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グアドループ1995 エホバの証人の年鑑
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サアイ兄弟は,集会が自分の家で開かれていたので,自分に責任があると感じましたが,ほかの人たちは同意しませんでした。1942年11月29日には内輪もめが最高潮に達し,ミスダン兄弟の率いる大半の人たちは身を引いて別の場所で集まり合うことになりました。サアイ兄弟はその後も自分の家で集会を開きました。二つのグループの不和は教義的なものではなく,個性の関係したものでした。
分裂したにもかかわらず,二つのグループは証言に参加し,人々は耳を傾けました。どちらの側にも誠実な兄弟姉妹たちがいました。しかし聖書の原則が当てはめられないとき,クリスチャンにはふさわしくない状況が生じます。「あなた方の間に分裂があってはなりません」と,聖書は勧めています。「結合のきずなである平和のうちに霊の一致を守るため真剣に励みなさい」。―コリント第一 1:10。エフェソス 4:1-3。
このような厳しい時期に,サアイ兄弟は協会の本部と再び連絡を取ることに成功しました。兄弟が連絡を取るために払った努力と戦時中に聖書の出版物を島に輸入しようとする粘り強い努力に協会は感謝しました。1944年2月16日に,サアイ兄弟を会の僕(主宰監督)に任命する手紙がグアドループに送られました。そのころまでに兄弟は30歳になっていました。腰が低く,線の細い感じはありますが,非常に率直で意志の堅い人でした。
会衆で奉仕するようサアイ兄弟を任命した後,協会はもう一つのグループにこのような手紙を書きました。「分離しているあなた方兄弟たちは,……これからは王国の関心事を促進するために彼と一致して協力すべきです。キリストは分裂していないのですから……地上のキリストの体も一致していなければなりません。……主と王国に対するあなた方の専心があなた方を動かして,関係している人すべてがこの件に関して抱いているかもしれないどんな個人的な感情をもわきに押しやり,まただれでも悪行を行なっている人に対して執行する必要があると感じる裁きを主が行なわれるのを待ち,そしてすべての人が前進して主に仕えるものと信じています」。それでも和解に向けた努力は困難を極めました。サアイ兄弟がその割り当てに必要な資格を身に着けているとすべての人が認めたわけではありませんでした。
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グアドループ1995 エホバの証人の年鑑
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[124ページの図版]
1945年,新しい証人たちにバプテスマを施すルネ・サアイ
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