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王国を受けるにふさわしい者とされるものみの塔 2008 | 1月15日
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アブラハムの胤は義と宣せられる
6,7 (イ)アブラハムの胤が「天の星のように」なるとは,どういう意味でしたか。(ロ)アブラハムはどんな祝福を受けましたか。アブラハムの胤も,どんな同様の祝福を受けていますか。
6 アブラハムは,自分の胤が殖えて「天の星のように」,海辺の砂の粒のようになると告げられました。(創 13:16; 22:17)つまり,この胤を構成する人の数は,アブラハムの時代の人々にとって知り得ない事柄でした。しかし,アブラハムの霊的な胤となる人々の正確な数は,やがて明らかにされました。イエスと14万4,000人から成るのです。―啓 7:4; 14:1。
7 神の言葉 聖書はアブラハムの信仰に関して,「[アブラハム]はエホバに信仰を置いた。そして神は彼に対してそれを義とみなされた」と述べています。(創 15:5,6)もちろん,全く義にかなっている人間は一人もいません。(ヤコ 3:2)しかしエホバは,アブラハムをその際立った信仰ゆえに,義にかなった人として扱い,ご自分の友とさえ呼ばれました。(イザ 41:8)イエスと共にアブラハムの霊的な胤を構成する人々も,義と宣せられています。その結果,アブラハムの受けた祝福よりはるかに大きな祝福を受けます。
8 アブラハムの胤の成員は,どんな祝福を受けることができますか。
8 油そそがれたクリスチャンは,イエスの贖いの犠牲に信仰を働かせるゆえに,義と宣せられています。(ロマ 3:24,28)エホバの目には罪から放免されており,聖霊で油そそがれて,神の霊的な子またイエス・キリストの兄弟になることができます。(ヨハ 1:12,13)新しい契約に入り,「神のイスラエル」という新しい国民を形成しています。(ガラ 6:16。ルカ 22:20)こうしたことすべては実に大きな特権です。油そそがれたクリスチャンは,神がそのような特権を与えてくださっているので,地上でとこしえに生きることは望みません。裁きの日のあいだイエスと共に働き,天で支配するという,言い表わせないほどの喜びゆえに,地上でとこしえに生きる見込みを犠牲にするのです。―ローマ 8:17を読む。
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王国を受けるにふさわしい者とされるものみの塔 2008 | 1月15日
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12 パウロは,油そそがれたクリスチャンにどんなことを思い起こさせましたか。
12 1世紀のクリスチャンは天の相続財産を受けることができるよう,義と宣せられ,聖霊で油そそがれました。
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