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  • 真の自由 ― どこからもたらされるか
    ものみの塔 1992 | 4月1日
    • 真の自由 ― どこからもたらされるか

      「自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません。エホバよ,わたしを正してください」― エレミヤ 10:23,24。

      1,2 たいていの人は自由についてどのように考えますか。しかし,ほかのどんなことも考慮しなければなりませんか。

      あなたは真の自由の価値を認めておられるに違いありません。人は自分自身の意見を自由に述べたい,どこでどのように生活するかを自由に決めたい,また自分の仕事,食べ物,音楽,友人などを選択したいと思うものです。大小を問わず,数多くの事柄に関して好みを持っています。普通の人であればだれも,選択の自由がほとんどない,独裁支配者の奴隷になりたいとは思いません。

      2 しかし,あなたはさらに,自分だけでなく他の人も真の自由から益を得る世界を望んでおられるのではないでしょうか。あらゆる人が自分の人生を最大限に表現できるよう自由が保護される世界を望んでおられるのではありませんか。そして,もし可能なら,恐れ,犯罪,飢え,貧困,汚染,病気,戦争などのない世界になってほしいとも願っておられるのではありませんか。確かに,そのような自由は非常に望ましいものです。

      3 わたしたちが自由を尊重するのはなぜですか。

      3 わたしたち人間が自由に関してこれほど強い感情を抱くのはなぜでしょうか。聖書は,「エホバの霊のある所には自由があります」と述べています。(コリント第二 3:17)そうです,エホバは自由の神です。そして,神はわたしたちをご自分の『像と様』に造られたので,わたしたちが自由の価値を認め,自由から益を得ることができるよう,自由意志を与えてくださいました。―創世記 1:26。

      自由が濫用される

      4,5 歴史を通じて自由はどのように濫用されてきましたか。

      4 歴史を通じて,他の人が自由意志を誤用したために奴隷にされたり,ひどく苦しめられたり,殺されたりした人は無数にいます。聖書には,3,500年ほど前に「エジプト人はイスラエルの子らを奴隷にして圧制の下に置いた。そして……厳しい奴隷労働……をもって彼らの生活をつらいものにしていった」と述べられています。(出エジプト記 1:13,14)アメリカーナ百科事典によると,西暦前4世紀には,アテネと他の二つのギリシャの都市の奴隷人口は約4対1の割合で自由人の人口を上回っていました。この百科事典はさらに,「ローマでは,奴隷はもともと何の権利も持っていなかった。奴隷はささいな罪のために死刑にされることがあった」と述べています。コンプトン百科事典にはこうあります。「ローマにおいて奴隷労働は国家の基盤であった。……奴隷たちは畑で,大抵は鎖につながれて働いた。夜になると一緒につながれて,半ば地下に埋もれた大きな獄に閉じ込められた」。多くの奴隷がかつては自由だったことを考えると,彼らの打ちひしがれた生活の辛さは想像に難くありません。

      5 幾世紀にもわたって,キリスト教世界は圧制的な奴隷貿易に関与してきました。ワールドブック百科事典は,「1500年代から1800年代にかけて,ヨーロッパ人は約1,000万人の黒人奴隷を船に乗せて,アフリカから西半球に運んだ」と述べています。この20世紀には,捕らえられた幾百万もの人々が,政策の一環としてナチの強制収容所で死ぬまで働かされたり殺されたりしました。犠牲者の中にはエホバの証人も数多く含まれていました。証人たちは残忍なナチ政権を支持することを拒んだために収容所に送られたのです。

      偽りの宗教への束縛

      6 古代カナンでは,偽りの宗教はどのように人々を奴隷としましたか。

      6 さらに,偽りの宗教を信奉する結果として生じる束縛もあります。例えば,古代カナンでは子供たちがモレクにいけにえとしてささげられました。この偽りの神の巨大な像の内側には,火の燃えさかる炉があったと言われています。子供たちは,像の伸ばした腕の中に生きたまま投げ込まれ,腕を通って下の火の中に落ち込みました。イスラエル人でさえ,ある者たちはこの偽りの崇拝を習わしにしたのです。神は,彼らが『自分たちの息子や娘をモレクにささげて,火の中を通らせた。そのようなことをわたしは彼らに命じもしなかった。この忌むべきことを行なうことは,わたしの心に上りもしなかった』と述べておられます。(エレミヤ 32:35)モレクは崇拝者たちにどんな益をもたらしましたか。それらカナン人の国々やモレクの崇拝は今日どこにありますか。それらすべては消滅してしまいました。それは偽りの崇拝,つまり真理ではなく偽りに基づく崇拝だったのです。―イザヤ 60:12。

