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人をすなどる者として奉仕するものみの塔 1992 | 6月15日
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人をすなどる者として奉仕する
「イエスはシモンに言われた,『恐れなくてもよい。今から後,あなたは人を生きながら捕るのです』」― ルカ 5:10。
1,2 (イ)人類の歴史において,漁業はどんな役割を果たしてきましたか。(ロ)2,000年ほど前に,どんな新しい種類のすなどる業が紹介されましたか。
何千年もの間,人類は食物として海や湖や川で魚を捕ってきました。ナイル川の魚は古代エジプトの食事の重要な部分を占めていました。モーセの時代にナイル川の水が血に変えられた時には,その結果生じた水不足のためだけでなく,魚が死んで食料供給に影響が出たためエジプト人は苦しみました。後にエホバはシナイでイスラエルに律法を与えた時に,ある魚は食べてもよいが,ある魚は汚れており,食べてはならないとお告げになりました。これは,約束の地に入るとイスラエル人は魚を食べるようになるので,彼らのうちのある者たちは漁師になるということを示していました。―出エジプト記 7:20,21。レビ記 11:9-12。
2 しかし2,000年ほど前に,別の種類のすなどる業が人類に紹介されました。それは漁師だけでなく魚にも益を及ぼす,霊的な種類のすなどる業でした。この種のすなどる業は今日でも行なわれており,世界中の何百万もの人々に計り知れない益を及ぼしています。
「人を生きながら捕る」
3,4 イエス・キリストに深い関心を示した二人の漁師はだれですか。
3 この新しい形態のすなどる業を紹介する方であるイエスは,西暦29年にヨルダン川で,バプテスマを施す人ヨハネからバプテスマをお受けになりました。その数週間後,ヨハネは自分の弟子二人にイエスを指し示して,「見なさい,神の子羊です!」と言いました。その一人であるアンデレという名の弟子は急いで自分の兄弟シモン・ペテロに,「わたしたちはメシアを見つけた」と言いました。興味深いことに,アンデレとシモンの職業は二人とも漁師でした。―ヨハネ 1:35,36,40,41。マタイ 4:18。
4 それからかなり後のこと,イエスはペテロとアンデレの家から遠くないガリラヤの海のほとりで群衆に伝道し,人々に,「あなた方は悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」と告げておられました。(マタイ 4:13,17)ペテロとアンデレが熱心にイエスの音信を聞こうとしたことは想像に難くありません。しかし彼らは,イエスが語ろうとしておられる事柄が自分たちの人生を永遠に変えるものになるとは思っていなかったでしょう。さらに,イエスが彼らの前で語り,行なうことになっていた事柄は,今日のわたしたちすべてにとって重要な意味を持っています。
5 漁師のペテロはどのようにイエスの役に立つことができましたか。
5 こう書かれています。「群衆が間近に迫って神の言葉を聴いていた時であったが,イエスはゲネサレ湖のほとりに立っておられた。そして,二そうの舟が湖畔に泊めてあるのをご覧になったが,漁師たちはそれから出て,網を洗っているところであった」。(ルカ 5:1,2)当時漁師は夜中に働くことがよくあり,この漁師たちは夜間の漁を終えて網を掃除していました。イエスは,より効果的に群衆に伝道するため,漁師たちの舟を一そう使うことにされました。「イエスは一方の舟に乗られたが,それはシモンの舟であり,陸から少し離すようにと彼にお求めになった。それから腰を下ろし,舟の中から群衆に教えはじめられた」― ルカ 5:3。
6,7 イエスは漁に関するどんな奇跡を行なわれましたか。その奇跡から発展して,すなどる業に関するどんな言葉が述べられましたか。
6 イエスは群衆に教えるだけでなく,それ以上のことを考えておられたという点に注目してください。こう書かれています。「話し終えてから,シモンにこう言われた。『深いところに乗り出しなさい。そしてあなた方は,網を下ろして漁をしなさい』」。この漁師たちが既に一晩じゅう働いていたことを思い出してください。ペテロがこう答えたのも驚くには当たりません。「先生,わたしたちはまる一晩労苦して何も取れなかったのですが,仰せのとおりに網を降ろしてみます」。彼らがそうした時,何が起こりましたか。「彼らは,非常に多くの魚を囲い込んだのである。事実,彼らの網は裂けはじめた。それで彼らは,もう一方の舟にいる仲間の者たちに,来て加勢してくれるようにと身ぶりで合図をした。彼らはそのとおりやって来て,両方の舟をいっぱいにした。そのために,舟は沈みかけた」。―ルカ 5:4-7。
7 イエスは奇跡を行なわれました。その海域では一晩じゅう何も捕れなかったのに,この時にはそこは魚でいっぱいになっていたのです。この奇跡はペテロに強烈な影響を与えました。「シモン・ペテロはイエスのひざもとにひれ伏し,『私からお離れください。私は罪深い男なのです,主よ』と言った。自分たちが引き上げた魚が大漁なのを見て,彼も共にいた者もみな非常な驚きに圧倒されてしまったのである。シモンと分け合う者であるゼベダイの息子たち,ヤコブとヨハネの両人も同様であった」。イエスはペテロを落ち着かせてから,ペテロの人生を変えることになる言葉を述べられます。「恐れなくてもよい。今から後,あなたは人を生きながら捕るのです」。―ルカ 5:8-10。
人をすなどる者
8 四人の漁師は「人を生きながら捕る」ようにとの勧めにどのように応じましたか。
8 こうしてイエスは人を魚に例え,はるかに壮大な形態のすなどる業,すなわち人を生きながら捕る業のために世俗の職業をやめるよう,この謙遜な漁師にお勧めになりました。ペテロとその兄弟アンデレは勧めに応じ,「直ちに網を捨ててそのあとに従(いまし)た」。(マタイ 4:18-20)次いでイエスは,舟の中で自分たちの網を繕っていたヤコブとヨハネに呼びかけ,人をすなどる者となるようその二人にもお勧めになりました。二人はどのように応じましたか。「彼らは直ちに舟と父を残してそのあとに従(いまし)た」。(マタイ 4:21,22)イエスは魂をすなどる者としての技術を示されました。この時イエスは四人の人を生きながら捕らえたのです。
9,10 ペテロとその仲間たちはどんな信仰を示しましたか。彼らは霊的なすなどる業の訓練をどのように受けましたか。
9 漁師は自分が捕った物を売って生計を立てますが,霊的なすなどる者はそうすることができません。ですから,この弟子たちはイエスに従うためにすべてのものを捨てたときに,強い信仰を示したことになります。しかし,彼らは自分たちの霊的なすなどる業の成功を少しも疑っていませんでした。イエスは魚の捕れない水域を文字どおりの魚でいっぱいにすることができました。同様に,弟子たちはイスラエル国民という水域に網を下ろした時,神の助けを得て人を生きながら捕ることを確信できました。その時に始まった霊的なすなどる業は続行されており,エホバは今でも豊かな漁獲を与えておられます。
