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    ものみの塔 1991 | 8月15日
    • エホバの豊かな善良さ

      「あなたの善良さは何と豊かなのでしょう。あなたはそれを,あなたを恐れる者たちのために蓄えられました」― 詩編 31:19。

      1,2 (イ)遠い昔のある時点で,エホバはどんな膨大な業に着手されましたか。(ロ)エホバはご自身の創造活動の成果についてどのように述べられましたか。

      過去のある時点で,神は『天をご自分の王座,地をご自分の足台』として創造し始められました。(イザヤ 66:1)神による記録は,それがいつのことであったかを明らかにせず,ただ「初めに神は天と地を創造された」と述べています。(創世記 1:1)創造の期間中,数えきれないほど多くの星雲が形成されました。何十億という星を含む星雲も少なくありません。一つのそのような星雲の外縁に近いところに明るい星が一つあり,その星のまわりを比較的小さくて暗い幾つかの天体が回っていました。それらの天体の一つが地球と呼ばれるようになりました。輝く巨大な星々と比べると,地球は取るに足りないものでした。それでも,エホバはこの地球をご自分の足台とするよう意図されました。

      2 こうしてエホバはご自分の創造的な才能を地球という惑星に向けられました。この小さくて暗いかたまりが長い創造の「日」の六日をかけて変えられてゆく間,「全創造物の初子」は優れた働き手として神の傍らにおられました。地球は,比喩的に言って,神の足の休み場にふさわしい所となりました。(出エジプト記 20:11。コロサイ 1:15。箴言 8:30)神が,新しい形態の理知ある生物,つまり人間を置くことを意図されたのはこの地球でした。地面に含まれる諸元素から創造された最初の人間夫婦は,美しい楽園の環境の中に置かれました。(創世記 1:26,27; 2:7,8)この際立った創造の業の最終的な結果が極めて完全かつ美しいものであったため,聖書が明らかにするところによると,創造の六日目の朝つまり最終部分において神は次のように感じられました。「神は自分の造ったすべてのものをご覧になったが,見よ,それは非常に良かった」― 創世記 1:31。

      神の善良さ

      3 神のどんな際立った特質が,創造物のうちに明らかにされていますか。

      3 それから数千年後,最初の人間夫婦の子孫の一人は,創造が行なわれた時期を回顧して,「神の見えない特質,すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見える」と書きました。(ローマ 1:20)そうです,地球と地球上の被造物に見られるすばらしい卓越性は,神の見えない特質を実に見事に反映していました。神の豊かな善良さは,それらの特質の中で最も小さなものではありません。ですから,神が,ご自分の創造したすべてのものは良い,と宣言されたのは非常に適切なことでした。―詩編 31:19。

      4,5 善良さとは何ですか。

      4 善良さは,使徒パウロがガラテア 5章22節で述べた神の霊の実の6番目の面です。これまでの「ものみの塔」誌の研究では,霊の実の最初の五つが討議され,円熟したクリスチャンの人格を培う際のそれらの実の重要性が示されました。a しかし,善良さを忘れないようにするのは何と重要なことなのでしょう。ここでその特質に注意を向けるのはふさわしいことです。

      5 善良さとは何でしょうか。それは善い特質または善い状態です。それは道徳上の美点つまり徳です。ですから,善良さとは,他の人に対して有益で善い活動を行なう際に表わされる積極的な特質です。どうすれば人を引き付けるこの特質を表わせるでしょうか。基本的には,エホバに見倣うことによってそうすることができます。それで,個々のクリスチャンとしてわたしたちがどのように善良さを表わせるかをさらに討議する前に,わたしたちの愛ある神エホバが人類に必要物を与えたり人類を扱ったりする際に示してこられた善良さについて調べましょう。

      創造物に表わされた善良さ

      6 エホバは何に促されて,他の形態の理知ある生物を創造されましたか。

      6 そもそも,わたしたちの天の父は何に促されて,生きる喜びを理知ある生き物に分け与えられたのでしょうか。使徒ヨハネは『神は愛です』と述べて,その質問に答えています。(ヨハネ第一 4:8)そうです,命の源であられる偉大な方は利他的な愛に動かされて他の形態の生物を創造し,あるものには天の住まいを,あるものには地上の住まいをお与えになりました。もちろん,天や天の被造物がどのようなものであるか,わたしたちにはほとんど分かりません。天の被造物は人間の目には見えない霊者であり,彼らの住まいは霊の領域にあります。しかし,あなたの周囲の,エホバがご自分の人間の子たちにお与えになった地上の住まいを見てください。そして,人類そのものについても考えてください。そうすればあなた自身の目に,神の善良さを裏づける強力な証拠が見えてくるでしょう。