      7 忌むべきどんな風習がアステカの宗教の一部となっていましたか。

      7 何世紀も昔に,中央アメリカではアステカ族が偽りの崇拝の奴隷となっていました。人格を持つ神々がおり,自然の力も神々として崇拝されました。日常生活の様々な分野にそれぞれの神がいましたし,植物にも神がいました。自殺の神もいたほどです。「アメリカ大陸の古代太陽王国」という本はこう述べています。「メキシコのアステカ族の政府は,できるだけ多くの人間の心臓をささげて目に見えない神々を支え,またなだめることができるように,その全体が組織されていた。血は神々の飲み物だった。神々への犠牲にふさわしい,いけにえ用の囚人を手に入れるために,小規模な戦争が絶えなかった」。1486年にピラミッド形の大神殿が献じられた時には,何千人ものいけにえが「列を成して,犠牲の石の上に大の字に寝かされるのを待っていた。いけにえの心臓はえぐり取られ,[太陽神をなだめるために]太陽に向かってしばし掲げられ」ました。ワールドブック百科事典は,「崇拝者たちは時折いけにえの体の一部を食べた」と述べています。しかし,それらの風習は,アステカ帝国も,その偽りの宗教も救いませんでした。

      8 アステカ族の中で生じたものよりもはるかに大規模な現代の虐殺について,ガイドは何と言わざるを得ませんでしたか。

      8 ある時,観光客たちがある博物館を見学していました。そこには,若い男性の心臓をえぐり出しているアステカの祭司たちを描いた展示ケースがありました。ガイドがその展示物について説明すると,グループの中の何人かが驚いて息を呑みました。そこでガイドはこう言いました。「若い男性を異教の神々にささげるアステカの風習に動揺しておられるようですね。でも,この20世紀には何百万もの若い男性が戦争の神にささげられてきました。アステカより少しでもましだと言えるでしょうか」。事実,戦争の際には,たいてい同じ宗教の人たちが敵味方に分かれて殺し合うにもかかわらず,すべての国の宗教指導者たちは戦勝祈願をささげ,軍隊を祝福します。―ヨハネ第一 3:10-12; 4:8,20,21; 5:3。

      9 歴史上,幼い命を最も多く奪っているのはどんな慣行ですか。

      9 モレクやアステカの神々や戦争に若者を犠牲としてささげることも,中絶によって胎児を殺すことと比べれば及びもつきません。中絶は全世界で1年に約4,000万件から5,000万件行なわれています。過去わずか3年間に中絶された胎児の数は,今世紀の戦争全部で殺された1億人という数よりも多いのです。ナチが支配した12年間に殺されたすべての人々の数倍にのぼる赤ちゃんが,毎年中絶されています。モレクやアステカの神々に犠牲としてささげられたすべての人より何千倍も多くの赤ちゃんが,ここ何十年かの間に中絶されています。しかも,中絶する人や中絶手術を行なう人の(大部分とは言わないまでも)多くは何らかの宗教を信奉しているのです。

      10 別のどんな点で人々は偽りの宗教の奴隷となっていますか。

      10 偽りの宗教は,別の点でも人々を奴隷にします。例えば,多くの人は死者が霊界で生きていると信じています。そのような偽りの信条がもたらす一つの結果は,死んだ先祖からのものとみなされる益にあずかるため,先祖を恐れたり崇拝したりすることです。このため人々は呪術医,霊媒,僧職者などの奴隷になります。それらの者は,死者をなだめようとする生きている人に手を貸す者とされており,そうするよう依頼を受けます。さて,次のような質問が生じるかもしれません。そのような奴隷状態から逃れる道はあるのでしょうか。―申命記 18:10-12。伝道の書 9:5,10。