10 その弟子たちは2年以上にわたって,人をすなどる業の訓練をイエスから受けました。時折,イエスは彼らに細かな指示を与え,宣べ伝えるようご自分に先立って彼らを遣わされました。(マタイ 10:1-7。ルカ 10:1-11)イエスが裏切られて殺された時,弟子たちは呆然としてしまいました。しかし,イエスの死は,もはや人をすなどる業が行なわれないということを意味したのでしょうか。やがて幾つかの出来事からその答えが分かりました。
人類の海でのすなどる業
11,12 イエスは復活の後に,漁に関係したどんな奇跡を行なわれましたか。
11 エルサレムの外でのイエスの死とその復活の少し後に,弟子たちはガリラヤに戻りました。ある時,そのうちの7人が一緒にガリラヤの海の近くにいました。ペテロが漁に行ってくると言うので,ほかの者も付いて行きました。いつもどおり彼らは夜中に漁をしました。実のところ,今度も彼らは一晩じゅう海に網を投げ入れますが,何も捕れません。明け方になると岸に立っている人影が見え,その人は海の向こう側から,「幼子たちよ,食べる物を何も持っていないのですね」と呼びかけてきました。弟子たちは,「ありません!」と叫び返します。すると,岸に立っている人は彼らに,「網を舟の右側に投じなさい。そうすれば,幾らか見つかるでしょう」と言います。「そこで彼らは網を投じ(まし)たが,魚があまりに多くて,もはやそれを引き寄せることができ(ませんでし)た」。―ヨハネ 21:5,6。
12 本当に驚くべき経験です。恐らく弟子たちは,漁に関する以前の奇跡を思い起こしたことでしょう。そして,少なくとも弟子の一人は岸にいる人物がだれであるかに気づきます。「イエスが愛しておられたかの弟子が,『主だ!』とペテロに言った。それでシモン・ペテロは,それが主だと聞くと,裸だったので自分の上っ張りをまとい,海に飛び込んだ。しかしほかの弟子たちは,陸からそれほど遠くなく,わずか三百フィートほどだったので,……小舟でやって来た」― ヨハネ 21:7,8。
13 イエスの昇天後,どんな国際的なすなどる計画が始められましたか。
13 この奇跡はどんなことを示していましたか。人をすなどる業は終わってはいないということを示していました。その事実は,イエスが三度続けてペテロに ― そして彼を通してすべての弟子たちに ― ご自分の羊を養うようお命じになった時に強調されました。(ヨハネ 21:15-17)そうです,前途には霊的に養う計画が控えていたのです。イエスは亡くなる前にこう預言しておられました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」。(マタイ 24:14)まさにその時,この預言の1世紀における成就が始まろうとしていました。イエスの弟子たちは人類の海に網を降ろそうとしていましたが,その網が空のまま上がって来ることはないのです。―マタイ 28:19,20。
14 エルサレムの滅びに先立つ期間中,イエスの追随者たちのすなどる業はどのように祝福されましたか。
14 イエスは天の父のみ座のもとへ昇る前に,追随者たちにこう言われました。「聖霊があなた方の上に到来するときにあなた方は力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。(使徒 1:8)西暦33年のペンテコステの日に聖霊が弟子たちの上に注ぎ出された時,霊的なすなどる業という壮大な業が国際的に始まりました。ペンテコステの日だけで三千人の魂が生きながら捕らえられました。その後まもなく,「男の数はおよそ五千人にな(りまし)た」。(使徒 2:41; 4:4)増加は続きました。「主を信じる者が,男も女も大ぜい加えられていった」と記録されています。(使徒 5:14)やがてサマリア人が良いたよりにこたえ応じ,その後ほどなくして無割礼の異邦人もこたえ応じました。(使徒 8:4-8; 10:24,44-48)ペンテコステから27年ほど後,使徒パウロはコロサイのクリスチャンに,良いたよりは「天下の全創造物の中で宣べ伝えられた」と書き送りました。(コロサイ 1:23)イエスの弟子たちがガリラヤの湖からはるか遠くですなどる業を行なっていたことは明らかです。彼らはローマ帝国中に散在していたユダヤ人の中で,そして見込みがないように思えた非ユダヤ人の海でも網を下ろしていました。そして,彼らの網はいっぱいになって上がって来たのです。1世紀のクリスチャンの必要にこたえて,マタイ 24章14節のイエスの預言はエルサレムが西暦70年に滅ぼされる前に成就しました。
「主の日」における人をすなどる業
15 啓示の書には,さらに大規模などんなすなどる業が預言されていますか。その業はいつ行なわれることになっていましたか。
15 しかし,それ以上のものが前途に控えていました。1世紀も終わりに近づいたころ,エホバは「主の日」の期間中に起こるはずの事柄に関する啓示を,最後に生き残った使徒であるヨハネにお与えになりました。(啓示 1:1,10)良いたよりを世界中で告げる業が一つの際立った特徴となるのです。こう書かれています。「わたしは別のみ使いが中天を飛んでいるのを見た。彼は,地に住む者たちに,またあらゆる国民・部族・国語・民に喜ばしいおとずれとして宣明する永遠の良いたよりを携えて(いた)」。(啓示 14:6)神の僕たちはみ使いの導きのもとに,ローマ帝国全体だけでなく,文字どおり人の住む全地で良いたよりを宣べ伝えるのです。魂をすなどる全地球的な業が行なわれることになっていました。そして現代,この幻の成就が見られています。
16,17 現代の霊的なすなどる業はいつ始まりましたか。エホバはその業をどのように祝福してこられましたか。
16 この20世紀に,すなどる業はどうなっているでしょうか。初めのうち,すなどる者は比較的少数でした。第一次世界大戦の終わった後には,良いたよりの活発な伝道者は4,000人ほどしかおらず,それら熱心な男女のほとんどは油そそがれた者でした。彼らはエホバが道を開かれた所ではどこでも網を投げ,多くの魂が生きながら捕らえられました。第二次世界大戦後,エホバはすなどる業のための新たな水域を開かれました。ものみの塔ギレアデ聖書学校で学んだ宣教者たちが多くの国で業の先頭に立ちました。日本,イタリア,スペインといった当初は全く不毛と思えた国々で,後には豊かな魂の漁獲が得られました。さらに最近では,わたしたちはすなどる業が東ヨーロッパでいかに成功を収めているかを耳にしています。
17 今日,多くの国で網は破れんばかりになっています。非常に多くの魂の漁獲が得られているので,新しい会衆や巡回区を組織することが必要になっています。これらの会衆や巡回区の必要をまかなうため,新しい王国会館や大会ホールの建設が常に行なわれています。増加した人々の世話をするために,さらに多くの長老や奉仕の僕が必要とされています。1919年に,前述の忠実な人たちによって一つの強力な業が始められました。イザヤ 60章22節が文字どおり成就しています。それら4,000人のすなどる者が今日では400万人以上になり,「小さな者が千となり」ました。しかも,まだ終わってはいないのです。
