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エホバを待ち望めものみの塔 1986 | 10月15日
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エホバの僕たちは信仰の試練に遭うことがあっても,神が避難所また救出者となってくださるので忍耐して立ち向かうことができます。このことが詩編の第二巻で実に見事に示されています。そうです,詩編 42編から72編までの部分は,わたしたちのために行動してくださるよう祈りつつエホバを待つなら忍耐できる,ということを証明しています。
「神を待ち望め」
詩編 42編から45編までお読みください。流刑の身であったあるレビ人はエホバの聖なる所へ行けずに悲しんでいますが,救出者として行動してくださる『神を待ち望む』ことに満足しています。(詩編 42,43編)
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エホバを待ち望めものみの塔 1986 | 10月15日
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わたしたちに対する教訓: 詩編 46編はエルサレムがアッシリア人に脅かされていた時代に当てはまると言えるでしょう。ヒゼキヤ王は,『神は避難所であり,苦難のときに容易に見いだされる助けである』ということを認めて,エホバに祈りました。それでその都市は奇跡的に救出されました。(列王第二 19章)わたしたちも苦難の下にあるとき,神を自分の避難所とすべきです。どのようにでしょうか。エホバに依り頼み,み言葉に付き従い,神の組織に堅く付くことによってそうします。
救出は確約されている
詩編 52編から57編までお読みください。神は「生ける者の地から」悪人を根こぎにされ,だれであれご自分の民に反対する者の『骨を散らされ』ます。(詩編 52,53編)ダビデはサウルに付け狙われていても,神による救出を確信していました。また不実な行ないの犠牲になったときには,自分の重荷をエホバにゆだねました。(詩編 54,55編)詩編作者は神が逆境を終わらせてくださる時を待ち望むことで満足しました。―詩編 56,57編。
◆ 52:8 ― 義なる者はどんな点でオリーブの木のようでしょうか。
オリーブの木は,実り豊かなこと,美しさ,威厳などを象徴する場合があります。(エレミヤ 11:16。ホセア 14:6)この詩編では,悪い結末に至る,邪悪なことをたくらむ者と,保護されて,生い茂ったオリーブの木のように栄える義なる人とが対比されています。
◆ 54:1 ― なぜダビデは,「あなたのみ名によってわたしを救ってください」と言ったのでしょうか。
神のみ名に神秘的な力があるわけではありませんが,み名は神ご自身を表わすことがあります。ですから,ダビデはこの嘆願によって,エホバにはご自分の民を救う力があるということを認めたのです。(出エジプト記 6:1-8)ジフ人はダビデの居所をサウル王に知らせましたが,フィリスティア人がイスラエルを侵略したため,サウルがダビデを付け狙うことは中断されました。(サムエル第一 23:13-29。詩編 54編表題)こうして,エホバは正にダビデを救われました。
わたしたちに対する教訓: ダビデの敵たちはダビデの前に落とし穴を掘り抜いていました。(詩編 57:6)人をわなに掛けるためのそのような穴とは,エホバの僕を危険に陥れる危うい状況や陰謀を表わすのでしょう。しかし,神の民に反対する者たちは自らのよこしまな企みによってわなに掛かる場合があります。それで,わたしたちがエホバに頼って用心しているなら,救出は確約されるのです。―箴言 11:21; 26:27。
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エホバを待ち望めものみの塔 1986 | 10月15日
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わたしたちに対する教訓: ダビデは自分のために神が行動してくださるのを『黙して待ち望む』ことに満足していました。(詩編 62:1-7)エホバのご意志に柔順であったダビデは,安心感と,神への穏やかな確信を抱いていました。もしわたしたちがエホバをそのように信頼しているなら,敵や患難から神が救出してくださるのを待っている間,「神の平和」がわたしたちの心と知力を守るでしょう。―フィリピ 4:6,7。詩編 33:20。
わたしたちの救出者を賛美しなさい
詩編 65編から72編までお読みください。エホバは,豊かな穀物,豊潤な雨,青々と茂った牧草地,群れをなす羊などの供給源として賛美されています。(詩編 65編)「そのみ名の栄光に」調べを奏でなければなりません。(詩編 66編)エホバはたたえられるべき方であり,「救いを施される神」として賛美されています。(詩編 67,68編)メシアの受ける苦しみが予告されており,エホバは「逃れさせてくださる方」としてほめたたえられています。その方からの助けをこの詩編作者は待ち望むのです。(詩編 69-71編)そのような信頼は報われます。なぜなら,全地にわたる繁栄も圧迫からの救出も,メシアによる祝福された統治期間中に確実にもたらされるからです。―詩編 72編。
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