  • 人間の「新世界秩序」は近いか
    ものみの塔 1992 | 4月1日
    • 人間の「新世界秩序」は近いか

      1 近年,より大きな政治的自由に対する欲求がどのように示されてきましたか。

      今日,無数の人々は偽りの宗教の束縛のもとにあり,多くの人はその状態にとどまることを選びます。同時に,政治的自由を要求する人はますます増えています。ここ二,三年の東ヨーロッパなどでの驚くべき出来事は,人々がより自由な形態の政府を望んでいることの証拠です。その結果,自由の新時代が近いと言う人は少なくありません。米国の大統領はそれを「新世界秩序」と呼びました。確かに,世界の指導者たちは至る所で,冷戦や軍備競争は終わったとか,人類のために平和な新時代が始まろうとしているなどと述べていました。―テサロニケ第一 5:3と比較してください。

      2,3 どんな状態が本当の自由に逆行するものとして作用していますか。

      2 しかし,たとえ人間の努力の結果として兵器が削減され,より自由な形態の支配がもたらされたとしても,それで真の自由が本当に存在することになるのでしょうか。いいえ,そうはなりません。なぜなら,すべての国はぞっとするような数々の問題を抱えているからです。民主主義諸国も例外ではありません。そこでは,貧しい人の数が増加し,何百万人もの人々が経済的に生き残るために苦闘しています。国連の報告によると,科学と医学の進歩にもかかわらず,栄養失調や予防可能な病気のために全世界で毎日平均4万人の子供たちが死んでいます。この分野の一専門家は,「貧困は,人類の将来を実際に脅かすほどの構造的な性質を帯びつつある」と述べました。

      3 それに加えて犯罪はますます悪質になり,かつてなかったほど多くの人々がその犠牲になっています。人種・政治・宗教上の憎しみが様々な国を分断しています。場所によっては,ゼカリヤ 14章13節に描かれているあの将来の時,つまり人々が「混乱し,恐れるあまり,皆自分の隣の者を捕まえて,これを攻める」時とさほど変わらない状況が見られます。(今日の英語訳)麻薬の濫用と性行為感染症が蔓延しています。何百万人もの人々がエイズに感染しており,米国だけで既に12万人以上がエイズのために亡くなっています。

      罪と死への束縛

      4,5 今日存在している自由にかかわりなく,どんな種類の束縛がすべての人を捕らえていますか。

      4 しかし,たとえそれらの悪い状態が全く存在しないとしても,人々はまだ真の自由を得たことにはなりません。すべての人は依然として束縛のもとにあります。なぜそう言えますか。例えで考えてみましょう。仮に,ある独裁者が地上のすべての人を奴隷にして全員を殺すとしたらどうでしょうか。実際のところ,わたしたちの最初の両親が神に反逆して悪魔の圧制的な支配の奴隷になった時,人類にはそれと同じことが生じたのです。―コリント第二 4:4。

      5 創世記 1章と2章が示している通り,神は人間を創造された時に,人間が地上の楽園において完全な状態で永久に生きることを意図されました。しかし,わたしたちの先祖アダムが神に反逆したため,わたしたちすべては胎内に宿された瞬間から死の宣告のもとにあります。「一人の人[人類家族の頭であるアダム]を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が……すべての人に広がった」のです。聖書が述べる通り,「死は……王として支配しました」。(ローマ 5:12,14)ですから,個人的にどれだけ多くの自由を持っているかにかかわりなく,わたしたちはみな罪と死への束縛のもとにあるのです。

      6 詩編 90編10節が書かれた時以来,平均余命がほとんど伸びていないのはなぜですか。

      6 その上,わたしたちが今持っている命は非常に限られたものです。恵まれていてもわずか数十年,恵まれていなければ,わずか数年かそれ以下です。そして,最近の研究によると,「科学と医学によって,人間の平均余命は自然の限界まで押し上げられている」のです。それは,アダムの罪の結果としてわたしたちの遺伝機構に不完全さと死が組み込まれているからです。70歳か80歳になるまで生きても,知恵がついて人生をもっと楽しめるようになるはずの時に体が衰え,最後に塵になってしまうとは,何と悲しいことなのでしょう。―詩編 90:10。

