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  • 神の霊を導きとするのはなぜですか
    ものみの塔 2011 | 12月15日
    • 神の霊を導きとするのはなぜですか

      『あなたはわたしの神です。あなたの霊は善良です。それがわたしを導いてくれますように』。―詩 143:10。

      1. 目に見えない力が人を導くことを,例を挙げて説明してください。

      方位磁石を使って道を探したことがありますか。磁石は単純な道具で,動くパーツは一つしかありません。常に北の方角を指す針です。磁力として知られる見えない力が存在するため,磁石の針は,地球の両極間を覆っている磁場に応じて動きます。探検家や旅行家は幾世紀もの間,陸地でも海洋でも磁石を導きとしてきました。

      2,3. (イ)エホバは遠い昔,非常に強いどんな力を用いられましたか。(ロ)今日でも,目に見えない,神の活動する力が自分の生活を導くことを期待してよいのはなぜですか。

      2 目に見えない力はほかにもあります。磁石よりもずっと重要な,わたしたちを導く力です。それは,聖書の冒頭の数節に出ている力です。創世記は,エホバが遠い昔に行なわれた事柄について,「初めに神は天と地を創造された」と述べています。その際エホバは,非常に強い力を送り出しました。「神の活動する力が……行きめぐっていた」と,創造の記述は続いているからです。(創 1:1,2)何が働いていたのでしょうか。聖霊です。つまり創造の背後で躍動的な力が働いていたのです。エホバがご自分の業すべてを生み出すために聖霊をお用いになったからこそ,わたしたちは存在しているのです。―ヨブ 33:4。詩 104:30。

      3 わたしたちは,生きて呼吸をする人間として,神の活動する力が自分の生活にさらに影響を及ぼすことを期待してよいでしょうか。そう期待してよいことを,神のみ子はご存じでした。「霊が……あなた方を真理の全体へと案内する」と弟子たちに言っておられるからです。(ヨハ 16:13)では,この霊をどのように理解すべきですか。また,その霊を導きとすべきなのはなぜでしょうか。

      聖霊とは何か

      4,5. (イ)三位一体を信じる人たちは,聖霊についてどう考えていますか。(ロ)聖霊とは何かについて,どのように説明できますか。

      4 野外宣教で会う人の中には,聖霊について聖書とは異なる見方をする人がいるかもしれません。三位一体を信じる人たちは,聖霊とは,父なる神と同等の,目に見えない人格的存在であると考えています。(コリ一 8:6)しかし,三位一体の教理が聖書に反することは,容易に示すことができます。

      5 では,聖霊とは実際にはどんなものなのでしょうか。「新世界訳聖書 ― 参照資料付き」の創世記 1章2節の脚注には,こうあります。ヘブライ語の「ルーアハは『霊』と訳されるほかに,『風』,その他,目に見えないが活動する力を表わす語にも訳されている」。(創世記 3:8; 8:1の脚注と比較。)風が目に見えなくても力を及ぼすように,無形で人格を持たない聖霊も,目に見えないとはいえ,何らかの結果を生み出します。聖霊とは,神がご意志を成し遂げるために,人や物に対して送り出し発動するエネルギーのことです。聖なる源であられる全能の神から,そうした驚嘆すべき力が発せられるのは,信じ難いことでしょうか。決してそうではありません。―イザヤ 40:12,13を読む。

      6. ダビデはエホバにどんな意味深いことを嘆願しましたか。

      6 エホバはわたしたちを導くために聖霊を用い続ける,と言えるでしょうか。エホバは,詩編作者ダビデにこう約束されました。「わたしはあなたに洞察力を持たせ,その行くべき道を教え諭す」。(詩 32:8)ダビデもそう願っていたのでしょうか。そのとおりです。エホバにこう嘆願しているからです。『あなたのご意志を行なうことをわたしに教えてください。あなたはわたしの神だからです。あなたの霊は善良です。それがわたしを導いてくれますように』。(詩 143:10)わたしたちもダビデと同じように,神の霊によって導かれることを心から願うべきです。なぜでしょうか。その理由を四つ取り上げましょう。

      人間には自分自身を導く資格がない

      7,8. (イ)わたしたちが神から離れて自分を導けないのは,なぜですか。(ロ)この邪悪な事物の体制で歩むべき道を自分で探そうとすべきでない理由を,例えで説明してください。

      7 最初の理由は何でしょうか。人間は自分自身を導く能力がないので,神の霊に導かれることを願うべきです。「導く」とは,「進路を指示する,あるいは従うべき道を示す」ことを意味します。しかしエホバは人間を,自分を導く能力のある者としては創造されませんでした。不完全な状態にある人間であればなおのこと,自分を導くことはできません。神の預言者エレミヤは,こう書きました。「主よ,わたしは人間の道が人間自身のうちにないことを知っています。人間には自分の歩みを導く力がないのです」。(エレ 10:23,「基礎英語聖書」)なぜでしょうか。神は,人間が自分自身を導くことに関しては能力がないと言える理由を分析し,人間の内面についてエレミヤにこう言われました。「心はほかの何物にも勝って不実であり,必死になる。だれがこれを知りえようか」。―エレ 17:9。マタ 15:19。

