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本当の自由を得るものみの塔(研究用)2018 | 4月
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本当の自由を得る
「もし子があなた方を自由にするならば,あなた方は本当に自由になるのです」。ヨハネ 8:36
1,2. (イ)今日,人々はどんな自由を得たいと思っていますか。そのためにどんな行動をしていますか。(ロ)どんな結果が生じていますか。
今日,多くの人は自由や平等や権利について語ります。圧制,差別,貧困からの自由を望む人たちもいれば,言論の自由,選択の自由,自己決定の自由を求める人たちもいます。人々は自分のしたいことをしたい,自分の望むとおりに生きたいと願っています。
2 そうした願いを満たすため,どんな行動をしているでしょうか。多くの人は社会的,政治的な変化を求めて,反対運動やデモや暴動や革命といった手段に訴えています。望むような自由を手にしているでしょうか。いいえ。悲惨な結果を被ったり,命を失ったりしています。ソロモン王の次の言葉のとおりです。「人が人を支配してこれに害を及ぼした」。(伝 8:9)
3. どうすれば本当の幸福と満足感を得ることができますか。
3 どうすれば本当の幸福と満足感を得られるでしょうか。弟子ヤコブはこう述べています。「自由に属する完全な律法の中を熟視し,それを守り通す人[は],それを行なうことによって幸福になります」。(ヤコ 1:25)その完全な律法をお与えになったエホバは,人間が本当の幸福と満足感を得るために必要なものを最もよくご存じです。神は最初の人間夫婦に,幸福になるために必要なものすべてをお与えになりました。その中には本当の自由も含まれていました。
人間が本当の自由を楽しんでいた時
4. アダムとエバはどんな自由を楽しんでいましたか。(冒頭の挿絵を参照。)
4 創世記 1章と2章を読むと,アダムとエバは,今日の人々がなかなか得られない自由を楽しんでいたことが分かります。貧困,恐れ,圧制からの自由です。食べ物や仕事や病気や死について心配する必要はありませんでした。(創 1:27-29; 2:8,9,15)では,2人には絶対的な自由があったのでしょうか。
5. 人々が自由を楽しむためには何が必要ですか。
5 今日多くの人にとって本当の自由とは,結果を気にせず自分のしたいことを何でもすることです。「ワールドブック百科事典」(英語)によると,自由とは「選択する能力と,選択したことを実行する能力」のことです。では制限は全く必要ないのでしょうか。こうも述べられています。「法的に言うと,自由とは,社会から不当,不必要,不合理な制限を課されていないことである」。制限が全く必要ないとは述べられていません。実際,すべての人が社会の中で自由を楽しむには,正当で必要で道理にかなった制限がなければなりません。では,ある制限が正当で必要で道理にかなっているかどうかを決める権利はだれにあるのでしょうか。
6. (イ)エホバだけが絶対的な自由を持っておられる,と言えるのはなぜですか。(ロ)人間に与えられているのはどんな自由ですか。
6 絶対的で無制限の自由を持っているのはエホバ神だけです。エホバはすべてのものの創造者であり,全能の宇宙主権者だからです。(テモ一 1:17。啓 4:11)ダビデ王は,エホバの比類のない立場を美しく描写しました。(歴代第一 29:11,12を読む。)天使や人間が持つ自由は相対的なものにすぎません。エホバ神だけが,正当で必要で道理にかなった制限を課す権威をお持ちです。天使や人間はその点を認めなければなりません。エホバ神は,最初の人間夫婦にそのような制限を課されました。
7. 人はどんな本能的な活動から喜びを味わいますか。
7 アダムとエバは様々な自由を楽しんでいましたが,制限も課されていました。本能による制限もありました。生きていくには,呼吸したり,食べたり,眠ったりしなければなりませんでした。だからといって,自由が奪われているとは感じなかったはずです。エホバは,人間がそのような活動から喜びや満足を味わえるようにされたからです。(詩 104:14,15。伝 3:12,13)新鮮な空気を吸ったり,大好きな物を食べたり,さわやかに目覚めたりすると,幸せな気持ちになります。束縛されているとか重荷であると感じたりはしません。アダムとエバもそうだったでしょう。
