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幸せとは?目ざめよ! 2018 | No. 1
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しあわせな生き方
幸せとは?
自分は幸せなほうだと思いますか。家族や仕事に恵まれているから幸せ,宗教を信じているから幸せだと言う人もいます。あるいは,卒業や就職,新車の購入を楽しみにしている人もいるかもしれません。
多くの人は,何か目標を達成したり欲しい物を手に入れたりした時に,幸せな気持ちになります。でも,そうした気持ちはどれほど続くでしょうか。大抵はすぐに消えてしまうでしょう。
幸福,あるいは幸せとは,恵まれた状態のことで,ある程度の持続性があり,ちょっとした満足感から生きる喜びまで幅広い気持ちを指す言葉です。そして,いつまでもこのままでいたいという自然な願望を伴うとされています。
ですから,幸せは目的地やゴールというよりは旅そのものに似ています。幸せになれるかどうかは,何を得られるかよりも,どのように生きるかにかかっています。「あれがなければ」あるいは「これができなければ」幸せになれない,と思っている人は,今得られるはずの幸せを得そこなっているのです。
例として,幸せと健康を比べてみましょう。健康でいるためには,食事や運動など生活全般に気を配る必要があります。同じように,幸せでいるためには,生活の様々な場面でバランスの取れたアドバイスに従う必要があります。
どんなことが幸せな生き方につながるでしょうか。大切なポイントが6つあります。
満足し,喜んで与える
健康を保ち,順応する
愛する
許す
生きる目的を知る
希望を持つ
長年敬意をもって受け入れられてきた知恵の書 聖書はこう述べています。「自分の道においてとがのない者たち……は幸いです」。(詩編 119:1)では,その「道」つまり生き方について考えてみましょう。
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満足し,喜んで与える目ざめよ! 2018 | No. 1
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しあわせな生き方
満足し,喜んで与える
幸せとはお金や物をたくさん持つことだと考えて,もっとお金を稼ごうと長時間働く人は少なくありません。では,お金や物があれば,ずっと幸せでいられるのでしょうか。証拠から何が分かりますか。
「幸福研究ジャーナル」(英語)によると,基本的な必要が満たされていれば,さらに収入が増えても,幸福感が高まることはほとんどない,ということです。お金自体が問題なのではありません。「[金銭]を追及するなら幸福感は薄れる」と「心理学モニター」(英語)は述べています。2000年近く前に書かれた聖書のアドバイスのとおりです。「金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根……です。ある人たちはこの愛を追い求めて……多くの苦痛で自分の全身を刺したのです」。(テモテ第一 6:9,10)この「苦痛」には何が含まれるでしょうか。
心配や不眠 財産を失わないかと,心配になったり眠れなくなったりするかもしれません。聖書にはこうあります。「仕える者の眠りは,自分の食べる分が少ないか多いかにかかわりなく甘い。しかし,富んだ者の豊富さはこれに眠りを許さない」。(伝道の書 5:12)
期待外れ 金銭欲は決して満たされることがないので,財産が増えても幸せになれず,がっかりするかもしれません。「ただ銀を愛する者は銀に満ち足りることなく,富を愛する者は収入に満ち足りることがない」のです。(伝道の書 5:10)また,富を得ようと必死になるなら,家族や友人と過ごしたり神様を崇拝したりする貴重な時間など,幸せに欠かせないことが犠牲になるかもしれません。
強いストレス 通貨が下落したり投資に失敗したりすると,強いストレスを感じるかもしれません。聖書はこう述べています。「富を得ようと労してはならない。自分の理解に頼ることをやめよ。あなたは自分の目にそれを一目見させたのか。それが何物でもないのに。それは自分のために必ず鷲のような翼をつけ,……飛び去る」。(箴言 23:4,5)