      8 経験のない人が,熟練したガイドを連れず,方位磁石も持たずに,未知の荒野を奥深くまで歩き続けるのは,無謀なことではないでしょうか。荒野の過酷な状況を生き延びる方法も分からず,目的地に安全に着く道を探し出す専門知識もないなら,命を危険にさらすことになります。同じように,正しい道を神から示していただくことなく,この邪悪な世で進むべき道を歩めると考える人は,命を重大な危険にさらしています。この体制を無事に生き延びるための唯一の道は,ダビデと同じように,祈りのうちにエホバにこう願い求めることです。「わたしの歩みにあなたの通り道をとらえさせてください。その中にあって,わたしの足取りは決してよろめかされません」。(詩 17:5; 23:3)そのような導きは,どうすれば得られるでしょうか。

      9. 17ページの写真から分かるように,神の霊はどんな方法で,わたしたちに確かな導きを与えますか。

      9 謙遜な態度で進んでエホバに頼るなら,エホバはわたしたちの歩みの確かな導きとして,聖霊を与えてくださいます。聖霊はどのように助けになるのでしょうか。イエスは弟子たちにこう説明しました。「父がわたしの名によって遣わしてくださる助け手,つまり聖霊のことですが,その者はあなた方にすべてのことを教え,わたしが告げたすべての事柄を思い起こさせるでしょう」。(ヨハ 14:26)キリストの述べたすべての事柄を含め,神の言葉をいつも祈りのうちに研究するなら,聖霊はエホバの深い知恵についての理解を深めてくれます。そして,わたしたちはご意志にしっかり従えるようになります。(コリ一 2:10)さらに,命に至る道で不意に曲がり角に差しかかったとしても,聖霊はわたしたちに行くべき道を示してくれます。すでに学んだ聖書の原則を思い起こさせ,進むべき次の歩みにその原則をどう適用すべきかが分かるようにしてくれるのです。

      イエスは神の霊によって導かれた

      10,11. 神の独り子は,聖霊についてどんなことを期待していましたか。実際にどんなことを経験しましたか。

      10 聖霊を導きとすべき2番目の理由は,み子も聖霊によって神に導かれたということです。神の独り子は地上に来る前,次の預言を知っていました。「彼の上にエホバの霊が必ずとどまる。それは知恵と理解の霊,計り事と力強さの霊,知識とエホバへの恐れの霊である」。(イザ 11:2)この地上という環境で生活するイエスが,どれほど神の霊の助けを切望したか,想像してみてください。

      11 エホバの言葉どおりになりました。福音書の記録は,イエスのバプテスマの直後に生じた事柄についてこう述べています。「さて,イエスは聖霊に満ちて,ヨルダンから去って行かれた。そして,霊によって荒野をあちらこちらと導かれ(た)」。(ルカ 4:1)イエスが荒野で断食し,祈り,黙想していた際,エホバはイエスの前途にある事柄について教え,啓発をお与えになったようです。イエスの思いと心に神の活動する力が働き,その思考と決定を導きました。その結果,イエスはそれぞれの状況でどう行動すべきかを理解し,み父が望んでおられたとおりのことを行ないました。

      12. 神の霊がわたしたちを導くよう願い求める必要があるのは,なぜですか。

      12 イエスは神の霊が自分の生活にどのような良い結果をもたらすかを理解していたので,弟子たちに次のことを銘記させました。それは,聖霊を願い求め,聖霊に導かれることの大切さです。(ルカ 11:9-13を読む。)これがわたしたちにとって本当に必要なのはなぜですか。聖霊はわたしたちの考えを変革することができ,その結果わたしたちの考えは,キリストの思いに似たものになるからです。(ロマ 12:2。コリ一 2:16)生活が神の霊によって導かれるようにするなら,キリストのように考えることができ,その手本に倣うことができます。―ペテ一 2:21。

      世の霊はわたしたちを誤った道に導き入れる

      13. 世の霊とは何ですか。どんなものを生み出しますか。

      13 神の霊を導きとすべき3番目の理由は,そうしなければ,今日の大半の人々の生活に働いている清くない霊により,誤った道に導き入れられてしまうからです。この世には独自の強い推進力があり,聖霊が生み出す歩みとは正反対の生き方を助長します。世の霊は,人々のうちにキリストの思いを育むのではなく,考えと行動を世の支配者サタンに似たものにします。(エフェソス 2:1-3; テトス 3:3を読む。)人が世の霊に屈し,肉の業を行ない始めるなら,深刻な問題が生じます。神の王国を受け継げなくなるのです。―ガラ 5:19-21。

      14,15. どうすれば,世の霊に抵抗できますか。

      14 エホバはわたしたちが世の霊に抵抗できるよう備えを設けてくださっています。使徒パウロは,「主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。……あなた方が,邪悪な日にあって抵抗できるように……するためです」と述べています。(エフェ 6:10,13)エホバは,人々を惑わそうとするサタンの働きに抵抗できるよう,聖霊を通してわたしたちを強めてくださるのです。(啓 12:9)世の霊は強く,それを完全に避けることはできません。しかし,その影響を受けて堕落する必要はありません。聖霊は世の霊よりずっと強く,わたしたちを助けることができるのです。

      15 使徒ペテロは,1世紀にキリスト教を捨てた人たちについて,「まっすぐな道を捨てた彼らは惑わされています」と述べました。(ペテ二 2:15)わたしたちは,「世の霊ではなく,神からの霊」を受けたことに本当に感謝できます。(コリ一 2:12)聖霊の力から助けを得て,また霊的に正しい道を歩み続けるためのエホバの備えを十分に活用することにより,この邪悪な世のサタンの霊に抵抗することができます。―ガラ 5:16。

