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    1989 エホバの証人の年鑑
    • 1950年代の初めに,さらに多くの宣教者たちが到着すると,良いたよりを宣べ伝える業はすぐに,沿岸の低地にある孤立した町々 ― マンタ,ラリベルタード,ミラグロ,マチャラ,その他 ― にも広がり始めました。

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    1989 エホバの証人の年鑑
    • アルフレッド・スローは,自分が宣教者として奉仕していたときに生じた出来事を振り返って,こう述べています。「ある“勇ましい”男性は関心があるふりを装っていましたが,そのあと急に,宣教者の一人である姉妹の手から1冊の『ものみの塔』誌をつかみ取り,それを得意そうな様子でずたずたに引き裂きました。このころ,私は,自転車に乗った司祭が服の裾をなびかせながら,にわかに近づいて来て,私たちの所在を確認していることに気づきました。

      「その司祭が到着してまもなく,暴徒たちが集結しました。それを先導していたのは,『ものみの塔』誌を引き裂いた先ほどの男性で,二人の修道女が手助けしていました。あとの人々はほとんどが若者で,ポケットに石をいっぱい詰め込んであるのが見えました。私たちはひとまとまりになって,数ブロック先のバス停に向かってゆっくりと歩き出しました。暴徒たちは私たちのすぐあとに続きました。このような緊迫した状態で歩いている間,暴徒たちは小石を私たちに放り投げる程度で満足していました。幸いなことに,だれも大したけがはしませんでした。バスが止まると,ついに暴徒たちは一気に士気を高めて,こちらに向かって駆けだし,大きな石を投げつけました。彼らがバスの傍らに来るころには,姉妹と若者たちは全員乗車したので,私も飛び乗りました。私たちはバスの中に石や泥土が雨あられと投げ込まれる中を出発しましたが,バスに乗っていたその地域の住民は暴徒たちに向かってどなり声を上げ,彼らのことを野蛮人と呼びました。バスに乗っていた人々は親切な態度で私たちに座席を譲り,泥をぬぐうのを手伝ってくれました。このことからも分かるように,この出来事は,明らかに司祭の言いなりになって誤導されていた,ごく少数の人々が取った行動でした。私たちは町に戻るまでの間ずっと,すばらしい証言の機会に恵まれました」。

      新聞はすぐに反応を示し,「司祭が犯罪を手引き」,「マグダレーナで,狂信者たちがエホバの証人派の信者たちを襲撃」,「宗教上の不寛容」といった見出しを掲げました。

      言うまでもなく,司祭は暴徒たちの行動とのかかわりを一切否定し,自分は近隣の別の場所にいたと述べました。その地域のカトリックの協会や委員会も,自分たちの身の潔白を主張する請願書に署名しました。しかし政府の行政機関は次のように解答するよう,警察署長に指示を与えました。「憲法ならびに当共和国の法律は,宗教の自由を認めている。この理由で我々当局には,市民の権利が脅かされることのないように見守る責務がある。……今月の六日に生じた事柄と同様の事件が今後繰り返されることのないよう,強く切望する。さもなければ当局は,法律に従って責任者たちの処罰に踏み切らざるを得ない」。

      それでも,教会は,その虜となっている信者たちを去らせる気がなかったので,嫌がらせはさらに続くことになりました。

      困難な地クエンカ

      エクアドルで3番目に大きく,人口15万2,000人を有する都市クエンカは,紛れもない,カトリック教会の要塞でした。住民はまだ証言を受けていなかったため,ペドロ・トゥレスは,さらに新しく到着したギレアデ卒業生カルル・ドチョウと共に,1953年10月にクエンカに任命されました。それは実に困難で,しばしば落胆を覚える割り当てでした。

      カルルは,ある狂信的な女中が,「あなたは処女マリアを信じないのですね!」と興奮気味に話したことを覚えています。カルルが聖書を開いて,マタイ 1章23節を示すと,彼女はおびえ始め,「私たちは聖書を読むことを禁じられているんです」と言いました。そう言うなり,彼女は家の中へ戻ってしまい,カルルは玄関に立ったまま置き去りにされました。別の機会に,一人の女中は関心を抱いて話に耳を傾けていましたが,その家の婦人が帰宅して,起きている事柄をひと目見ると,カルルの書籍鞄を階下へ蹴落としました。これもまた別のときですが,カルルは,腹を立てた家の人が薪を振り回しながら追いかけて来たので,中庭から逃げ出したことがありました。サンブラスの地域では,宣教者たちが証言するたびに,司祭は教会の鐘を鳴らしました。そして,子供たちが駆け寄って来ると,司祭は,宣教者たちに石を投げつけるよう子供たちを促しました。

      3年の間,クエンカの人はだれ一人として,真理に立場を定める勇気を持ちませんでした。カルルはよく悲しくなると,川岸を散歩しながら,もっと産出的な任命地をお与えください,とエホバに祈ったものです。ついにカルルは,のんびりとした,おうような人々が住むマチャラに割り当てられました。

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