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    2005 エホバの証人の年鑑
    • 地元の開拓者たちがギレアデへ

      何人かの地元の開拓者はギレアデ学校へ行く特権を与えられました。その中には,ガイアナに戻って奉仕するよう任命された人もいます。例えば,1953年に第21期のクラスに招待されたフローレンス・トム(現在はブリセット),1958年に第31期のクラスに招待されたアルバート・スモールとシーラ・スモール,

  • ガイアナ
    2005 エホバの証人の年鑑
    • アルバート・スモール兄弟は妻と共にギレアデから戻った後,支部委員および巡回監督として長く奉仕しました。現在スモール兄弟姉妹は健康上の問題を抱えながらも,地元の会衆で特別開拓者として奉仕しています。兄弟は長老としても仕えています。

  • ガイアナ
    2005 エホバの証人の年鑑
    • [155-158ページの囲み記事/図版]

      子どものころに抱いた疑問の答えが人生を変えました

      アルバート・スモール

      生まれた年: 1921年

      バプテスマ: 1949年

      プロフィール: 1953年に開拓奉仕を始める。1958年に妻シーラとギレアデに行き,ガイアナに戻って奉仕する割り当てを受ける。

      「神様がお前をお造りになったんだよ」― 子どものころいつもそう言われていました。それで母から,お前は4人の子どもの中で一番悪い子だと言われた時,わたしは神様が3人の良い子と1人の悪い子を造られたんだと思いました。

      10歳のころ,日曜学校の先生に,「神様を造ったのはだれですか」と尋ねましたが,何も答えてもらえませんでした。それでも,当時の大半の人と同様,ある年齢に達すると教会に通うようになりました。わたしの場合は長老派教会でした。もっとも,わたしが抱いていた疑問には,ほとんど答えが与えられませんでした。例えば,教会で次のような歌詞の賛美歌を歌いました。「富んだ者は城に住み,貧しい者はその門に住む。神は身分の高い者と低い者とに造った。神は彼らの地位をお定めになった」。わたしは,『神様は本当に「彼らの地位をお定めになった」のだろうか』と思いました。ある時,牧師に,「もし神様がアダムとエバを造られたのなら,いろいろな人種はどこから生じたのですか」と尋ねました。牧師の答えは,簡単に言えば,創世記は作り話だということでした。

      その後,第二次世界大戦の際,英国兵のために祈るようにと勧められました。このことがあってから,自分の教会の教えはわたしの聖書の理解と相反しているという確信を得ました。それでも,『ほかのどこへ行けばいいのだろう』という疑問があり,教会にとどまりました。24歳の時にシーラと結婚しました。

      ある日,教会から帰宅するとエホバの証人が訪ねて来ました。証人たちは“地獄を否定する教会”と呼ばれていて,わたしは関心がありませんでした。証人たちは個人の家で集会を開き,聖職者の服も着用しないのです。それにわたしは,素晴らしい女性と結婚できたことなど,自分の人生の中で生じた事柄によって,神はわたしを気遣っておられると考えるようになっていました。

      そのエホバの証人 ― ネシブ・ロビンソン ― が自己紹介した時,わたしは自転車のパンクの修理をしていました。わたしは,「タイヤがパンクしているんだ。クリスチャンなら修理を手伝えよ」と言うと,さっさと家の中に引っ込んでしまいました。翌週,教会へ行こうと聖書を持って玄関を出ると,ネシブがちょうど玄関の階段を上って来ました。わたしは,「お宅の宗教には関心がないんですよ。家内が中にいるから,家内に話してください」と言って,出かけました。

      わたしはあんなことを言わなければよかったと後悔しました。というのも,教会では牧師の説教に集中できず,『ロビンソンさんとシーラが話し始めたら,シーラが日曜の特製スープを作る時間はなくなるな』などと考えていたからです。しかし,心配には及びませんでした。家に戻ってみるとスープはできていました。気になってシーラに,「ロビンソンという人と話をしたのかい」と聞くと,「ええ,わたしが料理をしている間,ロビンソンさんは腰を下ろして説教をしていかれたわよ」と言いました。

      その後まもなく,シーラは聖書研究に応じました。そして最初の子どもを出産しましたが,死産でした。わたしはロビンソンさんに,なぜこのようなことが生じるのですか,と尋ねました。彼は,それは神の責任ではなく,アダムとエバの不従順とその二人から受け継いだ不完全さのためです,と言いました。わたしは,その答えに納得しました。

      ネシブはよく,家具作りの作業場にわたしを訪ねて来ました。話は専らわたしの仕事のことについてでしたが,帰る前にそれとなく聖書の一つの点を話の中に含めました。やがて家具の話は少なくなり,神の言葉に関することが多くなりました。ある日わたしは,これまでずっと気にかかっていた疑問を,一つ二つネシブにぶつけてみることにしました。“正式な”牧師でさえ答えが分からなかったのだから,ネシブも困惑するだろうと考えたのです。

      聖書から答えてくれるよう念を押してから,最初の質問をしました。「だれが神を造ったのですか」。ネシブは「ジェームズ王欽定訳」(英語)から詩編 90編2節を読みました。「山いまだなりいでず,汝いまだ地と世界とを造りたまわざりしとき,とこしえよりとこしえまで汝は神なり」という聖句です。ネシブはわたしを見ながら,こう言いました。「何と書いてあるでしょうか。神を造ったのはだれでもありません。神は常に存在してこられたのですよ」。わたしはその明快で論理的な答えに驚き,せきを切ったように,幾年もの間にたまり続けた疑問を一つ残らず吐き出しました。聖書に基づくネシブの答え,とりわけ,地球を楽園にするという神の目的に,それまで味わったことのないような喜びを感じました。

      初めて王国会館に行った時は,特に大きな感銘を受けました。どうしてでしょうか。聴衆が集会に参加しているのを見てびっくりしたのです。教会では決して目にしない光景でした。妻はその時はまだ集会に出席しておらず,そこにいませんでしたが,集会の様子を話すと,「わたしも一緒に行くわ」と言いました。そして55年後の今も二人で集会に行っています。

      シーラとわたしは,1949年に大西洋でバプテスマを受けました。わたしは1953年に開拓奉仕を始め,2年後にシーラも加わりました。ですから全時間奉仕50年になります。わたしたちは1958年にギレアデ第31期のクラスに招待され,ガイアナに戻る割り当てを受けました。旅行する奉仕を23年間行なった後,特別開拓者として奉仕する特権をいただき,今日に至っています。わたしは,子どものころ抱いた疑問の答えを与えられただけでなく,妻シーラと共にエホバにお仕えできることを感謝しています。

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