      聖霊は良い実を生み出す

      16. 聖霊はわたしたちのうちに,何を生み出すことができますか。

      16 神の霊がわたしたちのうちに働くことを願うべき4番目の理由は,聖霊が,それに導かれる人の生活に健全な実を生み出すからです。(ガラテア 5:22,23を読む。)愛や喜びや平和をもっと豊かに生み出したいと思わない人がいるでしょうか。辛抱強さ,親切,善良を十分に表わしたいと思わない人がいるでしょうか。信仰,温和,自制の点で進歩すれば益が得られるのではないでしょうか。神の霊はわたしたちのうちに,自分だけでなく,家族や会衆の人たちを益するすばらしい特質を生み出します。わたしたちは絶えずこの実を培い続けます。霊の実は,これ以上必要ないとかこれ以上培えない,ということはないからです。

      17. どうすれば,霊の実の一つ一つの面をいっそう培うことができますか。

      17 自分の言動を吟味して,自分が聖霊に導かれ,霊の実を生み出していると本当に言えるかどうか考えてみるのは賢明なことです。(コリ二 13:5前半。ガラ 5:25)霊の実の幾つかの面を培う必要を感じたなら,それらの特質を生み出す点で,いっそう聖霊と協力することができます。そのために必要なのは,聖書中に示され出版物で説明されているそうした特質を一つ一つ研究することです。そうすれば,それを日々の生活でどのように表わすべきかを理解でき,その特質をいっそう培うために努力することができます。a 自分や仲間のクリスチャンの生活に神の霊が働いた結果を目にすると,なぜ聖霊を導きとすべきかが,はっきり認識できるようになります。

      あなたは神の霊の導きに従っていますか

      18. 神の霊の導きにこたえ応じる点で,イエスはどんな手本を残しておられますか。

      18 神が物質宇宙を創造された際,イエスは神の「優れた働き手」でした。ですから,地球の磁場のことをよくご存じでした。いま人間は,磁場を利用して方向を定めます。(箴 8:30。ヨハ 1:3)しかし聖書には,地上におられたイエスが自分の歩みを導くために磁力を用いたという証拠はありません。とはいえ,神の聖霊がいかに強力なものかを,生活の中で体験されたことは伝えています。イエスは聖霊の影響を喜んで受け入れ,聖霊に駆り立てられた時には,その導きに従って行動しました。(マル 1:12,13。ルカ 4:14)あなたもそのようにしていますか。

      19. 聖霊が生活を導く力となるために,わたしたちは何をすべきですか。

      19 今も,神の活動する力は,進んで従う人たちの思いと心に働きかけ,彼らを動かし,導きます。では,聖霊によって正しい方向に導かれるためには,どうすればよいでしょうか。聖霊を送ってください,その影響に従えるよう助けてください,と絶えずエホバに祈ることです。(エフェソス 3:14-16を読む。)聖霊の所産である,書き記された神の言葉 聖書にある助言を探し求めることにより,祈りに調和した努力を続けてください。(テモ二 3:16,17)聖書が与える賢明な指示に従い,聖霊の導きに熱心にこたえ応じてください。この邪悪な世において常に正しい導きを与えてくださるエホバの能力に信仰を持ち,その信仰にしたがって行動してください。

      [脚注]

      a 霊の実の一つ一つの面については,「ものみの塔出版物索引」の「神の霊の実」という項目と,そこに含まれる「各面の一覧表」という見出しを参照。

  • 神の霊に導かれた昔の忠実な人たち
    ものみの塔 2011 | 12月15日
    • 神の霊に導かれた昔の忠実な人たち

      「主権者なる主エホバご自身が,実にその霊がわたしを遣わされた」。―イザ 48:16。

      1,2. 信仰を表わすためには何が必要ですか。昔の忠実な人たちのことを考慮するなら,どんな励みが得られますか。

      信仰はアベルの時代から示されてきましたが,『信仰はすべての人が持っているわけではありません』。(テサ二 3:2)では,ある人がこの特質を持っているのはなぜでしょうか。信仰を保てるのはどうしてでしょうか。信仰はかなりの程度,神の言葉について聞く事柄から生じます。(ロマ 10:17)また,信仰は神の聖霊の実の一面です。(ガラ 5:22,23)ですから,信仰を表わし,働かせるためには,聖霊が必要です。

      2 信仰の男女がそのように生まれついていたとか,信仰は自然に生じると考えるのは間違いでしょう。聖書に出てくる模範的な僕たちは「わたしたちと同様の感情を持つ人」でした。(ヤコ 5:17)疑いの気持ち,自信のなさ,弱さなどの問題がありましたが,困難な事態に立ち向かえるよう,神の霊によって「強力な者とされ」ました。(ヘブ 11:34)エホバの霊がその人たちにどのように働いたかを考慮するなら,信仰が攻撃にさらされる現代に生きているわたしたちも,忠実な歩みを続けるための励みを得ることができます。

      神の霊はモーセに力を与えた

      3-5. (イ)モーセが聖霊の助けを受けて物事を行なったと,どうして言えますか。(ロ)モーセの例は,エホバがご自分の霊を与えてくださることについて,何を教えていますか。

