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    ものみの塔 1998 | 4月15日
    • 信仰,そしてあなたの将来

      「信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待……です」― ヘブライ 11:1。

      1 大抵の人はどんな将来を望みますか。

      あなたは将来に関心を抱いておられますか。大抵の人は関心を抱いています。人が望むのは,平和で何の不安もない,恵まれた生活状態で生産的な楽しい仕事に携わり,健康で長生きできる将来です。確かに,歴史上のどの世代も,そうしたことを望んできました。そして今日,災難に満ちたこの世界で,そのような状態はかつてなく望ましいものとなっています。

      2 ある政治家は将来に対する一つの見方をどのように言い表わしましたか。

      2 人類が21世紀を迎えようとしている今,将来を見通す方法はあるでしょうか。200年余り前,米国の政治家パトリック・ヘンリーは一つの方法を述べ,「過去を知らなければ,将来について判断を下すことはできないと思う」と言いました。この見方によれば,人間家族の将来は,人間の過去の歩みから推してかなりの程度まで知ることができます。その考えに同意する人は少なくありません。

      過去はどのようなものだったか

      3 将来の見込みに関して,歴史の記録は何を示していますか。

      3 将来が過去を反映したものになるのであれば,そのことから励みが得られるでしょうか。各時代を通じて,後の世代はそれ以前の世代よりも良くなってきたと言えるでしょうか。とてもそうは言えません。幾千年にもわたり人々は様々な希望を抱いてきたにもかかわらず,そして一部の場所では物質面で進歩が見られたにもかかわらず,歴史は圧制,犯罪,暴力,戦争,貧困などで満ちています。この世界は,おもに満足のゆかない人間の支配の引き起こす災いを次から次へと経験してきました。聖書は的確にも,「人が人を支配してこれに害を及ぼした」と述べています。―伝道の書 8:9。

      4,5 (イ)20世紀の初めごろ,人々が希望に満ちていたのはなぜですか。(ロ)将来についてのその希望はどうなりましたか。

      4 実際,人間の悲惨な歴史は繰り返しています。もっとも,その規模と被害は,繰り返すごとに一層大きくなっています。この20世紀はその点を証明しています。人類は過去の過ちから学び,過ちを繰り返さないようにしたでしょうか。今世紀の初頭,多くの人は,より良い将来に信仰を置きました。なぜなら,それまで比較的長期にわたって平和が続き,産業,科学,教育などに進歩が見られていたからです。ある大学教授によると,1900年代初期には,「人々は十分に教養を身につけていた」ゆえにもはや戦争はあり得ないと考えられていました。英国の元首相は,当時の人々の見方に関して,「すべての事が次第に良い方に向かっていた。わたしが生まれたのはそのような世界であった」と語りましたが,そのあとこう述べました。「1914年のある朝,突如,全く不意に,すべてが終わった」。

      5 当時,より良い将来を信じる気運が高まっていたにもかかわらず,世界は新しい世紀が始まるや否や,その時までに人間の起こした最悪の大惨事 ― 第一次世界大戦 ― に呑み込まれてしまいました。それがどのようなものであったかを示す一例として,1916年に英国軍がフランスのソンム川の近くでドイツ軍の前線を攻撃した時の,ある戦闘で起きた事柄を考えてください。わずか数時間で英国は2万人を失い,ドイツ側でも多くの人が殺されました。4年に及んだ殺りくで,ほぼ1,000万人の兵士と大勢の民間人の命が奪われました。フランスは,非常に多くの男子を失ったため,しばらくは人口が減りました。経済は破綻し,それが1930年代の大恐慌へとつながりました。第一次世界大戦が始まった日は世界が発狂した日だ,と言う人がいるのも当然です。

