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「彼が……よみがえることは知っております」ものみの塔(研究用)2017 | 12月
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「彼が……よみがえることは知っております」
「わたしたちの友……は休んでいますが,わたしは彼を眠りから覚ましにそこへ行きます」。ヨハ 11:11
1. マルタはラザロについてどんなことを確信していましたか。(冒頭の挿絵を参照。)
イエスの親しい友であり弟子でもあったマルタは悲嘆に暮れていました。兄弟のラザロが亡くなったのです。イエスはマルタにこう言います。「あなたの兄弟はよみがえります」。マルタはその言葉をうれしく思ったでしょう。「彼が終わりの日の復活の際によみがえることは知っております」と言います。(ヨハ 11:20-24)マルタはラザロが将来復活することを確信していました。しかし,イエスはまさにその日,ラザロを復活させました。
2. あなたもマルタのようにどんな確信を持ちたいと思っていますか。なぜですか。
2 イエスやエホバが今すぐそのような奇跡を行なってくださることは期待できません。でもあなたもマルタのように,亡くなった家族が将来復活することを心から確信していますか。あなたは配偶者や親や祖父母を亡くしたかもしれません。子どもを亡くして悲しんでいるかもしれません。愛する人をもう一度抱きしめたい,一緒に楽しくおしゃべりしたい,と思っているでしょう。うれしいことに,わたしたちもマルタのように,家族が復活することを確信できます。わたしたち一人一人がその根拠を調べるのは良いことです。
3,4. イエスはどんな復活の奇跡を行ないましたか。マルタはどんな確信を抱いていましたか。
3 マルタはエルサレムの近くに住んでいました。ですから,イエスがガリラヤのナインの近くでやもめの息子を復活させるのを見なかったでしょう。でも,その話は聞いていたに違いありません。イエスがヤイロの娘を復活させたことも聞いていたでしょう。娘が亡くなった時,家にいた人たちは「彼女がすでに死んだことを知って」いました。しかしイエスは娘の手を取り,「少女よ,起きなさい!」と言いました。すると少女はすぐに起き上がりました。(ルカ 7:11-17; 8:41,42,49-55)マルタも姉妹のマリアも,イエスが病気をいやせることを知っていました。ですから,イエスがいてくれたらラザロは死ななかったのに,と思いました。でも,イエスの親しい友ラザロは死んでしまいました。もう希望はないのでしょうか。マルタは,ラザロが将来,「終わりの日」に復活すると言いました。マルタがそう確信していたのはなぜでしょうか。わたしたちが,家族を含め大勢の人たちが将来復活することを確信できるのはなぜですか。
4 確信できる根拠は十分にあります。これからその根拠の幾つかを取り上げます。中には,あなたがこれまで復活の希望と結び付けたことがなかった点もあるかもしれません。愛する家族と再会できるという確信が強まるでしょう。
確信を強める出来事
5. マルタはなぜラザロが復活すると確信していましたか。
5 マルタは,「彼がよみがえることを願っております」とではなく,「彼が……よみがえることは知っております」と言いました。マルタがそう確信していたのは,子どものころから昔の復活の奇跡について家や会堂で聞いていたからでしょう。では,聖書にある3つの記述を取り上げましょう。
6. マルタはどんな奇跡について知っていたはずですか。
6 最初の復活は,神が預言者エリヤに奇跡を行なわせていた時期に起きました。イスラエルの北にあるフェニキアの海沿いの町ザレパテで,ある貧しいやもめがエリヤを親切にもてなしました。神は,やもめと息子が生き続けられるよう,麦粉と油を奇跡的に与え続けました。(王一 17:8-16)後に息子は病気になり,亡くなりました。エリヤはやもめを助けます。息子の体に触れ,こう祈りました。「私の神エホバよ,どうか,この子供の魂をこの子の内に帰らせてください」。すると息子は生き返りました。神はエリヤの祈りを聞き,子どもを復活させたのです。これは聖書に記録されている最初の復活です。(列王第一 17:17-24を読む。)マルタはこの驚くべき出来事を知っていたに違いありません。
7,8. (イ)エリシャはシュネムの女性をどのように助けましたか。(ロ)エリシャの奇跡から,エホバがどんな力をお持ちであることが分かりますか。
