他の人のために今日も生きる
「俺のために朝日は今日も昇る。だから好きなように生きる」。北海道でトラックの運転手をしていたある男性は,この言葉を口癖にしていました。そして,自分が身勝手で,思いやりに欠け,利己的な人間だったことを認めています。この人は自己中心的な自分の生き方がうまくいっているように見えたため,自家用のトラックを購入し,全国各地に荷物を配送する運送会社に勤め始めました。
運転手をしていたこの人は次のように語っています。「約1,500㌔離れた大阪から何時間で帰って来られるか,そのスピードを競いました。また,警察官に従わない,交通法規に違反してもそれを認めない,飲酒運転,出力の大きい違法無線での交信,卑わいな冗談などは毎度のことでした。さらに,若いころから麻薬も使用していました。麻薬による廃人をたくさん見てきたので,頻繁には使用しませんでしたが,長距離運転を2回,3回と連続でしなければならない時などは,『荷物を早く届けるため』とか,『事故を起こすよりはいいんだ』とか言い訳を見つけては,腕に麻薬を打ったものです。
「そんな時に妻がエホバの証人と聖書を学ぶようになり,妻の態度は変化し始めました。妻や子供たちが示す,私への従順は心地よいものでしたし,何よりも,夫婦の問題や,子供に関する問題,また経済的な問題などが解消されてゆきました。『これは運が向いてきた証拠だ』と,私は思いました。
「しかし,それに水をさすものがありました。妻が,従順ではあるものの,ますます積極的で大胆な行動を取るようになり,私にも聖書の価値をしきりに説き,一緒に学ぶよう執ように迫ってきたのです。気がついた時には,エホバの証人の全時間奉仕者たちが私の家に頻繁に出入りするようになっていました。その中の一人の男性に私は人格的魅力を感じました。そして,その人との出会いと,妻の積極的な行動がきっかけとなって,1975年に聖書を学び始めました。
「けれども,私の振る舞いは変化しませんでした。自己中心的な考えが相変わらず頭の中を支配していたからです。聖書の原則に従うことは,今まで自分を有頂天にさせ,満足させてきた,麻薬をはじめとするすべてのものを捨てることを意味しました。
「さらに,会社が私を他の社員の模範だと言って表彰し,大事な仕事や急ぎの仕事また賃金のよい仕事を私のところに回すようになったため,私はますます忙しくなり,聖書に関連した雑誌や文書に目を通さなくなりました。
「心配した妻は私のかばんの中に,聖書朗読や王国の調べ(神への賛美の歌を録音したもの)のカセットテープを入れるようになりました。私はトラックを運転しながらそれらのテープをよく聞きました。ある晩,北陸自動車道を走りながら,その中の一つのテープを聞いていました。テープを聞いているうちに,今まではそれほど感じなかった,エホバの愛とイエスの愛に心を打たれました。エホバが愛するみ子を備えて示された愛,全人類に対する贖いとしてご自分の命を提供されたイエスの愛,さらに,強い信頼のきずなで結ばれたエホバとイエス,こうしたことすべてを考えた時,涙があふれ出て止まりませんでした。
「これが転機となり,もう一度真剣に聖書を勉強し直そうと考えました。それは今から4年前のことです。『思いを活動させる力において新たにされ』,『新しい人格を着ける』ことは私にとって容易ではありませんでした。(エフェソス 4:20-24)しかし,エホバからの助けと聖書研究司会者の絶え間ない励ましのおかげで,私はエホバに献身し,昨年の夏,釧路で開かれた地域大会でその象徴としての水のバプテスマを受けました」。
この男性はエホバ神とイエス・キリストの愛に動かされて麻薬を断ち,時々クリスチャンの宣教に月60時間を費やしながら,自己犠牲的な生活を送っています。今やこの男性にとって,朝日が昇る新しい一日の始まりは,宣教を通して他の人のために生きる日の始まりです。今この人は,毎朝目を覚ましたあと,宣教を通してすべての人のために生きる一日を始めるのです。