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あなたは神の憐れみを見倣いますかものみの塔 1991 | 4月15日
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17 ルカ 15章に記されている最初の例えはどんな話でしたか。
17 「あなた方のうち,百匹の羊を持っていて,そのうちの一匹を失ったときに,九十九匹を荒野に残し,失われたものを見つけるまでそれを捜しに行かない人がいるでしょうか。そして,見つけると,その人はそれを自分の肩に載せて歓びます。そうして,家に着くと,友人や隣人を呼び集めて,こう言うのです。『一緒に歓んでください。失われていたわたしの羊が見つかったからです』。あなた方に言いますが,このように,悔い改める一人の罪人については,悔い改めの必要のない九十九人の義人について以上の喜びが天にあるのです」。宗教指導者はこの比喩的な説明を理解できました。羊と羊飼いは,ごく普通に目にするものだったからです。羊飼いは気遣いのゆえに,九十九匹の羊を慣れた牧草地に残して草を食べさせ,迷った一匹の羊を捜しに行きました。そして,その羊を見つけるまでねばり強く努力し,おびえた羊を優しく群れに運び帰りました。―ルカ 15:4-7。
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あなたは神の憐れみを見倣いますかものみの塔 1991 | 4月15日
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天での歓び ― 何を歓ぶのか
19,20 ルカ 15章に記されているイエスの最初の二つの例えは,おもにだれに関するものでしたか。それらの例えの中心となっていたのは何ですか。
19 この二つの例えは,イエスに対する批判に答えて語られたものでした。イエスはその数か月前,ご自分がご自分の羊のために魂を与える「りっぱな羊飼い」であることを示されました。(ヨハネ 10:11-15)それでもこれらの例えは,おもにイエスについて語られたものではありませんでした。書士とパリサイ人が学ぶ必要のあった教訓は,神の態度と方法を中心としたものでした。ですからイエスは,悔い改める罪人については,天に喜びがあると言われました。それらの偽宗教家たちはエホバに仕えていると主張しましたが,エホバを見倣ってはいませんでした。一方,イエスの憐れみ深い方法は,み父のご意志を表わしていました。―ルカ 18:10-14。ヨハネ 8:28,29; 12:47-50; 14:7-11。
20 百のうちの一つが喜びのいわれとなるのであれば,10枚の硬貨のうちの1枚はそれ以上に喜びのいわれとなります。今日でさえ,わたしたちは硬貨を見つけて歓ぶ女性の気持ちを理解することができます。「悔い改める一人の罪人について」,「神のみ使いたち」がエホバと共に歓ぶのですから,この場合もやはり教訓は天を中心としたものです。最初に出てくる「悔い改める」という語に注目してください。これらの例えは実際には,悔い改める罪人に関するものでした。ですから,この例えは二つとも,彼らの悔い改めを喜ぶのは正しいということを強調するものであることが分かります。
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