      7 人間は決して,わたしたちが望み,かつ必要としている自由の源となることができませんが,それはなぜですか。

      7 人間によるどんな種類の支配が,罪と死へのこの奴隷状態をとどめることができるでしょうか。そのようなものは一つもありません。どこの役人も科学者も医師も,病気や老齢や死の呪いからわたしたちを自由にすることはできませんし,不安,不公正,犯罪,飢え,貧困などを除くこともだれにもできません。(詩編 89:48)人間はどれほど良い意図を持っていようとも,わたしたちが望み,かつ必要としている真の自由の源となることはできないのです。―詩編 146:3。

      自由意志の誤用

      8,9 何が人類を現在の悲惨な状況に陥らせましたか。

      8 人類家族がこのような悲惨な状況に陥っているのは,アダムとエバが自由意志を誤用したからです。エルサレム聖書によると,ペテロ第一 2章16節には,「自由な人らしく振る舞いなさい。しかし,あなた方の自由を決して悪を行なう口実として使ってはなりません」と書かれています。ですから,神が人間の自由を無制限なものにしようと思っておられなかったことは明らかです。人間の自由は神の律法の境界内で行使されるべきものでした。神の律法は義にかなっており,すべての人に益となるものでした。そして,その境界内は,多くの個人的な選択の自由のために十分な余地を持つ広いものでしたから,神の支配が圧制的になることは決してあり得ませんでした。―申命記 32:4。

      9 しかし,わたしたちの最初の両親は何が善で何が悪かを自分たちで決定することを選びました。二人が故意に神の支配から抜け出したため,神は二人に対する支援を取りやめられました。(創世記 3:17-19)こうして二人は不完全になり,結果として病気と死が生じました。人類は自由の代わりに,罪と死の奴隷になりました。さらに人類は,不完全で,多くの場合冷酷な人間の支配者に翻弄されるようになりました。―申命記 32:5。

      10 エホバはどのように愛をもって事態を扱ってこられましたか。

      10 神は,人間が想像上の全き自由に関するこうした実験を行なうのを限られた期間だけ許してこられました。その結果,神から独立した人間の支配が成功するはずのないことは全く疑いの余地なく証明されます。神はそのことをご存じでした。自由意志は正しく行使すれば大変貴重なものなので,愛に動かされた神は自由意志という賜物を取り去る代わりに,現在に至るまで生じてきた事柄を一時的にお許しになりました。

      『人は自分の歩みを導くことはできない』

      11 歴史は聖書の正確さをどのように裏づけてきましたか。

      11 歴史の記録は,エレミヤ 10章23節と24節の正確さを示しています。そこにはこうあります。「自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません。エホバよ,わたしを正してください」。歴史はまた,こう言明する伝道の書 8章9節の正確さを示してきました。「人が人を支配してこれに害を及ぼした」。まさにその通りです。人類家族はこれまで次から次へと災難を経験し,最終的には全員が墓へ行きました。ローマ 8章22節に記されているように,使徒パウロは次のように述べた時に,その状況を的確に描写しました。「わたしたちが知るとおり,創造物すべては今に至るまで共にうめき,共に苦痛を抱いているのです」。そうです,神の律法からの独立は災いとなってきたのです。

      12 世の情報源は全き自由に関して何と述べていますか。

      12 「異端審問と自由」という本は,自由についてこう解説しています。「独立それ自体は必ずしも美徳ではない。さらに条件を付け加えない限り,独立は自慢の種にはならない。実際のところ,独立は利己心の一層卑しい形態の一つに過ぎない場合もある。……人間は完全に独立した生き物ではないし,愚か者でない限り,そうなることを熱望することすらできない」。また,英国のフィリップ殿下はかつてこう述べました。「気の向くまま,本能の命じるままに何でも好きな事ができるという自由は魅力的かもしれない。しかし,経験が繰り返し教えているのは,自己抑制のない自由や……他の人を気遣わない振る舞いは,生活がどれほど豊かであっても,共同社会の生活の質を必ず破壊するということである」。

      だれが一番よく知っているか

      13,14 人類家族に真の自由を与えることができるのはだれだけですか。

      13 家庭をどのようにまとめたらよいかを一番よく知っているのはだれでしょうか。愛情深く,有能で,経験のある親でしょうか。それとも,年若い子供でしょうか。答えは明白です。同様に人間の創造者であられる天の父は,わたしたちにとって何が最善であるかをご存じです。神は,人間社会をどのように組織し,治めたらよいかをご存じです。すべての人に真の自由の益をもたらすには自由意志をどのように律すべきかもご存じです。全能の神エホバだけが,人類家族を束縛から引き上げ,すべての人に真の自由を与える方法をご存じなのです。―イザヤ 48:17-19。

