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ハワイ1991 エホバの証人の年鑑
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ジェームズ・ハラブという別の運転手はそのような聖書の真理に強い関心を示し,読み物をさらに求めました。「聖書研究」双書の中の「新しい創造物」という本や他の本をむさぼるようにして読破した後,それらの本に書いてある音信こそ神の霊感によるみ言葉の真理であるに違いないと確信しました。
1918年には,このジェームズおよび妻のドーラとの聖書研究をフォックスが定期的に司会していました。ドーラは監督教会の信徒でしたが,夫がフォックスから受け取った新聞の切り抜きによって関心をかき立てられました。それは,トロイ“師”と,ものみの塔協会の2代目の会長ジョセフ・F・ラザフォードとの討論に関する記事でした。ラザフォード兄弟はその討論で,三位一体,地獄の火,魂の不滅などの教理が非聖書的であることを見事に暴露しました。ドーラはこのちょっとした記事によって関心をかき立てられ,その後50年以上にわたって,聖書を真剣に研究して当てはめる生活を送ることになりました。
最初の弟子たちがバプテスマを受ける
ジェームズ・ハラブがバプテスマを受けたいと言ったとき,フォックス兄弟はだれも住んでいない古い教会の使用許可を得ました。その教会には,引き窓の下にバプテスマ用の水槽があります。ところが,薄い金属板でできたその水槽からは水がどんどん漏れてゆきます。はんだごてを使い,できる限りのことをして穴をふさいでから,蛇口を全開にしておくと,なんとか欲しいだけの水量が確保できました。フォックス兄弟はこう述懐しています。「私はバプテスマの話を終えた後,水槽の中に立って,ジェームズが更衣室から出て来るのを待っていました。すると,本当にびっくりするようなことが起きました。よく気のきく小柄でかわいらしいドーラが身をかがめ,ほかの人に聞こえないよう私の耳元でささやくのです。『フォックス兄弟,わたしもバプテスマを受けていいかしら』。『もちろんですとも。あちらの部屋で着替えてください』。彼女の夫にとっても私にとっても胸の躍るような経験でした」。こうして,ハワイで最初のクリスチャンの弟子が二人,バプテスマを受けました。1919年11月19日のことです。
聖書研究者の群れは,フォックス兄弟が住んでいたレナードホテルから,ホノルルのスプレックルズ通りに面するハラブ夫妻の家に集会場所を移しました。水曜日の“祈りと賛美と証言”の討議,また日曜日の「ものみの塔」研究には9人が定期的に出席していました。
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ハワイ1991 エホバの証人の年鑑
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1922年に状況が変化し,フォックス兄弟はハワイ諸島を去ってカリフォルニア州に戻らなければならなくなりました。兄弟はジェームズ・ハラブと残っている人たちに業をゆだねて出発しました。宣べ伝える業が,小さいながらも固い基礎の上に築かれたという確信が兄弟にはありました。
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[73ページの図版]
1919年に初めてバプテスマを受けたのは,ドーラ・ハラブと夫のジェームズ
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