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エホバとイエスに倣った考え方をするものみの塔(研究用)2025 | 3月
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謙虚でいる
9-10. イエスが謙虚だったことはどんな出来事から分かりますか。
9 イエスは亡くなる前の晩,ペテロとほかの使徒たちに謙虚でいることの大切さを教えました。イエスは使徒たちとの最後の食事に必要なものをペテロとヨハネに準備させました。準備したものの中には,みんなの足を洗うのに必要な拭き布とたらいもあったはずです。では,謙虚にみんなの足を洗うのは誰でしょうか。
10 イエス自らその仕事を行います。普通なら召し使いがすることをイエスがするのを見て,使徒たちは衝撃を受けます。桁違いの謙虚さです。イエスは外衣を脱ぎ,拭き布を取って腰にくくり,たらいに水を入れて使徒たちの足を洗っていきます。(ヨハ 13:4,5)12人全員の足を洗うには時間がかかったはずです。その中にはイエスを裏切ろうとしているユダもいました。イエスはその仕事を終えた後,こう言いました。「あなたたちにしたことが理解できますか。あなたたちは私を『先生』や『主』と呼びます。それは正しいことです。私はそういう者だからです。それで,主であり先生である私があなたたちの足を洗ったのであれば,あなたたちも足を洗い合うべきです」。(ヨハ 13:12-14)
本当の謙虚さには私たちの内面が関係している。
11. ペテロが謙虚さを学んでいたことはどんなことから分かりますか。(ペテロ第一 5:5)(挿絵も参照。)
11 ペテロはイエスの謙虚さから学んでいました。イエスが天に戻った後,ペテロは生まれた時から足が不自由な男性を癒やしました。(使徒 1:8,9; 3:2,6-8)大勢の人がこの奇跡を見て,ペテロの近くに集まってきました。(使徒 3:11)この場面でペテロが自分に注意を引こうとしてもおかしくありませんでした。有名になることや立場が重視される社会で育っていたからです。でも,そんなことはしませんでした。ペテロは謙虚に,自分ではなくエホバとイエスが称賛されるようにしました。こう言います。「イエスの名を通して,その名に対する私たちの信仰によって,あなた方が見て知っているこの人の足は丈夫になりました」。(使徒 3:12-16)ペテロは当時のクリスチャンに宛てた手紙の中で,謙虚さを身に着ける必要があることについて書きました。ペテロが使った,身に着けるという表現は,イエスが拭き布を腰にくくって使徒たちの足を洗ったことを連想させます。(ペテロ第一 5:5と2番目の脚注を読む。)
ペテロは奇跡を起こした後,謙虚にエホバとイエスが称賛されるようにした。私たちも謙虚でいるなら,褒められることや認められることを期待せずに良いことをする。(11-12節を参照。)
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