      14 み言葉のローマ 8章21節の中で,エホバは次のような人を元気づける約束をしておられます。「創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです」。そうです,神は人類家族を現在の惨めな状態から完全に自由にすると約束しておられるのです。次の記事では,それがどのようになされるかについて討議します。

  • 自由の行き渡る神の新しい世を歓呼して迎える
    ものみの塔 1992 | 4月1日
    • 自由の行き渡る神の新しい世を歓呼して迎える

      「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」― 啓示 21:4。

      1,2 だれだけが真の自由をもたらすことができますか。その方について聖書から何を学ぶことができますか。

      歴史は,預言者エレミヤが次のように述べた事柄の真実さを証明しています。「地の人の道はその人に属していない(のです)。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」。人の歩みを正しく導くことができるのはだれだけですか。エレミヤはこう言葉を続けました。「エホバよ,わたしを正してください」。(エレミヤ 10:23,24)そうです,エホバだけが,人類家族を悩ましている数々の問題からの真の自由をもたらすことができるのです。

      2 聖書には,ご自分に仕える者たちに自由をもたらすエホバの能力に関する数多くの実例が収められています。「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。(ローマ 15:4)また,偽りの崇拝に対するエホバの裁きも記録されており,それらは「事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告」として役立ちます。―コリント第一 10:11。

      ご自分の民を自由にされる

      3 エジプトで,エホバはご自分の民を自由にする能力をどのように示されましたか。

      3 偽りの崇拝に裁きを執行し,神のご意志を行なう者たちを自由にする神の能力の一例は,古代の神の民がエジプトで奴隷となっていた時に示されました。出エジプト記 2章23節から25節には,「奴隷状態ゆえに助けを求めるその叫びが終始まことの神のもとに上った。やがて神は彼らのうめきを聞(か)れた」とあります。全能の神は,ご自分がエジプトの偽りの神々よりも優れていることを畏怖の念を抱かせる仕方で示すために,エジプトに十の災厄をもたらされました。それぞれの災厄はエジプトの神々をひとりずつ辱めるよう考えられたもので,そうした神々が偽りであり,自分たちを崇拝するエジプト人を助けることができないということを明らかにしました。こうして神はご自分の民を自由にされ,ファラオとその軍隊を紅海で滅ぼされました。―出エジプト記 7章から14章。

      4 神はカナン人に裁きを執行されましたが,それが不当な処置でなかったと言えるのはなぜですか。

      4 神がイスラエルをカナンに導き入れられた時,悪霊を崇拝するカナンの住民は滅ぼされ,その地は神の民に与えられました。エホバは宇宙主権者として,堕落した宗教に裁きを執行する権利をお持ちです。(創世記 15:16)さらに,カナン人の宗教について,ハーレーの「バイブル・ハンドブック」はこう述べています。「カナン人の神々の崇拝は,甚だしく度を過ごしたお祭り騒ぎにあった。彼らの神殿は悪徳の中心地であった。……カナン人は,自分たちの神々の前で宗教祭儀として不道徳行為にふけり,それからその同じ神々への犠牲として自分たちの初子を殺す,という崇拝を行なった。カナンの地は国家的な規模でほとんどソドムとゴモラのようになっていたと思われる」。ハーレーはこう付け加えています。「このような忌まわしい汚れと残虐の文明にそれ以上存続する権利があっただろうか。……カナン人の町々の遺跡を発掘する考古学者たちは,神がもっと早く滅ぼさなかったことをいぶかっている」。

      5 神が古代のご自分の民を自由にされたことは,どのように現代のための型となっていますか。

      5 神が偽りの崇拝に対して行動し,ご自分の契約の民を自由にし,彼らに約束の地を与えられたことに関するこのような記述は,将来の出来事の一つの型となっています。それは,神がこの世の偽りの宗教とその支持者たちを打ち砕き,義の行き渡る新しい世へ現代のご自分の僕たちを招き入れられる非常に近い将来を指し示しています。―啓示 7:9,10,13,14。ペテロ第二 3:10-13。