      7-9 神の善良さは,神が地球と地上の人間を創造された方法にどのように示されていますか。

      7 エホバはわたしたちの最初の二親に命をお与えになりました。それだけでなく,生活が非常に心地よく楽しいものとなるようにもされました。まず第一にエホバは,ちょうど良く回転し,適度な温度範囲と大気を備えた彼らの住まいである地球を創造されました。エホバは水と窒素と酸素の循環を開始させられ,それらの循環は人間を益するために,また人間の快適な生活のために完全に機能しました。地球の表面には,人間の食物となるものや,特に目を楽しませるものも含め,数えきれないほど多くの種類の植物を敷きつめられました。空には色彩と鳴き声で大いに楽しませてくれる鳥たちが,海には群れをなす魚が,また陸には野生のものや飼い慣らせるものを含む多種多様な動物が満ちるようにもされました。全くあふれんばかりの寛大さです。神の心からの善良さを裏づける何とすばらしい証拠なのでしょう。―詩編 104:24。

      8 では次に,神がどのように人間を造られたかに注目してください。人間の腕と足と手は人間がバランスをとって楽に動くためにまさに必要なものです。こうして人間は,自分の周囲の地上に満ちている豊富な物から,自分自身のために食物や他の必要物を手に入れることができます。飲食が,今日で言えば電気器具をコンセントにつなぐような,エネルギーを補給するために行なわれる単なる機械的な行為とならないよう,エホバは味らいを与えてくださいました。そうです,飲食はただ胃を満たすだけでなく味覚を刺激するのですから,楽しみを与えるように意図されたものなのです。さらにエホバは人間に耳を与え,それらの耳を楽しませる様々な音で人間を包まれました。気持ちを落ち着かせる小川のせせらぎ,コキジバトがクークー鳴く声,赤ちゃんがくっくっと笑う声などを聴くと本当に楽しくなります。確かに,創造以来生じてきた不快な事柄すべてにもかかわらず,神の善良さのおかげで,生きることは今でも喜びとなっています。

      9 わたしたちに備わっている他の感覚にも注目してください。変化に富んだ気持ちのよい色が何とたくさんあって,わたしたちの目を楽しませてくれるのでしょう。また,一輪の花のほのかな香りをかぐと本当に満ち足りた気持ちになります。詩編作者がエホバに向かって感嘆の声を上げたのも不思議ではありません。「わたしはあなたをたたえます。なぜなら,わたしは畏怖の念を起こさせるまでにくすしく造られているからです。……あなたのみ業はくすしいのです」― 詩編 139:14。

      人類の堕落と救出

      10 大抵の人は神の善良さにどのように反応してきましたか。それでも彼らは神の善良さから引き続きどのように益を得ていますか。

      10 悲しいことに,やがてわたしたちの最初の二親は,神が彼らに示されたすべての善良さに対する感謝の欠如を表わしました。それが明らかになったのは,二人がエホバの命令に背き,エホバが課された唯一の制限に違反した時です。その結果,彼らとその子孫は悲しみと苦しみと死を経験するようになりました。(創世記 2:16,17; 3:16-19。ローマ 5:12)その不従順な行為の後,幾千年か経過しましたが,その間人類の大部分は神の善良さに対する無関心や感謝の欠如を示してきました。しかしそれにもかかわらず,恩知らずで感謝を表わさない人々は神の善良さから依然益を得ています。どのように益を得ているのでしょうか。使徒パウロは中東のルステラの住民にこのように説明しました。「[神]は善いことを行なって,あなた方に天からの雨と実りの季節を与え,食物と楽しさとをもってあなた方の心を存分に満たされたのですから,決してご自身を証しのないままにしておかれたわけではありません」― 使徒 14:17。

      11 神の善良さは,喜びとなる住まいを人類に備えることだけでなく,さらにどんな点にも示されていますか。

      11 しかし神の善良さは,地に満ちる喜ばしくかつ命を支える食料を供給し続けることだけに限られてはいませんでした。そうです,神はそれ以上のことを行なわれました。エホバはご自分が喜んでアダムの子孫の罪を許し,人類の中の忠実な者たちとの関係を育み続けるつもりであることを示されました。『ご自分のすべての善良さが[モーセの]顔の前を通る』ようにさせるとエホバが約束された時,モーセは神の善良さのこの面に注意を促されました。その時モーセは,「エホバ,エホバ,憐れみと慈しみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切と真実とに満ちる神,愛ある親切を幾千代までも保ち,とがと違犯と罪とを赦す者」という宣言を聞きました。―出エジプト記 33:19; 34:6,7。