      6 第一次世界大戦後,世の中は良くなりましたか。

      6 その世代はそのような将来を望んでいたでしょうか。もちろん,そうではありません。希望は打ち砕かれました。また,そのすべてがより良い事柄のきっかけになることもありませんでした。第一次世界大戦のわずか21年後,つまり1939年,人間が引き起こした一層ひどい大惨事 ― 第二次世界大戦 ― が始まりました。男女子供約5,000万人の命が奪われました。集中爆撃によって多くの都市が破壊されました。第一次世界大戦ではわずか数時間の戦闘で何千人もの兵士が殺されたのに対し,第二次世界大戦では2発の原子爆弾によりほんの数秒で10万人余りが抹殺されました。多くの人がさらにひどいと考えるのは,ナチの強制収容所で幾百万もの人が計画的に殺害されたことでした。

      7 今世紀全体の実状はどのようなものですか。

      7 幾つかの文献によれば,もし国家間の戦争,国内紛争,および政府が自国民にもたらした死を含めると,今世紀中に殺された人の総数は約2億人に上ります。ある文献などは,3億6,000万人という数字を挙げています。そのすべてが引き起こした恐ろしい事態 ― その苦痛,涙,苦悩,損なわれた生活 ― を想像してみてください。それに加えて,平均すると毎日約4万人が貧困に関連した様々な原因で死亡しています。そのほとんどは子供たちです。また,毎日その3倍の数の命が,中絶によって奪われています。さらに約10億人は,通常の一日の仕事をするのに必要な食物も得られないほど貧しい状態にあります。こうした状態すべては,今がこの邪悪な事物の体制の「終わりの日」であることを示す,聖書預言の中で予告されていた事柄の証拠です。―テモテ第二 3:1-5,13。マタイ 24:3-12。ルカ 21:10,11。啓示 6:3-8。

      人間による解決策はない

      8 人間の指導者たちが世界の諸問題を解決できないのはなぜですか。

      8 この20世紀も終わろうとしている今,わたしたちは過去の幾世紀もの出来事に今世紀の経験を付け加えることができます。では,その歴史は何を教えているでしょうか。それは,人間の指導者たちが過去に一度も世界の主要な諸問題を解決したことがなく,現在も解決しておらず,将来にも解決できないということを教えています。指導者たちがいかに善意を抱いていようとも,わたしたちの望むような将来をもたらすことは,全く彼らの能力を超えた事柄なのです。それに,権力者たちの中にはそれほど善意を抱いていない人もいます。そのような人たちは,他の人々の益ではなく,自分自身の利己的で物質的な目的のために地位や権力を求めます。

      9 科学が人間の諸問題に対する解答を持っていると思えないのはなぜですか。

      9 科学は解答を持っているでしょうか。過去を考えると,そうは言えません。政府機関の科学者たちは巨額の資金,時間,労力を費やして非常に破壊的な化学兵器や生物兵器などを開発してきました。武器を購入する余裕などなさそうな国々も含めて諸国家は,年に7,000億㌦(約91兆円)以上を軍備に費やします。また,“科学の進歩”は,空気,土地,水,食物の汚染の一因となってきた化学物質に関しても一部の責めを負っています。

      10 教育でさえ,より良い将来を確実にするものではない,と言えるのはなぜですか。

      10 世界の教育機関は,高い道徳規準,他の人々に対する思いやり,隣人愛などを教えることによって,より良い将来を築く助けになる,と期待できるでしょうか。いいえ,できません。多くの学校は,職業に,つまりお金もうけに焦点を合わせています。そこでは協力の精神ではなく,激しい競争心がかき立てられます。また,学校は道徳を教えていません。むしろ,多くは性の自由を容認しており,その結果ティーンエージャーの妊娠や性感染症が急増しています。

      11 企業に関する記録はどのように将来に疑いを抱かせますか。

      11 世界の大企業は今後,突然に,地球を大切にする気になり,また利益だけを求めることなく本当に有益な物品を生産することによって他の人々への愛を示す気になるでしょうか。まずそのようなことは起きないでしょう。大企業は,特に若い人々の思いに腐敗的な影響を及ぼす,暴力や不道徳場面の多いテレビ番組の製作をやめるでしょうか。過去数年の状況は全く励みになりません。テレビ番組は,多くの場合,不道徳や暴力などの掃きだめとなっているからです。