      神の新しい世での真の自由

      6 神が新しい世でお与えになる驚くべき自由にはどんなものがありますか。

      6 新しい世において,神は人類家族のために意図してこられた自由の驚くべき様々な面すべてをご自分の民に祝福としてお与えになります。そこには,政治・経済・偽りの宗教上の分子による抑圧からの自由があります。罪と死からの自由があり,人々には地上で永遠に生きる見込みがあります。「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住む」のです。―詩編 37:29。マタイ 5:5。

      7,8 新しい世で完全な健康を取り戻すとき,どんなことを経験しますか。

      7 その新しい世が招来されてから間もなくして,新しい世の住民は活力のみなぎる健康へと奇跡的に回復させられます。ヨブ 33章25節は,「彼の肉は若いころよりもみずみずしくなり,その若い時の精力の日に返るように」と述べています。イザヤ 35章5節と6節には,「その時,盲人の目は開かれ,耳の聞こえない者の耳も開けられる。その時,足のなえた者は雄鹿のように登って行き,口のきけない者の舌はうれしさの余り叫びを上げる」と約束されています。

      8 読者の中で老齢のためや健康が優れないために身体的な病気を患っている方々は,自分が新しい世で毎朝健康と精力にあふれて目を覚ますところを想像してみてください。しわがなくなり,すべすべした健康的な肌に変わっています。もうスキンローションはいりません。かすんだ目や見えない目は完全な視力を取り戻しています。もう眼鏡はいりません。聴力も完全に回復しています。補聴器を投げ捨ててください。不自由だった手足は今では強くなり,悪いところも治っています。杖や松葉杖や車椅子を処分してください。もう病気はありません。薬を全部捨ててください。それでイザヤ 33章24節は,「『わたしは病気だ』と言う居住者はいない」と予告しています。イザヤはさらに,「彼らは歓喜と歓びを得,悲嘆と溜め息は必ず逃げ去るのである」と述べています。―イザヤ 35:10。

      9 どのようにして戦争は永遠になくなりますか。

      9 戦争の犠牲になる人はもはや一人もいません。「神は地の果てに至るまで戦いをやめさせておられる。神は弓を折り,槍を断ち切り,もろもろの車を火で焼かれる」のです。(詩編 46:9)神の王国の支配者キリスト・イエスは兵器の存在を二度と許されません。イザヤ 9章6節はイエスのことを「平和の君」と呼んでおり,続く7節は,「君としてのその豊かな支配と平和に終わりはない」と述べています。

      10,11 地球にとって,全き平和はどんな意味を持つことになりますか。

      10 兵器がないということは,人類にとって,そしてこの地球にとって何と大きな祝福なのでしょう。現在,以前の戦争で使用された兵器がいまだに人々の命を奪っています。フランス一国だけでも,1945年以来600人以上の不発弾処理専門家が,以前の戦争の置きみやげとも言うべき爆薬を除去する際に命を落としています。フランスの不発弾処理局の局長はこう述べました。「今でも1870年の普仏戦争当時の不発砲弾が発見されている。第一次世界大戦当時の毒ガス手投げ弾が無数に沈んでいる湖は幾つもある。農家の人がトラクターに乗って,第二次世界大戦当時の対戦車地雷の上を通って爆死してしまうことも時々ある。そのような物は至る所にある」。2年前にニューヨーク・タイムズ紙はこう書きました。「第二次世界大戦後の45年間に,[不発弾処理部隊はフランスの]国土から,1,600万個の砲弾と49万個の爆弾と60万個の機雷を取り除いた。……いまだに柵が巡らされ,兵器類が膝の高さにまで積み上げられ,『触るな。命の危険あり!』という警告札に囲まれた土地が何百万エーカーも残っている」。

      11 新しい世は何と異なったものになるのでしょう。すべての人に立派な家,豊かな食物,そして地球全体を楽園に変えるという報いの大きい平和的な仕事があります。(詩編 72:16。イザヤ 25:6; 65:17-25)人々が,そして地球が無数の爆発物による攻撃を受けることは二度とありません。そのような新しい世こそ,イエスがご自分に対する信仰を示した人に「あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と述べたときに考えておられたものです。―ルカ 23:43。