      12 モーセの律法のどんな備えはエホバの善良さを示していますか。

      12 モーセの時代にエホバは,イスラエルという新しい国民のために法制度を確立され,意図せずに罪を犯した人がその法制度によって暫定的または象徴的な罪の許しを得られるようにされました。モーセを仲介者とする律法契約を通して,イスラエル人は神の特別な国民になり,彼らの罪と汚れた行為を覆う様々な動物の犠牲をエホバにささげるよう教えられました。このようにして,悔い改めたイスラエル人は不完全な性質を持ってはいても,受け入れられる仕方で引き続きエホバに近づくことができ,また自分たちの崇拝が神を喜ばせていることを自覚できました。律法のもとにあったその国民の一人,ダビデ王は,自分がこの点に関する神の善良さを意識していることを次のように言い表わしました。「わたしの若い時の罪と反抗とを,どうか思い出さないでください。あなたの愛ある親切にしたがってわたしを思い出してください。エホバよ,あなたの善良さのために」― 詩編 25:7。

      13 エホバは罪の許しのために,動物の犠牲より効果的な方法をどのように備えられましたか。

      13 やがて,エホバはご自分の善良さに動かされて,罪を許すためのさらに効果的で恒久的な方法を備えられました。それはダビデ王の子孫であったイエスの犠牲による方法でした。(マタイ 1:6-16。ルカ 3:23-31)イエスは罪を犯しませんでした。ですから,イエスが死んだ時,犠牲とされたイエスの命には大きな価値があり,神はその犠牲を,アダムの罪深い子孫すべてに適用できる贖いとして受け入れられました。使徒パウロはこう書きました。「すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しない(のです。)彼らがキリスト・イエスの払った贖いによる釈放を通し,神の過分のご親切によって義と宣せられるのは,無償の賜物としてなのです。神はこの方を,その血に対する信仰によるなだめのための捧げ物として立てられました」― ローマ 3:23-26。

      14 贖いの犠牲を通して,人間はどんなすばらしい希望を得ることができますか。

      14 イエスの贖いの犠牲に対する信仰は,律法契約下の動物の犠牲がイスラエル人のために成し遂げたことよりもずっと多くのことをクリスチャンのために成し遂げます。その信仰の結果,限られた人数のクリスチャンは義と宣せられ,神の子となるために神の霊によって養子にされました。そのようにして彼らはイエスの兄弟となり,また,イエスと共にイエスの天の王国にあずかるため霊の被造物として復活させられるという希望を得ました。(ルカ 22:29,30。ローマ 8:14-17)この小さな惑星である地球に住む被造物に,神がそのような天的な見込みをお与えになったことについて考えてみてください。この希望を大切にしている小さなグループは今でも残っています。しかしその他の幾百万ものクリスチャンに関しては,贖いに信仰を働かせるとき,アダムとエバが失ったもの,つまり庭園のような地球という楽園でのとこしえの命を享受する道が開かれます。律法契約だけでは,それを固守する人々に天的な将来の見込みも地的な将来の見込みも与えることができませんでした。

      15 良いたよりには何が含まれていますか。

      15 神がイエス・キリストを通して開始させられた新しい取り決めに関する音信は神の善良さを反映しているので,その音信が「良いたより」と呼ばれるのは実にふさわしいことです。(テモテ第二 1:9,10)この良いたよりは聖書の中で『王国の良いたより』と呼ばれることもあります。今日その中心となっているのは,復活させられたイエスの支配権のもとに王国が設立されたという真理です。(マタイ 24:14。啓示 11:15; 14:6,7)それでも,良いたよりにはもっと多くの事柄が含まれています。今引用したばかりのテモテにあてたパウロの言葉が示すとおり,良いたよりには,イエスがわたしたちのために贖いの犠牲をささげてくださったという知識が含まれています。もしこの犠牲がなかったなら,イエスの王国や,地から取られる14万4,000人の王兼祭司は言うまでもなく,神とわたしたちとの関係やわたしたちの救いそのものがあり得なかったでしょう。贖いは神の善良さの何とすばらしい表明なのでしょう。

