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夫であり長老である ― 種々の責任を平衡を保って果たすものみの塔 1996 | 10月15日
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長老の職と結婚は両立する
3 聖書中のどんな事実は,結婚している人もクリスチャンの監督になれることを示していますか。
3 パウロは,監督として任命される男子は結婚していない人であるようになどとは言わず,むしろテトスにあててこう書きました。「わたしはこの理由であなたをクレタに残しました。すなわち,わたしが命じたとおり,あなたが不備な点を正し,都市ごとに年長者たち[ギリシャ語,プレスビュテロス]を任命するためです。つまり,とがめのない人で,一人の妻の夫であり,放とうの責めを受けたり無規律であったりすることのない,信者である子供を持つ人がいるならばです。監督[ギリシャ語,エピスコポス。英語bishop(司教,または主教)の語源]は,神の家令としてとがめのない人で(なければなりません)」― テトス 1:5-7。
4 (イ)結婚していることがクリスチャンの監督の条件でないことはどうして分かりますか。(ロ)長老である独身の兄弟にはどんな利点がありますか。
4 逆に,結婚していることも,長老であるための聖書的条件ではありません。イエスはずっと独身でした。(エフェソス 1:22)1世紀のクリスチャン会衆の主立った監督であったパウロも,その時点では結婚していませんでした。(コリント第一 7:7-9)今日,長老として仕えている独身のクリスチャンは少なくありません。恐らくそれらの人たちは,独身であるがゆえに,監督としての務めを果たすための時間をより多く取れるでしょう。
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夫であり長老である ― 種々の責任を平衡を保って果たすものみの塔 1996 | 10月15日
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10 クリスチャンが長老の資格にかなうためには,兄弟たちや外部の人々が何を観察できるようであるべきですか。
10 結婚していることは長老になる人の条件ではありませんが,クリスチャンの男子が結婚しているなら,長老の任に推薦される以前に,頭の権を正しく行使しつつ,愛のある良い夫であるよう努めている証拠を確かに示しているべきです。(エフェソス 5:23-25,28-31)パウロはこう書いています。「監督の職をとらえようと努めている人がいるなら,その人はりっぱな仕事を望んでいるのです。したがって,監督は,とがめられるところのない人で,一人の妻の夫で(あるべきです)」。(テモテ第一 3:1,2)長老は,妻が同じ信仰を持つクリスチャンであるかどうかにかかわりなく,良い夫であるよう最善を尽くしていることが明らかであるべきです。実際,会衆外の人々にさえ,その人が妻を大事にすると共に他の責任も果たしていることが分かるようであるべきでしょう。パウロはこう付け加えています。「その人は外部の人々からもりっぱな証言を得ているべきです。非難と悪魔のわなに陥ることのないためです」― テモテ第一 3:7。
11 「一人の妻の夫」という表現は何を意味しますか。それで,長老はどんな注意を払うべきですか。
11 もちろん,「一人の妻の夫」という表現は一夫多妻を非とするものですが,同時に夫婦間の忠実をも意味しています。(ヘブライ 13:4)とりわけ長老は,会衆内の姉妹たちを援助するさい特に注意深くある必要があります。助言や慰めを必要としている姉妹を訪問するときには,一人で行くことを避けるべきです。他の長老か奉仕の僕を一人,あるいはもし励ましの訪問をするだけのことであれば自分の妻を伴うのが良いでしょう。―テモテ第一 5:1,2。
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