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エホバのみ手は高く上がるイザヤの預言 ― 全人類のための光 I
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救いの歌
13,14 今日,神の民はどんな「強固な都市」を持っていますか。その都市に入ることを許されるのはだれですか。
13 神の民はどうでしょうか。エホバからの恵みと保護があるので気持ちが高揚して,歌声を上げます。「その日,ユダの地でこの歌が歌われる。『わたしたちは強固な都市を持っている。神は城壁と塁壁のために救いを据えられる。あなた方は門を開けて,忠実な行ないを保っている義なる国民を入って来させよ』」。(イザヤ 26:1,2)この言葉は確かに古代において成就しましたが,今日においても明らかな成就を見ています。エホバの「義なる国民」である霊的なイスラエルには,強固な都市のような組織が与えられています。歓んで歌声を上げる理由があるのではないでしょうか。
14 この「都市」に入って来るのは,どんな人々ですか。答えはこの歌の中にあります。「あなた[神]は,しっかりと支えられた意向を,長く続く平和のうちに守られます。人はあなたに依り頼むようになるからです。あなた方はいつまでもエホバに依り頼め。ヤハ,エホバに,定めのない時に至る岩があるからだ」。(イザヤ 26:3,4)エホバが支える「意向」とは,神の義の規準に従いたいという願い,また世の不安定な商業的,政治的,宗教的な体制にではなく神に依り頼みたいという願いのことです。「ヤハ,エホバ」だけが,信頼できる安全な岩なのです。エホバに全き確信を寄せる人々は,神によって保護され,「長く続く平和」を享受します。―箴言 3:5,6。フィリピ 4:6,7。
15 今日,「高められた町」はどのように卑しめられてきましたか。「苦しむ者たちの足」は,どのようにその町を踏みつけますか。
15 それとは正反対の事柄が,神の民に敵する者たちに生じます。「神は高みに住んでいる者たち,高められた町を低くされた。それを卑しめ,地に卑しめ,塵に触れさせる。足がそれを踏みつけるであろう。苦しむ者たちの足,立場の低い者たちの歩みが」。(イザヤ 26:5,6)先の場合と同様,イザヤはここでも,モアブにある「高められた町」について述べているのかもしれません。あるいは,他の都市,例えばバビロンのことを言っているのかもしれません。実際,バビロンはごう慢であるという点で高められています。いずれにせよ,エホバは「高められた町」に関して形勢を逆転させておられ,神の『立場の低い,苦しむ者たち』がその町を踏みつけます。今日,この預言は大いなるバビロンに,とりわけキリスト教世界にぴったり当てはまります。1919年,この「高められた町」はエホバの民を解放せざるを得なくなり,屈辱的な倒壊を経験しました。そして,今度はエホバの民が,かつて自分たちを捕らえていた町を踏みにじるようになりました。(啓示 14:8)どのようにですか。その町に臨もうとしているエホバの復しゅうを公に告げ知らせることによってです。―啓示 8:7-12; 9:14-19。
義とエホバの「記念」を願い求める
16 イザヤはどんな立派な専心の手本を残していますか。
16 こうした勝利の歌に続いて,イザヤは自らの専心の深さと,義なる神に仕えることの報いを明らかにします。(イザヤ 26:7-9をお読みください。)イザヤは,『エホバを待ち望み』,エホバの「み名」と「記念」を強く願い求める気持ちを抱く点で,立派な手本となっています。エホバの記念とは何でしょうか。出エジプト記 3章15節には,「エホバ……は定めのない時に至るわたしの名,代々にわたるわたしの記念である」とあります。イザヤは,エホバのみ名を,また神の義の規準や義の道など,み名が表わすものすべてを大切なものとみなしています。エホバに対する同様の愛を培う人々は,必ず神の祝福を受けます。―詩編 5:8; 25:4,5; 135:13。ホセア 12:5。
17 邪悪な者にはどんな特権が与えられませんか。