8. 神はアダムとエバにどんな命令をお与えになりましたか。どんな目的を達成するためですか。
8 エホバはアダムとエバに,子孫を増やして地球を管理するよう命じました。(創 1:28)この命令によって,自由が奪われたでしょうか。そのようなことはありません。この命令に従うなら,創造者の目的の達成に貢献できました。地球全体をパラダイスにし,完全な人間がそこで永遠に生きるようにするという目的です。(イザ 45:18)今日,独身でいることや,結婚しても子どもを持たないことは,神の目的に反してはいません。それでも,多くの人は結婚し,子どもを育てます。いろいろな苦労が伴うとしてもそうします。(コリ一 7:36-38)なぜでしょうか。人は普通,結婚し子どもを育てることに喜びや満足を感じるからです。(詩 127:3)アダムとエバには,幸福な家族生活を送り,永遠に生きる見込みがありました。
本当の自由が失われる
9. 創世記 2章17節にある神の命令は,不当で不必要で不合理なものではありません。なぜそう言えますか。
9 エホバはアダムとエバにもう一つの命令を与え,従わないならどうなるかをはっきり述べられました。「善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」。(創 2:17)この命令は,不当で不必要で不合理なものだったでしょうか。アダムとエバは自由を奪われましたか。そのようなことはありません。多くの聖書学者は,この命令が正当で道理にかなったものであると述べています。例えば,ある学者はこう書いています。「[創世記 2章16,17節]の神の命令から分かるのは,人間にとって何が良いこと……で何が良くないこと……かを知っているのは神だけである,ということである。『良い』ものを楽しむためには,神を信頼し,神に従わなければならない。もし従わないなら,何が良いこと……で何が良くないこと……かを自分で決めなければならなくなる」。それは人間には重すぎる荷です。
アダムとエバの選択は悲惨な結果を招いた。(9-12節を参照。)
10. 自由意志と,何が良いことか悪いことかを決める権利を混同すべきでないのはなぜですか。
10 アダムはエホバからこの命令を与えられたことで,自分のしたいことをする自由を奪われた,と言う人がいます。そのように言う人は,自由意志と,何が良いことか悪いことかを決める権利を混同しています。確かに,アダムとエバには神に従うかどうかを選ぶ自由がありました。しかし,何が良いことか悪いことかを決める絶対的な権利をお持ちなのはエホバだけです。エデンの園の「善悪の知識の木」はその権利を表わしていました。(創 2:9)わたしたちは,自分の選択の結果がどうなるか,いつも分かるわけではありません。必ず良い結果になるよう物事を操作することもできません。うまくいくと思って選択や決定をしても,苦しんだり悲惨な結果になったりすることがあります。(箴 14:12)人間には限界があるからです。エホバはアダムとエバに命令を与えることにより,本当の自由を楽しむには神に従う必要があることを教えておられました。アダムとエバはどうしましたか。
11,12. アダムとエバの選択が悲惨な結果になったのはなぜですか。例えで説明してください。
11 アダムとエバは神に背くことを選びました。サタンはエバに,「あなた方の目[は]必ず開け,あなた方[は]必ず神のようになって善悪を知るようになる」と述べました。エバはその誘惑に屈してしまいました。(創 3:5)アダムとエバは,より大きな自由を得られたでしょうか。いいえ。サタンが述べたとおりにはなりませんでした。2人は,エホバの指示に背いて自分の思いどおりに行動するなら悲惨な結果になる,ということを思い知りました。(創 3:16-19)エホバは人間に,何が良いことか悪いことかを自分で決める自由を与えておられなかったのです。(箴言 20:24; エレミヤ 10:23を読む。)
