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宗教は衰退していますか目ざめよ! 1988 | 2月8日
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宗教は衰退していますか
オランダの「目ざめよ!」通信員
ヨーロッパでは,オランダの週刊誌「ドゥ・テイト」の標題記事が提起したこの疑問に自分たちが直面していることに気づいている人が少なくありません。同誌はほかにも次のような疑問を投げかけました。ヨーロッパで宗教が死に絶えつつあるというのは事実だろうか。宗教の将来に関して,一般の人はどう考えているのだろうか。
きっとあなたも,現在の宗教の状態については疑問を抱いておられるでしょう。伝統的な宗教が今もなお強い勢力を持っている米国においてさえ,テレビ伝道師を揺さぶった醜聞や,カトリックの内部分裂により,信頼性は揺らいでいます。また多くのカトリックの国々で,教会へ行く人の数が過去20年にわたり減少の一途をたどったことも注目に値します。
ここオランダでは,日曜日の朝,通りで大砲を撃ってもだれにもあたらないような時代がありました。それも大して昔の話ではありません。人々はみな教会の中にいたからです。ところが今はほとんどの人が教会へ行きません。何が起きたのでしょうか。
以前の教会が今はレストランや商店に
過去10年間に,オランダの二大教派であるローマ・カトリック教会とオランダ改革派教会は,多数の教会員と教会出席者を失いました。それらの教会の信者のわずか19%がそのどちらかに出席しているにすぎません。カトリック教会に関して言えば,それは出席率が1967年の85%から大幅に低下したことを表わしています。
その結果,多くの教会が不用になり,取り壊されたものもあれば,別の目的のために売却されたものもありました。ですからロッテルダムやアムステルダムで以前の教会に入るとき,そこがスーパーマーケットや花屋,衣料品店,レストラン,自転車屋,スポーツ・ホール,またはディスコなどになっていたとしても驚くにはあたりません。多くの人にとって,これは衝撃的なことです。そして教会のこの低迷は,司祭や牧師たちにも影響を及ぼしています。
減少する僧職者と散らされる群れ
多くの教会員が教会を離れたのと同様に,多くの司祭や牧師たちもその天職を捨てました。ここ5年間にカトリック司祭の数は900人ほど減少しました。同時に“聖職”の数も減少してきたため,新たに司祭になる人はほとんどいません。残っている人は次第に年を取りつつあります。例えば,オランダの尼僧の89%は50歳以上です。
さらに僧職者たちは,教会内で直面する数々の問題に,もはや対処できないことに気づいています。圧力に完全に押しつぶされて,精神科の治療を受けざるを得なくなった人たちもいます。日刊紙「アプルドーンス・クーラント」はそれをこう説明しています。「僧職者たちが説教の中で思い切って保守的な立場を取れば,会衆内のより急進的な会員たちがつまずき,急進的な立場を取れば,今度は聖書により厳密に従う会員から批判される。司祭や牧師たちが中道を取るとすれば,それは会衆全体から排除される危険を冒すことである」。
もちろん,こうした事柄はオランダの社会に影響を与えてきました。1985年にオランダ社会文化計画庁が行なった国勢調査によると,初めて,人口の半分以上が自分を無宗教とみなしていることが明らかになりました。
教会が多くの場合政治上の問題で内部分裂を起こしやすいことから,大勢の人々は疑問を抱くようになりました。南アメリカやアフリカ諸国での様々な“解放運動”を教会が支援したことはかなりの内部抗争を招きました。「武装暴力に教会資金を使うな」というモットーを掲げて全国的な宣伝運動さえ行なわれています。
あなたはこうした事態にどう反応されるでしょうか。教会が無傷でこの危機を切り抜けられると思われますか。正確な答えを得るには,最近の宗教が混乱している基本的な原因について,さらに掘り下げて考える必要があります。
なぜ宗教は衰退しているのか
今諸教会に見られる,以上のような事態の原因については,歴史家や社会学者や神学者の間で意見が完全に分かれています。この物質主義的な社会の快楽指向や,大衆が無関心になっている点を挙げる人もいます。これは,テモテ第二 3章1節,2節そして4節,5節にある「しかし,このことを知っておきなさい。すなわち,終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,……神を愛するより快楽を愛する者……となるからです」というパウロの言葉を思い出させます。
別の人は,ヨーロッパの歴史に基づいて問題を説明しようとします。16世紀の宗教戦争から20世紀の世界大戦へ宗教が関与することに至るまでのその歴史には,血と涙が染み込んでいます。このすべてが,あらゆる形態の哲学や神学,イデオロギーに対する根深い疑念を残すことになりました。結局,戦争や迫害や暴力の背後にある原因は,多くの場合それらだったのです。
多くの人は現在の諸教会の内部に,将来に対する楽観的な見方がないことに気づいています。ミュンスター大学の教授で,ドイツのローマ・カトリックの神学者であるJ・B・メッツはこう述べています。「我々西洋人の信仰心は,骨の髄まで世俗化してしまった。メシア主義の痕跡すら残っていないように感じられる。神による統治はそこから消えうせてしまった。神はもはや教会内でその役割を果たしてはおらず,我々の時代の神学,社会,また政治上の問題においても同様である」。
加えて,今世紀にヨーロッパで始まった2度の世界大戦の影響があります。第二次世界大戦中,強制収容所の象徴であったアウシュビッツは,諸教会に対する批判を増大させました。ローマ・カトリック教会の指導者である法王ピウス12世が,危機の時にほとんど沈黙を保っていたという事実は,大勢の人々にとって納得のいかないことなのです。
こうしたことを考えて,多くの人は教会とその指導者への確信を失いました。あなたは個人としてこれらの状況をどのようにお感じですか。あなたもそうした状況のために無関心になり,他の大勢の人と同じように,『わたしはこの状況を切り抜けてみせる』と考えるでしょうか。それでも別の観点から状況を見れば,核による大災害や環境面の危機が迫っていることは分かるに違いありません。そして,『自分や子供たちにはどんな将来が待ち受けているだろうか』,『将来に関する限り,わたしたちが宗教から得られるものが何かあるのだろうか』という問題を考えるに違いありません。
ヨーロッパの宗教にはどんな将来があるか
ユダヤ主義的なキリスト教の伝統は間もなく消失すると考えている人は少なくありません。ヨーロッパはすでにキリスト教以後の社会になっている,という意見の神学者たちもいます。
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宗教は衰退していますか目ざめよ! 1988 | 2月8日
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[15ページの図版]
フーンの教会,今はアパートや衣料品店になっている
[15ページの図版]
アルンヘムのルーテル教会,今は倉庫,映画館,ディスコなどに使われている。
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