7 聖書に記されている2番目の復活は,エリヤの後継者である預言者エリシャが行なったものです。シュネムに住むイスラエル人のある女性は,エリシャをとても親切にもてなしました。神は,子どものいないこの女性と老齢の夫に息子をお与えになりました。しかし何年か後,息子は亡くなります。女性は深く悲しみます。彼女は夫の許可を得て,エリシャに会うために30㌔ほど旅をしてカルメル山に行きます。エリシャはまず従者のゲハジをシュネムに遣わします。しかしゲハジは息子を生き返らせることができません。その後,悲嘆に暮れる母親がエリシャと共にシュネムに到着します。(王二 4:8-31)
8 エリシャは家に入り,亡くなった子どものそばで祈りをささげます。すると子どもは奇跡的に生き返ります。母親は我が子を見て大喜びします。(列王第二 4:32-37を読む。)母親は,エホバから子どもを与えられたハンナの祈りを思い出したかもしれません。ハンナはサムエルを幕屋に連れて行った時,こう祈りました。「エホバは……シェオル[または,墓]に下らせる方で,また上らせます」。(サム一 2:6)神はシュネムで子どもを生き返らせ,死者を復活させる力があることを示されました。
9. 聖書に記されている3番目の復活はどのようなものですか。
9 エリシャが亡くなった後も奇跡が起きました。エリシャは預言者として50年以上奉仕した後,「病気を患い……死に」ました。エリシャの遺体は墓に入れられ,やがて朽ちて骨になりました。ある時,何人かのイスラエル人がある人の遺体を埋葬しようとしていると,敵の略奪隊がやって来ました。人々は急いで逃げようとして,遺体をエリシャの墓に投げ込みます。どうなったでしょうか。「その人はエリシャの骨に触れると,直ちに生き返り,自分の足で立った」のです。(王二 13:14,20,21)こうした復活の記録について知ったマルタはどう思ったでしょうか。神が死者を生き返らせる力をお持ちであると確信したことでしょう。あなたもこうした記録から,神の無限の力を確信できるに違いありません。
1世紀の出来事
10. ペテロはドルカスをどのように復活させましたか。
10 クリスチャン・ギリシャ語聖書も,神の僕たちが行なった復活の奇跡を記録しています。すでに取り上げたとおり,イエスはナインの近くやヤイロの家で復活の奇跡を行ないました。使徒ペテロはドルカス(タビタ)という女性を復活させました。ペテロが埋葬前の彼女の遺体のそばで神に祈り,「タビタ,起きなさい!」と言うと,彼女はすぐに生き返りました。その後,ペテロは「生きている彼女を[仲間のクリスチャンに]引き合わせ」ました。この出来事を知った「多くの人が主を信じ」るようになりました。彼らは主イエスについて,また死者を復活させるエホバの力について,他の人に知らせることができました。(使徒 9:36-42)
11. ユテコはどうなりましたか。ユテコが生き返ったのを見た人々はどう感じましたか。
11 復活に関する別の記録もあります。現在のトルコの北西部に位置するトロアスでの出来事です。使徒パウロは階上の部屋で人々に話をし,話は真夜中まで続きました。ユテコという若者は窓の所に座って話を聞いていました。しかし居眠りをして,3階から地面に落ちてしまいました。恐らく,医師のルカが真っ先にユテコのもとに駆けつけたことでしょう。ユテコはけがをしただけでも気を失っただけでもありませんでした。死んでいました。でもパウロはユテコを抱きかかえ,「彼の魂は彼の内にある」と言います。人々はユテコが生き返ったのを見て非常に驚き,「一方ならぬ慰めを得[まし]た」。(使徒 20:7-12)
確かな希望
12,13. 復活に関してどんな疑問が生じますか。
12 復活に関する記述を読むと,マルタと同じ確信を抱けるはずです。命の与え主である神は死者を生き返らせることができる,という確信です。エリヤやイエスやペテロは神から力を与えられ,個々の人を復活させました。では,復活の奇跡が行なわれなかった時代に亡くなった人たちはどうなるのでしょうか。そのような時代の忠実な人々は,将来死者が復活することを期待していましたか。「彼が終わりの日の復活の際によみがえることは知っております」と述べたマルタのような確信があったでしょうか。では,マルタがそう確信できたのはなぜですか。あなたもそう確信できるのはなぜでしょうか。
13 聖書によれば,エホバの忠節な僕たちは将来復活が起きることを知っていました。そのことを示す幾つかの例を考えましょう。
14. アブラハムに関する記述から,復活について何を学べますか。