      12 病気と死に関して人間はどんな状態にありますか。

      12 また,医師たちも,どれほど誠意を尽くしても病気や死をなくすことはできません。例えば,第一次世界大戦の終わりごろ,医師たちはスペイン風邪の蔓延を防止できませんでした。全世界で約2,000万人が死亡しました。今日,心臓病やガンその他の致命的な病気が猛威を振るっています。エイズという現代の疫病も,医学界は征服していません。それどころか,1997年11月に出版された国連の一報告書は,エイズウイルスの広まる速度は以前の推定値の2倍になったという結論を下しています。すでに幾百万という人々がエイズで死亡しています。最近の1年間に,さらに300万人が感染しました。

      エホバの証人は将来をどう見ているか

      13,14 (イ)エホバの証人は将来をどう見ていますか。(ロ)人間がより良い将来をもたらすことができないのはなぜですか。

      13 しかしエホバの証人は,人類には明るい将来,まさに最良の将来があると信じています。とはいえ,そのより良い将来が人間の努力によって到来する,と期待しているのではありません。むしろ,創造者エホバ神を待ち望みます。神は,将来がどのようなものになるかを,そうです,すばらしい将来になることを知っておられます。また,人間がそのような将来をもたらすことはできないことも知っておられます。人間を創造した方であるゆえに,人間の限界をほかのだれよりもずっとよく知っておられます。神はみ言葉の中で,ご自分の導きなしに首尾よく統治できる者として人間を創造したのではないことをはっきり告げておられます。神がご自分を無視した人間独自の支配を長らく許されたことにより,人間の無力さが疑問の余地なく証明されました。ある本の著者はこう認めました。「人間は主権の行使に関してあらゆる組み合わせを試みてきたが,すべて無駄であった」。

      14 エレミヤ 10章23節には,霊感を受けた預言者の言葉がこう記されています。「エホバよ,地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」。また,詩編 146編3節はこう述べています。「高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない」。実のところ,ローマ 5章12節が示すとおり,わたしたちは生まれつき不完全なので,自分自身をも信頼してはならない,と神の言葉は警告しています。エレミヤ 17章9節には,「心はほかの何物にも勝って不実であ(る)」とあります。それで箴言 28章26節は,「自分の心に依り頼んでいる者は愚鈍であり,知恵によって歩んでいる者は逃れることになる」と言明しています。

      15 わたしたちは導きとなる知恵をどこに見いだせますか。

      15 わたしたちはこの知恵をどこに見いだせるでしょうか。「エホバへの恐れは知恵の始めであり,最も聖なる方についての知識が理解なのである」。(箴言 9:10)この恐ろしい時代にあってわたしたちを導くことのできる知恵を持っておられるのはエホバだけです。エホバはその知恵を,わたしたちの指導書として霊感によって書かせた聖書から得られるようにしてくださいました。―箴言 2:1-9; 3:1-6。テモテ第二 3:16,17。

      人間の支配の将来

      16 将来を決めているのはだれですか。

      16 では,神の言葉は将来について何と述べているでしょうか。み言葉は,将来が人間の過去の歩みを反映したものになることは絶対にない,と述べています。ですから,パトリック・ヘンリーの見地は間違っていました。この地球と地上の人々の将来は,人間ではなくエホバ神によって決められるべきものです。地上で行なわれるのは神の意志であって,この世の人々または国々の意志ではありません。「人の心の中にある計画は多い。しかし,エホバの計り事が立つ」のです。―箴言 19:21。

      17,18 わたしたちの時代に対する神のご意志は何ですか。

      17 わたしたちの時代に対する神のご意志は何でしょうか。神はこの暴力的で不道徳な事物の体制を終わらせることを意図しておられます。人間の何世紀も昔からの悪い統治は,間もなく神による支配に取って代わられようとしています。ダニエル 2章44節の預言はこう述べています。「[今日存在している]それらの王たちの日に,天の神は決して滅びることのないひとつの王国を[天に]立てられます。そして,その王国はほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続きます」。その王国は悪魔サタンの邪悪な影響をも取り除きます。これは人間には決してできなかった事柄です。この世界をサタンが支配することは,その時以降永久になくなります。―ローマ 16:20。コリント第二 4:4。ヨハネ第一 5:19。

