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デンマーク1993 エホバの証人の年鑑
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その人はクリスチャン・バングショルトでした。彼は小冊子を一晩で読み通し,オレスールスガゼの集会に出席し始めました。そこで聞いた事柄は,救世軍やペンテコステ派やメソジスト派など,真理を見いだそうとしてそれまでに交わったグループから聞かされたどんな事柄ともかなり違うものでした。それらのグループでは真理を見いだせなかったのです。彼はこの知らせを自分だけのものにしておくことができませんでした。
彼が話した知り合いの多くは集会に来るようになり,その中にハーレブ・ラーセンとベティー・ラーセンがいました。ハーレブとクリスチャンは幼なじみで,かなりの時間一緒に楽器を演奏したこともありました。今や二人は互いに聖書の真理というメロディーを分かち合ったのです。
その年の春に,もう一人の若い男性ハンス・クリスチャン・ジョンセンが聖書研究者に関心を抱くようになりました。無神論者で,徹底して反宗教的だったハンスは社会主義思想にのめり込んでいたのですが,「万民」の講演のポスターが目にとまりました。会場に向かう途中,話がつまらなかった時のための読み物にと思って新聞を買いました。ハンスは確かにその新聞を利用しました。メモ用紙代わりにしたのです。もっとも,手が速く動かなくて聖句を書き留めることができませんでした。話は論理的で理解しやすかったので,無神論は退散してしまい,神を信じるようになりました。その一度の講演がきっかけとなってハンスは何度か講演を聞き,9月には妻も一緒に来るようになりました。王国の音信を家から家に宣明しなければならないことが二人にははっきりと分かりました。
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デンマーク1993 エホバの証人の年鑑
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1924年1月にはクヌーズ・ダル,クリスチャン・ダル,クリスチャン・レマーの3人の聖書文書頒布者<コルポーター>が“聖書文書頒布者<コルポーター>隊”を結成し,ユトランド半島に派遣されました。最初の駐屯地はスキーベという町でした。運動の皮切りとして,リューティコー兄弟がその町最大の会館で公開講演を行ない,その後その地域の至る所でパブやコミュニティーホールを使って集会が開かれ,クリスチャン・ダルが講演を行ないました。講演は新聞の広告や招待ビラによって宣伝されました。講演の後,聖書文書頒布者<コルポーター>たちは区域を行き巡り,書籍や小冊子を配布しました。
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