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    1990 エホバの証人の年鑑
    • 良いたよりがフィンランドに届く

      フィンランドで聖書の真理を宣べ伝える業が初めて記録されたのは,1906年のことです。その年,スウェーデンで聖書研究者の業を監督していたアウグスト・ルンドボルグの妻がフィンランドを訪れました。ルンドボルグ兄弟は,「神のご意志であれば,妻は再びフィンランドに出かけ,同地での業を推し進めるでしょう」と報告しました。

      スウェーデンのエバ・ルンドボルグと他の聖書文書頒布者<コルポーター>(全時間伝道者)たちは,フィンランド南西部の沿岸域でスウェーデン語の文書を配布しました。当時,そこに住んでいた人々の大半はスウェーデン語を話しました。やがて,ものみの塔協会の初代会長チャールズ・T・ラッセルの著した書物の幾らかが,エミル・ヨステルマンの母親の手に渡りました。

      実業家が人生の目的を見いだす

      トゥルク出身で,あごひげを生やした41歳の精力的な実業家,エミル・ヨステルマンは,人生の目的を探し求める世界一周旅行を計画しました。その探究心に変化が生じたのは,彼が母親からもらった本を読んだときです。1909年の末ごろに,彼はまずスウェーデンに立ち寄り,そこでアウグスト・ルンドボルグから聖書文書をさらに求めました。しかし,その世界旅行が不意に終わりを告げたのは,彼が船でロンドンへ渡った後のことです。そのとき,彼はスウェーデンで受け取った文書についに目を通し,自分の探し求めているものを見つけたことがすぐに分かりました。彼は夢に見ていた世界旅行を急きょ取りやめて帰国し,同じ1909年の暮れに,再びスウェーデンに行ってバプテスマを受けました。後日彼は,アウグスト・ルンドボルグがフィンランドに来て宣べ伝えるように取り決めました。

      スウェーデンの支部事務所から寄せられた報告は,エミルのことを親愛なる兄弟と呼んで,こう述べています。「その年に約10人の聖書文書頒布者<コルポーター>が定期的な奉仕にあずかり……六,七人の新しい人が奉仕を開始しました ― その中の一人はフィンランドの親愛なる兄弟です。彼はその国で主の民に仕えるためそのみ手にあって選ばれた器であるに違いありません。……その土地のもう一人の兄弟も,これから自分の農場を売り払って聖書文書頒布者として出かける用意があるようです」。

      もう一人の兄弟とはだれか

      自分の農場を売り払おうとしたもう一人の兄弟とは,カールロ・ハルテバです。1882年に生まれた彼は,ルーテル派牧師の娘であった母親から厳格な宗教教育を施されて育ちました。カールロは熱心かつ誠実で,幾つかの言語に通じていました。彼は工学を学びましたが,卒業後すぐに宗教への関心が高まり,YMCA(キリスト教青年会)に入会しました。そして,YMCAの秘書になると同時に,ヘルシンキで同青年会が経営するホスピッツ・ホテルの支配人になりました。

      1909年の夏に商用でヘルシンキを訪れたヨステルマンは,カールロ・ハルテバと会い,スウェーデン語の「世々に渉る神の経綸」の本を1冊手渡しました。ハルテバはその本を夢中になって読み,自分も「王国のこの良いたより」を宣べ伝えるべきであることを理解しました。(マタイ 24:14)それで1910年4月に,ハルテバはヨステルマンと共にスウェーデンのエーレブルーで開かれる大会に出かけ,そこでバプテスマを受けました。その大会では話し手が何人か必要とされたため,これらの新しい兄弟たちは共に大会で話を行ないました。神の組織に自分を役立てる面で二人は時間を無駄にしなかったのです。

      「君が加われば,3人になる」

      そのころ,ハルテバはかつての学友であるラウリ・クリスチアン・レランダーと列車の中で出会い,新たに見いだした真理について熱心に証言しました。「ところで,君たちの仲間は何人ぐらいいるのかい?」と,その友人は尋ねました。そこでハルテバは,「今は,ヨステルマンという人と僕を含めた二人だけど,君が加われば,3人になるよ」と答えました。しかし,レランダーは一緒に加わらず,むしろ政治に身を打ち込んで,1925年から1931年にかけてフィンランドの大統領を務めました。

      ハルテバ兄弟とヨステルマン兄弟の前には,実に広大な畑がありました。人口が希薄な国の中に300万の人々が散在しているのです。二人はまず,協会の文書をフィンランド語に翻訳することを目標にしました。ハルテバは骨身惜しまず働き,「世々に渉る神の経綸」や種々のパンフレットをスウェーデン語からフィンランド語に訳しました。代わってヨステルマンは1910年の秋にその印刷資金を調達しました。王国の業に活用できるいっそう効果的な道具を手にして,二人はどれほど喜んだことでしょう。これらの男性はエホバの聖霊の援助に依り頼みつつ,新しくフィンランド語に翻訳された文書を用いて奉仕に勇敢に着手しました。

  • フィンランド
    1990 エホバの証人の年鑑
    • [141ページの図版]

      フィンランドで最初の証人となったエミル・ヨステルマン

      [143ページの図版]

      業を精力的に開始したカールロ・ハルテバ

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