18 1世紀の霊的な,人をすなどる者たちのすばらしい模範にどのように見倣うことができますか。
18 このすべてはわたしたち各自にとって何を意味するでしょうか。聖書は,ペテロ,アンデレ,ヤコブ,ヨハネが人をすなどる者となるよう招かれた時のことをこう述べています。「彼らは……一切のものを捨てて[イエス]のあとに従った」。(ルカ 5:11)信仰と献身の何とすばらしい模範なのでしょう。わたしたちは同様の自己犠牲の精神,どんな犠牲を払うとしてもエホバに喜んで仕える同様の気持ちを培うことができるでしょうか。今までに何百万もの人が,私はそうできます,と答えてきました。1世紀当時,弟子たちはエホバが許される所ならどこでも人をすなどりました。ユダヤ人の間であろうと異邦人の間であろうと,彼らは無条件にすなどりました。わたしたちも,いかなる遠慮や偏見も持たずにあらゆる人に宣べ伝えたいものです。
19 自分がすなどっている水域が産出的でないように思えるとしても,わたしたちは何を行なうべきですか。
19 しかし,あなたの今の区域が産出的でないように思えるならどうですか。落胆しないでください。弟子たちが一晩中かかって何も捕れなかったのにイエスが彼らの網をいっぱいにされたことを思い起こしてください。同じことが霊的にも起こり得るのです。例えばアイルランドでは,忠実な証人たちが何年もの間努力したにもかかわらず,やや限られた結果しか得られませんでした。しかし,最近では状況は変化しています。「1991 エホバの証人の年鑑」の報告によると,1990奉仕年度の終わりまでにアイルランドでは29回連続の最高数が得られたのです。いつの日か,あなたの区域も同様に産出的になるかもしれません。エホバが許しておられる限り,すなどる業を続けてゆきましょう。
20 わたしたちは人をすなどる業にいつ携わるべきですか。
20 イスラエルでは漁師は夜中に,つまりほかの人がみな暖かくして気持ちよく寝ている時に漁に出かけました。自分にとって都合の良い時にではなく,魚が一番多く捕れる時に出かけました。わたしたちも,ほとんどの人が家にいて話をよく聞いてくれる時に言わば漁に出かけるよう,自分の区域を研究すべきです。それは晩の時間か週末,あるいは他の時間かもしれません。それがいつであるとしても,心の正しい人々を探し出すためにできる限りのことを行ないましょう。
21 自分の区域で業が頻繁に行なわれている場合には,どんなことを忘れてはなりませんか。
21 自分の区域が頻繁に網羅されているならどうですか。世の漁師たちは自分たちの漁場の魚が乱獲されているとよく苦情を言います。しかし,わたしたちの霊的な漁場の魚は乱獲されることがあり得るでしょうか。そのようなことは全くありません。多くの区域では頻繁に網羅されていても増加が見られます。中には,業がよく行なわれているために,一層産出的になっている区域もあります。もっとも,家々をたびたび訪問している場合は特に,必ずすべての不在者を記録して,後で会うようにしてください。会話するための様々な話題を学んでください。だれかがまたすぐに訪問するということを念頭に置き,長居をして嫌がられたり,知らないうちに家の人の反感を買ったりすることのないようにしてください。そして,街路伝道や非公式の証言の技術を向上させましょう。あなたの霊的な網をあらゆる機会に,あらゆる可能な方法で下ろしてください。
22 わたしたちは現在どんな壮大な特権を享受していますか。
22 このすなどる業においては,すなどる者と魚の両方が益を得ることを忘れないでください。わたしたちが捕らえる人々が忍耐するなら,彼らは永遠に生きることができます。パウロはテモテをこう励ましました。「これらのことをずっと続けなさい。そうすることによって,あなたは,自分と自分のことばを聴く人たちとを救うことになるのです」。(テモテ第一 4:16)霊的なすなどる業の訓練を最初に弟子たちに施されたのはイエスでした。そしてその業は今でもイエスの指導のもとに行なわれています。(啓示 14:14-16と比較してください。)わたしたちにはイエスのもとで業を成し遂げるという実に大きな特権があるのです。エホバが許される限り,網を下ろし続けてゆきましょう。魂を生きながら捕る業以上に壮大な業が果たしてあるでしょうか。
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引き網と魚はあなたにとって何を意味しますかものみの塔 1992 | 6月15日
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引き網と魚はあなたにとって何を意味しますか
「あなた方は,天の王国の神聖な奥義を理解することを聞き入れられています」― マタイ 13:11。
1,2 わたしたちがイエスの例えに興味を抱くのはなぜですか。
あなたは秘密を知ったり,なぞを解いたりするのが好きですか。そうすることが神の目的における自分の役割を一層明確に理解するのに役立つならどうですか。幸いなことに,イエスの話された一つの例えを通して,そのような特権とも言うべき洞察を得ることができます。その例えを聞いた多くの人は困惑し,それ以来,他の無数の人々も困惑してきました。しかし,あなたはそれを理解することができます。
2 マタイ 13章で,例えを使うことについてイエスが述べられた事柄に注目してください。弟子たちは,「例えを使って彼らにお話しになるのはどうしてですか」と尋ねました。(マタイ 13:10)そうです,なぜイエスはほとんどの人が理解できない例えを用いられたのでしょうか。イエスは11節から13節でこう答えておられます。「あなた方は,天の王国の神聖な奥義を理解することを聞き入れられていますが,あの人々は聞き入れられていません。……わたしが例えを使って彼らに話すのはこのためです。すなわち,彼らは見ていてもむだに見,聞いていてもむだに聞き,その意味を悟ることもないからです」。
3 イエスの例えを理解するなら,わたしたちはどのように益を得ることができますか。
3 イエスはこの時,霊的に耳が聞こえず目の見えない人々について述べているイザヤ 6章9節と10節を適用されました。しかし,わたしたちはその人々のようになる必要はありません。もしイエスの例えを理解し,それに基づいて行動するなら,現在の,そして終わりのない将来に至る大きな幸福を得ることができます。イエスはわたしたちに,「あなた方の目は見るゆえに,またあなた方の耳は聞くゆえに幸いです」という温かい保証の言葉を述べておられます。(マタイ 13:16)この保証の言葉はイエスの例えすべてに当てはまりますが,引き網に関する短いたとえ話に焦点を合わせることにしましょう。それはマタイ 13章47節から50節に記録されています。