      3 モーセは当時の人々の中で「とりわけ柔和な」人物でした。(民 12:3)この温和な気質の僕に,イスラエルにおける並々ならぬ責任が与えられました。神の霊は,モーセが預言し,裁きを行ない,聖書を書き記し,民を導き,奇跡を行なうための力を与えました。(イザヤ 63:11-14を読む。)それでもモーセは,自分の荷は重すぎる,と弱音を吐いたことがあります。(民 11:14,15)それでエホバは,モーセの上にあった「霊の幾らかを取って」別の70人の上に置き,モーセの荷を軽くされました。(民 11:16,17)モーセにとって荷は重すぎるかに思えましたが,実際にはモーセ独りで担っていたのではありません。モーセを援助するよう任命された70人も,自分たちだけで担うわけではありませんでした。

      4 以前からモーセには,仕事を果たすための十分な聖霊が与えられていました。状況が変化した後も,モーセには必要な霊が不足なく与えられました。モーセの霊が少なすぎることも,70人の年長者の霊が多すぎることもありませんでした。エホバはわたしたちの状況に応じて,霊を必要なだけ与えてくださいます。『神は霊を量って与えたりはされず』,「満ち満ちたものの中から」与えてくださるのです。―ヨハ 1:16; 3:34。

      5 あなたは試練を耐え忍んでおられますか。時間を費やすべき事柄が増えているでしょうか。生活費の高騰や健康への不安に対処しつつ,家族の霊的な必要や物質的な必要を顧みるために奮闘していますか。会衆での重い責任を果たしておられますか。どんな状況にあるとしても,次のことを確信してください。神はご自分の霊により,対処するための力を与えることができるのです。―ロマ 15:13。

      聖霊はベザレルに資格を得させた

      6-8. (イ)神の霊は,ベザレルとオホリアブに何を行なわせることができましたか。(ロ)ベザレルとオホリアブが神の霊に導かれたことを,何が示していますか。(ハ)ベザレルの経験が特に励みとなるのはなぜですか。

      6 モーセと同じ時代のベザレルの経験は,神の霊がどう働くかについて,多くのことを明らかにしています。(出エジプト記 35:30-35を読む。)ベザレルは幕屋のために必要な備品を製作する責任者として任命されました。ベザレルはこの大規模プロジェクトの前から,工作の知識を持っていたのでしょうか。多分持っていたのでしょう。しかし,その前に行なっていたのは,ほぼ間違いなく,エジプト人のためにれんがを作る仕事だったと思われます。(出 1:13,14)では,ベザレルはどのように複雑な工作の仕事を成し遂げたのでしょうか。エホバは「知恵において,理解力と知識とあらゆる技能とにおいて神の霊を彼に満たされました。さまざまな仕組みを考案するため,……工夫に富むあらゆる品物を造るためです」。ベザレルにどんな生来の才能があったにせよ,それは聖霊によって強化されました。同じことはオホリアブにも当てはまります。この二人はよく学んだに違いありません。自分の務めを果たしただけでなく,他の人たちにも仕事を教えたからです。そうです,神は彼らの心に教える意欲をお与えになりました。

      7 ベザレルとオホリアブが神の霊によって導かれたことを示すもう一つの証拠は,その作品の驚くべき耐久性です。およそ500年後にも使用されていたのです。(代二 1:2-6)この二人は現代の職人たちとは違い,作品にサインやトレードマークを残すことには関心がありませんでした。仕事が成し遂げられた誉れはすべて,エホバに帰されました。―出 36:1,2。

      8 今日でも,建設,印刷,大会の組織,救援活動の運営,また,血の使用に関するわたしたちの聖書的な立場について医師や病院関係者と話し合うことなど,特別な技術や知識の必要な難しい仕事に直面することがあります。そうした仕事は熟達した奉仕者によって行なわれることもありますが,多くの場合,特定の分野での経験があまりない奉仕者によって行なわれます。その努力を成功に導くのは神の霊です。あなたは,別の人のほうが資格があると考えて,奉仕の割り当てを受け入れようかどうしようか,ためらったことがありますか。忘れないでください。エホバの霊はあなたの知識と能力を増し加え,どんな割り当ても果たせるよう助けてくれるのです。

      ヨシュアは神の霊の助けにより,成功した

      9. 出エジプトの後,イスラエル人はどんな状況に直面しましたか。どんな質問が生じますか。

      9 モーセやベザレルと同じ時代の人で,やはり神の霊に導かれた人がいます。出エジプトから程なくして,アマレク人がいわれなく神の民に攻撃を仕掛けてきます。イスラエル人はその脅威を撃退しなければなりません。戦争には全く不慣れでしたが,自由になった民として初めて軍事行動を取る必要がありました。(出 13:17; 17:8)軍隊を率いる人が求められました。だれがふさわしいでしょうか。

      10. ヨシュアの指揮のもとでイスラエル人が戦闘に勝利を収めたのは,なぜですか。

      10 ヨシュアが選ばれます。しかし,その任務の資格を得るために仕事の履歴を書くように求められたら,ヨシュアは何を挙げることができたでしょうか。奴隷労働者,れんが工,マナ採取人などでしょうか。ヨシュアの祖父エリシャマがエフライム族の長であり,イスラエルの三部族分隊の一つに属する10万8,100人を率いていたのは確かです。(民 2:18,24。代一 7:26,27)それでもエホバはモーセを通して,敵を制圧する軍のリーダーを,エリシャマでもその息子ヌンでもなく,ヨシュアにするよう指示されました。戦闘は一日の大部分を費やして行なわれました。ヨシュアの絶対の従順と,神の聖霊の導きに対する鋭い認識により,イスラエルは勝利を収めます。―出 17:9-13。