14 神はアブラハムにこう言われました。「どうか,あなたの子,あなたの深く愛するひとり子イサクを……焼燔の捧げ物としてささげるように」。(創 22:2)やっと授かった息子イサクをささげるようにという命令です。アブラハムはどんな気持ちだったでしょう。エホバは,アブラハムの子孫を通してすべての国民を祝福する,と約束しておられました。(創 13:14-16; 18:18。ロマ 4:17,18)神はその祝福が「イサクを通して」もたらされるとも言われました。(創 21:12)もしイサクを犠牲としてささげたら,神の約束はどのように果たされるのでしょうか。パウロによると,アブラハムは神がイサクをよみがえらせることができると信じていました。(ヘブライ 11:17-19を読む。)アブラハムは,イサクが数時間とか1日とか1週間のうちに生き返ると思っていたのでしょうか。そう思っていたとは記されていません。アブラハムはイサクがいつ復活するかは知りませんでしたが,エホバが必ず復活させてくださることを信じていました。
15. ヨブはどんなことを信じていましたか。
15 ヨブも将来復活があることを信じていました。ヨブが述べているとおり,樹木は切り倒されても再び芽を出して新しい木のようになりますが,人間は違います。(ヨブ 14:7-12; 19:25-27)死んでしまったら,自分の力で生き返ることなどできません。(サム二 12:23。詩 89:48)しかし,神は死者を復活させることができます。ヨブはエホバがいつか自分を思い出してくださることを信じていました。(ヨブ 14:13-15を読む。)将来のいつかは知りませんでしたが,人間を造られた方が自分を思い出し,復活させてくださることを確信していました。
16. み使いはダニエルをどのように励ましましたか。
16 ダニエルについても考えましょう。ダニエルは長年忠節に神に仕え,エホバもダニエルを支えました。ある時,神から遣わされたみ使いはダニエルに「大いに望ましい人よ」と呼びかけ,「平安があるように。強くあれ」と述べました。(ダニ 9:22,23; 10:11,18,19)
17,18. エホバはダニエルにどんなことを約束されましたか。
17 ダニエルは100歳近くになり,生涯の終わりを迎えようとしていました。自分はこれからどうなるのだろう,と考えたかもしれません。ダニエルは生き返るのでしょうか。必ずそうなります。ダニエル書の最後の部分で,み使いはダニエルにこう告げました。「あなた自身は,終わりに向かって進め。あなたは休む」。(ダニ 12:13)老齢のダニエルは,死者が休んでいること,墓には「企ても知識も知恵もない」ことを知っていました。ダニエルは間もなくそこに行くのです。(伝 9:10)でもそれで終わりではありません。将来の希望があります。
18 ダニエルはさらにこう告げられます。「あなたは……日々の終わりに自分の分のために立ち上がるであろう」。それがいつのことなのかは告げられませんでした。ダニエルは間もなく生涯を終え,休みます。でも,「自分の分のために立ち上がる」と言われました。これは,ダニエルが将来復活するという明確な約束です。その復活は「日々の終わりに」,つまりダニエルが死んでからずっと後に生じます。
あなたもマルタのように復活を確信できます。(19,20節を参照。)
19,20. (イ)マルタが将来の復活を確信していたのはなぜですか。(ロ)次の記事ではどんな点を取り上げますか。
19 マルタには,忠実な兄弟ラザロが「終わりの日の復活の際によみがえる」ことを確信できる十分な根拠がありました。ダニエルに対するエホバの約束や,復活に対するマルタの強い信仰について考えると,わたしたちの確信も強まります。復活は必ず起きるのです。
20 復活が起きることを確信させる過去の出来事について考えました。神に仕えた忠実な人たちは,将来のいつか復活があることを信じていました。では復活が,約束されてからずっと後に起きることを示す根拠はあるでしょうか。もしあるなら,マルタと同様,復活の時をいっそう強い確信を抱いて待ち望むことができます。その復活はいつ起きるのでしょうか。次の記事では,そうした点を取り上げます。
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「わたしは神に対して希望を持っております」ものみの塔(研究用)2017 | 12月
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「わたしは神に対して希望を持っております」
「最後のアダムは命を与える霊になった」。コリ一 15:45
1-3. (イ)わたしたちの信じている大切な教えには何が含まれますか。(ロ)復活が非常に重要なのはなぜですか。(冒頭の挿絵を参照。)
「あなたの宗教の大切な教えは何ですか」と尋ねられたら,どう答えますか。きっと,エホバが創造者で命を与えてくださったということを話すでしょう。イエス・キリストが贖いとして死んでくださったことも話すかもしれません。神に仕える人たちが地上のパラダイスで永遠に生きることについても伝えるでしょう。では,復活についても話しますか。
