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  • 城門のなぞ
    ものみの塔 1988 | 8月15日
    • 城門のなぞは,聖書中の手掛かりによって予想されたとおり正確に解明されているかに思われました。しかし,南のゲゼルについてはどうでしょうか。アイルランド人の考古学者,R・A・S・マカリスターが1902年から1909年の間にそこを発掘した時には,ソロモンの業とされるものは何も見つからなかったことを,ヤディンは知っていました。ヤディンでさえ,それを「ゲゼルのなぞ」と呼びましたが,重要な手掛かりが見すごされていたのでしょうか。

      ヤディンはこう語っています。「ハツォルで発見されたものと,列王記第一の有名な一節について考えた私は,城門を発見できるのではないかという期待を抱き,改めてマカリスターの報告書を調べてみることにした。『ゲゼルのマカベア時代の城の設計図』という標題の……配置図が偶然に見つかった時の……私の驚きと抑えがたい興奮は,だれでも容易に察しがつくであろう」。マカリスターはその「城」の遺跡を,ユダヤ人のマカベア家の反乱の時(西暦前2世紀)のものとしたのです。しかしヤディンは,古いその図面の中に,『中空になった城壁,外の番小屋,そして都市の門の片側とおぼしき一層重要なもの,まさにメギドとハツォルで発見されたのと同じようなもの』を見て取れると考えました。ヤディンはそれらの手掛かりに関する論文を発表しました。後に,ウィリアム・G・デバー博士はゲゼルで発掘調査を行ないました。結果はどうだったでしょうか。デバーは,「ゲゼルを再建したのはソロモンにほかならない」と,興奮した調子で書きました。あるいは,ヤディンの表現によれば,「果たせるかな,デバーの研究班が城門の残り半分を見つけたことだけではない。層位学や陶器からも,その建物群はソロモンの時代に建設されたものであることが疑問の余地なく証明された」。

      そのようなわけで,なぞは解明されました。ヤディンは「聖書考古学者」という本(第33巻,1970年,3?)の中で次のように述べました。「同一の設計図に基づく三つの都市のソロモンの要塞は,列王記の短い聖句の助けによって,場所と年代が突き止められた」。

  • 城門のなぞ
    ものみの塔 1988 | 8月15日
    • [26ページの図版]

      ゲゼルの城門を上空から見たところ。この図面では,最初に発掘された部分(実線)と,およそ60年後に見つかった部分(点線)が示されている

      [クレジット]

      Pictorial Archive (Near Eastern History) Est.

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