      命のための世界的な教育

      12,13 現代に関して,イエスとイザヤはどんな世界的な教育の業を予告しましたか。

      12 人は神の新しい世について学ぶとき,現代,エホバが真の崇拝のために組織された世界的な会衆を生み出してこられたということも学びます。その会衆は新しい世の中核となります。そして神は今,ご自分の目的について他の人々に教えるためにその会衆を用いておられます。このクリスチャンの組織は,かつてない性質と規模を持つ世界的な教育の業を行なっています。イエスはその業がなされることを予告して,こう言われました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。

      13 イザヤもこの世界的な教育の業について述べました。「末の日[現代]に,エホバの家の山[エホバの高められた真の崇拝]は……堅く据えられ,……すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かう。そして多くの民は必ず行って,こう言う。『来なさい。エホバの山に……上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう』」― イザヤ 2:2,3。

      14 今日,神の民をどのように見分けることができますか。

      14 ですから,神の王国に関する世界的な証言の業は,わたしたちがこの邪悪な体制の終わり近くにいること,そして真の自由が近づいていることの強力な証拠なのです。神の新しい世に関する希望に満ちた音信を携えて人々を訪ねる人たちは,使徒 15章14節で,「[神の]み名のための民」と呼ばれています。では,エホバのみ名を負い,エホバとその王国について世界的な証言を行なっているのはだれですか。20世紀の歴史の記録が答えるところによると,それはエホバの証人だけです。今日,全世界の6万6,000以上の会衆に交わるエホバの証人は400万人以上を数えます。―イザヤ 43:10-12。使徒 2:21。

      15 政治上の事柄に関して,神の真の僕をどのように見分けることができますか。

      15 エホバの証人が王国を宣べ伝える業に関する預言を成就していることを示す別の証拠は,イザヤ 2章4節にこう記されています。「彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない」。ですから,神の王国の支配に関する世界的な宣べ伝える業を行なっている者たちは『もはや戦いを学んでは』ならないのです。イエスは彼らが『世のものであっては』ならないと言われました。(ヨハネ 17:16)これは,彼らが国家間の論争や戦争においていずれかの側を支持するのではなく,政治上の事柄において中立でなければならないということです。では,世のものではなく,もはや戦いを学んでいないのはだれですか。20世紀の歴史の記録の証言によると,やはり,それはエホバの証人だけです。

      16 神の世界的な教育の業はどれほど徹底的なものとなりますか。

      16 エホバの証人の世界的な教育の業は,この現存する邪悪な世に神が終わりをもたらされた後も続けられるでしょう。イザヤ 54章13節は,「あなたの子らは皆エホバに教えられる者とな(る)であろう」と述べています。この教える業は非常に徹底的なものとなるので,イザヤ 11章9節は,「水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちる」と予告しています。この古い世の終わりを生き残る者たちや,新しい世で生まれるかもしれない子供たちだけでなく,復活によって生き返る何十億という人々にも継続的な教育が必要です。最終的に,地上で生活するすべての人が,神の律法の境界内で自由意志を正しく行使することを教えられるでしょう。その結果どうなりますか。「柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだす」でしょう。―詩編 37:11。

      今でさえ得られる大きな自由

      17 モーセは何をするよう古代の神の民に告げましたか。

      17 古代イスラエル人が約束の地の門口にいたときのこと,モーセは彼らに話してこう言いました。「わたしはあなた方に,規定と司法上の定めを,わたしの神エホバがわたしに命じたとおりに教えた。それは,あなた方が行って取得する地でそのとおりに行なうためであった。ゆえにあなた方はそれを守って行なわなければならない。それらのすべての規定について聞くもろもろの民の目の前で,それはあなた方の知恵,あなた方の悟りとなるからである。彼らは必ず言うであろう,『この大いなる国民は確かに知恵と悟りのある民だ』と。わたしたちの神エホバはいつでもわたしたちが呼び求めるとき近くにいてくださるが,そのようにして神々を持つどんな大いなる国民があるだろうか」― 申命記 4:5-7。