2 大患難を生きて通過し,地上で永遠に生きることを願う人にとって,復活はそれほど重要ではない教えでしょうか。決してそのようなことはありません。使徒パウロはこう述べています。「もし死人の復活ということがないのであれば,キリストもよみがえらされなかったことになります」。キリストが復活しなかったとすれば,キリストは天で王として支配していないことになり,王国を宣べ伝える活動は無駄になってしまいます。(コリント第一 15:12-19を読む。)しかし,わたしたちはイエスが復活したことを信じています。死者の復活を否定したサドカイ派のユダヤ人とは異なり,復活を固く信じています。たとえあざけられても,信仰が揺らぐことはありません。(マル 12:18。使徒 4:2,3; 17:32; 23:6-8)
3 パウロの述べた「キリストに関する初歩の教理」には「死人の復活」についての教えも含まれています。(ヘブ 6:1,2)パウロ自身,復活を信じていると述べました。(使徒 24:10,15,24,25)確かに,復活は初歩の教理の一部であり,「神の神聖な宣言の基礎的な事柄」の一つです。とはいえ,復活について十分理解するには,聖書をよく学ぶ必要があります。(ヘブ 5:12)
4. 復活についてどんな質問が生じますか。
4 聖書を学び始めた人は,ラザロの復活など,過去の復活の記録を読むことでしょう。アブラハム,ヨブ,ダニエルは将来復活が起きることを信じていた,ということも学びます。では,「ずっと昔に約束された復活が起きると信じられるのはなぜですか」と尋ねられたら,どう答えますか。また,聖書は復活がいつ起きるかを教えているでしょうか。こうした点について学ぶと,信仰が強まります。聖書から調べてみましょう。
約束されてからずっと後に起きる復活
5. これからどんな復活について考えますか。
5 亡くなったばかりの人が復活することは比較的イメージしやすいかもしれません。(ヨハ 11:11。使徒 20:9,10)でも,亡くなった人が何年も何百年も後になって復活するという約束はどうですか。亡くなったばかりの人か,ずっと昔に亡くなった人かにかかわらず,その人が遠い将来に復活するという約束を信じることができますか。事実を言えば,約束されてからずっと後に起きた復活があり,あなたもその復活を信じています。だれの復活でしょうか。その復活は将来の復活とどう関係していますか。
6. 詩編 118編の預言がイエスと関係していると言えるのはなぜですか。
6 聖書は,ずっと後に起きる復活について予告していました。詩編 118編について考えましょう。これはダビデが書いた詩編かもしれません。そこには次のような嘆願が含まれています。「ああ,どうか,エホバよ,救ってください。お願いです!……エホバのみ名によって来る方がほめたたえられるように」。イエスは亡くなる数日前のニサン9日,子ろばに乗ってエルサレムに入りました。その時,人々はメシアに関するこの詩編の預言を引用してイエスを迎え入れました。(詩 118:25,26。マタ 21:7-9)詩編 118編は,ずっと後に起きる復活についてもこう予告していました。「建築者たちの退けた石が隅の頭となった」。(詩 118:22)
「建築者たち」はメシアを「退けた」。(7節を参照。)
7. ユダヤ人はどのようにイエスを退けましたか。
7 「建築者たち」つまりユダヤ人の指導者たちはメシアを退けました。イエスをあざけったり,キリストであることを認めなかったりしただけではありません。多くのユダヤ人はイエスの死を求めることまでしました。(ルカ 23:18-23)イエスの殺害に加担したのです。
イエスは復活して「隅の頭」となった。(8,9節を参照。)
8. イエスはどのようにして「隅の頭」になりましたか。
8 退けられ殺されたイエスが,一体どのようにして「隅の頭」になれるのでしょうか。復活することによってです。イエスが語ったたとえ話に注目してください。たとえ話の耕作人たちは,ぶどう園の持ち主から遣わされた人たちをひどく扱いました。イスラエル人も神から遣わされた預言者をひどく扱いました。ぶどう園の持ち主は最後に,自分の相続人である愛する息子を遣わしました。でも耕作人たちはその息子を受け入れるどころか,殺してしまいました。イエスはこのたとえ話の後,詩編 118編22節の預言に言及しました。(ルカ 20:9-17)使徒ペテロも,エルサレムに集まっていたユダヤ人の「支配者,年長者,書士たち」に話した時,イエスが「隅の頭」になることと復活が関係していることを指摘しました。ペテロは「ナザレ人イエス・キリスト」について「あなた方が杭につけた方,しかし神が死人の中からよみがえらせた方」と述べた後,こう言いました。「この方こそ,『あなた方建築者たちにより取るに足りないものとして扱われたのに隅の頭となった石』です」。(使徒 3:15; 4:5-11。ペテ一 2:5-7)