12 パイロットの例で考えましょう。目的地に安全に着くためには,通常,定められたルートを通らなければなりません。パイロットはナビゲーション・システムを使い,管制官と連絡を取りながら目的地まで飛行します。でも,ナビゲーション・システムのガイダンスや管制官の指示を無視し,自分の望むルートを飛行するなら,悲惨な結果になります。アダムとエバは神の指示を無視し,自分の望むとおりに行動しました。その結果,いわば墜落して,自分たちと子孫に罪と死をもたらしました。(ロマ 5:12)神から独立しようとした結果,本当の自由を失ったのです。
本当の自由を得るには
13,14. どうすれば本当の自由を得られますか。
13 自由であればあるほど幸せになれる,と考える人もいます。確かに,自由には良い面がたくさんあります。しかし,何の制限もなかったら,世の中は混乱状態に陥るでしょう。「ワールドブック百科事典」には,「組織化された社会の法律は,自由と制限のバランスを保つための複雑な規範である」と記されています。「複雑な」という言葉のとおり,人間は膨大な量の法律を作りました。また,法律を解釈し適用するために大勢の弁護士と裁判官が必要です。
14 他方,イエス・キリストは本当の自由を楽しむためのシンプルな方法を教え,こう述べました。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。(ヨハ 8:31,32)本当の自由を得るには,2つのことを行なう必要があります。イエスが教えた真理を受け入れることと,イエスの弟子になることです。何から自由にされるのでしょうか。イエスはこう述べました。「すべて罪を行なう者は罪の奴隷です。……もし子があなた方を自由にするならば,あなた方は本当に自由になるのです」。(ヨハ 8:34,36)
15. イエスの約束した自由が「本当[の]自由」と言えるのはなぜですか。
15 イエスが弟子たちに約束した自由は,多くの人が望んでいる社会的,政治的自由よりはるかに優れたものです。イエスは「もし子があなた方を自由にするならば,あなた方は本当に自由になるのです」と言った時,「罪の奴隷」状態から自由にされることについて述べていました。それは,人類が経験してきた最大の束縛と抑圧からの自由です。人類が罪の奴隷と言えるのはなぜでしょうか。わたしたちは受け継いだ罪のせいで悪いことを行なってしまいます。正しいと分かっていることや,したいと思っていることを十分に行なえません。その結果,挫折感や苦しみを味わい,やがて死んでしまいます。(ロマ 6:23)使徒パウロもそのような苦悩や心痛を経験しました。(ローマ 7:21-25を読む。)わたしたちは罪の束縛から解放されて初めて,アダムとエバがかつて楽しんでいた本当の自由を得ることができます。
16. どうすれば本当に自由になれますか。
16 「わたしの言葉のうちにとどまっているなら」というイエスの言葉から分かるように,自由を得るためには行なうべきことや避けるべきことがあります。献身したクリスチャンは,自分を捨て,キリストの教えという制限の中で生きることを選びました。(マタ 16:24)将来,イエスの贖いの犠牲が十分に適用される時,わたしたちは本当に自由になることができます。
17. (イ)どうすれば満足のいく充実した生き方ができますか。(ロ)次の記事ではどんなことを学びますか。
17 イエスの弟子としてイエスの教えに従うなら,満足のいく充実した生き方ができます。そして将来,罪と死の奴隷状態から完全に自由にされます。(ローマ 8:1,2,20,21を読む。)次の記事では,自由の神エホバを永遠に賛美するため,得ている自由をどのように賢く用いることができるかを学びます。
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自由の神エホバに仕えるものみの塔(研究用)2018 | 4月
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自由の神エホバに仕える
