真の幸福をもたらす教え
北海道に住む一夫婦は,長女が原因不明の難病とされる膠原病になったこともあり,様々な新興宗教に救いを求めていました。しかし,その探求を通して得た結論は,「どの宗教も金取り宗教にすぎない」というものでした。やがて娘は亡くなり,どの宗教も偽物だと感じた夫婦は先祖伝来の仏教に戻りました。
そんな時,既に結婚していた下の二人の娘がエホバの証人と聖書を勉強するようになりました。二人は,自分たちの学んだ聖書の教えを両親に伝えようと努めました。しかし,正義感が強くて頑固な父親は,新たに学んだキリスト教の教えについて話す娘たちの言葉に,これまでの自分の生き方まで否定されているように感じました。時には,「お前は親に意見するつもりか」と,娘をどなりつけることもありました。
それでも,娘たちは自分たちの学んでいる事柄が真理であると確信し,何とかして両親にもその真理を伝えようと,エホバに熱烈に祈りました。二番目の娘は,1974年に自分がバプテスマを受ける巡回大会の際,『大会に出席したいので,子供たちの世話をして欲しい』と,父親に頼みました。孫の顔見たさに父親は大会にやって来ました。3月の小樽はまだ寒く,市民会館の入口には薄氷が張っており,父親は入口のところで転んで頭を切ってしまいました。救急車で病院へ運ばれて手当てを受けてから会場に戻ってみると,人々は容態を気遣って心配してくれます。これまで自分が関係してきた宗教団体とは全く違います。これをきっかけに,父親も聖書を研究するようになりました。
しかし,母親は寺の僧侶からエホバの証人はとんでもない宗教だとたき付けられ,激しく反対するようになりました。夫が仏壇の扉を閉め,偶像崇拝をしなくなるのを見て,いよいよ思い詰め,死のうとさえしました。
しかし,エホバの証人になった娘たちは親をとても大事にしてくれます。それに,1976年にバプテスマを受けてエホバの証人になった夫も大きく変化しました。以前は短気で,時には暴力を振るうことさえあった人が,柔和で辛抱強くなり,いたわりや感謝の言葉をかけてくれるようになりました。聖書の教えがもたらしたそのような変化に心を動かされて,母親も聖書研究をするようになり,やはりバプテスマを受けました。
クリスチャンとして夫婦で共に聖書の原則を実践するようになってから,母親はうれしそうに,「これが本当の夫婦と言えるんだねぇ。ばあちゃんは幸せだわ」と,話していました。
「父は5年前に亡くなりましたが,あれほど頑固だった父が,闘病生活を送っているときに,『エホバを知った人生は幸せだった』とまで言うのを聞けたのは喜びでした」と,娘の一人は述べています。
エホバは幸福な神です。(テモテ第一 1:11)そのみ言葉聖書の教えは,この夫婦を幸福にしたように,人を幸福にします。この夫婦の場合,夫は聖書の次の助言に従いました。「このように,夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,また大切にします」。(エフェソス 5:28,29)また,このような諭しの言葉をも当てはめました。「したがって,神の選ばれた者,また聖にして愛される者として,優しい同情心,親切,へりくだった思い,温和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい。エホバが惜しみなく許してくださったように,あなた方もそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」。(コロサイ 3:12-14)このような教えを生活に当てはめるなら,真の幸福を味わえます。確かに,「エホバをその神とする民は幸い」です。―詩編 144:15。