      今日における神の善良さ

      16,17 ホセア 3章5節は(イ)西暦前537年に(ロ)西暦1919年にどのように成就しましたか。

      16 使徒パウロは「終わりの日」を予見し,『人々は善良さを愛さない者となる』と警告しました。(テモテ第二 3:1-3)善良さが寛大さや人づき合いのよさといった普通の形で示されても,それが感謝されることはないでしょう。それで,ホセア 3章5節にある心温まる預言は大きな励みになります。「イスラエルの子らは戻って来て,自分たちの神エホバを,また自分たちの王ダビデを必ず求めるであろう。末の日に,彼らはエホバのもとに,その善良さのもとにわななきながらやって来るのである」。

      17 この預言は,ユダヤ人がバビロン捕囚から約束の地に帰還した西暦前537年に最初の成就を見ました。現代では,この預言は,霊的イスラエルの残りの者がサタンの組織から出て来て,エホバとエホバの善良さを真剣に求めるようになった1919年に成就し始めました。彼らは,イエス・キリストという「自分たちの王ダビデ」が天的な権力を執って1914年以来すでに統治しておられることに気づきました。イエスの天からの監督のもと,彼らはこの良いたよりを諸国民に告げ知らせる仕事を熱意あふれる態度で引き受けました。このようにして彼らは,マタイ 24章14節に記されている任務を果たし始めました。「[設立された]王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。

      18 だれが霊的イスラエルの残りの者に加わって良いたよりを宣明してきましたか。

      18 今日,油そそがれた残りの者には,彼らと同様にエホバの善良さを歓呼して迎える「大群衆」が加わってきています。(啓示 7:9)今では400万以上の人々が,使徒ヨハネが幻のうちに見たみ使いの声に和し,「神を恐れ,神に栄光を帰せよ。神による裁きの時が到来したからである。それゆえ,天と地と海と水のわき出るところとを造られた方を崇拝せよ」と,あらゆる国民に告げ知らせています。―啓示 14:7。

      19 神の善良さを裏づける最も強力な証拠の一つを挙げてください。

      19 神の善良さを裏づける最も強力な証拠の一つは,この最高潮をなす業においてわたしたちがご自分の同労者となるのを許しておられることです。「幸福な神の栄光ある良いたより」をわたしたちに託してくださったとは,何という特権なのでしょう。(テモテ第一 1:11)わたしたちはこの良いたよりを他の人に宣べ伝え,かつ教えることによって,善良さという大切な神の霊の実を非常にはっきりと示しているのです。そのようにしてわたしたちは,「彼らはあなたの豊かな善良さに関する言葉をほとばしらせ,あなたの義のゆえに喜び叫びます」と述べた古代の神の僕ダビデと同じ態度を保つのです。―詩編 145:7。

      20 次の記事では,善良さに関するさらにどんな情報が討議されますか。

      20 しかし,良いたよりの伝道にあずかることだけが,わたしたちの生活の中で善良さを示す方法なのでしょうか。決してそうではありません。わたしたちは「愛される子供として,神を見倣う者」となるよう励まされています。(エフェソス 5:1)神の善良さは様々な方法で表わされます。ですから,わたしたちの善良さも生活上の数多くの面に影響を及ぼすはずです。次の記事では,そのうちの幾つかを考慮します。

      [脚注]

      a 個々の霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制です。

  • 「あらゆる善良さ」を生み出す
    ものみの塔 1991 | 8月15日
    • 「あらゆる善良さ」を生み出す

      「光の実はあらゆる善良さ……から成っているのです」― エフェソス 5:9。

      1,2 古代からどんな二つのグループが存在してきましたか。今日その二つのグループの状態はどれほど異なっていますか。

      今から6,000年ほど昔にエデンで反逆が生じた後,さらにはノアの日の洪水の後,再び人類は二つのグループもしくは組織に分裂しました。その一方はエホバに仕えようと懸命に努力する人々から成り,他方はサタンに従う者たちから成っていました。これらの組織は今でも存在していますか。確かに存在しています。預言者イザヤはこれら二つのグループに言及し,現代におけるその二つのグループの状況について予告していました。「見よ,闇が地を,濃い暗闇が国たみを覆うからである。しかし,あなたの上にはエホバが輝き出て,あなたの上にその栄光が見られるようになる」。―イザヤ 60:1,2。