      18 神に仕える者たちには,今でさえどんな大きな自由がもたらされていますか。

      18 今日,エホバを崇拝する何百万もの人々も,約束の地,つまり新しい世の門口にいます。彼らが神の律法に従うゆえに,神は彼らの近くにおられ,彼らは他のすべての人々から際立っています。神はすでに彼らを,偽りの宗教の考え,人種差別,麻薬の違法な使用,国家主義,戦争,蔓延する性行為感染症などから自由にしておられます。その上,神は彼らを愛に基づく破れることのない国際的な兄弟関係のもとに一致させておられます。(ヨハネ 13:35)彼らは将来に関して不安を覚えたりせず,「心の良い状態のゆえに喜び叫(び)」ます。(イザヤ 65:14)彼らは支配者としての神に仕えることにより,今でさえ本当に大きな自由を享受しています。―使徒 5:29,32。コリント第二 4:7。ヨハネ第一 5:3。

      他の人々を偽りの信条から自由にする

      19,20 人々は死者の状態に関する聖書の教えによってどのように自由にされますか。

      19 エホバの証人から伝道を受ける人々の中にも,これらの自由を見いだすようになる人は少なくありません。例えば先祖崇拝が行なわれている土地で,エホバの証人は,死者はどこかで生きているわけではないので生きている人を害することはできないということを他の人たちに教えています。証人たちは,「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ者には何の意識もな(い)」と述べる伝道の書 9章5節を示します。また,詩編 146編4節の,人は死ぬと「自分の地面に帰る。その日に彼の考えは滅びうせる」という言葉も引用します。このように,聖書が示すところによると,癒しを行なったり生きている人をおびえさせたりするような亡霊や不滅の魂は存在しません。ですから,汗水たらして稼いだお金を,呪術医や司祭に儀式をしてもらう代金として浪費する必要はないのです。

      20 そのような聖書の正確な知識は,地獄の火や煉獄といった偽りの教えから人々を自由にします。死者は深く眠っているかのように無意識であるという聖書の真理を学ぶと,人々は亡くなった家族に生じている事柄について,もはや心配しなくなります。それどころか,彼らは驚くべき時を心待ちにしています。使徒パウロはその時のことについて語り,「義者と不義者との復活がある」と述べました。―使徒 24:15。

      21 それら復活させられる人々の中にはどんな人たちが含まれるに違いありませんか。彼らは恐らくどんな反応を示しますか。

      21 死者は復活の際に,アダムに起因する受け継いだ死から永遠に自由にされた地上の命へとよみがえらされます。復活させられる人々の中には,モレクなどのカナン人の神々へのいけにえにされた子供たちや,アステカの神々に犠牲としてささげられた若者たち,そして戦争の神にささげられた数え切れないほど大勢の人たちが含まれるに違いありません。かつて偽りの信条の犠牲となったそれらの人たちは本当に驚き,また喜ぶことでしょう。復活させられたそのような人々は,その時,「死よ,お前のとげはどこにあるのか。シェオルよ,お前の破壊力はどこにあるのか」と喜びの声を上げることができます。―ホセア 13:14。

      エホバを求める

      22 神の新しい世で生活したいなら,何を忘れてはなりませんか。

      22 あなたは,真の自由の行き渡る神の義の新しい世で生活したいと思いますか。そうであるなら,歴代第二 15章2節のこの言葉を心に銘記してください。「あなた方がエホバと共にいる限り,神はあなた方と共におられます。もしあなた方が神を求めるなら,神はあなた方に見いだされるようにされますが,もしあなた方が神を捨てるなら,神もあなた方を捨てられるでしょう」。また,神について学び,神を喜ばせようとするあなたの誠実な努力が見過ごされることはないという点を忘れないでください。ヘブライ 11章6節は,神は「ご自分を切に求める者に報いてくださる」方であると述べています。そしてローマ 10章11節には,「彼に信仰を置く者はだれも失望させられない」とあります。

      23 自由の行き渡る神の新しい世を歓呼して迎えるべきなのはなぜですか。

      23 真の自由の行き渡る神の新しい世は間近に迫っています。そこでは「創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようにな(り)」ます。そして,「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」のです。(ローマ 8:21。啓示 21:4)その時,エホバの僕はみな頭を上げて,自由の行き渡る神の新しい世を歓呼して迎え,こう叫ぶことでしょう。『エホバよ,真の自由がついに実現したことをあなたに感謝します!』

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