深い意味を持つ例え
4 マタイ 13章47-50節の記録によると,イエスは例えによってどんなことを語られましたか。
4 「天の王国は,海に下ろされてあらゆる種類の魚を寄せ集める引き網のようです。それがいっぱいになったとき,人々は浜辺にたぐり上げ,腰を下ろして,良いものを器に集め,ふさわしくないものは投げ捨てました。事物の体制の終結のときにもそのようになるでしょう。み使いたちは出かけて行って,義人の中から邪悪な者をより分け,彼らを火の燃える炉にほうり込むのです。そこで彼らは泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするでしょう」。
5 引き網のたとえ話の意味に関してどんな質問が生じますか。
5 多分あなたはだれかが網を使って魚を捕るところを少なくとも映画かテレビで見たことがあるでしょう。ですから,イエスのたとえ話を思いに描くのは難しいことではありません。しかし,詳細な点や意味についてはどうでしょうか。例を挙げると,イエスはこの例えが「天の王国」に関するものであると言われました。しかし,「あらゆる種類」の人が,つまり良い人と,ふさわしくない,または邪悪な者が王国に入ると言おうとされたのでないことは確かです。さらに,すなどる業を行なうのはだれですか。このすなどる業と分ける業はイエスの時代に起きたのでしょうか。それとも,「事物の体制の終結のとき」である現代に限定されるのでしょうか。あなたは自分もこのたとえ話に含まれていると思いますか。どうすれば,最終的に泣き悲しんだり歯ぎしりしたりする人々の一人にならずにすみますか。
6 (イ)引き網のたとえ話を理解することに深い関心を抱くべきなのはなぜですか。(ロ)その理解のかぎとなるのはどんな点ですか。
6 こういった質問から分かるとおり,結局のところこの例えは単純なものではありません。しかし,「あなた方の目は見るゆえに,またあなた方の耳は聞くゆえに幸いです」という言葉を忘れないでください。では,この例えの重要性に関してわたしたちの耳が反応しなかったり目が閉ざされたりすることのないよう,この例えの意味を掘り下げることができるかどうか調べてみましょう。実際には,この例えの意味を解くのに肝要なかぎをわたしたちは既に持っています。前の記事で扱われたように,イエスはガリラヤの漁師たちに,その職業を捨て,「人をすなどる者」として霊的な業に取りかかるよう招待を差し伸べました。(マルコ 1:17)イエスは彼らに,「今から後,あなたは人を生きながら捕るのです」と言われました。―ルカ 5:10。
7 イエスは魚について述べた際に,どんなことを例えで説明しておられましたか。
7 その言葉と一致して,このたとえ話の魚は人間を表わしています。ですから,義なるものから邪悪なものを分けることについて述べている49節は,義なる海洋生物や邪悪な海洋生物ではなく,義なる人々や邪悪な人々のことを述べているのです。同様に50節についても,泣き悲しんだり歯ぎしりしたりする海洋動物のことを考えるべきではありません。そうです,このたとえ話は人々を集める業とその後に行なわれる人々を分ける業に関するものであり,結末から分かるとおり,分ける業はたいへん重大な業です。
8 (イ)ふさわしくない魚の結末に関してどんなことを学べますか。(ロ)ふさわしくない魚について述べられている事柄を考慮すると,王国に関してどんな結論を下すことができますか。
8 ふさわしくない魚,すなわち邪悪な者は火の燃える炉にほうり込まれ,そこで泣き悲しんだり歯ぎしりしたりしなければならなくなるという点に注目してください。ほかの箇所でイエスは,そのような泣き悲しんだり歯ぎしりしたりすることを王国の外にいることと結びつけておられます。(マタイ 8:12; 13:41,42)さらにマタイ 5章22節と18章9節では,永久の滅びに言及して,「火の燃えるゲヘナ」とさえ述べておられます。このことは,この例えの意味を理解し,それに応じて行動することがいかに肝要かを示しているのではないでしょうか。わたしたちすべては,神の王国の中には現在も将来も邪悪な者がいないことを知っています。ですから,イエスは『天の王国は引き網のようです』と言われた時に,神の王国に関連して,様々な種類の魚を集めるために下ろされる網によく似た特徴があるという意味でそう言われたに違いありません。
9 み使いたちは引き網の例えにどのように関係していますか。
9 引き網を下ろして魚を集めた後には,分ける業が行なわれることになっていました。イエスは,だれが関係していると言われましたか。マタイ 13章49節は,これら漁師兼分ける者がみ使いたちであることを示しています。ですからイエスは,人々を見分けるために用いられる地上の道具をみ使いたちが監督することについて語っておられたのです。ある人は良い者,天の王国にふさわしい者として,またある人はその召しにはふさわしくない者として見分けられます。
すなどる業 ― いつ行なわれるか
10 どのように推論すると,すなどる業が相当な期間に及んだことが分かりますか。
10 この例えがどの時代に適用されるかを知るには文脈が助けになります。イエスはこの例えを話す直前に,りっぱな種がまかれるものの,後から畑に雑草がまき足されることに関する例えを話されました。その畑は世界を表わしています。イエスはマタイ 13章38節で,りっぱな種は「王国の子たち」を表わしており,「それに対し,雑草は邪悪な者の子たちであ(る)」と説明されました。両者は事物の体制の終結のときの収穫まで何世紀にもわたって一緒に成長し,それから雑草は分けられて焼き尽くされました。この例えを引き網の例えと比較してみると,生き物を網に導き入れる業が長い期間に及ぶことになっていたのが分かります。―マタイ 13:36-43。
11 1世紀に,国際的なすなどる業はどのように始まりましたか。
11 イエスのたとえ話によると,魚は無差別に集められることになっていました。つまり引き網には良い魚とふさわしくない魚が両方とも掛かったのです。使徒たちの生存中には,すなどる業を導くみ使いたちは,油そそがれたクリスチャンになる「魚」を捕るために神のクリスチャンの組織を用いました。西暦33年のペンテコステよりも前に,イエスの人をすなどる業によって120人ほどの弟子たちが網に掛かっていたと言えます。(使徒 1:15)しかし,ひとたび油そそがれたクリスチャンの会衆が設立されると,引き網という道具を用いるすなどる業が始まり,幾千匹もの良い魚が捕らえられました。西暦36年以降,すなどる業は国際的な水域に大きく広がり,異邦人たちがキリスト教に引き寄せられて,キリストの油そそがれた会衆の成員になりました。―使徒 10:1,2,23-48。
12 使徒たちの死後,どんなことが生じましたか。