      18 その天の政府があらゆる形態の人間の支配を打ち砕いて消滅させる,という点に注目してください。この地に対する統治が人の手に委ねられることはありません。天で神の王国を構成する者たちが,地上の物事すべてを監督して人類の益となるようにするのです。(啓示 5:10; 20:4-6)地上では忠実な人々が,神の王国からの指示に協力します。イエスはその支配を祈り求めるよう教え,「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」と言われました。―マタイ 6:10。

      19,20 (イ)聖書は王国という取り決めをどのように描写していますか。(ロ)その支配は人類にどんな益をもたらしますか。

      19 エホバの証人は神の王国に信仰を置いています。使徒ペテロはその王国のことを「新しい天」と呼び,こう書いています。「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。(ペテロ第二 3:13)「新しい地」とは,神の王国である新しい天の統治を受ける新しい人間社会のことです。これは神が使徒ヨハネへの幻の中で啓示された取り決めです。ヨハネはこう書いています。「わたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去って(いた)。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」― 啓示 21:1,4。

      20 新しい地は義にかなったものとなる,という点に注目してください。不義の要素すべては,神の業であるハルマゲドンの戦いで除き去られているのです。(啓示 16:14,16)箴言 2章21,22節の預言はそのことをこう言い表わしています。「廉直な者たちが地に住み,とがめのない者たちが地に残される……。邪悪な者たちは地から断ち滅ぼされ(る)」。また,詩編 37編9節は,「悪を行なう者たちは断ち滅ぼされるが,エホバを待ち望む者たちは,地を所有する者となる」と約束しています。あなたはそのような新しい世に住みたいと思われるのではないでしょうか。

      エホバの約束に信仰を置きなさい

      21 エホバの約束に信仰を置くことができるのはなぜですか。

      21 わたしたちはエホバの約束に信仰を置くことができるでしょうか。エホバがご自分の預言者イザヤを通して述べておられる言葉に耳を傾けてください。「昔の最初のことを思い出せ。わたしは神たる者であり,ほかに神もわたしのような者もいないことを。終わりのことを初めから,また,まだ行なわれていなかったことを昔から告げる者。『わたしの計り事は立ち,わたしは自分の喜びとすることをみな行なう』と言う者」。11節の後半では,「わたしはそれを話したのである。わたしはまた,それをもたらすであろう。わたしはそれを形造ったのであり,また,それを行なうであろう」と述べられています。(イザヤ 46:9-11)そうです,エホバとその約束については,あたかもそれらの約束がすでに実現したかのようにみなせるほど確かに,信仰を持てるのです。聖書はそれをこのように表現しています。「信仰とは,望んでいる事柄に対する保証された期待であり,見えない実体についての明白な論証です」― ヘブライ 11:1。

      22 エホバは約束を果たされるとなぜ確信できますか。

      22 謙遜な人は,神が約束を果たされることを知っているので,そのような信仰を表明します。例えば,詩編 37編29節には,「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」と記されています。わたしたちはこのことを信じることができますか。確かにできます。なぜなら,ヘブライ 6章18節に,『神は偽ることができない』とあるからです。神は地を謙遜な人々に与えることができるよう所有しておられるのでしょうか。啓示 4章11節はこう言明しています。「あなたはすべてのものを創造し,あなたのご意志によってすべてのものは存在し,創造され(まし)た」。それで,詩編 24編1節は,「地とそれに満ちるもの……はエホバのものである」と述べています。エホバは地球を創造し,所有しておられ,それをご自分に信仰を抱く人々にお与えになります。このことに対する確信を強める助けとして,次の記事は,エホバが過去においても現代においてもどのようにご自分の民に対する約束を守ってこられたか,また神が今後も約束を守られることに絶対的な確信を抱けるのはなぜかを示します。