もっと幸せになるために
満足する 「わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともでき[ません]。ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです」。(テモテ第一 6:7,8)満足する人は,不平を言ったり人を羨んだりしません。自分の収入以上の生活を望まないので,不必要な心配やストレスを抱えずに済みます。
喜んで与える 「受けるより与えるほうが幸福」です。(使徒 20:35)気前よく与える人は,ほかの人に喜んでもらえることに喜びを見いだします。わずかな時間やエネルギーしか与えることができないとしても喜べます。そのような人は,お金では買えない素晴らしいものをたくさん手に入れることができます。愛や敬意,惜しみなく与えてくれる本当の友達などです。(ルカ 6:38)
物より人を優先する 「野菜の料理とそこに愛があれば,肥やし飼いにした牛とそれに憎しみが伴うのに勝[ります]」。(箴言 15:17)つまり,愛情あふれる人間関係は,物よりも大切だということです。そして,愛は幸せに不可欠です。その点は後ほど考えます。
南米のサビナは,聖書の教えが役立つことを実感しました。夫に捨てられてから,自分と2人の娘の生活を支えるのに必死で,毎朝4時に起きて,2つの仕事を掛け持ちしていました。そうした過酷なスケジュールにもかかわらず,サビナは聖書を学ぶことにしました。どうなったでしょうか。
サビナの経済状態はほとんど変わりませんでしたが,人生に対する見方はまったく変わりました! 例えば,神様の導きを得て,幸せを感じました。(マタイ 5:3)同じ信仰を持つ,本当の友達もできました。学んだことを他の人に伝えることで,与える喜びを感じることもできたのです。
「知恵はその働きによって義にかなっていることが示される」,つまり知恵の正しさは結果によって証明される,と聖書は述べています。(マタイ 11:19)満足することと喜んで与えること,そして物より人を優先することの正しさも,十分に証明されています!
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健康を保ち,順応する目ざめよ! 2018 | No. 1
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しあわせな生き方
健康を保ち,順応する
慢性的な体の不調や障害があると,生活は大きく変わってしまいます。ウルフという男性は,かつては健康で活動的でしたが,体がまひしてしまいました。こう言っています。「すっかり落ち込みました。勇気も,気力も,体力も,どこかへ行ってしまいました。……自分は『壊れてしまった』と感じました」。
ウルフの経験から分かるとおり,自分の健康を完璧にコントロールできる人はいません。とはいえ,無理のない範囲で健康を守ることはできますし,健康を損なったとしても,もう幸せになれないというわけではありません。その点は後ほど考えます。しかしまずは,病気のリスクを減らすのに役立つ聖書のアドバイスを見てみましょう。
「習慣に節度を守[る]」(テモテ第一 3:2,11)当然ながら,いつも食べ過ぎたり飲み過ぎたりするのは,お財布にはもちろん,健康にも良くありません。聖書はこう勧めています。「ぶどう酒を多量に飲む者や,肉をむさぼり食う者の仲間に加わってはならない。酔いどれや貪欲な者は貧困に陥……るからである」。(箴言 23:20,21)
体に悪いことを避ける 「肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め」ましょう。(コリント第二 7:1)喫煙やアルコールや薬物の乱用は体にダメージを与えます。例えば,喫煙は「疾病や障害につながり,ほぼすべての臓器に害を及ぼす」と米国疾病対策予防センターは報告しています。
自分の体と命を大切な贈り物とみなす 「わたしたちは神によって命を持ち,動き,存在してい[ます]」。(使徒 17:28)この事実を受け止めると,仕事,運転,娯楽に関しても不必要な危険を避けたいと思うようになります。一瞬のスリルのために,一生を台なしにするなんてばかげています!