12 使徒たちが亡くなってから何世紀もの間,神の真理を見いだして保持しようと努力するクリスチャンが多少存在し続けました。少なくとも彼らの一部は神の是認を受け,神から聖霊をもって油そそがれました。とはいえ,使徒たちの死によって抑制力が取り除かれたため,広範な背教が生じました。(テサロニケ第二 2:7,8)分不相応にも神の会衆と自称する一つの組織が成長しました。その組織は,自らがイエスと共に支配するために神の霊をもって油そそがれた聖なる国民であるとの偽りの主張をしました。
13 キリスト教世界が引き網の業において何らかの役割を果たしたと言えるのはなぜですか。
13 あなたは,不忠実な自称クリスチャンが引き網の例えにおいて何らかの役割を果たしたと思いますか。そうであると答えるだけの理由があります。象徴的な引き網にはキリスト教世界が含まれました。カトリック教会が長い間聖書を民衆から遠ざけておこうとしたのは確かです。それでも,キリスト教世界の成員は何世紀にもわたって神の言葉を翻訳し,書き写し,頒布する点で主要な役割を演じました。後に諸教会は,聖書を遠隔地の言語に翻訳する聖書協会を設立したり援助したりしました。さらに諸教会は医療を行なう宣教師や教師たちを送り出し,彼らはライス・クリスチャン(食物などをもらえるという理由で信者になった人々)を生み出しました。こうして非常に多くのふさわしくない魚が集められましたが,それらの魚は神の是認を受けませんでした。しかし少なくとも,数多くの非キリスト教徒が聖書に,また腐敗したものであるとはいえ一種のキリスト教に接することができました。
14 キリスト教世界の諸教会が行なった事柄の一部は,良い魚をすなどる業にどのように役立ちましたか。
14 その期間中ずっと,神の言葉に付き従う散らされた忠実な者たちは最善の努力を払っていました。どの時期においても,彼らは地上にある神の真の油そそがれた会衆を構成していました。そしてわたしたちは,彼らも魚つまり人々を捕り,そのうちの多くの者を神が良いとみなしてご自分の霊をもって油そそがれたと確信できます。(ローマ 8:14-17)クリスチャンであると公言するこれらの良い人々は,ライス・クリスチャンとなっていた多くの人々や,キリスト教世界の聖書協会によって自国語に翻訳された聖書から聖書に関する限られた知識を得ていた多くの人々に,聖書の真理を伝えることができました。確かに,良い魚を集める業は進行していたのです。もっとも,キリスト教世界によって集められた魚のほとんどは,神の観点からするとふさわしくないものでした。
15 明らかな点として,たとえ話の引き網は何を表わしていますか。
15 ですから,引き網は神の会衆であると公言して魚を集める地上の道具を表わしています。それにはキリスト教世界と油そそがれたクリスチャンの会衆の両方が含まれており,後者はマタイ 13章49節と一致して,目に見えないみ使いたちの指導のもとで良い魚を集め続けてきました。
現代は特別な時代
16,17 イエスの引き網の例えの成就において,わたしたちの生きている時代が非常に重要な時代であると言えるのはなぜですか。
16 次に時の要素について考慮しましょう。引き網という道具は何世紀にもわたって,良い魚と,多くのふさわしくない,または邪悪な魚を集めました。そして,み使いたちが重大な分ける業を行なう時が来ました。それはいつのことでしたか。49節にははっきりと,それは「事物の体制の終結」の期間中であると述べられています。これはイエスが羊とやぎの例えの中で次のように言われたことと一致します。「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼と共に到来すると,そのとき彼は自分の栄光の座に座ります。そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます」― マタイ 25:31,32。
17 ですから,マタイ 13章47節から50節と一致して,み使いたちの導きのもとに行なわれる重大な分ける業は,「事物の体制の終結のとき」が始まった1914年以来進展しているのです。このことは1919年以降特に明らかになりました。その年,油そそがれた者たちの残りの者は一時的な霊的束縛または捕らわれから自由にされ,すなどる業を成し遂げるための一層効果的な道具となりました。
18 良い魚はどのように器に集められてきましたか。
18 分けられた良い魚はどうなりますか。48節には,漁師兼分ける者であるみ使いたちが「良い[魚]を器に集め,ふさわしくないものは投げ捨て……た」と書かれています。その器とは良い魚を入れる保護容器のことです。このことは現代に生じてきましたか。確かに生じてきました。象徴的な良い魚は生きながら捕らえられると,真のクリスチャンの諸会衆に集められてきました。これらの器のような諸会衆は,神への奉仕のために彼らを保護し,取って置くのに役立ってきました。あなたもそう思われませんか。それでも,『なるほどそれはみな結構なことだが,それはわたしの今の命や将来とどんな関係があるのだろうか』と考える人がいるかもしれません。
19,20 (イ)今日このたとえ話の意味を理解することはなぜ肝要ですか。(ロ)1919年以降,どんな重要なすなどる業が行なわれてきましたか。
19 ここで説明された事柄の成就は,使徒たちの時代から1914年までの期間に限定されたわけではありません。その期間中に,引き網という道具は偽物と本物の自称クリスチャンを両方とも集めるようになりました。そうです,引き網はふさわしくない魚と良い魚を両方とも集めていたのです。さらに,み使いによる分ける業は1919年ごろに終わったわけではありません。確かにそれは終わってはいませんでした。幾つかの面で,この引き網の例えはまさに現代に至るまで適用されます。わたしたちと,わたしたちの間近な将来が関係しているのです。もし,「あなた方の目は見るゆえに,またあなた方の耳は[理解をもって]聞くゆえに幸いです」という言葉が自分に当てはまることを望むのであれば,自分と自分の間近な将来がどのように,またなぜ関係しているのかを理解することは肝要です。―マタイ 13:16。
20 恐らくあなたは,油そそがれた残りの者が1919年以降み使いたちと協力して,宣べ伝える業に忙しく携わるようになったことをご存じでしょう。み使いたちは魚を岸に引き上げて良い魚をふさわしくない魚から分けるために,象徴的な引き網を用い続けました。その時期以降の統計によると,神の霊をもって油そそぐために良い魚を捕ることは続けられ,14万4,000人の最後の者たちが象徴的な網によって集められました。(啓示 7:1-4)しかし,聖霊をもって油をそそぐために良い魚を集める業は基本的には1930年代の半ばまでに終わりました。ではその後,油そそがれた残りの者の会衆は言わば網を捨て,何もせずにただ座って自分たちの天的な報いを待つことになっていたのでしょうか。決してそうではありませんでした。
すなどる業とあなたとの関係
21 現代,どんな別のすなどる業が行なわれていますか。(ルカ 23:43)
