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フィンランド1990 エホバの証人の年鑑
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フィンランドの兄弟たちがギレアデへの最初の招待を受け取ったのは,その後数か月たった1946年のことでした。エエロ・ニロネン,カルレ・サラバーラ,エライ・タービツァイネン,ベイッコ・トルビネンの4人の兄弟たちが,第8期のクラスに出席しました。ニロネン兄弟は,このように述懐しています。「1947年の初めにフィンランドへ戻った私たち4人は,まるで別人のようでした。私はギレアデで初めて神権政治の真の意味を理解するようになりました。私たちは各自の野外奉仕を改善できることを学び,また非常に重要な事として,クリスチャンの毎日の生活は神の霊に満たされる必要があることを教えられました。それはクリスチャンの行なう仕事が単なる機械的なものとならないためです」。
エーロ・ムーライネンがギレアデに出席したのは1950年のことです。彼は1966年に亡くなるまで地域監督として長年奉仕しました。これまでの年月を通じて,宣教者精神に動かされてギレアデ学校に出席したフィンランド人は,少なくとも59人に上ります。
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フィンランド1990 エホバの証人の年鑑
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1950年2月に,米国出身の二人のギレアデ卒業生,ウォリス・エンドレスとジョン・ブルトンがフィンランドに到着しました。
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フィンランド1990 エホバの証人の年鑑
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1955年,支部事務所でかつて印刷工として奉仕したエルッキ・カンカーンパーが工場の監督として招かれました。彼は妻と共に1952年にギレアデ学校に出席した後,巡回および地域の奉仕を行なっていました。そして,1957年にエンドレス兄弟が家族の責務を果たすため母国に戻ると,カンカーンパー兄弟が支部の監督に任命されました。
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フィンランド1990 エホバの証人の年鑑
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1959年11月にギレアデ学校からビビアン・モリッツと妻のアンがフィンランドに到着し,寒い冬に迎えられ,言語の猛勉強を開始しました。やがて二人は巡回および地域の奉仕を行ない,その後支部事務所に招かれて,そこで1981年まで奉仕しました。
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