      11. どうすればヨシュアのように,神聖な奉仕において成功できますか。

      11 「知恵の霊に満ちていた」ヨシュアはその後,モーセの後継者になります。(申 34:9)モーセの場合とは異なり,聖霊がヨシュアのうちに,預言したり奇跡を行なったりする能力を生み出すことはありませんでしたが,ヨシュアは聖霊により,軍事行動の面でイスラエルを導くことができました。それがカナンの征服をもたらしたのです。今日わたしたちは,神聖な奉仕の特定の分野について,自分は経験がないとか資格がないと感じることがあるかもしれません。それでもヨシュアのように神の指示にしっかり従うなら,成功を確信することができます。―ヨシュ 1:7-9。

      「エホバの霊がギデオンを包んだ」

      12-14. (イ)300人でミディアン人の大軍に圧勝できたことは,何を示していますか。(ロ)エホバはどのようにギデオンを安心させましたか。(ハ)神は今日,どのように安心感を与えてくださいますか。

      12 エホバはヨシュアの死後も,ご自分の力が忠実な者たちをいかに強めることができるかを引き続き示しました。「裁き人の書」には,『弱かったのに強力な者とされた』人たちの記述が数多くあります。(ヘブ 11:34)神は聖霊により,神の民のために戦うようギデオンを駆り立てました。(裁 6:34)しかし,集められたギデオンの軍は,脅威となっていたミディアン人より劣勢であり,兵の比率は4対1でした。ところが,イスラエルのその小規模部隊も,エホバの目には多すぎました。神は二度にわたり,ギデオンに軍の縮小を命じ,敵に対するイスラエルの兵士の比率を,450対1にします。(裁 7:2-8; 8:10)これがエホバにとって好ましい割合だったのです。その状況で圧倒的な勝利を収めたなら,人間の力もしくは知恵によって勝利を得られたと,だれが自慢できたでしょうか。

      13 ギデオンとその部隊の準備はほぼ整いました。もしあなたがその小部隊の一員だったら,恐れを抱く者や注意力に乏しい者たちが仲間から外されたことを知って,不安に思ったでしょうか。先のことを考えて恐れおののいたでしょうか。ギデオンの場合,そのようなことはありませんでした。言われたとおりのことを行なったのです。(裁き人 7:9-14を読む。)ギデオンは神が共にいてくださることのしるしを求めましたが,エホバはそのことでギデオンを叱責されませんでした。(裁 6:36-40)むしろ,ギデオンの信仰を強めました。

      14 エホバが持たれる救いの力には限界がありません。ご自分の民をどんな窮状からも救出でき,弱く無力に見える人たちを用いてそうされることさえあります。状況は劣勢だとか絶望的だとか感じられることがあるかもしれません。もちろんわたしたちは,ギデオンに与えられたような,奇跡的な確約は期待しませんが,神の言葉から,また霊によって導かれた会衆を通して,豊かな導きと安心を得ることができます。(ロマ 8:31,32)エホバの愛に富む約束は,エホバが本当に助け手であることへの信仰と確信を強めてくれます。

      「エホバの霊がエフタに臨んだ」

      15,16. エフタの娘がりっぱな態度を身に着けていたのはなぜですか。この点から親はどんな励みが得られますか。

      15 別の例を考えてみましょう。イスラエル人がアンモン人と戦うことになった時,エホバの霊が「エフタに臨んだ」とあります。エホバの賛美となる勝利を切に願っていたエフタは,自分にとって大きな犠牲となる誓いをします。アンモンを自分の手に与えてくださるなら,家に帰ったとき戸口から最初に出て来る者はあなたのものとされる,とエホバに誓ったのです。アンモンを制圧して戻って来た時,走ってエフタを迎えたのは,エフタの一人子である娘でした。(裁 11:29-31,34)これはエフタにとって予想外のことだったでしょうか。そうではないようです。エフタはエホバに誓った時,娘が迎えに出る可能性があることを知っていたからです。エフタは,シロにあったエホバの聖なる所での専心的な奉仕に娘をささげることによって,誓いを果たしました。エホバの忠節な崇拝者であった娘も,父親の誓いは果たされるべきであると確信していました。(裁き人 11:36を読む。)エホバの霊は父と娘に,必要な力を与えました。

      16 エフタの娘はどのようにして,そうした自己犠牲の精神を培ったのでしょうか。その信仰は,父親の熱意と敬虔な専心を見て築かれたものに違いありません。親の皆さんの手本がお子さんの目に留まらないことはありません。あなたの言葉と信仰が一致していることは,下す決定に表われます。お子さんは,あなたの真剣な祈りを聞き,効果的な教え方を見るだけでなく,全き心でエホバに仕えるあなたの手本を見るとき,エホバへの奉仕のために自分を差し出したいという強い願いを培うことができるでしょう。これは歓びのいわれとなります。

