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ハイチ1994 エホバの証人の年鑑
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最初のフランス語会衆は1969年に設立されました。この会衆からミシェル・マントルがやって来たのです。
ミシェル・マントルは米国に住んでいたハイチ人で,1966年に証人たちと研究を始めました。そして急速に進歩し,1967年にバプテスマを受けました。1971年にこの兄弟はギレアデ学校での訓練を受け,支部の監督としてハイチに任命されました。がっしりとした,当時34歳の独身男性であったこの兄弟は,友好的であり,しかも優れた指導力を発揮しました。兄弟がハイチに来ることは,特別に歓迎されました。宣教者たちにハイチに入ってもらう努力が払われていましたが,うまく行っていなかったからです。
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ハイチ1994 エホバの証人の年鑑
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マントルはそのころのことを次のように語ります。「私たちは,寝室や客間や階段に在庫文書を置いていました。それで,地帯監督はほかの場所を探すよう勧めてくれました。その時から,土地を探してそこに建物を建てるという考えを持つようになりました」。
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ハイチ1994 エホバの証人の年鑑
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「宗務大臣は,国旗敬礼の問題に関してミシェル・マントルと私に出頭を命じましたが,私が自分の洋服の仕立て屋だということに気づいて,こう言いました。『厄介な問題ばかり起こしているのは君かね』。それから,ラジオに出演する牧師の話をし,『なぜ,弁明しないのかね』と尋ねました。私は,エホバの証人は公衆の面前で論争するつもりはないこと,それはただ,自分たちの音信の尊厳を危うくするだけであることを説明しました」。
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ハイチ1994 エホバの証人の年鑑
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1976年からは支部委員会の取り決めが実施され,最初の成員は,ミシェル・マントル,
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ハイチ1994 エホバの証人の年鑑
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ミシェル・マントルはそれまでの11年間,支部事務所をよく監督しましたが,このたび地域監督として旅行する奉仕に入り,そのかたわら,大会のない月には特別開拓者としても奉仕することになりました。
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