ネガティブな気持ちをコントロールする 心と体は密接に関係しています。それで,ネガティブな気持ちを制御しましょう。心配し過ぎたり,怒りを爆発させたり,ねたんだりするのを避けてください。詩編 37編8節は,「怒りをやめ,激怒を捨てよ」と勧めています。「次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです」ともあります。(マタイ 6:34)
ポジティブなことを考えるようにする 「穏やかな心は身体の命」である,と箴言 14章30節は教えています。また,「喜びに満ちた心は治療薬として良く効き」ます。(箴言 17:22)この言葉は科学的にも正しいと言えます。「幸せな人は,不幸せな人よりも病気になるリスクが低い」とスコットランドのある博士は述べています。
折れにくい心を育てる 前述のウルフのように,長引くつらい状況を耐えるしかないこともあります。しかしそうだとしても,どのように耐えるかを選ぶことはできます。がっかりして打ちのめされてしまう人もいますが,それでは事態は悪くなる一方です。「あなたは苦難の日に自分が失望していることを明らかにしたか。あなたの力は乏しくなる」と箴言 24章10節は述べています。
初めは落ち込んだとしても,立ち直る人もいます。順応し,対処する方法を見つけるのです。ウルフはそうでした。たくさん祈り,聖書の明るいメッセージについて深く考えた結果,「できないことにではなく,できることに目を向けられるようになった」と言います。さらに,大きな試練を乗り越えた多くの人たちと同様に,いっそう思いやりを持ち,感情移入ができるようになり,聖書からの慰めを他の人たちに伝えたいという気持ちになりました。
スティーブは,15歳の時に事故で首から下がまひしてしまいました。18歳になるころには,腕をまた使えるようになりました。大学へ通い始めましたが,そこで薬物やアルコールや不道徳にのめり込みました。何の希望もありませんでした。しかし,聖書を学び始め,人生観が変わりました。悪い習慣も克服できました。「長い間感じていたむなしさはもうありません。……今のわたしの生活は,安らぎ,幸福,満ち足りた気持ちでいっぱいです」と語っています。
スティーブとウルフの言葉から,詩編 19編7,8節が思い出されます。こうあります。「エホバの律法は完全で,魂を連れ戻す[または,力を吹き込む]。……エホバから出る命令は廉直で,心を歓ばせる。エホバのおきては清く,目を輝かせる」。
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愛する目ざめよ! 2018 | No. 1
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しあわせな生き方
愛する
愛がないと人は生きてゆけません。愛がなければ,結婚も家族生活も友人関係もうまくいきません。ですから,愛が心の健康と幸せに不可欠なことは明らかです。では,この愛とは何ですか。
恋愛感情にもそれなりの意味がありますが,ここで言う愛は,それとは別のもので,もっと高度な形態の愛のことです。この愛があるなら,人は他の人の幸せを願い,自分のことよりも優先させます。この愛は,理性的なものですが,決して温かさや気持ちを欠くわけではありません。
聖書では,愛がこのように美しく描写されています。「愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず,不義を歓ばないで,真実なことと共に歓びます。すべての事に耐え,……すべての事を希望し,すべての事を忍耐します。愛は決して絶えません」。(コリント第一 13:4-8)
そうした愛は,決してなくならないという意味で,「決して絶えません」。それどころか,時がたつにつれ,ますます強くなってゆきます。また,辛抱強く,親切で,進んで許すので,「結合の完全なきずな」と言えます。(コロサイ 3:14)ですから,そのような愛があれば,それぞれ欠点があっても,ほかの人と良好な信頼関係を築くことができます。例えば,夫婦関係について考えてみましょう。
「結合の完全なきずな」で結ばれる
イエス・キリストは,結婚について大切な事柄を教えました。例えば,こう述べています。「『人は父と母を離れて自分の妻に堅く付き,二人は一体となる』……それゆえ,神がくびきで結ばれたものを,人が離してはなりません」。(マタイ 19:5,6)この言葉から少なくとも2つの教訓を引き出せます。