21 イエスの引き網の例えは,報いとして天の王国における立場を与えられる良い魚に焦点を合わせていました。しかし,その例えとは別に,ちょうどこの前の記事で説明されたとおり,別の象徴的なすなどる業が非常に大規模に行なわれています。このすなどる業は,イエスの例えの中で言及されている油そそがれた良い魚のためのものではなく,生きながら捕らえられて,楽園となった地での命というすばらしい希望を与えられる象徴的な魚のためのものです。―啓示 7:9,10。マタイ 25:31-46と比較してください。
22 わたしたちはどんな幸福な結末を経験することができますか。それ以外にはどんな結末しかありませんか。
22 もしあなたがそのような希望を抱いておられるなら,命を救うすなどる業が現在まで続くのをエホバが許されたことを歓べます。そのおかげであなたはすばらしい見込みを得ることができたのです。見込みですか。そうです,それは適切な言葉です。なぜなら,結末は,進行中のすなどる努力を指導しておられる方に対してわたしたちが引き続き忠実であるかどうかにかかっているからです。(ゼパニヤ 2:3)例えによると,引き網によって引き上げられたすべての魚が望ましい結末を経験するのではないということを思い出してください。ふさわしくない,または邪悪な魚は義なる魚から分けられるとイエスは言われました。何のためにですか。マタイ 13章50節でイエスは,ふさわしくない,または邪悪な魚の受ける重大な結末について述べられました。それらの魚はとこしえの滅びを意味する火の燃える炉にほうり込まれるのです。―啓示 21:8。
23 今日のすなどる業が非常に重要なのはなぜですか。
23 油そそがれた良い魚と,地上で永遠に生きる象徴的な魚には,輝かしい将来があります。それで,まさに今世界中ですなどる業が成功裏に行なわれてゆくようみ使いたちが取り計らっているのはもっともなことです。そして,何とすばらしい漁獲が得られているのでしょう。それはある面で,使徒たちがイエスの指示に従って網を下ろした時に経験した文字どおりの漁獲と同じほど奇跡的な漁獲であると言えるでしょう。
24 わたしたちは霊的なすなどる業に関して何を行ないたいと思うはずですか。
24 あなたはこの命を救う霊的なすなどる業にできる限り活発にあずかっておられますか。わたしたち各人は,個人的に今までどれほど多くこの業にあずかってきたかにかかわりなく,今進行中の壮大な,すなどって命を救う業において全世界で成し遂げられている事柄を考察して益を得ることができます。そうするなら,今後さらに大きな熱意を抱いて網を下ろして漁をするよう鼓舞されるに違いありません。―マタイ 13:23; テサロニケ第一 4:1と比較してください。
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世界的な水域における人をすなどる業ものみの塔 1992 | 6月15日
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世界的な水域における人をすなどる業
「わたしが良いたよりを宣明しているとしても,それがわたしの誇る理由ではないのです。わたしにはその必要が課せられているからです。実際,もし良いたよりを宣明しなかったとすれば,わたしにとっては災いとなるのです!」―コリント第一 9:16。
1,2 (イ)コリント第一 9章16節が示唆している挑戦に確かに応じてきたのはだれですか。あなたはなぜそう答えますか。(ロ)エホバの証人はどんな責任を受け入れていますか。
この20世紀に,上記のパウロの言葉が提出している挑戦に確かに応じてきたと言えるのはだれですか。「自分の霊的な必要を自覚している」男女をすなどるために,世界中に何百万人も出かけて行ったのはだれですか。(マタイ 5:3)投獄や死の危険を冒し,マタイ 24章14節のキリストの命令に従ったために多くの国でそのような苦しみを経験してきたのはだれですか。
2 記録の示すところによれば,それはエホバの証人です。昨年だけでも,400万人以上の証人たちが211の国と地域で家から家を訪問し,200以上の言語で「良いたよりを宣明し」ました。そうしたのは訓練を受けた宣教者の選抜グループだけではありません。むしろ,エホバの証人は皆,家から家に,またあらゆるふさわしい機会に宣べ伝えて教えるという責任を自覚しています。彼らが自分の信条を他の人に分かつ必要性を自覚しているのはなぜでしょうか。それは,知識には責任が伴うということを認識しているからです。―エゼキエル 33:8,9。ローマ 10:14,15。コリント第一 9:16,17。
人をすなどる業 ― 世界的な挑戦
3 すなどる業はどれほどの範囲に及ぶ必要がありますか。
3 この壮大なすなどる業は,言わばどこかの川か湖,さらには一つの大洋にさえ限定されてはいません。むしろイエスが命令されたとおり,「あらゆる国民の中で」遂行されることになっています。(マルコ 13:10)イエスはみ父のもとへ昇る前に,弟子たちにこう言われました。「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい。そして,見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです」― マタイ 28:19,20。
4 (イ)イエスの初期のユダヤ人の追随者はどんなことに驚いたに違いありませんか。(ロ)エホバの証人は自分たちの伝道活動の範囲についてどのように考えていますか。
4 イエスのユダヤ人の追随者にとって,それは驚くべき任務であったに違いありません。イエスはご自分のユダヤ人の弟子たちに,今や彼らはすべての国の「清くない」異邦人のところに出かけて行って教えなければならなくなると述べておられたのです。その割り当てのショックを緩和し,それを実行するため,彼らには幾らかの再調整が必要でした。(使徒 10:9-35)しかし,その割り当てを避けて通ることはできませんでした。イエスはたとえ話の中で彼らに,「畑は世界です」と述べておられたのです。ですから,今日のエホバの証人は全世界を自分たちの漁業権の及ぶ場所と考えています。そこには,神からの彼らの任務を制限する“12カイリ水域”や“領海”などというものはあり得ません。信教の自由がない場所では慎重さが必要な場合もあります。それでも,彼らは緊急感を抱いて漁をしています。それはなぜですか。世界の出来事と聖書預言の成就により,わたしたちが世界的なすなどる業の最終部分にいることが分かるからです。―マタイ 13:38。ルカ 21:28-33。
世界的なすなどる業における進展
5 どんな人たちが世界的なすなどる業にこたえ応じていますか。
5 油そそがれた王国相続者はその大半が1935年までに諸国民の中から“すなどられ”たので,基本的には既に全員そろっています。そのため,特に1935年以来,エホバの証人は『地を所有する柔和な者たち』とみなすことのできる謙遜な人たちを探しています。(詩編 37:11,29)その人たちは,「行なわれているすべての忌むべきことのために嘆息し,うめいている」人たちです。その人たちは,堕落し腐敗したサタンの事物の体制を「大患難」が襲い,サタンの崇拝者たちが最終的な滅びである「火の燃える炉」に入れられる前に,神の王国支配を支持して行動しています。―エゼキエル 9:4。マタイ 13:47-50; 24:21。