  • エホバは忠実な人々に対する約束を果たされる
    ものみの塔 1998 | 4月15日
    • エホバは忠実な人々に対する約束を果たされる

      「約束してくださったのは忠実な方……です」― ヘブライ 10:23。

      1,2 エホバの約束に全き確信を持てるのはなぜですか。

      エホバは,ご自分の僕たちがご自分とその約束に対する固い信仰を培い,それを保つことを願っておられます。人はそのような信仰を抱いて,行なうと約束した事柄を行なわれるエホバを全面的に信頼することができます。霊感によるみ言葉はこう断言しています。「万軍のエホバは誓って,言われた,『まさしく,わたしの図った通りに事は成り,わたしの計った通りのことが実現する』」― イザヤ 14:24。

      2 『万軍のエホバは誓われた』という陳述は,エホバが約束を果たすことを厳粛に誓う,ということを示しています。それゆえにみ言葉はこう述べます。「心をつくしてエホバに依り頼め。自分の理解に頼ってはならない。あなたのすべての道において神を認めよ。そうすれば,神ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる」。(箴言 3:5,6)エホバに依り頼んでその知恵に導かれてゆくとき,わたしたちの道筋は必ず永遠の命に至ります。神の知恵は「これをとらえる者たちには命の木」であるからです。―箴言 3:18。ヨハネ 17:3。

      古代における真の信仰

      3 ノアはどのようにエホバに対する信仰を示しましたか。

      3 真の信仰を持つ人々に対するエホバの業についての記録は,エホバの信頼性を証ししています。例えば,4,400年余り前,神はノアに,当時の世が地球規模の洪水によって滅ぼされることを告げました。そして,人間と動物を生き長らえさせるための巨大な箱船を建造するようお命じになりました。ノアはどうしたでしょうか。ヘブライ 11章7節はこう述べています。「信仰によって,ノアは,まだ見ていない事柄について神の警告を与えられた後,敬虔な恐れを示し,自分の家の者たちを救うために箱船を建造しました」。それまでに起きたことのなかった事柄,すなわち「まだ見ていない」事柄にノアが信仰を持ったのはなぜでしょうか。なぜなら,ノアは人類に対する神の以前の扱いについて十分に知っており,何であれ神の言われる事柄はそのとおりになるということを認識していたからです。ですからノアは,その洪水も起きると確信していたのです。―創世記 6:9-22。

      4,5 アブラハムがエホバを全く信頼していたのはなぜですか。

      4 真の信仰のもう一つの模範は,アブラハムです。およそ3,900年前,神はアブラハムに,彼が妻のサラによってもうけた独り息子イサクを犠牲としてささげるようお告げになりました。(創世記 22:1-10)アブラハムはどのように応じたでしょうか。ヘブライ 11章17節には,「信仰によって,アブラハムは,試された時,イサクをささげたも同然でした」と述べられています。しかし,最後の瞬間に,エホバのみ使いがアブラハムをとどめました。(創世記 22:11,12)それにしても,なぜアブラハムはそこまでしようと思ったのでしょうか。なぜなら,ヘブライ 11章19節にあるとおり,「彼は,神は死人の中からでも[イサク]をよみがえらせることができると考え(た)」からです。しかし,アブラハムはそれまで一度も復活を見たことがなく,それに関する以前の記録もなかったのに,どうして復活に信仰を持つことができたのでしょうか。

      5 神がアブラハムとサラに男の子を約束された時,サラは89歳であったことを思い出してください。サラの胎は子を宿す力を失っていました。いわば死んでいたのです。(創世記 18:9-14)神はサラの胎を生き返らせ,イサクが生まれました。(創世記 21:1-3)アブラハムは,神がサラの死んだ胎を生き返らせたのだから,必要なら神はイサクを生き返らせることもできる,ということを知っていました。ローマ 4章20,21節はアブラハムについてこう述べています。「神の約束のゆえに,信仰を欠いてたじろいだりすることなく,むしろ信仰によって強力になり,神に栄光を帰し,また,神はご自分の約束した事を果たすこともできるのだと十分に確信していました」。

      6 ヨシュアはエホバに対する確信をどのように言い表わしましたか。

      6 3,400年余り前,ヨシュアは100歳を超え,神がいかに信頼できる方であるかを生涯を通じて経験した後,自分が確信している理由をこう述べました。「あなた方は心をつくし魂をつくして知っているはずです。すなわち,あなた方の神エホバの話されたすべての良い言葉は,その一言といえ果たされなかったものはありません。それはあなた方にとってすべてそのとおりになりました。その一言といえ果たされなかったものはありません」― ヨシュア 23:14。