      2 確かに,これら二つの組織の間には,闇と光の相違に匹敵する大きな相違があります。そして,ちょうど闇の中で道に迷った人が一筋の光に引き寄せられるように,幾百万もの心の正しい人々は,この闇の世に輝くエホバからの光によって,神の組織に引き寄せられてきました。イザヤが続けて述べているとおりです。「諸国民[ほかの羊]は必ずあなたの光のもとに,王たち[油そそがれた王国相続者たち]はあなたの輝き出るその輝きのもとに行くであろう」― イザヤ 60:3。

      3 クリスチャンはどんな点でエホバの栄光を表わしますか。

      3 エホバの民はエホバの栄光をどのように表わすのでしょうか。一つには,彼らは設立された神の天の王国の良いたよりを宣べ伝えます。(マルコ 13:10)しかしそれだけでなく,彼らは,善良さの最良の模範であられるエホバに見倣い,自分たちの行状によって柔和な人たちを光に引き寄せます。(エフェソス 5:1)パウロは,「あなた方はかつては闇でしたが,今は主との関係で光となっているのです。光の子供として歩んでゆきなさい」と述べ,さらにこう続けています。「光の実はあらゆる善良さと義と真実さとから成っているのです。何が主に受け入れられるのかを絶えず確かめなさい。そして,実を結ばない闇の業に彼らと共に組するのをやめ……なさい」。(エフェソス 5:8-11)パウロは「あらゆる善良さ」と述べることによって何を言わんとしていたのでしょうか。

      4 善良さとは何ですか。それはクリスチャンのうちにどのように見られますか。

      4 前の記事で説明されたように,善良さとは道徳上の美点,つまり徳となる特質または状態です。イエスは,絶対的な意味で善いのはエホバだけであると言われました。(マルコ 10:18)それでもやはり,クリスチャンは霊の実である善良さを培うことにより,エホバに見倣うことができます。(ガラテア 5:22)「バインの旧約・新約聖書用語解説辞典」は「善い」にあたるギリシャ語「アガトス」に注解を加え,「[この語]は,その特性もしくは性質において善いゆえに,その結果において有益なものを描写する」と述べています。ですから,善良さを培っているクリスチャンは善い性質を持ち,同時に善を行なうでしょう。(申命記 12:28と比較してください。)また,そのような人は「実を結ばない闇の業」,つまり善良さに反する事柄を避けるでしょう。パウロの述べた『種々の善良さ』とは,クリスチャンが行状において善良さを表わせるいろいろな方法のことです。その中にはどんなものがあるでしょうか。

      「善を行なってゆきなさい」

      5 善良さの一つは何ですか。クリスチャンがそれを培うべきなのはなぜですか。

      5 パウロはローマ人にあてた手紙の中でその一つに言及しました。パウロは「上位の権威」に対する服従について語り,「それで,あなたは権威に対する恐れを持たないでいたいと思うのですか。善を行なってゆきなさい。そうすれば,あなたはそれから称賛を受けるでしょう」と述べました。彼が言及している「善」とは,世俗の権威の法律と取り決めに従順であることです。クリスチャンはなぜそれらに服すべきですか。それは,当局と不必要に対立し,あえて罰を受けるような事態を避けるため,そしてさらに重要な点として,神のみ前に清い良心を保つためです。(ローマ 13:1-7)クリスチャンはエホバに対する従順を常に優先させるとともに,エホバ神が存在を許しておられる権威に反抗せず,「王を敬い」ます。(ペテロ第一 2:13-17)この方法により,クリスチャンは良い隣人,良い市民,良い模範となっています。

      他の人々を思いやる

      6 (イ)善良さには別のどんな面がありますか。(ロ)聖書の中で,わたしたちが考慮を払ってしかるべきであると言われているのはだれですか。

      6 エホバの善良さは,地上の住民すべてに「天からの雨と実りの季節」を備えられたことに表わされています。その結果『存分の食物と楽しさ』がもたらされ,エホバが本当に思いやり深い神であられることが示されています。(使徒 14:17)この面でわたしたちは,ささいな点でも重大な点でも他の人に思いやりを示すことにより,神に見倣うことができます。特にどんな人にそうすることができるでしょうか。パウロは特に長老たち,つまり「あなた方の間で骨折って働き,主にあってあなた方の間で主宰の任に当たり,あなた方を訓戒している人たち」に言及しています。パウロはクリスチャンたちに対して,これらの長老たちに『その働きのゆえに,ひときわ深い考慮を愛のうちに払う』よう勧めています。(テサロニケ第一 5:12,13)どのように行なえるでしょうか。王国会館で必要とされている仕事を手伝うなどして,長老たちに十分協力することができます。必要ならいつでも遠慮なく助けを求めて長老たちに近づくことができますが,道理に合わない過度の要求をすべきではありません。むしろ,わたしたちは自分にできるどんな方法を用いても,これら骨折って働く牧者たちの荷を軽くすることに努めます。長老たちは多くの場合,会衆の務めに加えて家族の責任も担っているのです。