「エホバの霊のある所には自由があります」。コリント第二 3:17
1,2. (イ)使徒パウロの時代,人々が奴隷制度や自由に関心を持っていたのはなぜですか。(ロ)パウロは本当の自由を与えてくださるのがだれであると述べましたか。
初期クリスチャンが生活していたローマ帝国の人々は,自分たちの法律や司法制度や自由を誇りにしていました。しかし,ローマ帝国の権力と栄光は奴隷制度の上に築かれたものでした。人口の30%ほどが奴隷だった時期もあります。ですから,クリスチャンを含め,人々は奴隷制度や自由に深い関心がありました。
2 使徒パウロは手紙の中で,自由について多くのことを述べました。しかし,パウロの宣教の目的は,当時の人々が願っていた社会的,政治的改革ではありませんでした。パウロと仲間のクリスチャンは,人間の支配者や組織の力で自由を達成しようとはしませんでした。むしろ,神の王国の良い知らせを伝え,キリスト・イエスの贖いの犠牲の素晴らしい価値について教えました。パウロは,本当の自由を与えてくださる方に注意を向けました。例えば,コリント人への第二の手紙の中でこう述べています。「エホバは霊です。そしてエホバの霊のある所には自由があります」。(コリ二 3:17)
3,4. (イ)パウロはコリント第二 3章17節の少し前でどんなことを述べましたか。(ロ)エホバが与えてくださる自由を楽しむには,何をしなければなりませんか。
3 パウロはこの記述の少し前で,エホバの使いの前に出たモーセがシナイ山を下りて来た時,その顔が光を放っていたと述べています。モーセは,人々が自分を見て恐れたため,顔にベールを掛けました。(出 34:29,30,33。コリ二 3:7,13)パウロはこう述べています。「しかし,転じてエホバに向かうとき,ベールは取り除かれるのです」。(コリ二 3:16)どういう意味でしょうか。
4 前の記事で学んだように,創造者であるエホバだけが絶対的で無制限の自由をお持ちです。ですから,「エホバの霊のある所」には自由があります。その自由を楽しむためには,「転じてエホバに向かう」必要があります。エホバとの親しい関係を持たなければならないのです。イスラエル人は荒野にいた時,エホバがしてくださったことに対して人間的な見方を抱きました。思いと心にベールが掛けられ,頑固になっていました。エジプトの奴隷状態から自由にされましたが,その自由を用いて自分たちの欲望を満たそうとしたのです。(ヘブ 3:8-10)
5. (イ)エホバの霊はどんな自由をもたらしますか。(ロ)投獄されたり奴隷状態にあったりしても,エホバから与えられた自由を楽しむことができます。なぜそう言えますか。(ハ)これからどんな点を考えますか。
5 エホバの霊は,文字どおりの奴隷状態からの自由よりはるかに優れた自由をもたらします。人間の努力では決して得られない自由,つまり罪と死からの自由や偽りの崇拝とその慣行からの自由です。(ロマ 6:23; 8:2)素晴らしい自由ではないでしょうか。投獄されていても奴隷状態にあっても,その自由は失われません。(創 39:20-23)信仰ゆえに何年も投獄されたナンシー・ユエン姉妹やハロルド・キング兄弟は,そのような自由を得ていました。2人の経験はJW Broadcasting(ホーム > ビデオ・オンデマンド > 経験とインタビュー > 試練を忍耐する)で視聴できます。では,わたしたちは自由を大切にしていることをどのように示せるでしょうか。この自由を賢く用いるために何ができますか。
神から与えられた自由を大切にする
6. イスラエル人がエホバから与えられた自由に感謝しなかったことは,どんなことから分かりますか。
6 価値ある贈り物をもらうと,贈り主に感謝したいと思うものです。イスラエル人はエジプトの奴隷状態から救出されましたが,エホバから与えられた自由に感謝しませんでした。数か月後にはマナについて不平を言い出し,エジプトで食べていたものが懐かしいと述べました。エジプトに戻りたいとさえ言いました。エホバを崇拝するために与えられた自由よりも,「魚[や]きゅうりやすいかやにらや玉ねぎやにんにく」のほうが大切だったのです。エホバが非常に怒ったのも無理はありません。(民 11:5,6,10; 14:3,4)どんな教訓を学べますか。