      7,8 1世紀の忠実なクリスチャンは,自分の救いにつながるどんな行動を取りましたか。そうしたのはなぜですか。

      7 約1,900年前にも大勢の謙遜な人々が真の信仰をはっきり示しました。それらの人々は,聖書預言の成就からイエスがメシアであることを悟り,イエスの教えを受け入れました。様々な事実とヘブライ語聖書に確かな根拠があったので,彼らはイエスの教えた事柄に信仰を置きました。ですから,不信仰のゆえにユダとエルサレムに神の裁きが臨むとイエスが言ったとき,それら謙遜な人々はイエスを信じました。また,自分の命を救うためにどんな行動を取るべきかについてイエスが告げたとき,そのとおりに行動しました。

      8 イエスは信者たちに,エルサレムが軍隊に包囲されたなら逃げなければならない,と告げました。実際に西暦66年,ローマ軍がエルサレムに攻めて来ました。ところがその後,説明のつかない何らかの理由で,ローマ人は撤退しました。クリスチャンにはそれがその都市から退去するための合図となりました。イエスがこう言っておられたからです。「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい。田舎にいる者は都の中に入ってはなりません」。(ルカ 21:20,21)真の信仰を持っていた人たちは,そのとおりエルサレムとその周辺地域から退去し,安全な所へ逃れました。

      信仰の欠如の結果

      9,10 (イ)宗教指導者たちはどのようにイエスに対する信仰の欠如を示しましたか。(ロ)そうした信仰の欠如はどんな結果を招きましたか。

      9 真の信仰のない人々はどうしたでしょうか。その人々は,逃げる機会があったのに逃げませんでした。自分たちの指導者たちが救ってくれる,と考えたのです。しかし,それら指導者たちとその追随者たちも,イエスがメシアであることの証拠を得ていました。それなのに,なぜイエスの言葉を受け入れなかったのでしょうか。それは,心の状態が邪悪だったからです。そのことは,以前にイエスがラザロを復活させたあと一般の人々が大勢イエスのもとに集まるのを彼らが見た時,明らかになりました。ヨハネ 11章47,48節にはこう記されています。「祭司長とパリサイ人たちは[ユダヤ人の高等法廷]サンヘドリンを召集して,こう言いはじめた。『この人[イエス]が多くのしるしを行なうのだが,我々はどうすべきだろうか。彼をこのままほっておけば,みんなが彼に信仰を持つだろう。そして,ローマ人たちがやって来て,我々の場所も国民も奪い去ってしまうだろう』」。53節はこう述べています。「こうして,彼らはその日以来,イエスを殺そうとして相談した」。

      10 イエスは何と驚くべき奇跡を行なわれたのでしょう。死んでいたラザロをよみがえらせたのです。ところが,宗教指導者たちはそのことで,イエスを亡き者にしたいと思いました。彼らの甚だしい邪悪さは,その後さらにあらわになりました。「祭司長たちは……ラザロをも殺そうと相談した。彼のために,大勢のユダヤ人がそこへ行き,イエスに信仰を持つようになったからである」。(ヨハネ 12:10,11)死んでいたラザロがよみがえらされたばかりだというのに,それら祭司たちはラザロがまた死ぬことを望んだのです。彼らは神のご意志にも民の福祉にも関心を示さず,利己的で,自分の地位や利益に関心を払いました。「彼らは,神の栄光よりも人の栄光を愛した」のです。(ヨハネ 12:43)しかし,その人々は信仰の欠如の報いを受けました。西暦70年にローマ軍が戻ってきて彼らの場所と国民を,また彼らのうちの多くを滅ぼしたのです。

