないでください。むしろ,[「苦い」という意味の]マラと呼んでください。全能者はわたしの境遇を非常に苦いものとされたからです」。(ルツ 1:20,21,脚注)ナオミがそうした反応を示したのは,自然なことであり,無理もないことでした。それでも,ヨセフと同じように,霊性がぐらつくことも忠誠心が揺らぐこともありませんでした。それでエホバは,その立派な女性に報いをお与えになりました。(ルツ 4:13-17,22)それだけではありません。全地が楽園<パラダイス>となる時,エホバは,サタンとその邪悪な世のもたらした害を一掃して良い状態を回復させてくださいます。その時には,「以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもない」のです。―イザ 65:17。

      16 祈ることに関してどんな態度を持っているべきですか。それはなぜですか。

      16 わたしたちは,神に愛されていることを知っているので,どんな試練に遭うとしても耐え忍ぶことができます。(ローマ 8:35-39を読む。)「健全な思い」を持って「祈りのために目をさまして」いる限り,サタンがいくらわたしたちを落胆させようとしても,そうすることはできません。(ペテ一 4:7)イエスはこう述べました。「それで,起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」。(ルカ 21:36)イエスが「祈願」という語を用いたことに注意してください。祈願とは,きわめて真剣な祈りのことです。イエスは,祈願するよう命じることにより,イエスと天の父の前に立つ(つまり,是認された状態でいる)ことに関して無頓着になるべき時ではない,という点を強調しました。エホバの日を生き残る見込みがあるのは,是認された状態でいる人だけだからです。

      いつも活発にエホバに仕える

      17 難しい区域で証言している人は,昔の預言者たちの良い模範からどのように益を受けることができますか。

      17 わたしたちは,霊的な活動に加わると,さわやかな気持ちになるものです。ペテロが,『あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心を保つ者となるべきではありませんか』と述べたのも,そのためです。(ペテ二 3:11,12)敬虔な専心の行ないのうち最も重要なのが,良いたよりをふれ告げることです。(マタ 24:14)もちろん,ある区域での宣べ伝える業は容易ではない場合もあるでしょう。その原因は,人々の無関心や反対,あるいは人々がただ日常の関心事に気を取られていることにあるかもしれません。昔のエホバの僕たちも,そのような態度に対処しなければなりませんでした。それでも,さじを投げることなく,神から与えられた音信を携えて人々のもとに「何度も」出向きました。(歴代第二 36:15,16を読む。エレ 7:24-26)そのように忍耐するうえで助けになったのは,与えられた任務を世の観点からではなくエホバの観点から見たことです。また,神の名を掲げる務めを最大の誉れと考えたことも,助けになりました。

      18 王国を宣べ伝える業は,将来,神の名が大いなるものとされることに,どう影響しますか。

      18 わたしたちも,エホバの名と目的を告げ知らせる特権にあずかっています。考えてみてください。わたしたちが宣べ伝える業を行なっていれば,神に敵対する人々は,エホバの大いなる日が来た時,知らされていなかったと言うことはできません。それどころか,昔のファラオと同じように,自分たちに敵対しているのがエホバであることを知るのです。(出 8:1,20; 14:25)その時エホバは,ご自分の忠実な僕たちに誉れを与え,彼らこそがご自分の代表者であることを一点の曇りもなく明らかにされることでしょう。―エゼキエル 2:5; 33:33を読む。

      19 エホバが辛抱してくださっている時を善用したい,という気持ちをどのように示せますか。

      19 ペテロは,自分の書いた第二の手紙の終わりのほうで,信仰の仲間たちに,「わたしたちの主の辛抱を救いと考えなさい」と述べています。(ペテ二 3:15)わたしたちも,そのとおりに,エホバが辛抱してくださっている時を善用してゆきましょう。エホバの喜ばれる特質を身につけ,「汚点もきずもない」状態を保ち,試練に対して正しい態度を持ち,王国奉仕に励むことにより,そうしてゆくのです。そうすれば,「新しい天と新しい地」に関連した,終わりのない祝福にあずかる者となれるでしょう。―ペテ二 3:13。

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