7. (イ)パウロはコリント第二 6章1節でどんなことを勧めましたか。パウロ自身,神から与えられた自由についてどう感じていましたか。(ロ)どのようにパウロに倣えますか。
7 パウロはすべてのクリスチャンに対し,エホバがご自分の子イエス・キリストを通して与えてくださった自由を当たり前のものと思わないよう勧めました。(コリント第二 6:1を読む。)パウロは,自分が罪と死に捕らわれていると感じて,良心の痛みを覚え,惨めな気持ちになりました。それでも,「わたしたちの主イエス・キリストを通してただ神に感謝すべきです!」と述べました。なぜでしょうか。こう書いています。「キリスト・イエスと結びついた命を与える霊,その霊の律法が,あなたを罪と死の律法から自由にしたからです」。(ロマ 7:24,25; 8:2)わたしたちも,エホバが罪と死の束縛から自由にしてくださったことを当たり前のことと思うべきではありません。贖いのおかげで,清い良心で神に仕え,深い喜びを味わうことができるからです。(詩 40:8)
選択の自由をエホバにいっそう仕えるために用いていますか。それとも自分のしたいことをするために用いていますか。(8-10節を参照。)
8,9. (イ)使徒ペテロは自由の用い方についてどんな警告を与えましたか。(ロ)今日,どんな危険がありますか。
8 わたしたちは,与えられた自由について感謝を述べるだけではなく,自由を誤用しないようにすべきです。使徒ペテロは自由を,間違った欲望を満たすための口実としないよう警告しました。(ペテロ第一 2:16を読む。)イスラエル人は荒野でそのような過ちを犯しました。わたしたちは同じ過ちをしないよう注意すべきです。イスラエル人よりも大きな危険にさらされているからです。サタンと世は,ファッションや飲食物やエンターテインメントなどを用いてわたしたちを誘惑しています。広告業界は魅力的なタレントを使って,実際には必要のない物を買わせようとします。そのようなわなに掛かって自由を誤用することのないようにしましょう。
9 ペテロの助言は,教育や仕事の選択などもっと大きな問題にも当てはまります。例えば,学校に通う若い人たちは,良い大学に行くようにという圧力を受けます。高等教育を受ければ高収入の仕事に就けると言われます。大卒の人と高卒の人の収入の差を示す統計を見せられるかもしれません。その後の人生に大きな影響がある選択なので,高等教育を受けたほうがよいと感じるかもしれません。では,若い人たちや親はどんなことを思いに留めるべきですか。
10. 個人的な選択をする際,どんなことを思いに留めるべきですか。
10 こうしたことは個人的な問題なので,良心が許す限り自由に選択できるはずだと考える人もいます。確かにわたしたちには,教育や仕事を自分で選択する自由があります。とはいえ,わたしたちの自由は相対的なものであり,どんな決定にもそれなりの結果が伴う,ということを忘れてはなりません。パウロはこう述べました。「すべての事は許されています。しかし,すべての事が益になるわけではありません。すべての事は許されています。しかし,すべての事が築き上げるわけではありません」。(コリ一 10:23)わたしたちには生活上の様々な事柄を選択する自由があるとはいえ,自分の好みよりもはるかに重要な事柄があります。
神に仕えるために自由を賢く用いる
11. わたしたちが自由にされたのは,どんな目的のためですか。
11 ペテロは自由の誤用について警告した際,自由が与えられた目的について述べ,「神の奴隷として」自由を用いるよう勧めました。エホバがイエスによって罪と死の束縛から自由にしてくださったのは,「神の奴隷として」献身にふさわしく生きるためです。
12. ノアと家族はどんな手本を示しましたか。