9. 詩編 118編22節はどんなことを予告していましたか。
9 詩編 118編22節は,ずっと後に起きる復活について予告していました。メシアは退けられて死にますが,復活して隅の頭になるのです。聖書は復活したイエスについて,「人々の間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下にほかにない」と述べています。(使徒 4:12。エフェ 1:20)
10. (イ)詩編 16編10節はどんなことを予告していましたか。(ロ)詩編 16編10節はダビデについて述べているわけではない,と言えるのはなぜですか。
10 復活を予告していた別の聖句についても考えましょう。その復活が起きる1000年以上前に書かれた聖句です。約束されてからずっと後に起きる復活がある,という確信が強まります。詩編 16編でダビデはこう述べています。「あなたはわたしの魂をシェオル[つまり,墓]に捨て置かれないからです。あなたはご自分の忠節な者が坑を見ることを許されません」。(詩 16:10)ダビデは自分が死ぬことも墓に行くこともないと述べていたのではありません。聖書はダビデが年老いて死んだ後に「その父祖たちと共に横たわり,“ダビデの都市”に葬られた」と述べています。(王一 2:1,10)では,詩編 16編10節はだれについて述べているのでしょうか。
11. ペテロが詩編 16編10節について話したのはいつですか。
11 その詩編が書かれてから1000年以上後,イエスが死んで復活してから数週間後のことです。ペテロは何千人ものユダヤ人や改宗者に詩編 16編10節について話しました。(使徒 2:29-32を読む。)ペテロはダビデが死んで葬られたと述べました。聴衆もそのことを知っていました。さらにペテロは,ダビデが約束のメシアの「復活を先見し,それについて……語った」と述べました。ペテロの言葉に反論した人がいたとは記されていません。
12. 詩編 16編10節はどのように成就しましたか。復活に関する神の約束についてどんな確信を持てますか。
12 ペテロは自分の論議を裏付けるため,詩編 110編1節のダビデの言葉も引用しました。(使徒 2:33-36を読む。)人々は聖句に基づくペテロの話を聞いて,イエスが「主」であり「キリスト」でもあることを確信しました。さらに,詩編 16編10節がイエスの復活の時に成就したことも知りました。使徒パウロもピシデアのアンティオキアでユダヤ人に話をした時,同じ論議を用いました。人々は感銘を受け,もっと聞きたいと思いました。(使徒 13:32-37,42を読む。)復活に関するこうした聖書の預言は,ずっと後になって確かに実現したのです。
復活はいつ起きるか
13. 復活に関してどんな疑問が生じるかもしれませんか。
13 約束されてからずっと後に起きる復活がある,ということを知るのは励みになります。でもこう思う人がいるかもしれません。「わたしの家族が復活してくるのはまだずっと先のことなのだろうか。復活はいつあるのだろう」。イエスは使徒たちに,彼らが知らないことや知ることのできないことがあると述べました。わたしたちは「[天の]父がご自分の権限内に置いておられる時また時期」の詳細を知ることはできません。(使徒 1:6,7。ヨハ 16:12)とはいえ,復活の時期に関して何の情報もないわけではありません。
14. イエスの復活はそれ以前の復活とどのように異なりましたか。
14 聖書に記録されている最も重要な復活はイエスの復活です。イエスが復活しなかったとすれば,亡くなった家族と再会する見込みはだれにもありません。エリヤやエリシャが復活させた人たちなど,イエスより前に復活させられた人たちは,ずっと生き続けたわけではありません。再び死に,体は墓の中で腐敗しました。他方,イエスは「死人の中からよみがえらされ……もはや死[にません]。死はもはや彼に対して主人ではありません」。天で「限りなく永久に」生き,「腐れを見る」ことはないのです。(ロマ 6:9。啓 1:5,18。コロ 1:18。ペテ一 3:18)
15. イエスが「初穂」と呼ばれているのはなぜですか。
