-
群れから迷い出た人を助けなさいものみの塔 2008 | 11月15日
-
-
4,5 長老たちは,神の羊の群れに対するどんな態度を保つ必要がありますか。
4 クリスチャンの長老たちは,迷い出た羊を助けようとする場合,次のことを銘記していなければなりません。すなわち,神の羊の群れは,エホバに献身した人々から成る会衆である ― そうです,『神の放牧地の[貴重な]羊』である ― ということです。(詩 79:13)そのような大切な羊には,優しい世話が必要です。ですから,愛ある牧者たちは羊に個人的な関心を払わなければなりません。友好的な牧羊訪問をするなら,良い結果になり得ます。牧者から愛ある励ましを受けた羊は,霊的に築き上げられて,群れに戻りたいという気持ちが強くなるかもしれません。―コリ一 8:1。
5 神の羊の群れの牧者たちには,迷い出た羊を探し出す務め,そして見つけた羊を助けるよう努力する務めがあります。使徒パウロは,古代エフェソスのクリスチャンの長老たちに,牧羊の責任を思い起こさせて,こう述べました。「あなた方自身と群れのすべてに注意を払いなさい。神がご自身のみ子の血をもって買い取られた神の会衆を牧させるため,聖霊があなた方をその群れの中に監督として任命したのです」。(使徒 20:28)同様に使徒ペテロも,油そそがれた年長者たちにこう勧めました。「あなた方にゆだねられた神の羊の群れを牧しなさい。強いられてではなく,自ら進んで行ない,不正な利得を愛する気持ちからではなく,真剣な態度で牧しなさい。また神の相続財産である人々に対して威張る者のようにではなく,かえって群れの模範となりなさい」。―ペテ一 5:1-3。
6 神の羊が今日,牧者たちによる世話を特に必要としているのはなぜですか。
6 クリスチャンの牧者たちは,「りっぱな羊飼い」イエスに倣う必要があります。(ヨハ 10:11)イエスは神の羊を深く気遣っていたので,羊を世話することの重要性を強調して,シモン・ペテロに「わたしの小さな羊たちを牧しなさい」と告げました。(ヨハネ 21:15-17を読む。)羊たちは今日,そのような世話を特に必要としています。悪魔が,神に献身した人たちの忠誠を打ち砕こうとますます躍起になっているからです。サタンは,エホバの羊を罪深い活動に誘い込もうとして,肉の弱さに付け込んだり,世を利用したりしています。(ヨハ一 2:15-17; 5:19)不活発になっている人は特にその影響に屈しやすいので,『霊によって歩みなさい』という勧めどおりにするうえで援助を必要としています。(ガラ 5:16-21,25)そのような羊を助けるためには,よく祈って神に頼り,聖霊の導きに従い,み言葉を上手に用いなければなりません。―箴 3:5,6。ルカ 11:13。ヘブ 4:12。
7 長老たちが,ゆだねられた羊のような人々を牧することは,どれほど重要ですか。
7 古代イスラエルの羊飼いは,群れを導くために,湾曲した長い杖を使いました。羊を囲いに入れる時や出す時には,『杖の下を通らせる』ことにより,羊を数えることができました。(レビ 27:32。ミカ 2:12; 7:14)同様にクリスチャンの牧者も,世話をゆだねられている神の羊たちをよく知り,どうしているかにいつも注意を払う必要があります。(箴言 27:23と比較。)それゆえ,牧羊は長老団が討議する重要な事柄の一つであり,これには迷い出た羊を助けるための取り決めを設けることも含まれます。エホバご自身,わたしは羊を捜し,羊の必要とする世話を行なう,と言っておられます。(エゼ 34:11)ですから神は,長老たちが同じようにして,迷い出た羊を群れに戻るよう助ける努力をするとき,喜ばれます。
8 長老たちはどのようにして羊に個人的な注意を払うことができますか。
8 神の羊である信者にとって,身体的な病気になった時,群れの牧者に見舞いに来てもらえるなら,それは喜びであり,心強いことでしょう。これと同じことは,霊的に病んだ羊が個人的な注意を払ってもらう場合にも言えます。長老は不活発な人と一緒に,聖句を読む,何かの記事を振り返る,集会で扱われた大切な点について話し合う,祈る,といったことができるかもしれません。その人に,あなたが再び集会に出席するようになったら会衆の人たちは大喜びしますよ,と言えるでしょう。(コリ二 1:3-7。ヤコ 5:13-15)訪問する,電話する,あるいは手紙を届けるだけでも,大きな励みを与えることができます。群れからいなくなった羊を自ら助けることは,同情心の厚いクリスチャンの牧者の喜びを増し加えるものともなります。