      7 わたしたちはどんな方法でお年寄りに思いやりを示せますか。

      7 身体面で年長の人たちにも,考慮を払う,つまり思いやりを示してしかるべきです。モーセの律法には,「あなたは白髪の前では立ち上がるべきである。また,老人の身を思いやり,あなたの神に恐れを持たねばならない。わたしはエホバである」という明確なおきてがありました。(レビ記 19:32)このような思いやりをどのように示せるでしょうか。若者たちは自発的に,買い物その他の雑用をしてお年寄りを助けたいと思うかもしれません。長老たちは,お年寄りが集会に出席するための助けを必要としているかどうか,思いやりをもって調べることができます。大会では,若くて元気な人たちはせっかちに通ろうとして,動作のゆっくりしたお年寄りを押すようなことはせず,お年寄りが席に着いたり食事を求めたりする際に少し手間取っても辛抱するでしょう。

      8 思いやりを受けるに値するとして聖書が特に取り上げているもう一つのグループに,わたしたちはどのように思いやりを示せますか。

      8 詩編作者は思いやりを必要とするもう一つのグループを挙げ,「立場の低い者に対して思いやりをもって行動する人は幸いです」と述べています。(詩編 41:1)目立つ人や裕福な人には思いやりを示しやすいかもしれませんが,立場の低い人や貧しい人にはどうでしょうか。聖書筆者のヤコブは,そのような人たちに平等に思いやりを示すことは,わたしたちの義とクリスチャン愛を試すものであると指摘しました。わたしたちは,どんな境遇の人たちにも思いやり深くあることによって,この試みを通過したいものです。―フィリピ 2:3,4。ヤコブ 2:2-4,8,9。

      「常に憐れみ深くなりなさい」

      9,10 クリスチャンが憐れみ深くあるべきなのはなぜですか。この種の善良さをどのように示せますか。

      9 イエスの幾つかのたとえ話の中に,さらに別の種類の善良さが示されています。イエスは一つのたとえ話の中で,強盗に遭ってひどく殴られ,路上に放置されていた人を見つけたサマリア人について語られました。レビ人と祭司はそのけが人のそばを通りましたが,助けようとはしませんでした。しかし,サマリア人は立ち止まってその人を助け,当然期待される事柄だけでなく,それ以上のことをしました。この話はしばしば,良きサマリア人のたとえ話と呼ばれます。このサマリア人はどんな種類の善良さを表わしましたか。憐れみです。イエスが聞き手に,傷ついた人の隣人であることを示したのはだれかとお尋ねになると,「その人に対して憐れみ深く行動した者です」という正しい答えが返ってきました。―ルカ 10:37。

      10 憐れみ深いクリスチャンはエホバを見倣います。モーセはエホバについて,「あなたの神エホバは憐れみある神……である。あなたを捨て去ったり,破滅に至らせたり,あなたの父祖たちに誓った契約を忘れたりはされない」とイスラエル人に述べました。(申命記 4:31)イエスは,神の憐れみがわたしたちに当然どんな影響を与えるかを示され,「あなた方の父が憐れみ深いように,あなた方も常に憐れみ深くなりなさい」と言われました。(ルカ 6:36)わたしたちはどのように憐れみを示せるでしょうか。一つの方法は,イエスのたとえ話が示しているように,危険や不都合を意味する場合でも,喜んで仲間を助けることです。善良な人は何かできる立場にいるなら,自分の兄弟の苦しみを無視することはないでしょう。―ヤコブ 2:15,16。

      11,12 奴隷に関するイエスのたとえ話によると,憐れみには何が含まれていますか。今日,わたしたちはそれをどのように表わすことができますか。

      11 イエスの別のたとえ話では,憐れみ深い善良さには他の人を快く許すことが含まれていることが示されました。イエスは,主人に1万タラントの負債がある奴隷について語られました。その奴隷は返済できなかったので,憐れみを請いました。主人は6,000万デナリに上る巨額の負債を親切に免除してやりました。しかし,その奴隷はその場を去り,彼に対して100デナリの負債しかない別の奴隷を見つけました。負債を免除してもらった奴隷は憐れみを示さず,負債のある人を,返済できるまで投獄しました。明らかに,この憐れみのない奴隷は善良な人ではありませんでした。それで主人は起きた事柄について聞くと,彼を責めました。―マタイ 18:23-35。

