-
道理にかなった見方を培いなさいものみの塔 1994 | 8月1日
-
-
9 なぜ長老は問題の対処にあたって自分の過去の方法にいつも固執すべきではありませんか。
9 この終わりの日がその危機の様相をいや増すにつれ,牧者たちも,自分の羊の群れがいま直面しているある種の問題の,当惑させるほどの複雑さや憂うつさに適応してゆくことが求められることでしょう。(テモテ第二 3:1)長老たち,今は手厳しく振る舞うべき時ではありません。確かに長老は,問題の対処に当たって,自分のやり方に効果がなくなっているなら,あるいは,「忠実で思慮深い奴隷」がそのテーマについて新しい資料を出版することを妥当としているなら,自分が過去に行なった方法に固執したりはしないでしょう。(マタイ 24:45。伝道の書 7:10; コリント第一 7:31と比較してください。)ひとりの忠実な長老は,うつ状態の一姉妹を誠実に助けようとしました。その姉妹は,しっかり話を聞いてくれる人を切実に必要としていました。しかし長老は,彼女のうつ状態をまともに考えず,しごく単純な解決策しか述べませんでした。その後,ものみの塔協会は,まさにこの姉妹の抱える問題を聖書に基づいて取り上げたかなりの情報を紙面で発表しました。長老はその姉妹とゆっくり話す機会を改めて設け,今度は新しい資料を適用して,姉妹のつらい状況に感情移入を示しました。(テサロニケ第一 5:14,15と比較してください。)道理にかなうという点で優れた手本ではありませんか。
-
-
道理にかなった見方を培いなさいものみの塔 1994 | 8月1日
-
-
[18ページの図版]
長老たち,耳を傾けてください!
-