-
-
群れから迷い出た人を助けなさいものみの塔 2008 | 11月15日
-
-
15 あなたが長老であるなら,不活発になっている夫婦を牧羊訪問しているところを想像してみてください。その夫婦に,神の言葉の真理を初めて学んだ時のことを思い返してみるように勧めることができます。見いだした真理は,本当に素晴らしく,筋が通っていて,納得のゆくものであり,霊的な解放をもたらしました。(ヨハ 8:32)エホバとその愛や輝かしい目的について学んで,心に感謝の気持ちがあふれたのではないでしょうか。(ルカ 24:32と比較。)献身したクリスチャンとして,エホバとの親しい関係や,祈りという素晴らしい特権を享受していたことを思い起こせるようにしてください。不活発な人が「幸福な神」エホバの「栄光ある良いたより」に再びこたえ応じるよう,真剣に勧めましょう。―テモ一 1:11。
-
-
早く戻るよう助けなさいものみの塔 2008 | 11月15日
-
-
2 内密にすべき事柄や審理を要する問題に関して,どんなことを思いに留めておくべきですか。
2 エホバはイスラエルの失われた羊に対して気遣いを示されました。(エゼキエル 34:15,16を読む。)同様にクリスチャンの長老たちにも,群れから迷い出た羊のような人を助けたいという気持ちがあり,またそうする務めがあります。
-
-
早く戻るよう助けなさいものみの塔 2008 | 11月15日
-
-
「生活上の思い煩い」が原因だったのか
5,6 (イ)不活発な仲間の信者の話に注意深く耳を傾けることは,なぜ重要ですか。(ロ)神の民と交わっていないため益を得損なっている,ということを不活発な人が悟るよう,どのように援助できますか。
5 不活発な仲間の信者をどのように援助したらよいかを知るため,長老や他の円熟した奉仕者は,そのような人が心の内を明かすとき,注意深く耳を傾ける必要があります。あなたが長老であるなら,ある夫婦を訪問しているところを想像してみてください。その夫婦は「生活上の思い煩い」が原因で会衆に交わっていません。(ルカ 21:34)経済的な問題を抱えたり家族の責任が増えたりしたため,徐々に霊的な活発さを失ったのかもしれません。その夫婦は,荷を軽くすることが必要だと考えているのかもしれませんが,あなたは,そのように会衆から孤立した状態でいることは真の益にならない,ということを指摘できるでしょう。(箴言 18:1を読む。)相手の気持ちに配慮しながら,こう問いかけるのもよいでしょう。「集会に出席していた時より今のほうが幸福ですか。家族の生活は良くなっていますか。今でも,エホバに頼ることの喜びを味わっていますか」。―ネヘ 8:10。
6 不活発な人は,こうした点をじっくり考えることにより,会衆と交わっていないゆえに霊性が低下し幸福でなくなったということを悟るでしょう。(マタ 5:3。ヘブ 10:24,25)また,良いたよりを宣べ伝えなくなったために喜びを失った,ということも認識できるでしょう。(マタ 28:19,20)では,その人のためにどうすることが賢明でしょうか。
7 群れから迷い出た人に,何をするよう勧めることができますか。
7 イエスはこう言いました。『食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのためにあなた方の心が押しひしがれることがないよう,自分自身に注意を払いなさい。それで,起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れることができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい』。(ルカ 21:34-36)ですから,群れから迷い出たものの,以前のように幸福になりたいと思う人に,聖霊や神の助けを求めて祈るよう,また祈りに調和した行動を取るように勧めることができます。―ルカ 11:13。