6,7 (イ)1943年に,宣べ伝える業に関してどんな手段が講じられましたか。(ロ)その結果どうなりましたか。
6 これまで世界的なすなどる業は首尾よく行なわれてきたでしょうか。事実そのものに語らせましょう。1943年当時,第二次世界大戦はまだ猛威を振るっていましたが,ニューヨーク市ブルックリンのエホバの証人の世界本部にいた油そそがれた忠実な兄弟たちは,膨大な世界的なすなどる業が成し遂げられなければならないことを見通しました。では,どんな手段が講じられたでしょうか。a ―啓示 12:16,17。
7 1943年に,ものみの塔協会はギレアデ(ヘブライ語,“証しの小山”。創世記 31:47,48)と呼ばれる宣教者学校を設立しました。その学校は,象徴的な漁師として全地に遣わすため,半年ごとに100人の宣教者を訓練し始めました。当時,わずか12万6,329人の証人たちが54の国と地域で活発に人をすなどっていましたが,その数は10年で143の国と地域における51万9,982人の証人へと事実上飛躍的に増加しました。確かにギレアデ学校は,喜んで異文化の中に出かけて行って新たな漁業水域に順応する,恐れを知らない男女の漁師を生み出していました。その結果,数多くの心の正直な人々がこたえ応じました。それら宣教者たち,そして彼らと共に働いた地元の証人たちは,現在生じている驚くべき増加の基礎を据えました。
8,9 (イ)宣教者の優れた働きのどんな例を挙げることができますか。(ロ)宣教者たちは自分たちの畑における際立った発展をどのように目にしてきましたか。(「1992 エホバの証人の年鑑」もご覧ください。)
8 ギレアデの初期のクラスの忠実で経験豊かな卒業生の多くは,今では70代,あるいは80歳以上にさえなっていますが,それでも相変わらず外国の任命地で奉仕しています。そのような多くの宣教者の典型的な例として,82歳になるエリック・ブリッテンと妻のクリスティナを挙げることができます。二人は1950年にギレアデの第15期のクラスを卒業し,今でもブラジルで奉仕しています。二人がブラジルで奉仕を始めたころ,その国のエホバの証人は3,000人もいませんでしたが,現在では何と30万人以上になっています。確かに,すなどる業は多くのものを生み出してきたので,ブラジルで「小なる者が強大な国民とな(り)」ました。―イザヤ 60:22。
9 さらに,アフリカにいる宣教者たちについてはどうでしょうか。そのほとんどは,非常に異なった文化に順応し,アフリカの人々を愛するようになりました。その典型は,現在南アフリカで奉仕しているジョン・クックとエリック・クックの兄弟,そして彼らの妻キャスリーンとマートルです。ジョンとエリックは1947年に第8期のクラスを卒業しました。二人合わせると,アンゴラ,ジンバブエ,モザンビーク,南アフリカで奉仕したことになります。宣教者の中には病気のためにアフリカで亡くなった人もいれば,戦争や迫害のために亡くなった人もいます。例えば,アラン・バティーとアーサー・ローソンは最近のリベリア内戦の最中に亡くなりました。それでも,アフリカの水域は非常に産出的になっています。その広大な大陸全体に今では40万人以上の証人たちがいるのです。
すべての人が関係している
10 開拓者たちはなぜ,またどのように,称賛に値する働きをしていますか。
10 しかし,外国からの宣教者が数千人であるのに対して,地元の伝道者や開拓者bは何百万人にもなっているということを認めなければなりません。彼らは全地で,宣べ伝える業の大半を行なっています。1991年には,開拓者と旅行する奉仕者の平均は55万人を超えていました。これらの忠実な証人たちすべてが毎月平均60ないし140時間伝道して,壮大なすなどる業にあずかるために特別な努力を払ったことを考えると,これは本当に感動的な数字です。多くの人は個人的に多大の犠牲を払い,費用を負担してそうしています。しかし,なぜそうするのでしょうか。自分たちの神エホバを心,思い,魂,力を尽くして愛し,隣人を自分自身のように愛しているからです。―マタイ 22:37-39。
11 エホバの霊が神の民の中で働いていることを示すどんな確かな証拠がありますか。
11 では,全時間奉仕を行なってはいないものの,自らの状況に応じてエホバへの奉仕に100%をささげている,他の350万人以上の証人たちについては何と言えますか。その中のある人たちは妻であり,幼い子供を抱えた母親でさえあるかもしれませんが,それでも貴重な時間の幾らかを世界的なすなどる業にささげています。全時間の世俗の仕事を持つ夫や父親もたくさんいますが,彼らは他の人に真理を教えるために週末や晩の時間を取り分けています。さらに,宣べ伝える業にあずかり,自分の行状によって真理を推薦している大勢の独身の男女と若者たちがいます。ほかのどの宗教団体が,神の王国支配の良いたよりを毎月宣べ伝える400万人以上の無報酬の自発奉仕者を有しているでしょうか。確かにこれはエホバの霊が働いている証拠です。―詩編 68:11。使徒 2:16-18。ゼカリヤ 4:6と比較してください。
発展に寄与する要素
12 人々が真理にこたえ応じているのはなぜですか。どれほどの数の人々がこたえ応じていますか。
12 この膨大な宣べ伝える業は毎年驚くべき結果をもたらしています。1991年には30万人以上の新しい証人たちが全身を水に浸してバプテスマを受けました。この人数は,それぞれ100人の証人たちからなる3,000以上の会衆に相当します。このすべてはどのように成し遂げられているのでしょうか。イエスの次の言葉を思い出しましょう。「わたしを遣わした方である父が引き寄せてくださらない限り,だれもわたしのもとに来ることはできません。……預言者たちの中に,『そして彼らは皆エホバに教えられるであろう』と書いてあります。父から聞いて学んだ者は皆わたしのもとに来ます」。ですから,人は単に人間の努力によって世界的なすなどる業にこたえ応じるのではありません。エホバは心の状態をご覧になり,それらのふさわしい人々をご自分のほうへ引き寄せておられます。―ヨハネ 6:44,45。マタイ 10:11-13。使徒 13:48。
13,14 多くの証人たちはどんなりっぱな態度を示してきましたか。
13 とはいえ,人間であるすなどる者は,エホバが人々をご自分に引き寄せるために用いておられる代理者です。ですから,人々や漁を行なう区域に対するすなどる者の態度は重要です。ガラテア人へのパウロの次の言葉を大多数の人が心に留めているのを知ると,本当に励まされます。「それで,りっぱなことを行なう点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら,しかるべき時節に刈り取ることになるからです」― ガラテア 6:9。