17 しかし,だれもが皆,エホバとその高遠な規準を愛するわけではありません。(イザヤ 26:10をお読みください。)邪悪な者は,道徳的にも霊的にも正直なエホバの僕だけが住む「正直の地」に入るために義を学ぶよう促されても,頑固なまでにそれを拒みます。その結果,邪悪な者は「エホバの卓逸性を認めません」。それらの者が生き延びて,エホバのみ名が神聖なものとされた後に人類にそそがれる祝福を享受することはありません。全地が「正直の地」となる新しい世においてさえ,エホバの愛ある親切にこたえ応じない人がいるかもしれません。そうした人たちの名前は命の書に書かれません。―イザヤ 65:20。啓示 20:12,15。
18 イザヤの時代のある人々は,どのように自ら好んで盲目になっていますか。その人々はいつ,やむを得ずエホバを『見る』ようになりますか。
18 「エホバよ,あなたのみ手は高く上がりました。しかし彼らはそれを見ません。彼らはあなたの民に対する熱心さを見て恥じるでしょう。そうです,あなたに敵対する者たちのための火が彼らを食い尽くすのです」。(イザヤ 26:11)イザヤの時代,エホバは敵する者たちに対して行動することによりご自分の民を保護し,ご自分のみ手をはっきりと上げておられます。しかし,大半の人はそれを認めていません。そうした人々は自ら好んで霊的に盲目になっていますが,結局は,神の熱心の火によって食い尽くされる時にエホバを『見る』,つまり認めざるを得なくなります。(ゼパニヤ 1:18)後に神はエゼキエルに,「彼らはわたしがエホバであることを知らなければならなくなる」と述べておられます。―エゼキエル 38:23。
「エホバは自分の愛する者を懲らしめられる」
19,20 エホバはなぜ,またどのようにご自分の民を懲らしめてこられましたか。だれが,そうした懲らしめから益を得ましたか。
19 イザヤは,自分の同国人が享受している平和と繁栄はすべてエホバの祝福によるものである,ということをわきまえています。「エホバよ,あなたは判決によってわたしたちに平和を与えてくださいます。あなたはわたしたちのために,実にわたしたちのすべての業を行なってくださったからです」。(イザヤ 26:12)この事実にもかかわらず,また,「祭司の王国,聖なる国民」となる機会をエホバがご自分の民に差し伸べておられるにもかかわらず,歴史を通じてユダの歩みは定まりませんでした。(出エジプト記 19:6)ユダの民はたびたび偽りの神々の崇拝にそれて行き,その結果,何度も何度も懲らしめを受けてきました。しかし,そうした懲らしめはエホバの愛の証拠です。「エホバは自分の愛する者を懲らしめられる」からです。―ヘブライ 12:6。
20 エホバは何度も,ご自分の民を懲らしめるために,「他の主人たち」である他の国々がユダを支配することを許します。(イザヤ 26:13をお読みください。)西暦前607年には,ご自分の民がバビロニア人によって流刑に処されることをお許しになります。そのことから民は益を得たでしょうか。人は,苦しむこと自体から益を得るわけではありません。しかし,苦しむ人が,生じる事柄から教訓を得て悔い改め,エホバに全く専心するようになるなら,その時,その人は益を得ます。(申命記 4:25-31)ユダヤ人の中に,敬虔な悔い改めを示す人がいるでしょうか。確かにいます。イザヤはこう預言しています。「わたしたちはただあなたによってのみ,あなたのみ名を語り告げるのです」。西暦前537年に流刑から帰還した後も,ユダヤ人はしばしば他の様々な罪に関して懲らしめを必要とします。とはいえ,石でできた神々の崇拝のわなに陥ることは二度とありません。
21 神の民を虐げてきた者たちはどうなりますか。
21 ユダを捕らえていた者たちはどうでしょうか。「死んで無力であり,起き上がることはありません。それゆえ,あなたはご自分の注意を向けられました。彼らを滅ぼし尽くして,彼らのことが語り告げられるのを全く滅ぼすためです」。(イザヤ 26:14)バビロンは,エホバの選ばれた民を残虐に扱ったゆえに苦しむことになります。エホバはメディア人とペルシャ人を用いて,誇り高いバビロンを覆し,流刑に処されていたご自分の民を自由にされます。その大いなる都市バビロンは無力にされて死んだも同然になり,最終的には存在しなくなります。
22 現代において,神の民はどのように祝福されてきましたか。