      『エホバの霊がサムソンに働くようになった』

      17. サムソンは神の霊により,どんなことを行なえましたか。

      17 別の例を取り上げましょう。イスラエルがフィリスティア人の手に渡された時,イスラエルを救出するため,『エホバの霊がサムソンを駆り立てるように』なりました。(裁 13:24,25)サムソンは力を与えられ,驚くべき無類の強い行動を取りました。フィリスティア人がサムソンの仲間のイスラエル人を説得してサムソンを捕らえようとした時,「エホバの霊が彼に働きはじめ,その両腕にあった縄は火で焼け焦げた亜麻糸のようになって,かせは手から溶け去った」と記されています。(裁 15:14)サムソンは自分の判断の誤りゆえに力を弱められましたが,「信仰により」強力にされました。(ヘブ 11:32-34。裁 16:18-21,28-30)状況が異例だったため,特別なかたちでエホバの霊がサムソンに働いたのです。それでも,これらの歴史的な出来事は,わたしたちにとって大きな励みとなります。なぜでしょうか。

      18,19. (イ)サムソンの経験は,わたしたちに何を保証していますか。(ロ)あなたは,この記事で考慮した忠実な人たちの模範から,どんな益を得ましたか。

      18 わたしたちもサムソンが頼ったのと同じ聖霊に頼ります。イエスが追随者たちに与えた業,つまり『民に宣べ伝え,徹底的に証しする』業を行なう際,そうするのです。(使徒 10:42)この割り当てを果たすには,生来備わっているわけではない能力が必要です。わたしたちは,エホバが聖霊を用いて,託された多種多様な仕事を成し遂げるようにしてくださることに,何と感謝できるのでしょう。ですから,この務めを果たすに当たっては,預言者イザヤのように,「主権者なる主エホバご自身が,実にその霊がわたしを遣わされた」と言うことができます。(イザ 48:16)そうです,わたしたちを遣わしたのは,神の霊なのです。モーセやベザレルやヨシュアの場合と同じように,わたしたちがいっそう資格にかなうようにしてくださるとのエホバの保証を忘れず,この業に心を向けましょう。ギデオン,エフタ,サムソンの場合と同じようにエホバが力を与えてくださることを確信し,「霊の剣,すなわち神の言葉」を取りましょう。(エフェ 6:17,18)障害を乗り越えるための助けを求めてエホバに頼るなら,サムソンが身体的に強められたように,わたしたちも霊的な強い力を得ることができます。

      19 真の崇拝の側に堅く立つ人々を,エホバは確かに祝福してくださいます。神の聖霊の働きにこたえ応じるなら,信仰は豊かになります。ですから,クリスチャン・ギリシャ語聖書中の興奮を誘う出来事を調べるのも有益なことです。西暦33年のペンテコステの前と後に,エホバの霊が1世紀の忠実な僕たちの上にどのように働いたかが分かるでしょう。その点は次の記事で扱われます。

  • 神の霊に導かれる ― 1世紀そして現代
    ものみの塔 2011 | 12月15日
    • 神の霊に導かれる ― 1世紀そして現代

      「これらのすべての働きを同一の霊が行なう」。―コリ一 12:11。

      1. この記事では,どんなことを考慮しますか。

      ペンテコステ。この一語から実に感動的な出来事が幾つも思い起こされます。(使徒 2:1-4)西暦1世紀のその日に聖霊が注がれたことにより,神が僕たちをどう扱うかということに重大な変化が生じました。前の記事では,昔の忠実な人たちが細かな指示を含む難しい割り当てを果たせるよう,どのように神の霊が働いたかを考えました。しかし,キリスト以前の時代と1世紀では,神の霊の働き方は異なります。どこが違うのでしょうか。またクリスチャンは,今日における神の聖霊の働きからどのように益が得られるでしょうか。調べてみましょう。

      「ご覧ください,エホバの奴隷女でございます!」

      2. マリアはペンテコステ以前にも,聖霊のどんな働きを経験しましたか。

      2 約束の聖霊が注がれた時,マリアもエルサレムの大きな階上の部屋にいました。(使徒 1:13,14)しかしマリアは,その出来事の30年以上前に,エホバの霊の際立った働きを経験しています。エホバはみ子の命を天から地上に移し,まだ処女であったマリアが受胎するようにされたのです。マリアのうちに宿された命は「聖霊による」ものでした。―マタ 1:20。

      3,4. マリアはどんな態度を示しましたか。どのようにマリアに倣えますか。

      3 マリアがこの比類のない特権を与えられたのはなぜですか。み使いからエホバのご意志について説明されたマリアは,「ご覧ください,エホバの奴隷女でございます! あなたの宣言どおりのことが私の身に起きますように」と,感嘆の声を上げました。(ルカ 1:38)マリアはそう述べることにより,自分の心のうちを明らかにしました。神はマリアのその心に注目しておられたのです。マリアがすぐさま答えたことから,自分に対する神のご意志を受け入れる心構えができていたことが分かります。周囲の人たちがこの妊娠をどう思うか,婚約者との関係はどうなってしまうのかといったことを,み使いに尋ねることはありませんでした。自分を非常に卑しい僕と言い表わすことにより,エホバを自分の主として全く信頼していることを示しました。

      4 神への奉仕に伴う責任や,直面する難しい問題に幾らか圧倒されてしまうことがありますか。わたしたち一人一人が,『自分は,エホバがご意志と調和して事を運ばれることに,全き信頼を置いているだろうか。進んで行なう精神を本当に示しているだろうか』と自問するのはよいことです。心をこめて神を信頼し,主権者としてのご意志を認める人たちに,神は必ず聖霊を与えてくださいます。―使徒 5:32。