      12 わたしたちは,負債を免除してもらった奴隷と同じ立場にいます。エホバはイエスの犠牲に基づき,わたしたちの勘定につけられている罪という巨額の負債を免除してくださいました。ですから,確かにわたしたちは他の人を快く許すべきです。イエスは,わたしたちが快く「七十七回まで」,つまり制限なく許すべきであると言われました。(マタイ 5:7; 6:12,14,15; 18:21,22)それで,憐れみ深いクリスチャンは恨みを持ちません。また,悪感情のために憤りを抱いたり,仲間のクリスチャンに話しかけるのを拒んだりはしません。そのような憐れみの欠如はクリスチャンの善良さのしるしではありません。

      寛大であり,人をよくもてなす

      13 善良さには,ほかに何が含まれていますか。

      13 善良さは寛大さや人をよくもてなすことによっても表わされます。ある時,一人の青年が助言を求めてイエスのもとにやって来ました。青年は,「師よ,永遠の命を得るために,わたしはどんな善いことを行なわなければならないでしょうか」と言いました。イエスは,神のおきてを絶えず守り行なうべきであると青年に告げられました。そうです,エホバの命令に対する従順は善良さの一つの面です。この青年は,自分はすでに最善を尽くしてそれを行なっていると思っていました。明らかに,この人はすでに隣人に対しては善良な人であったようですが,それでも自分には何かが欠けていると感じていました。そこでイエスは,「完全でありたいと思うなら,行って,自分の持ち物を売り,貧しい人たちに与えなさい。そうすれば,天に宝を持つようになるでしょう。それから,来て,わたしの追随者になりなさい」と言われました。(マタイ 19:16-22)この青年は悲嘆して去って行きました。彼は非常に裕福だったのです。青年がイエスの助言に従ったなら,自分が物質主義的でないことを示せたでしょう。そして,まさに無私の寛大さに基づく善良な業を行なえたことでしょう。

      14 エホバとイエスのお二人は,寛大さに関してどんな優れた諭しをお与えになりましたか。

      14 エホバは,寛大であるようイスラエル人に勧められました。例えばこう書かれています。「あなたは是非とも[貧しさに打ちひしがれた,あなたの隣人]に与えるべきであり,あなたの心はその者に与えることを惜しむようであってはならない。その事のために,あなたの神エホバは,すべての業またすべての営みにおいてあなたを祝福してくださるからである」。(申命記 15:10。箴言 11:25)イエス・キリストご自身,次のように寛大さを勧められました。「いつも与えなさい。そうすれば,人々はあなた方に与えてくれるでしょう。彼らは押し入れ,揺すり入れ,あふれるほどに量りをよくして,あなた方のひざに注ぎ込んでくれるでしょう」。(ルカ 6:38)さらに,イエスご自身たいへん寛大であられました。ある時,イエスは少し休むための時間を取り分けておられました。群衆はイエスの居場所を見つけ,イエスのもとにやって来ました。イエスは寛大にも休息を忘れて群衆のためにご自身を費やされました。後に,イエスはその大勢の群衆に食事を与えることにより,際立ったもてなしの精神を示されました。―マルコ 6:30-44。

      15 寛大さを表わすことにおいて,イエスの弟子たちはどのように立派な模範を示しましたか。

      15 イエスの弟子たちの多くはエホバとイエスの諭しを忠実に守り,注目に値する寛大さともてなしの精神を示しました。クリスチャン会衆の初期の時代,西暦33年のペンテコステを祝いに来た大勢の人々は使徒たちが宣べ伝える事柄を聞き,信者になりました。彼らはさらに学ぶために祭りの後も滞在したので,蓄えが尽きました。それで,地元の信者たちは,新しい兄弟たちが信仰においてさらに確固とした者となれるよう支えるため,自分たちの財産を売り,その代金を寄付しました。何という寛大さでしょう。―使徒 4:32-35。使徒 16:15; ローマ 15:26もご覧ください。

      16 今日,わたしたちがもてなしの精神や寛大さを示すことのできる方法を幾つか挙げてください。

      16 今日,それと同様のキリストのような寛大さは,クリスチャンが地元の会衆や世界的な宣べ伝える業のために時間をささげ,金銭を寄付する時に見られます。そのような寛大さは,クリスチャンが,自然の災害や戦争のためにつらい経験をしている兄弟たちの救援に向かう時にはっきりと示されます。定期的な訪問の期間中の巡回監督に対する世話もその表われです。また,「父なし子」が他のクリスチャンの家族と共にレクリエーションや家族の聖書研究に参加するよう寛大な招待を受けるなら,そうした招待も人をもてなすことであり,クリスチャンの善良さの表われです。―詩編 68:5。