      この時代にはっきり示される信仰

      11 今世紀の初めごろ,真の信仰はどのようにはっきり示されましたか。

      11 今世紀にも,真の信仰の男女が大勢います。例えば,1900年代の初めごろ,一般の人々は平和な繁栄の時代となる将来を待望していました。その同じ時に,エホバに信仰を置く人たちは,人類がやがて最悪の苦難の時代に入ることを告げ知らせていました。神の言葉はマタイ 24章やテモテ第二 3章その他の箇所でそのことを予告していたのです。それら信仰の人々の言っていた事が,実際に第一次世界大戦と共に1914年に起きました。世界は確かに,予告されていた「終わりの日」に入り,「対処しにくい危機の時代」が訪れました。(テモテ第二 3:1)世界の状態についての真理を,他の人々が知らなかったその当時,なぜエホバの僕たちは知っていたのでしょうか。なぜなら,彼らはヨシュアと同じように,エホバの言葉は一言といえ果たされないものはないという信仰を抱いていたからです。

      12 今日,エホバの僕たちは神のどんな約束を全く信頼していますか。

      12 今日,エホバに信頼を置くその僕たちの数は,世界中でほぼ600万人になっています。この人々は,神の預言の言葉が成就したことを示す証拠から,神が間もなくこの暴力的で不道徳な事物の体制を終わらせることを知っています。ですから,「世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」というヨハネ第一 2章17節の言葉どおりになる時が近いことを確信しています。神の僕たちは,エホバがその約束を果たされることを全面的に信頼しています。

      13 エホバをどれほど信頼することができますか。

      13 エホバをどれほど信頼することができるでしょうか。エホバのためなら命を懸けることができます。エホバに仕えていま命を失うとしても,エホバははるかに優れた命に復活させてくださるからです。イエスが保証しています。「記念の墓の中にいる[つまり,神に記憶されている]者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしている」のです。(ヨハネ 5:28)あなたは,それを行なえる医師,政治指導者,科学者,実業家その他の人をだれかご存じでしょうか。過去の記録は,それらの人にはそれができないことを示しています。エホバはそれができ,そうされるのです。

      忠実な人々のすばらしい将来

      14 神の言葉は忠実な人々にどんなすばらしい将来を約束していますか。

      14 イエスは,「温和な気質の人たちは幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」と言い,神の天の王国のもとに新しい世が実現することの確かさを示されました。(マタイ 5:5)その言葉は,詩編 37編29節にある神の約束,すなわち「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」という約束を補強するものでした。また,イエスが亡くなる直前に,一人の悪行者がイエスに対する信仰を表明した時,イエスはその人に,「あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」と言われました。(ルカ 23:43)そうです,神の王国の王であるイエスは,この人が地上に復活してそのパラダイスで永久に生きる機会を持てるようにされるのです。今日,エホバの王国に信仰を置く人々も,パラダイスでの生活を待ち望むことができます。その時には,「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」のです。―啓示 21:4。

      15,16 新しい世での生活が非常に平和なものになるのはなぜですか。

      15 その新しい世に思いを向けてみましょう。すでにそこで生活しているところを想像してみてください。すぐに気づくのは,どこもかしこも全く平和で人々が幸福に仲良く暮らしていることです。人々は,イザヤ 14章7節に描かれているのと同じような状態を楽しんでいます。「全地は休息し,騒乱はやんだ。民は快活になって歓呼の声を上げた」とあります。なぜそうなのでしょうか。一つの点として,家のドアに錠が付いていないことに注目してください。犯罪も暴力行為もないので,錠前は要らないのです。神の言葉が述べていたとおりです。「彼らはまさに,各々自分のぶどうの木の下,自分のいちじくの木の下に座り,これをおののかせる者はだれもいない」のです。―ミカ 4:4。

      16 もう戦争はありません。この新しい世では戦争は禁止されているからです。武器はすべて平和目的の道具に変えられています。イザヤ 2章4節が完全な意味で成就しているのです。「彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない」とあるのです。しかし,それはわたしたちの予期していた事柄でもあります。なぜでしょうか。なぜなら,新しい世に住む多くの人々は,古い世で神に仕えていた時に,そうすることを学んでいたからです。