14 多くの忠実な証人たちは世界の事態の進展を注意深く見守りながら,何十年もの間宣べ伝えてきました。彼らはナチズムやファシズムや他の全体主義体制の興亡を目にしてきました。1914年以降に生じた数多くの戦争を目撃してきた証人たちもいます。彼らは,世界の指導者たちが国際連盟に,そして後には国際連合に望みをかけるのを見てきました。また多くの国でエホバの業が禁止され,後に認可されるのも見てきました。そのすべてを通じてエホバの証人たちは,人をすなどる者として奉仕することを含め,りっぱなことを行なう点であきらめませんでした。何と優れた忠誠の記録なのでしょう。―マタイ 24:13。
15 (イ)世界的な区域の必要に合わせる点で,わたしたちはどんな助けを得てきましたか。(ロ)出版物はあなたの割り当てにおいてどのように役立ってきましたか。
15 この世界的な発展に寄与してきた別の要素があります。その一つは,区域の必要に対する,人をすなどる者たちの適応性のある態度です。文化や宗教や言語の異なる人々の移住に伴い,エホバの証人はそういった様々な物の見方を一層よく理解するようになりました。そして,世界的な会衆は聖書や聖書文書を200以上の言語で備え,大々的な援助を行なってきました。新世界訳聖書は,現在チェコ語とスロバキア語を含む13の言語で全巻または一部が発行されています。「地上での生活を永遠に楽しんでください」というブロシュアーは7,200万冊印刷されており,現在アフリカーンス語からルーマニア語までの198の言語で入手可能です。「これまでに生存した最も偉大な人」という本は既に69の言語で入手可能です。また,29の言語で発行されている「神を探求する人類の歩み」は,世界の主要な宗教制度の起源や信条を洞察し,世界的なすなどる業において独特な助けとなっています。
16 ある人たちは他の国の必要にどのようにこたえ応じてきましたか。
16 ほかにもどんなことが世界的なすなどる業を促進してきたでしょうか。数多くの人が“マケドニア人の求め”に喜んでこたえ応じてきました。ちょうどパウロが神の召しを受けて小アジアからヨーロッパのマケドニアへ喜んで移動したのと同じように,多くの証人たちが王国伝道者や長老や奉仕の僕の必要のより大きな国や地域に移動しています。それは,特定の水域で十分に漁が行なわれたことに気づいた実際の漁師が,もっと舟の少ない,魚のたくさんいる水域へ移動するのと似ています。―使徒 16:9-12。ルカ 5:4-10。
17 “マケドニア人の求め”にこたえ応じてきた人々のどんな例がありますか。
17 ギレアデ宣教者学校の最近のクラスには,ヨーロッパの様々な国から来た生徒たちが含まれており,彼らは英語を学び,別の国や別の文化の中での奉仕のために自分を差し出しています。同様に,多くの独身の兄弟たちが,宣教訓練学校による2か月の集中的な訓練を受けた後,会衆や巡回区を強めるために他の国に遣わされています。そのほかにも,現在東ヨーロッパと旧ソ連で開かれつつある区域に独特な漁場があります。―ローマ 15:20,21と比較してください。
18 (イ)開拓者がたいてい効果的な奉仕者であるのはなぜですか。(ロ)開拓者は会衆内でどのように他の人を援助することができますか。
18 世界的なすなどる業における付加的な助けは,正規開拓者が出席する開拓奉仕学校です。開拓者たちは,彼らだけのために準備された「世を照らす者として輝く」という出版物を2週間で集中的に討議することにより,「愛の道を追い求める」,「手本としてのイエスに従いなさい」,「教える技術を向上させる」といった論題を考察して,宣教における自分の能力を向上させます。この壮大なすなどる業において多くの人を訓練することのできる,これら資格ある家から家の漁師たちのチームの存在を,すべての会衆は本当に感謝しています。―マタイ 5:14-16。フィリピ 2:15。テモテ第二 2:1,2。
わたしたちは進歩できますか
19 わたしたちはどうすれば使徒パウロのように宣教の点で進歩できますか。
19 わたしたちはパウロのように,積極的で前向きな態度を持ちたいと思います。(フィリピ 3:13,14)パウロはあらゆる種類の人々や状況に合わせました。彼は共通の土台を見いだす方法や,その地方の人の態度や文化に基づいて論じる方法を知っていました。わたしたちは,王国の音信に対する家の人の反応に目ざとくあり,その上で自分の話をその人の必要に合わせることにより,聖書研究を始めることができます。聖書研究のための多種多様な助けがあるので,その人の見解に適した助けを提供することができます。わたしたちの適応性と目ざとさも産出的なすなどる業の重要な要素なのです。―使徒 17:1-4,22-28,34。コリント第一 9:19-23。
20 (イ)わたしたちのすなどる業が現在非常に重要なのはなぜですか。(ロ)現在わたしたち各自にはどんな責任がありますか。
20 この独特で世界的なすなどる業が現在非常に重要なのはなぜですか。それは,これまで聖書預言どおりの出来事が生じ,今も生じているゆえに,サタンの世の体制が悲惨な最高潮に向かっていることは明らかだからです。では,わたしたちエホバの証人は何を行なっているべきですか。この号の三つの研究記事では,世界的な水域の自分の受け持ち部分で勤勉かつ熱心にすなどる活動を行なうというわたしたちの責任が強調されました。わたしたちは聖書に基づき,わたしたちの骨身を惜しまぬすなどる活動をエホバがお忘れになることはないと堅く確信しています。パウロはこう述べました。「神は不義な方ではないので,あなた方がこれまで聖なる者たちに仕え,今なお仕え続けているその働きと,こうしてみ名に示した愛とを忘れたりはされないからです。しかしわたしたちは,あなた方一人一人が同じ勤勉さを示して,希望に対する全き確信を終わりまで保つようにと願います」― ヘブライ 6:10-12。
[脚注]
a ものみの塔協会発行の「啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!」という本の185,186ページもご覧ください。
b 「開拓伝道者……エホバの証人の全時間奉仕者」― ウェブスター新国際辞典 第三版。
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世界的な水域における人をすなどる業ものみの塔 1992 | 6月15日
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[24ページの図表]
国際的なすなどる業の成果
年 国と地域 エホバの証人
1939 61 71,509
1943 54 126,329
1953 143 519,982
1973 208 1,758,429
1983 205 2,652,323
1991 211 4,278,820
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