つまずいたのか
8,9 長老は,つまずいた人と共に,筋道立ててどのように考えることもできますか。
8 人間は不完全なので個性の衝突が起き,つまずく人もいるでしょう。中には,会衆で敬われている人のクリスチャンらしくない言動につまずいた人もいます。不活発になった原因がそのようなことであれば,訪問した長老はその人に,つまずきのきっかけをエホバが作るのではないことを説明できるでしょう。エホバが原因でないのであれば,どうして神また神の民との関係を絶ってしまってよいでしょうか。「全地を裁く方」は事をご存じであり正しく扱われる,と確信して,神に仕え続けるべきではないでしょうか。(創 18:25。コロ 3:23-25)人は文字どおりつまずいて転んだ場合,起き上がろうともせずに倒れたままでいるようなことはしないはずです。
9 長老は霊的援助の一環として,人によっては,つまずく原因となった事柄も時たつうちにそれほど重要とは思わなくなる,という事実に言及できるかもしれません。実際,つまずきのもととなった事柄はもはや存在していない,ということもあるでしょう。懲らしめを受けてつまずいた人の場合,祈りつつ深く考えることにより,自分にも落ち度があったのだからつまずくべきではなかった,という結論に達するでしょう。―詩 119:165。ヘブ 12:5-13。
教えに関する問題だったのか
10,11 聖書のある教えについて理解を異にする人を助けようとする際,筋道立ててどのように論じるのが効果的かもしれませんか。
10 聖書のある教えに同意できなかったために神の羊の群れから出て行った人もいます。エジプトでの束縛から解放されたイスラエル人も,自分たちのために神の行なわれた『み業を忘れ,その助言を待ちませんでした』。(詩 106:13)それで,不活発な人に,「忠実で思慮深い奴隷」が最良の霊的食物を分配していることを思い起こさせるのは有益でしょう。(マタ 24:45)その人は元々,そうした分配を受けて真理を知ったのです。そうであれば,その真理のうちをもう一度歩むよう決意すべきではないでしょうか。―ヨハ二 4。
11 長老は,神の羊の群れから迷い出た人を助けようと努力する際,次の点に触れることもできるでしょう。すなわち,イエスの弟子の中にも,イエスの教えたある事柄を受け入れられなかったためにイエスを見捨てた人たちがいた,という点です。(ヨハ 6:53,66)それらの人は,キリストおよびその忠実な追随者たちとの交わりを絶つことにより,自分の霊性と喜びを失ってしまいました。クリスチャン会衆と交わるのをやめた人は,豊かな霊的食物のある所をほかに見いだしたでしょうか。いいえ,見いだしてはいません。そのような所はないからです。
ふさわしくない行ないが関係していたのか
12,13 群れから迷い出た人が重大な罪を犯したことを告白した場合,どのように助けることができますか。
12 重大な罪を犯したために伝道や集会への出席をやめた人もいます。そのような人は,自分の悪行を長老に告白するなら排斥される,と考えるかもしれません。しかし,非聖書的な行ないをやめて真に悔い改めているなら,会衆から追放されることはありません。(コリ二 7:10,11)迎え入れられて,長老たちから必要な霊的援助を与えてもらえるのです。
-
-
早く戻るよう助けなさいものみの塔 2008 | 11月15日
-
-
「お帰りなさい!」
16-18 (イ)一人の長老は,不活発になって幾年もたった兄弟をどのように援助しましたか。(ロ)この兄弟が不活発になったことには,どんな原因がありましたか。どのような援助を受けましたか。会衆からどのように迎えられましたか。
16 あるクリスチャンの長老は,こう述べています。「私たちの会衆の長老団は,不活発になっている人を訪問することに深い関心を抱いています。私は,自分が研究を司会して真理を知るように助けた一人の兄弟のことを考えました。その兄弟は,不活発になって25年ほどたっており,非常に難しい状況にありました。それで私は,聖書の霊的な原則を当てはめることが兄弟にとってどれほど有益か,説明しました。しばらくして,兄弟は王国会館に来るようになり,群れに戻るという決意を強めるため個人的な聖書研究を司会してもらうことに同意しました」。
-