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ハンガリーでエホバはご自分の民を保護されるものみの塔 1993 | 7月15日
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好転したのは一時的
第二次世界大戦後,事態は再び変化しました。連合軍政府は人権を約束しました。収容所から解放された兄弟たちは,直ちに伝道を始め,また諸会衆を組織し始めました。エホバが自由を与えてくださったのは,自分たちがエホバの偉大なみ名を賛美するためであって,物質の所有物を蓄えるためではないと兄弟たちは考えました。1945年の末には590人の活発な王国伝道者がいました。1947年には郊外のある邸宅がものみの塔協会の支部事務所として購入され,また初めての全国大会がスポーツホールで開かれました。出席者は1,200人でした。ハンガリーの国有鉄道は大会に出席する人々のために,半額の割引さえしてくれました。
しかし自由は長く続きませんでした。やがて共産党が勢力を盛り返し,政権が代わりました。エホバの証人の増加はこの新政府の注目するところとなりました。というのは1947年に1,253人だった伝道者が,1950年には2,307人になっていたからです。
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ハンガリーでエホバはご自分の民を保護されるものみの塔 1993 | 7月15日
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今日何が起きているか
ハンガリー語の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌は現在,英語版と同じ美しい体裁のものが同時発行されています。1992年にはハンガリー語で「年鑑」が出版されるようになりました。良いたよりの伝道者は,1971年の6,352人から1993年1月の1万3,136人へと飛躍的に増加しました。
今日,ハンガリーのエホバの証人は信教の自由を享受しながら,家から家に自由に伝道しています。現在会衆は205あり,1992年4月17日の記念式には2万7,844人が出席しました。諸会衆は十分な数の王国会館が入手できるまで,学校,文化センター,使用されなくなった兵舎,共産党が立ち退いた事務所まで用いて集まっています。1992年現在で,10の会衆が自分たちの王国会館を献堂しました。現在建設中のものもあります。
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