      17 神の王国のもとではどんな生活状態が行き渡りますか。

      17 ほかの点にも気づきます。貧困が見られません。バラックに住んでいる人,ぼろをまとった人,ホームレスの人は一人もいません。どの人も快適な住まいと,美しい木や花のある管理の行き届いた所有地を持っています。(イザヤ 35:1,2; 65:21,22。エゼキエル 34:27)また,飢えはありません。神が,すべての人のために有り余るほどの食物を供給するという約束,すなわち「地には穀物が豊かに実り,山々の頂であふれんばかりに実ります」という約束を果たしておられるからです。(詩編 72:16)まさに,神の王国の指導のもとで,輝かしい楽園が全地に広がります。神が昔エデンで意図されたとおりです。―創世記 2:8。

      18 新しい世ではもはやどんな事柄が人を脅かすことはありませんか。

      18 また,驚くべきことに,どの人もみな精力的です。今や心身共に完全になっているからです。もはや病気も苦痛も死もありません。車いすや治療用ベッドの必要な人はいません。そのすべては永久に過去のものとなっているのです。(イザヤ 33:24; 35:5,6)それに,動物が人を脅かすこともありません。どんな動物も神の力によっておとなしくなっているからです。―イザヤ 11:6-8; 65:25。エゼキエル 34:25。

      19 新しい世での一日一日が「無上の喜び」の毎日となるのはなぜですか。

      19 この新しい世に住む忠実な人々により,何とすばらしい文明が作り上げられているのでしょう。人間の力や技術,また地球の資源は専ら,害ではなく益となる事柄に,また他の人と競争することではなく協力することに用いられます。また,あなたが出会う人は皆,信頼できる人です。神の約束どおり,どの人も皆『エホバに教えられた者』だからです。(イザヤ 54:13)すべての人が神の律法を守って生活しているので,地は「水が海を覆っているように……エホバについての知識で満ち(て)」います。(イザヤ 11:9)本当に,この新しい世での一日一日は,詩編 37編11節が述べていたとおりの,「無上の喜び」の毎日となります。

      幸福な将来が保証されている

      20 平和な将来を自分のものとして楽しむためには何をしなければなりませんか。

      20 その喜ばしい将来にあずかるためには何をしなければならないでしょうか。イザヤ 55章6節はこう述べています。「あなた方は見いだせるうちにエホバを尋ね求めよ。近くにおられるうちに呼びかけよ」。そして,尋ね求める際には,詩編 143編10節で述べられているような,「あなたのご意志を行なうことをわたしに教えてください。あなたはわたしの神だからです」という態度を取るべきです。そうする人は,この終わりの日の間ずっとエホバのみ前でとがめなく歩むことができ,明るい将来を待ち望めます。「とがめのない者に注目し,廉直な者を見つめよ。その人の将来は平安だからである。しかし,違犯をおかす者たちは必ず共に滅ぼし尽くされ,邪悪な者たちの将来はまさしく断ち滅ぼされるであろう」― 詩編 37:37,38。

      21,22 神は今日何を形作っておられますか。訓練はどのように行なわれていますか。

      21 まさに今エホバは,ご自分の意志を行ないたいと思う人々をすべての国から召し出しておられます。そして,ご自分の新しい地上の社会の基礎を形作っておられます。そのことは聖書預言の中でこう予告されていました。「末の日[わたしたちが今生きているこの時代]に……多くの民は必ず行って,こう言う。『来なさい。エホバの山[エホバの高められた真の崇拝]に……上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう』」― イザヤ 2:2,3。

      22 啓示 7章9節はそれらの人々を「すべての国民と部族と民と国語の中から来た……大群衆」と描写しています。14節では,「これは大患難から出て来る者たち」,すなわち現在の体制の終わりを生き残る人々であると述べられています。新しい世の基礎を成すこの人々は今やほぼ600万人になっており,これに毎年新たに大勢の人が加わっています。これらエホバの忠実な僕たちすべては,神の新しい世での生活のために訓練されています。この地球を楽園へと変えてゆくのに必要な霊的技能や他の技術を修得しています。この人々は,『約束してくださったのが忠実な方』であるゆえに,そのパラダイスが実現することに全き信頼を置いているのです。―ヘブライ 10:23。

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