      ペテロは聖霊に助けられた

      5. ペテロは西暦33年のペンテコステの前に,どのように聖霊が働くのを見ましたか。

      5 使徒ペテロもマリアと同じく,西暦33年のペンテコステより前に,神の聖霊の強力な働きを個人的に経験しました。イエスはペテロや他の使徒たちに,悪霊たちを追い出す権威を与えておられました。(マル 3:14-16)詳しいことは聖書に記されていませんが,ペテロはその権威を用いたようです。ガリラヤの海の上を歩いてご自分のもとに来るよう,イエスがペテロを招いたときも,神の力が明らかにされました。実際,ペテロは水の上を歩きました。(マタイ 14:25-29を読む。)明らかにペテロは,数々の強力な業を行なうに当たり,助けとなる聖霊に頼りました。聖霊はやがて,新しいかたちでペテロと仲間の弟子たちの上に働くことになっていました。

      6. ペテロは,西暦33年のペンテコステの際,そしてその後に,神の霊によって何を行なうことができましたか。

      6 西暦33年のペンテコステの祭りで,ペテロを含む大勢の人たちに,エルサレムに滞在していた人たちが話す言語で語る奇跡的な能力が与えられました。その後,ペテロは先頭に立って聴衆に話をします。(使徒 2:14-36)そうです,かつては衝動的で恐れを抱いていたペテロに,脅しや迫害を物ともせず大胆に証言する勇気が吹き込まれたのです。(使徒 4:18-20,31)ペテロは神から知識を啓示されました。(使徒 5:8,9)復活を行なう力さえ与えられました。―使徒 9:40。

      7. ペテロが油そそがれて初めてはっきり分かったイエスの教えには,どんなものがありますか。

      7 ペテロはペンテコステの前にも,イエスから教えられた多くの真理の意味を理解していました。(マタ 16:16,17。ヨハ 6:68)しかしイエスの教えには,ペンテコステ以前のペテロにははっきり分からない面がありました。例えば,キリストが死後三日目に霊者として復活することや,王国が天に立てられることは悟っていませんでした。(ヨハ 20:6-10。使徒 1:6)人間が霊者になって天の王国で支配するという考えは,ペテロにとってなじみのないものだったのです。しかし,聖霊で油そそがれ,天的な希望を与えられると,それらの点に関するイエスの教えの意味が理解できるようになりました。

      8. 油そそがれた人たちも「ほかの羊」も,どんな知識を得るようになりましたか。

      8 イエスの弟子たちは聖霊を注がれた後,以前は不可能だった深い洞察を得るようになりました。クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちは霊感によって,エホバの目的に関する驚くべき事柄を,わたしたちの益のために書き記しました。(エフェ 3:8-11,18)今日,霊によって油そそがれた人たちも「ほかの羊」も,それら同一の真理を取り入れることにより,共に霊的に養われています。(ヨハ 10:16)あなたは,聖霊の働きによって得られるようになった神の言葉の知識と理解を,大切にしていますか。

      パウロは『聖霊に満たされた』

      9. パウロは聖霊により,何を成し遂げることができましたか。

      9 西暦33年のペンテコステの1年ほど後に,聖霊という神の賜物を与えられた人について考えましょう。その人はサウロといい,後にパウロとして知られるようになります。パウロに霊が働いたことは,今日のわたしたちに益を及ぼします。使徒パウロは霊感により,聖書中の14の書を書き記しました。ペテロと同じように,神の霊により,天で不滅性と不朽性を得るという希望について明確に理解し,書き記すことができました。聖霊により,いやしを行ない,悪霊を追い出し,死者をよみがえらせることさえしています。しかし,聖霊を通して与えられる力には,もっと重要な目的がありました。今日の神の僕すべても,奇跡的にではありませんが,その力を経験しています。

      10. 聖霊は,パウロの話す能力にどんな影響を与えましたか。

      10 パウロは「聖霊に満たされ」,呪術者に大胆に語りました。その証言は,会話の一部始終を聴いていたキプロスの行政の長にすばらしい影響を及ぼしました。その行政の長,つまり執政官代理は『エホバの教えにすっかり驚き』,真理を受け入れたのです。(使徒 13:8-12)明らかにパウロは,真理を語る際に神の聖霊がいかに重要であるかをよく知っていました。(マタ 10:20)その後パウロはエフェソスの会衆に,「話す能力」が与えられるよう自分のために祈願してほしい,と懇願しています。―エフェ 6:18-20。

      11. パウロはどのように神の霊に導かれましたか。

      11 聖霊はパウロが話すことを可能にしただけでなく,特定の地域では話すことを禁じる時がありました。宣教旅行を始めたパウロは,神の聖霊に導かれました。(使徒 13:2。使徒 16:6-10を読む。)エホバは今も,宣べ伝える業をご自分の霊によって導いておられます。エホバの従順な僕たちは皆,パウロのように大胆さと熱意をもって真理をふれ告げるよう努力します。神の指示がパウロの時代ほど明らかではないとしても,エホバが聖霊を用いて,ふさわしい人たちが必ず真理を聞けるようにしておられることは確かです。―ヨハ 6:44。