22 現代の成就において,懲戒を受けた霊的なイスラエルの残りの者は,1919年に大いなるバビロンから自由にされ,エホバへの奉仕を再開しました。油そそがれたクリスチャンは生気を取り戻し,宣べ伝える業に没頭するようになったのです。(マタイ 24:14)次いでエホバは,彼らを祝福して増加させ,さらには「ほかの羊」の大群衆も仲間に加え,共に奉仕を行なうようにしてこられました。(ヨハネ 10:16)「あなたはこの国民を増し加えられました。エホバよ,あなたはこの国民を増し加え,ご自分に栄光を添えられました。あなたはこの地のすべての境を遠く広げられました。エホバよ,彼らは苦難のときにあなたに注意を向けました。彼らはあなたの懲らしめを受けたとき,祈りのささやきを注ぎ出しました」。―イザヤ 26:15,16。
『それらは起き上がる』
23 (イ)西暦前537年,エホバの力はどんな際立った仕方で表明されましたか。(ロ)同様に,西暦1919年,神の力はどのように表明されましたか。
23 イザヤは再び,ユダが依然としてバビロンに捕らわれている間に直面する状況に注意を向けます。そして,ユダ国民を,子を産みかけてはいるものの助けなしには出産できない女に例えます。(イザヤ 26:17,18をお読みください。)必要な助けは西暦前537年に差し伸べられ,エホバの民は,神殿を再建し真の崇拝を復興するという熱意を抱いて故国に戻ります。その国民は,あたかも死から生き返ったかのようです。「あなたの死者たちは生きます。わたしの死体 ― それらは起き上がります。塵の中の居住者よ,目を覚まし,喜び叫べ! あなたの露はあおいの露のようであり,地が死んだ無力な者たちをも生み落とすからです」。(イザヤ 26:19)エホバの力の何と素晴らしい表明でしょう。さらに,この言葉が1919年に霊的な意味で成就した時,神の力は何と壮大に表明されたのでしょう。(啓示 11:7-11)そしてわたしたちは,この言葉が新しい世で文字どおりに成就し,死んだ無力な者たちが『イエスの声を聞いて』記念の墓から『出て来る』時を本当に心待ちにしているのではないでしょうか。―ヨハネ 5:28,29。
24,25 (イ)西暦前539年当時のユダヤ人は,身を隠すようにとのエホバの命令にどのように従ったかもしれませんか。(ロ)現代において,「奥の部屋」は何を指すと思われますか。わたしたちは,それに対するどんな見方を培わなければなりませんか。
24 とはいえ,忠実な人たちも,イザヤを通して約束された霊的な祝福を享受するには,次のエホバの命令に従わなければなりません。「行け,わたしの民よ,あなたの奥の部屋に入り,あなたの後ろで扉を閉じよ。糾弾が過ぎ行くまで,ほんのしばらくの間,身を隠せ。見よ,ご自分に対する地の住民のとがに関して言い開きを求めるため,エホバはその場所から出て来られるからである。その地は必ずその流血をあらわにし,もはやその殺された者たちを覆い隠すことはない」。(イザヤ 26:20,21。ゼパニヤ 1:14と比較してください。)この部分は,西暦前539年,キュロス王の率いるメディアとペルシャの軍がバビロンを征服する時に最初の成就を見るのかもしれません。ギリシャの歴史家クセノフォンによると,キュロスはバビロンに入るにあたり,だれも家から出てはならないと命令します。「屋外にいる者は,見つけ次第,皆殺しにするようにとの命令」が騎兵隊に下されていたからです。今日,この預言の「奥の部屋」は,世界中にあるエホバの民の幾万もの会衆と密接な関連があると言えるでしょう。それらの会衆は今後も,「大患難」の間でさえ,わたしたちの生活において重要な役割を果たします。(啓示 7:14)会衆に対して健全な見方を保ち,定期的に会衆と交わることは,きわめて重要です。―ヘブライ 10:24,25。
25 近い将来,サタンの世は終わりを迎えます。畏怖の念を抱かせるその時にエホバがどのようにご自分の民を保護されるかは,今のわたしたちには分かりません。(ゼパニヤ 2:3)とはいえ,生き残るかどうかはエホバに対する信仰と忠節と従順にかかっていることを,わたしたちは知っています。
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エホバのみ手は高く上がるイザヤの預言 ― 全人類のための光 I
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[278ページの図版]
『あなたの奥の部屋に入れ』
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