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  • エホバは彼らを山々の影に隠された
    ものみの塔 2013 | 12月15日
    • 現在100歳を超えるリヒャルト・ルドルフは,「わたしたちは,そうした人間の布告によって,エホバとそのみ名をふれ告げる業が阻止されることなどない,と確信していました」と述べています。a そしてこう続けます。「聖書文書は研究や宣教の大切な道具でしたが,禁令のため入手が困難になりました。それで,どのように業を続けられるだろうかと,あれこれ考えていました」。リヒャルトは間もなく,非常に変わった方法で協力できることを知ります。山々の影で行なうのです。―裁 9:36。

  • エホバは彼らを山々の影に隠された
    ものみの塔 2013 | 12月15日
    • 巨人山脈がチェコスロバキアとドイツの国境だった1930年代,証人たちは,使われなくなった密輸者の道を利用することにします。何のためでしょうか。貴重な聖書文書を入手しやすい場所からドイツに運び入れるのです。若いリヒャルトも文書を運んだ一人でした。

      兄弟や姉妹たちはハイキングへ行く格好をして巨人山脈を越え,文書をドイツに運び入れた

      危険な“ハイキング”

      リヒャルトはこう述べます。「週末になると,若い兄弟たちが7人ほどのグループになり,ハイキングの格好をして山に向かいました。ドイツ側から山を越えてスピンドレルフ・ムリンまで3時間ほどかかりました」。スピンドレルフ・ムリンはリゾート地で,チェコ側に17㌔ほど入った所にありました。当時,その地域には大勢のドイツ人が住んでおり,農業を営んでいた一人のドイツ人が兄弟たちに協力してくれました。その人は,ふだん観光客を乗せる馬車で近くの町まで行き,プラハから鉄道で送られてきた文書の入った箱を受け取り,農場に持ち帰って干し草置き場に隠します。それを運び役の兄弟たちがドイツに運ぶのです。

      「わたしたちはその農場に着くと,リュックに文書を詰めました。そのリュックは重い荷物を運ぶためのもので,一人50㌔ほど背負って運びました」とリヒャルトは言います。警察に見つからないようにするため,暗い中を移動しました。日が暮れてから出発し,日が昇る前に家に帰り着くのです。

  • エホバは彼らを山々の影に隠された
    ものみの塔 2013 | 12月15日
    • リヒャルトはこう述懐しています。「ある日,わたしはいつもより遅くまで働かなければならず,兄弟たちより遅れてチェコに向かいました。冷たい雨の降る暗い霧の中を,震えながら歩いていると,はい松の中で道が分からなくなり,何時間もさ迷いました。このようにして命を落としたハイカーは少なくありません。帰り道を歩いていた兄弟たちとばったり出会ったのは,早朝になってからのことです」。

  • エホバは彼らを山々の影に隠された
    ものみの塔 2013 | 12月15日
    • 1936年に,ベルリンの近くの文書集積所が発見されてしまいました。見つかった物の中に,ヒルシュベルクからの送り人不明の小包が三つあり,警察は筆跡鑑定をして“密輸グループ”の主要メンバーを割り出し,逮捕しました。その後まもなく,もう二人が逮捕されますが,その一人がリヒャルト・ルドルフでした。逮捕された兄弟たちが全面的に罪を負ったので,他の兄弟たちは,文書運搬の仕事の危険性は増していたものの,その仕事をしばらく続けることができました。

  • エホバは彼らを山々の影に隠された
    ものみの塔 2013 | 12月15日
    • a 兄弟は,シュレジエン州のヒルシュベルク会衆で奉仕していました。ヒルシュベルク市は現在,ポーランド南東に位置するイェレニャ・グーラ市に相当します。

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