      真実を語る

      17 今日,真実さが挑戦となるのはなぜですか。

      17 パウロは光の実について述べた際,善良さを義や真実さと結びつけました。それで,真実さはもう一つの種類の善良さであると言うのは正しいことでしょう。善良な人々はうそをつきません。とはいっても,うそをつくことが当たり前になっている今日,真実を語ることは特別な挑戦です。納税申告書に記入する時にうそをつく人は少なくありません。従業員は自分の仕事についてうそをつきます。学生は授業中や試験中に人を欺いて不正なことをします。実業家は商談をまとめる時にうそをつきます。子供たちは罰を逃れるためにうそをつきます。悪意のあるうわさ話をする人はうそをついて他の人の評判を傷つけます。

      18 エホバはうそをつく人をどのようにみなされますか。

      18 エホバはうそをつくことを大変嫌われます。エホバが憎まれる『七つのもの』の中には,「偽りの舌」や「うそを吐く偽りの証人」が入っています。(箴言 6:16-19)「すべての偽り者」は,神の新しい世において占める場のない憶病な者,殺人をする者,淫行の者などと同列に置かれています。(啓示 21:8)さらに,「廉直に歩む者はエホバを恐れている。しかし,自分の道において曲がっている者は神をさげすんでいる」と述べる箴言もあります。(箴言 14:2)うそをつく人は自分の道において曲がっています。それで,うそをつく人はエホバをさげすんでいることを明らかにします。何と恐ろしいことでしょう。たとえ懲らしめを受けたり,経済的な損失を被ったりすることになるとしても,常に真実を語りましょう。(箴言 16:6。エフェソス 4:25)真実を語る人は,「真理の神」エホバを見倣っています。―詩編 31:5。

      善良さを培う

      19 創造者に対する称賛のいわれとなるどんなことが世の中で見られますか。

      19 ここで取り上げたのは,クリスチャンが培うべき『種々の』善良さのほんの数例にすぎません。世の人が善良さをある程度表わしているのは事実です。例えば,人をよくもてなす人もいれば,憐れみ深い人もいます。実際のところ,良きサマリア人のたとえ話が非常に際立っているのは,ユダヤ人の会衆の長老たちが憐れみを示さなかった時に憐れみを示した非ユダヤ人のことをイエスが語られたからです。人間が不完全になってから6,000年たった後でさえ,ある人たちが生来のものとしてそのような特性を表わすということは,まさに人間の創造者に対する称賛のいわれとなります。

      20,21 (イ)クリスチャンの善良さが,世の人のうちに見られるようなどんな善良さとも異なっているのはなぜですか。(ロ)クリスチャンは善良さをどのように培うことができますか。そうする点で勤勉であるべきなのはなぜですか。

      20 とはいえ,クリスチャンにとって善良さは,持っているかもしれないし持っていないかもしれない特質にすぎないというわけではありません。クリスチャンは善良さという特質のあらゆる面を培わなければなりません。クリスチャンは神を見倣う者でなければならないからです。どうすればそれができるでしょうか。聖書によると,わたしたちは善良さを学ぶことができます。詩編作者は,「善良……をわたしに教えてください」と神に祈りました。どのようにして教えていただけるのですか。詩編作者は続けて,「わたしはあなたのおきてに信仰を働かせたからです」と述べました。そして,「あなたは善良であり,良いことを行なっておられます。あなたの規定をわたしに教えてください」と付け加えました。―詩編 119:66,68。

      21 そうです,わたしたちがエホバのおきてを学び,それに従うなら,わたしたちは善良さを培うことになります。善良さが霊の実であることを決して忘れてはなりません。もしわたしたちが祈りや交わりや聖書研究を通してエホバの霊を求めるなら,この特質を培うための助けが必ず得られます。その上,善良さは強力です。それは悪を征服することさえできます。(ローマ 12:21)ですから,すべての人,ことにクリスチャンの兄弟たちに善を行なうのは何と肝要なことなのでしょう。(ガラテア 6:10)そうする時わたしたちは,「良い事柄を行なうすべての人」に約束されている「栄光と誉れと平和」を享受する人々の一人に数えられることでしょう。―ローマ 2:6-11。

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