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    1994 エホバの証人の年鑑
    • 1956年4月に宣教者のジョージ・コーウィンとテルマ・コーウィンがハイチに到着した時,ジョージは早速,野外宣教に連れ出されました。ジョージはこう語ります。「空港からベテルへ到着し,昼食を取りました。するとピーター・ルーカクから奉仕に誘われました。一緒に数軒訪問すると,ピーターは,今度はそれぞれ別の家を訪問しましょうと言いました。まだハイチに着いた最初の日ではありませんか。言葉にも不慣れです。それでも,ハイチの人々は思いやりがあるので,うまく対処できました」。

      コーウィン夫妻はピーター・ルーカクと共にサンマルクへ遣わされました。手始めに,兄弟たちは予約切れ用紙を幾らか受け取りました。ある予約切れ用紙に書かれた名前の女性を探しているうちに,コーウィン夫妻は,その人の姉で,退職した学校教師のアデール・キャネルに会いました。アデールは二人と一緒に「神を真とすべし」の本 ― アデールのはフランス語,コーウィン夫妻のは英語 ― を研究しました。アデールの夫もついには研究に加わるようになりました。やがてこの夫婦は部屋を二つに分け,一つを自分たちの住まいにし,もう一方の広いほうを集会所にしてくれました。二人ともエホバの証人になり,こうして1956年にサンマルク会衆がスタートしました。

      コーウィン夫妻が研究を司会していた人たちの中に,自分の店で研究した仕立て屋のマルクオーレル・ジャンがいます。その父エマヌエルは字が読めませんでしたが,聴いて学びました。間もなく,二人とも集会に出席し,伝道に参加するようになりました。父親のほうは証言を全部暗記していました。やがて,エマヌエルはある漁師と研究を始めました。エマヌエルはまず,自分の息子と一緒に数節を考慮して内容を把握し,それから聖書と小冊子と歌の本を持って研究の司会に出かけました。集会の時と同じように,歌と祈りで聖書研究を始め,また閉じていたのです。

  • ハイチ
    1994 エホバの証人の年鑑
    • [139ページの図版]

      ハイチの他の初期の宣教者たちと同様,ジョージ・コーウィンとテルマ・コーウィンはオートバイで区域を網羅した

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