-
1945-1990年 「多くの者を義に導」く ― ダニ 12:3(第3部)2014 エホバの証人の年鑑
-
-
1960年に地帯監督ウィルフレッド・グーチがコナクリを訪問した時,ほかにも二人のアフリカ人の兄弟がそこで伝道していました。グーチ兄弟は,フランス支部ではなくシエラレオネ支部がギニアを世話することを推薦します。その変更は1961年3月1日に実施され,1か月後,ギニアで最初の会衆がコナクリに設立されました。
-
-
1945-1990年 「多くの者を義に導」く ― ダニ 12:3(第3部)2014 エホバの証人の年鑑
-
-
コナクリで生じた変動
そのころ,コナクリで問題が起ころうとしていました。政治的混乱により,役人たちが外国人を疑いの目で見るようになったのです。ギレアデの宣教者4人が永住ビザの取得を拒まれ,強制退去になりました。ガーナの兄弟二人が事実無根の罪で逮捕され,2か月近く勾留されました。
その二人のうちの一人イマニュエル・オウス-アンサは釈放後,すぐに再逮捕され,劣悪な環境に置かれました。不衛生な監房から手紙を書いています。「霊的には健康ですが,ずっと熱があります。でも伝道は続けられます。先月は,野外奉仕に67時間を費やし,二人の聖書研究生がわたしと一緒に伝道するようになりました」。研究生の一人は真理に入りました。5か月後,オウス-アンサ兄弟は釈放され,シエラレオネに追放されます。コナクリの奉仕者は一人だけになってしまいました。
政治的緊張が和らいだ1969年,特別開拓者たちがコナクリに到着します。彼らは当局の許可を得て,王国会館を設け,看板を掲げます。まもなく関心のある30人ほどが定期的に集会に出席するようになりました。
逮捕の危険があったため,兄弟たちは当初,慎重に伝道していました。しかし状況を把握するにつれ,奉仕を拡大してゆきます。1973年中,コナクリの小さな会衆は6,000枚ものパンフレットを配布します。その後,商業地区での雑誌の提供も開始します。役人や一般の人たちは徐々に,エホバの証人の活動を理解して評価するようになりました。兄弟たちの辛抱強い不断の努力により,ついに1993年12月15日,「ギニアのエホバの証人のクリスチャン協会」が法的に認可されました。
-