「二人は一体となる」 夫婦関係は,人間関係の中でも最も親密な結びつきです。愛があれば,夫婦は不倫しないよう,つまり自分の配偶者以外の人と「一体」にならないよう守られます。(コリント第一 6:16。ヘブライ 13:4)浮気は信頼を打ち砕き,結婚生活をめちゃくちゃにします。巻き込まれた子どもたちは,心に傷を負うことでしょう。親から愛されていないと感じ,不安になり,怒りさえ覚えるかもしれません。
「神がくびきで結ばれたもの」 結婚の誓いは神聖なものです。この事実を認めている夫婦は,結婚の絆を強めるために努力します。問題が生じたからといって,関係を簡単に終わらせたりはしません。2人の愛は強くて,「すべての事に耐え」ます。問題に取り組み,夫婦の一致や平和を守るのです。
両親が互いへの献身的な愛を示すのは,子どもたちにとってたいへん良いことです。ジェシカという若い女性は,両親についてこう言います。「2人はお互いを心から愛し,尊敬しています。母が父に敬意を示しているのを見るたびに,特にわたしたち子どもの前でそうしているのを見ると,わたしも母みたいになりたいって思うんです」。
愛は,神様の最も際立った性格です。聖書には,「神は愛」とあります。(ヨハネ第一 4:8)ですから,エホバが「幸福な神」と呼ばれているのも不思議ではありません。(テモテ第一 1:11)わたしたちも,神様の性格,特にその愛に見倣えば,幸せになれます。エフェソス 5章1,2節にはこう述べられています。「愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。……愛のうちに歩んでゆきなさい」。
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許す目ざめよ! 2018 | No. 1
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しあわせな生き方
許す
「わたしは,罵声や金切り声が飛び交う中で育ちました。ですから,人を許すということが分かりませんでした。大人になってからも,何かのことで腹が立って何日も眠れないことがありました」。こう述べているのは,パトリシアという女性です。確かに,いつも怒りの気持ちを募らせていると,幸せではありませんし,健康にも良くありません。様々な研究によると,人を許さないなら,
怒りや悪感情で人との関係が悪くなり,孤立して寂しい思いをします。
すぐに気分を害されたり,不安になったり,ひどく気落ちしたりします。
人の間違いが気になって,生活を楽しめなくなります。
人を許せない自分に罪悪感を抱きます。
ストレスが増え,高血圧,心臓病,関節炎や頭痛などのリスクも高まります。a
許すとは? 許すとは,だれかに感情を害されても,その人を責めず,怒りや恨みや復讐心を捨てることです。悪い行ないを大目に見ることでも,軽視することでも,それがなかったかのように振る舞うことでもありません。むしろ,許すことは考え抜いた結果の選択です。他の人を愛しているゆえに,平和に貢献したい,良い関係を築いて維持したいと誠実に願っていることの表われなのです。
許すことは,理解の表われでもあります。人はだれでも言葉や行ないで間違いを犯す,ということを理解しているなら,許しやすくなります。(ローマ 3:23)その点を,聖書はこう述べています。「だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい」。(コロサイ 3:13)
それで,許すことは「結合の完全なきずな」である愛の重要な一面である,と言えます。(コロサイ 3:14)メイヨー・クリニックのウェブサイトによると,人を許すなら,
人間関係が改善され,相手のことを理解し,感情移入できるようになります。
神様から見て正しいことをしているという自覚が得られ,心の状態も良くなります。
不安,ストレス,相手に対する反感が和らぎます。
うつ状態が改善します。
自分を許す 「身体障害とリハビリテーション」誌(英語)によると,自分を許すことは,「最も難しい」とはいえ,心身の「健康にとって最も大切」です。では,どうすれば自分を許せるでしょうか。
自分に完全さを求めてはなりません。むしろ現実的な見方をして,自分もほかの人と同じように間違いをする,ということを認めましょう。(伝道の書 7:20)
失敗から学んで,失敗を繰り返さないようにしましょう。
自分に辛抱強くありましょう。欠点や悪い習慣は一朝一夕ではなくなりません。(エフェソス 4:23,24)
ポジティブで励ましてくれる人,親切で率直に話してくれる人と友達になりましょう。(箴言 13:20)
だれかを傷つけた時は,間違いを認め,すぐに謝りましょう。心が穏やかになります。(マタイ 5:23,24)
聖書の教えはとても役立つ