      「働きはさまざま」

      12-14. 神の霊は,僕たちすべてに対して同じように働くのでしょうか。説明してください。

      12 エホバは,油そそがれた者たちから成る1世紀の会衆を祝福されました。では,そのことから,今日の神の献身した僕たちも大きな励みが得られるでしょうか。もちろん得られます。パウロが1世紀当時の霊の奇跡的な賜物についてコリントの会衆に述べた霊感による言葉を忘れてはなりません。こう記されています。「さて,賜物はさまざまですが,霊は同じです。奉仕の務めはさまざまでも,主は同じです。働きはさまざまでも,すべての人の中であらゆる働きをされる神は同じです」。(コリ一 12:4-6,11)そうです,聖霊はある目的のために,神の僕たちに対してさまざまな働きをするのです。聖霊は,キリストの「小さな群れ」にも「ほかの羊」にも与えられるものです。(ルカ 12:32。ヨハ 10:16)それでも,会衆の成員すべてに対して,常に同じように働くわけではありません。

      13 例えば,長老たちは聖霊によって任命されます。(使徒 20:28)しかし,霊によって油そそがれた人すべてが,会衆の監督として奉仕するわけではありません。このことから何が分かりますか。神の霊は会衆の成員たちに対して,さまざまな働きをするということです。

      14 エホバは聖霊によって,独り子を死人の中から天の不滅の命によみがえらせましたが,その同じ霊を用いて,油そそがれた人たちに「養子縁組の霊」,つまり神の子としての意識を与えます。(ローマ 8:11,15を読む。)エホバが宇宙全体の創造に用いたのも聖霊でした。(創 1:1-3)さらにエホバは,その同じ霊により,ベザレルには幕屋に関連した特別な仕事の資格を得させ,サムソンには並々ならぬ強さが必要な行動を取らせ,ペテロには水の上を歩けるようにさせました。ですから,神の霊を持っていることと,神の霊によって油そそがれていることを,混同しないようにしましょう。後者は霊の働きの特殊な一面にすぎません。霊による油そそぎは神の選びに依存しています。

      15. 聖霊によるバプテスマはいつまでも続きますか。説明してください。

      15 神の聖霊はいつの時代も,そうです,霊による油そそぎが始まる前の数千年間も,さまざまなかたちで忠実な僕たちの上に働いてきました。確かに西暦33年のペンテコステには,聖霊の新しい働きが始まりましたが,それは永遠に続くわけではありません。霊によるバプテスマはいずれ終わりますが,神の民が永遠にわたり神のご意志を行なえるよう,聖霊は引き続きその民の上に働きます。

      16. いま神の僕たちは聖霊によって,どんなことを行なっていますか。

      16 いま地上では,エホバの聖霊によって特にどんなことが行なわれているでしょうか。啓示 22章17節に答えがあります。「霊と花嫁は,『来なさい!』と言いつづける。そして,だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」。今日のクリスチャンは神の霊に動かされ,人々に命を与えるエホバの招きを差し伸べています。「だれでも望む者」に,命の水を受けるようにと勧めるのです。その活動の先頭に立っているのは油そそがれたクリスチャンですが,ほかの羊もその業に参加しています。どちらのグループもこの業を成し遂げるため,聖霊に協力します。どちらも,エホバへの献身の象徴として,「父と子と聖霊との名において」バプテスマを受けたグループなのです。(マタ 28:19)また,生活の中で神の霊の働きに従い,霊の実が生み出されるようにします。(ガラ 5:22,23)油そそがれた者たちのようにほかの羊も,神の霊の助けを得るようにしています。その助けを受けながら,神聖さに関するエホバのご要求を満たせるよう最善を尽くします。―コリ二 7:1。啓 7:9,14。

      聖霊を求めつづけなさい

      17. わたしたちは神の霊を与えられていることを,どのように示せますか。

      17 ですから,神から与えられた希望が天での永遠の命であれ,地上における永遠の命であれ,エホバはあなたが忠誠を保ち,報いを得られるよう,『普通を超えた力』を与えることができます。(コリ二 4:7)王国の良いたよりを宣べ伝えると,あざけりを受けるかもしれません。しかし,次のことを忘れてはなりません。「キリストの名のために非難されるなら,あなた方は幸いです。栄光の霊,すなわち神の霊があなた方の上にとどまっているからです」。―ペテ一 4:14。

      18,19. エホバは聖霊により,どのようにあなたを助けてくださいますか。この点に関して,あなたはどんな決意を抱いていますか。

      18 聖霊は,それを誠実に求める人たちに神から与えられる無償の賜物です。それは,あなたの能力を向上させるだけでなく,神への奉仕に最善を尽くしたいというあなたの願いを強めることができます。神は「ご自分の喜びとなることのため,あなた方が志しかつ行動するようにと,あなた方の中で行動しておられる」のです。聖霊という貴重な賜物に,『命の言葉をしっかりつかむ』ための真剣な努力が加わるとき,わたしたちは「恐れとおののきをもって自分の救いを達成して」ゆくことができます。―フィリ 2:12,13,16。

      19 ですから,神の霊に全き確信を抱きつつ,どんな割り当てにも心をこめ,与えられた仕事に熟達し,エホバに助けを仰ぎ求めてください。(ヤコ 1:5)神は,あなたがみ言葉を理解し,生活上のさまざまな問題に対処し,良いたよりを宣べ伝えるために必要なものを与えてくださいます。「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます」。これは,聖霊を受けることにも当てはまります。(ルカ 11:9,13)神の聖霊に導かれた古今の忠実な人たちに倣えるよう,絶えずエホバに祈願をささげましょう。

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