15 イエスの復活は天への復活の最初のものであり,最も重要な復活でした。(使徒 26:23)しかし,霊者として天に復活するのはイエスだけではありません。イエスは,忠実な使徒たちがご自分と共に天で支配すると約束しました。(ルカ 22:28-30)彼らはその報いを得るために,まず死ななければなりません。その後,キリストのように霊の体で復活するのです。パウロは,「キリストは死人の中からよみがえらされ,死の眠りについている者たちの初穂となられた」と述べました。そして,天の命に復活する人たちがほかにもいることに注意を向けました。こうあります。「各々自分の順位にしたがっています。初穂なるキリスト,その後,その臨在の間に,キリストに属する者たちです」。(コリ一 15:20,23)
16. 天への復活の時期について知るどんな手掛かりがありますか。
16 この記述から,天への復活がいつ起きるかに関する手掛かりを得られます。「その臨在の間」つまりキリストの臨在の間に起きるのです。エホバの証人は長年,イエスの「臨在」が1914年に始まったことを聖書から説明してきました。その臨在は今も続いており,この邪悪な事物の体制の終わりは間近に迫っています。
17,18. 大患難の時に地上にいる油そそがれた者たちはどうなりますか。
17 聖書は天への復活についてさらに詳しく述べています。こうあります。「死んで眠っている者たちについてあなた方が知らないでいることを望みません。……イエスは死んでよみがえったということがわたしたちの信仰であれば,神は……死んで眠っている者たちをも彼と共にやはり連れ出してくださるからです。主の臨在の時まで生き残るわたしたち生きている者は死んで眠っている者たちに決して先んじない……のです。主ご自身が号令……と共に天から下られると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえるからです。その後,生き残っているわたしたち生きている者が,彼らと共に,雲のうちに取り去られて空中で主に会い,こうしてわたしたちは,常に主と共にいることになるのです」。(テサ一 4:13-17)
18 油そそがれた者たちの復活が始まるのはいつでしょうか。キリストの「臨在の時」が始まった少し後です。大患難の時に地上にいる油そそがれた者たちは「雲のうちに取り去られ」ます。(マタ 24:31)「取り去られ」る者たちは,「死の眠りにつく」ことはありません。つまり,死の長い眠りに就くことはありません。彼らは「みな変えられるのです。一瞬に,またたくまに,最後のラッパの間にです」。(コリ一 15:51,52)
19. 「さらに勝った復活」とはどんな復活ですか。
19 今日,ほとんどのクリスチャンは油そそがれておらず,キリストと共に天で支配するよう招かれてはいません。邪悪な事物の体制が終わる「エホバの日」を待っています。その日がいつ来るのか正確には分かりませんが,間近に迫っていることは明らかです。(テサ一 5:1-3)新しい世になると,別の種類の復活が始まります。地上の命への復活です。復活する人たちはやがて完全になる見込みがあります。再び死ぬことはないのです。これは確かに「さらに勝った復活」です。過去において「女たちはその死者を復活によって再び受けました」が,復活した人はやがて死んだからです。(ヘブ 11:35)
20. 将来の復活が秩序正しい仕方で行なわれると確信できるのはなぜですか。
20 聖書によれば,天に復活する人たちは「各々自分の順位[または,順番]にしたがって」復活させられます。(コリ一 15:23)ですから,地上への復活も秩序正しい仕方で行なわれると確信できます。では,最近亡くなった人たちは,キリストの千年統治が始まって間もなく復活し,家族や友人に迎えられるのでしょうか。指導力のある昔の忠実な人たちは早く復活して,新しい世で神の民を組織する仕事に加わるのでしょうか。エホバの僕ではなかった人たちは,いつ,どこに復活するのでしょうか。いろいろな疑問が生じるかもしれません。でも,こうした点について今あれこれ考える必要はあるでしょうか。実際にどうなるかは,その時を待つほうがよいのではありませんか。わたしたちは,エホバがどのように物事を扱われるかを見る時,大きな感動を覚えることでしょう。
21. あなたは復活についてどんな確信を抱いていますか。
21 その時までエホバへの信仰を強め続けましょう。神はイエスを通して,ご自分の記憶の中にいる死者を復活させると約束されました。(ヨハ 5:28,29; 11:23)イエスは,エホバが死者を復活させる力をお持ちであることを説明するため,アブラハム,イサク,ヤコブは「皆,神にとっては生きている」と述べました。(ルカ 20:37,38)わたしたちは,次のように述べたパウロと同じ確信を抱いています。「わたしは神に対して希望を持っております……復活があるということです」。(使徒 24:15)
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