前述のパトリシアは,人を許せるようになりました。こう書いています。「人生を狂わせてきた怒りの感情からようやく自由になりました。もう自分が苦しむことも,他の人を苦しめることもありません。聖書を学んで,神様がわたしたちを愛し,最善を願ってくださっていると確信できました」。
ロンという男性も聖書の教えを当てはめることによって,穏やかな心を得ました。こう述べています。「ほかの人の考え方や行動はコントロールできませんが,自分のならコントロールできます。平和を望むなら,恨みを捨てなければなりません。平和と恨みは北極と南極のようです。両方の場所に同時にいることはできません」。
a 出典: メイヨー・クリニックとジョンズ・ホプキンズ・メディスンの各ウェブサイト(英語),および「社会精神医学と精神医学的疫学」誌(英語)。
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生きる目的を知る目ざめよ! 2018 | No. 1
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しあわせな生き方
生きる目的を知る
人間は特別な存在です。文字を書き,絵を描き,色々なものを創り出します。そして,人間だけが,宇宙はどのようにして存在するようになったのか,人類はどこから来たのか,人生にはどんな意味があるのか,この先,何が待ち受けているのか,といった疑問を抱きます。
答えなんてどうせ分かりっこないと,こうした疑問から目を背ける人がいます。生命は単なる進化の結果なので,答えを探しても無駄だと言う人もいます。「神などいないし,人生の目的などない。……倫理規範の土台も,生きることの意味も,……存在しない」と,歴史学と生物学の教授ウィリアム・プロバインは主張します。
他方,そのような見方は間違っていると考える人もいます。そうした人たちは,宇宙が洗練された数学的法則に導かれていることに気づいています。また,様々な製品に応用されることもある,自然界の素晴らしいデザインに魅了されています。身近に見られる,そうした複雑で機能的なデザインの背後には,知恵のある設計者がいると考えるのです。
このようなアプローチは,進化論を信じていた人たちの考え方を変えてきました。2人の例を考えましょう。
神経外科医 アレクセイ・マルノフ博士 「学校では,無神論と進化論が教えられ,神様を信じるのは無知な人だと思われていました」とマルノフ氏は言います。しかし,彼の考え方は変わり始めます。1990年のことです。
「いつも物事を論理的に考えるようにしています。人間の脳についても同じです。この驚くべき器官は,『既知の宇宙で最も複雑な機構』という呼び名にふさわしいものです。でも,その脳は,知識とスキルを蓄積し,死んでいくためだけにデザインされたのでしょうか。そんなことは理屈に合わない,と思いました。『人間はどうして存在しているのだろう。何のために生きているのだろう』と真剣に考えた結果,創造者がいるに違いないと結論しました」。
人生の目的を探していたマルノフ氏は,聖書を調べるようになりました。そのうちに,医師でやはり無神論者だった妻も聖書を学び始めました。夫が間違っていることを証明しようとして始めたのですが,今では2人とも神様の存在を確信しています。また,聖書に書かれている,人類に対する神様の目的も理解するようになりました。
プラズマ研究者 尹華碧<イン カヘキ>博士 尹氏は,物理学を専攻し,長年プラズマの研究をしていました。プラズマは,太陽などに存在するもので,主に電子と陽イオンで構成されており,物質の第4の状態と考えられています。
彼女はこう言います。「科学者は,自然現象を研究する時はいつも,自然法則の結果である普遍的な秩序を見いだそうとします。『これらの法則はどこから来たのだろう』と思いました。『コンロの火ですら注意深く調節しなければならないのなら,太陽の炎を制御する法則を定めたのは一体だれだろう』とも考えました。最終的に,答えとして最も筋が通っているのは,聖書の最初の1文だと結論しました。そこにはこうあります。『初めに神は天と地を創造された』」。(創世記 1:1)
科学は,脳細胞はどのように働くか,太陽はどのように熱と光を発するかといった,「どのように?」という疑問に答えています。しかし,前述の2人は,聖書が「なぜ?」という,より重要な疑問に答えていることを知りました。宇宙はなぜ存在しているのか,宇宙にはなぜ数々の法則があるのか,人はなぜ存在しているのかといった疑問です。
地球について,聖書はこう述べています。「[神は]それをいたずらに創造せず,人が住むために形造られた」。(イザヤ 45:18)神様は,目的があってこの地球を造られました。次の記事では,その目的がわたしたちの将来と深く関係していることを取り上げます。
