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フィンランド1990 エホバの証人の年鑑
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そのころ,エエロ・ニロネンは支部事務所で翻訳の仕事をしていました。彼はこう述べています。『フィンランドにおける状況は切迫していました。「終了した秘義」を大至急翻訳する必要があったので,私はもっと安全な場所であるメンティハルユの自宅に移されました。私が自宅に着いた直後に,近くの鉄橋が爆破されました。……“白軍”は徴兵制度を設けましたが,私は近眼だったので兵役を免除されました。私は公開講演を行なう傍ら,翻訳の仕事を続けました。……南部との連絡が途絶えたとき,私は兄弟たちが皆天に行ってしまい,自分だけが取り残されたのではないかと思いました』。
まもなくニロネン兄弟は再び兵役の問題に直面しました。兄弟はこう述べています。「一般徴兵が実施されました。高い資格は求められなかったので,私の近眼は役に立ちませんでした。私は海軍に編入され,ヘルシンキのカタハノッカ港にある兵舎へ送られました。1918年9月25日のことです。私は聖書と『聖書研究』第6巻から学んだ事柄にしたがって方策を練りました。実際,私は自分の信念ゆえに1年間“戦った”のです。また,大隊司令官の許可を得て,四つの日曜日に大隊に対する公の話を行なうことができました」。やがてニロネンは自由の身となり,翻訳の仕事を再開できました。
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フィンランド1990 エホバの証人の年鑑
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エエロ・ニロネンは,こう述べています。「私はこの主題に関する話を1日に4回も行なった時があります。当初,私たちはその音信がやや大胆であると感じましたが,エホバの組織がそれを割り当ててくださったので,大きな確信を抱いてその音信をふれ告げました。そしていま,その音信は成就の速度を増していることが分かります」。その論題はとても大きな関心を呼んだので,同じ年に「現存する万民は決して死することなし」という小冊子が翻訳されたとき,楽観的な見方に基づいて5万部が印刷されました。
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フィンランド1990 エホバの証人の年鑑
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[154ページの図版]
翻訳者としておよそ60年間奉仕したエエロ・ニロネン
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