12 自由を誤用するなら,世の野心や欲望の奴隷になってしまいます。そうならないための最善の方法は,クリスチャンの活動に打ち込むことです。(ガラ 5:16)ノアと家族のことを考えましょう。暴力的で不道徳な世界で生活していましたが,周囲の人々のような欲望を抱いたり生き方をしたりはしませんでした。むしろ,エホバから与えられた仕事を勤勉に行ないました。箱船を建造し,自分たちと動物のための食糧を蓄え,人々に警告を与えたのです。こう記されています。「ノアはすべて神から命じられたとおりにしていった。まさにそのとおりに行なった」。(創 6:22)その結果,ノアと家族は当時の世の終わりを生き延びました。(ヘブ 11:7)
13. エホバはわたしたちに何を行なうよう命じておられますか。
13 エホバは今日,わたしたちに何を行なうよう命じておられますか。人々に良い知らせを伝えることです。イエスの弟子であるわたしたちは,そのことをよく知っています。(ルカ 4:18,19を読む。)今日,ほとんどの人たちは事物の体制の神に思いをくらまされ,宗教的,経済的,社会的に束縛されています。(コリ二 4:4)イエスに倣い,自由の神エホバについて人々に知らせ,神を崇拝するよう助けることができるのは,本当に素晴らしいことです。(マタ 28:19,20)もちろん,これは簡単な仕事ではありません。多くの難しい問題にぶつかります。無関心な人が増えており,敵意を示す人もいます。こう自問しましょう。「自分の自由を用いて,王国の活動をいっそう支持することができるだろうか」。
14,15. 多くの兄弟姉妹は宣教にどのように取り組んでいますか。(冒頭の写真を参照。)
14 多くの兄弟姉妹は今の時代の緊急性を考え,生活をシンプルにして全時間宣教を行なっています。(コリ一 9:19,23)地元の会衆で奉仕している人もいれば,必要の大きな所に移動した人もいます。現在,正規開拓者は世界に110万人以上います。過去5年間に25万人以上増加しました。大勢の人たちがエホバに仕えるための自由を賢く用いているのは素晴らしいことです。(詩 110:3)
15 兄弟姉妹が自由を賢く用いるうえで,どんなことが助けになったでしょうか。ジョンとジュディスについて考えましょう。この夫婦は過去30年間に幾つもの国で奉仕してきました。1977年に開拓奉仕学校が始まった時,必要の大きな所に移動して奉仕することが強調されました。2人はその目標を達成したいと思い,シンプルな生活を続けました。ジョンは仕事を何度も変える必要がありました。やがて2人は外国に移動しました。新しい言語を学び,新しい文化に順応し,厳しい気候に耐える必要がありましたが,エホバに祈り,エホバに頼って乗り越えることができました。これまでの奉仕を振り返ってどう感じているでしょうか。ジョンはこう言います。「最高の活動に没頭することができました。エホバが優しいお父さんであることを実感しています。ヤコブ 4章8節の『神に近づきなさい。そうすれば,神はあなた方に近づいてくださいます』という聖句の意味をよく理解できました。本当に充実した生き方です。これこそ自分が求めていたものです」。
16. 多くの兄弟姉妹はどのように自由を賢く用いていますか。
16 ジョンとジュディスとは異なり,様々な事情で短い期間しか全時間奉仕を行なえない人もいます。その中には,世界各地の建設プロジェクトに参加している人たちもいます。例えば,ニューヨーク州ウォーウィックで世界本部が建設された時,2万7000人ほどの兄弟姉妹が奉仕に参加しました。奉仕した期間は2週間や数か月や1年以上など様々ですが,みんないろいろな犠牲を払って奉仕に参加しました。神から与えられた自由を用いて,自由の神エホバを賛美したのです。何と素晴らしい手本でしょう。
17. 神から与えられた自由を賢く用いる人には,将来どんな祝福がありますか。
17 エホバを知り,エホバを崇拝することによって得られる自由を楽しめるのは,本当に感謝すべきことです。毎日行なう選択によって,この自由を大切にしていることを示しましょう。自由を誤用するのではなく,エホバにできる限り仕えるために用いましょう。そうすれば将来,エホバが約束された次の祝福を得られるでしょう。「創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになる[の]です」。(ロマ 8:21)
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