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希望を持つ目ざめよ! 2018 | No. 1
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しあわせな生き方
希望を持つ
「わたしがあなた方に対して考えている[の]は平安についての考えであり,災いについてではない。……将来と希望を与えるためである」。エレミヤ 29:11
「希望は……わたしたちの精神的な命綱である。また無力感,疎外感,恐れに対する特効薬でもある」と,「不安な時代における希望」(英語)と題する本は述べています。
聖書は,希望の必要性だけでなく,ぬか喜びすることの危険についても教えています。詩編 146編3節は,「高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない」と述べています。救いを人間にではなく,人間を創造した方である神様に求めるのは賢明なことです。神様は約束すべてを実現させる力を持っておられるからです。神様の約束には,次のようなものが含まれています。
悪は終わり,平和が永遠に続く 「ほんのもう少しすれば,邪悪な者はいなくなる。……しかし柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう」,「義なる者たちは[地球]に永久に住むであろう」と,詩編 37編10,11,29節は述べています。
戦争がなくなる 「[エホバ]神は地の果てに至るまで戦いをやめさせておられる。神は弓を折り,槍を断ち切り,もろもろの車を火で焼かれる」。(詩編 46:8,9)
病気,苦しみ,死がなくなる 「神の天幕が人と共にあり,……神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」。(啓示 21:3,4)
豊かな食料がある 「地には穀物が豊かに実り,山々の頂であふれんばかりに実ります」。(詩編 72:16)
世界政府であるキリストの王国が義の支配を行なう 「[イエス・キリスト]には,支配権と尊厳と王国とが与えられた。もろもろの民,国たみ,もろもろの言語の者が皆これに仕えるためであった。その支配権は,過ぎ行くことのない,定めなく続く支配権,その王国は滅びに至ることのないものである」。(ダニエル 7:14)
これらの約束を信じることができるのはなぜでしょうか。イエスは地上にいた時,世界を治める資格があることを示しました。病人を癒やし,貧しい人に食べ物を与え,死んだ人を生き返らせました。さらに注目したいのは,イエスが教えたことです。イエスは,平和と一致のうちに永遠に生きる方法を教えました。また,将来の事柄を予告しました。その中には,この世の終わりが近づいていることを示すサインも含まれています。
嵐の後の静けさ
イエスは,平和や安全ではなく,その真逆の状態が終わりの日の特徴となると予告しました。イエスが語ったこの世の「終結のしるし」には,世界的な戦争,食糧危機,流行病や大地震が含まれています。(マタイ 24:3,7。ルカ 21:10,11。啓示 6:3-8)イエスはまた,「不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう」とも言われました。(マタイ 24:12)
人々の愛が冷えていることは様々な点で明らかになっています。テモテ第二 3章1-5節には,そのことが具体的に預言されていました。そこには,「終わりの日」に人々の多くが,自分のことやお金のことや遊びのことしか考えなくなると述べられています。また,ごう慢な人や乱暴な人が増えること,家庭からは自然な愛情が消え,子どもたちは親に反抗的になること,宗教の偽善が日常茶飯事になることも予告されていました。
この嵐のような世界の状態は,今が「終わりの日」であることの証拠です。それはまた,神様の王国の支配がもたらす静けさが近づいていることの証拠でもあります。イエスは,終わりの日についての預言の中で,このように述べました。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)
その良い知らせは,神様に従わない人にとっては警告となりますが,神様に従う人にとっては希望となります。聖書の約束している明るい未来がまもなく実現することを示しているからです。そのことについてもっと知りたいと思われませんか。次のページをご覧ください。
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