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発見2015 エホバの証人の年鑑
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1945年4月1日,日曜日,ギレアデ卒業生のレナート・ジョンソンとバージニア・ジョンソンは,ドミニカ共和国の首都シウダード・トルヒーヨ(現在のサントドミンゴ)に到着します。二人は,エホバの証人が一人もいない,戦争や紛争に翻弄された国に足を踏み入れたのです。a 『1946 年鑑』(英語)は,「ここは正真正銘の“開拓者”の区域である。そしてこれらのギレアデ卒業生はゼロから始めなければならなかった」と報告しています。想像してみてください。支部事務所や王国会館もなければ,会衆もありません。知り合いは一人もおらず,スペイン語もほとんど話せません。住む家も家具もなかったのです。
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発見2015 エホバの証人の年鑑
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モーゼスはほどなくして,地元で最初の王国伝道者になりました」。
1945年6月上旬,さらに4人の宣教者が到着し,すぐにたくさんの文書を配布し,聖書研究も数多く司会するようになります。10月には集会場が必要になったため,宣教者の家の居間と食堂が即席の王国会館となりました。集会には40人もの人たちが出席しました。
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発見2015 エホバの証人の年鑑
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さらに多くの宣教者が到着し,1946奉仕年度の終わりには28人の奉仕者がいました。良いたよりはこの国に伝え始められたばかりだったので,宣教者たちは,組織的かつ徹底的に宣べ伝えることができるよう,多くの晩を費やして区域地図を作成しました。
業の拡大
1947年には約60人の奉仕者が伝道に参加していました。その年には,キューバで奉仕していた幾人かの宣教者がドミニカ共和国に割り当てられました。その中に,ロイ・ブラントとファニタ・ブラントがいます。ブラント兄弟は支部の僕に任命され,その立場で10年間奉仕しました。
1948奉仕年度の終わりには110人の奉仕者が,宣教者たちと共に良いたよりを宣べ伝えていました。
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