-
家を出た親にはどう接したらよいのだろう目ざめよ! 1990 | 11月8日
-
-
しかし,恐らくは法的な離婚により両親が最終的に別れた場合でも,両親の仲たがいによって生じ得るすべての問題が必ずしも解消するわけではありません。実際には,たいへんな難問にぶつかる場合があります。それは,家を出た親と何らかの関係を維持するかどうかを決めるという問題です。それがいかに難しいかについて,メグはこう言います。「私はぼうっとして,感情を表に出さなくなってしまいました。それでしばらくは,何の感情もわいてきませんでした。まるで父と死に別れたような感じでした」。またマイクはこんな思い出を語ります。「父が憎らしくなりました。その気持ちはかなり長く続きました。父が4人の子供のいる女性を捨てて,最少限の養育費を送るだけで逃げおおせたと考えると,腹が立ってきました」。
橋をかけてください,橋を焼いてはいけません
そのような混乱と動揺の続く人生の一時期には,どうしても片方の親に対する愛情の扉を閉めきって,怒りや苦々しい気持ちを募らせてしまいがちです。しかし,そのような憤りを育てると,人生観がゆがんでしまうかもしれません。そうした怒りにとらわれるなら,ほとんど修復がきかないほどに親とのきずなを損ない,かけ橋を焼いてしまうことにもなりかねません。
-
-
家を出た親にはどう接したらよいのだろう目ざめよ! 1990 | 11月8日
-
-
洞察力 ― 仲直りのかぎ
最初は自然に込み上げる怒りが邪魔をすることがあります。しかし,親をもっとよく理解することを目標にするなら,結果として生まれる洞察力が怒りを静めるのに役立つかもしれません。箴言 19章11節にあるとおりです。「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違犯をゆるすのはその人の美しさである」。悪いほうの側が幾らかでも悲しみや悔い改めを示しているなら,そうするのは確かに容易になります。忘れてはいけないことですが,去った親の物の見方や性格や人間的な弱さを洞察するからといって,必ずしも悪いほうの親を大目に見たり,離婚争議でその親の味方をするということにはなりません。また,一緒に住んでいる親を裏切ることにもなりません。そのように洞察するということは,親をもっと現実的に見るということに過ぎません。
例えば,家を出て行った親からは嫌われているに違いない ― そうでなければ,どうして出て行ったのか ― と思い込む若者は少なくありません。しかし実際,仲たがいの原因になったのは結婚生活の問題であって子供ではありません。子供のほうは,捨てられたと感じるかもしれませんが,去って行った親にしてみれば,子供を捨てるつもりはなかったはずです。グールド博士が述べるとおり,「離婚前に子供を愛していた親は,離婚後も同じように子供を愛すると考えてよい」のです。
-
-
家を出た親にはどう接したらよいのだろう目ざめよ! 1990 | 11月8日
-
-
バランスを保つ
とはいえ,去った親を理想化する危険もあります。ランディーの父親はアルコール中毒で浮気者でした。何度も家を出て,ついにはランディーの母親と離婚しました。ところがランディーは,「わけがあって,実際にはその人に対して崇拝に近い気持ちを持っていました」と述懐しています。
そういう間違った礼賛は珍しいものではありません。米国の場合,親が離婚した子供の約90%までが母親と暮らし,父親に会いに行きます。そのため,しつけを含め,子供の毎日の世話は大抵母親の責任になっています。また,養育費を受け取るとしても,母親の暮らし向きは離婚前より苦しくなるのが普通ですが,父親の暮らし向きは良くなるかもしれません。その結果,父親に会うと贈り物をもらって楽しいひと時を過ごすことになるのに,母親と暮らしていると,節約しなければならず,ああしなさいとか,こうしてはいけませんなどと言われることになります。残念ながら,裕福で色々なことを許してくれる不信者の親と暮らすために,クリスチャンの親のもとを去った若者もいます。―箴言 19:4と比較してください。
もしそういう道を選びたいという気持ちに駆られるなら,自分の価値観をチェックしてみましょう。創造者は,あなたが本当に必要としているもの ― 道徳的な導きや懲らしめ ― を最も高く評価しておられるということを忘れてはいけません。親が与えることのできるもので,あなたの性格や生活の質にそれほどの影響を及ぼすものはほかにありません。懲らしめは本当の愛のしるしです。―箴言 4:13; 13:24をご覧ください。
-