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  • 聖書の23番目の書 ― イザヤ書
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • 2 (イ)エホバのために語る者はだれかという呼びかけにだれが,また,いつ答え応じましたか。(ロ)この預言者の名にはどんな意味がありますか。

      2 では,だれがエホバのために語るでしょうか。だれがエホバの救いの力を告げ知らせるでしょうか。「ここにわたしがおります! わたしを遣わしてください」と,即座に答えが返って来ます。そう答えたのは,それ以前から預言をしていたイザヤです。それは,らい病にかかったウジヤ王の死んだ年,西暦前778年ごろのことです。(イザヤ 6:1,8)イザヤという名前は「エホバの救い」を意味し,イエスという名(「エホバは救い」)とヘブライ語の書き順は反対ですが,意味は同じです。イザヤの預言は最初から最後までこの事実を,すなわちエホバが救いであることを強調しています。

      3 (イ)イザヤについてどんなことが知られていますか。(ロ)彼はどんな期間中に預言しましたか。同時代の預言者にはほかにだれがいましたか。

      3 イザヤはアモツの子です(アモツを,ユダ出身の別の預言者アモスと混同しないように)。(1:1)聖書は彼の出生や死に関して何も述べていませんが,ユダヤ人の伝承によると,邪悪な王マナセによってのこぎりで切り裂かれたことになっています。(ヘブライ 11:37と比較してください。)イザヤの書から,彼は女預言者である自分の妻,そして預言的な名を持つ少なくとも二人の息子と共にエルサレムにいたことが分かります。(イザヤ 7:3; 8:1,3)彼はユダの少なくとも四人の王,すなわちウジヤ,ヨタム,アハズ,ヒゼキヤの時代に仕えました。その活動の開始は西暦前778年ごろ(ウジヤ王が死んだ時,あるいは恐らくそれ以前)であるに違いありません。そして少なくとも西暦前732年(ヒゼキヤの第14年)以後まで仕え続けたものと思われます。それは46年もの期間に及びます。彼はまた,西暦前732までには疑いなく自分の預言を書き留めていたことでしょう。(1:1; 6:1; 36:1)同時代の他の預言者としては,ユダにはミカ,そして北にはホセアとオデドがいました。―ミカ 1:1。ホセア 1:1。歴代第二 28:6-9。

      4 イザヤがこの書の筆者であることは何から明らかですか。

      4 エホバがイザヤに預言的な裁きを書き記すように命じたことは,イザヤ 30章8節から確証されます。「さあ,来て,彼らと共にそれを書き板の上に書き,それを書物に書き込め。それが将来の日のためのものとなり,定めのない時に至るまでの証しとなるためである」。古代ユダヤ人のラビたちはこの書の筆者がイザヤであることを認めており,大預言者(イザヤ書,エレミヤ書,エゼキエル書)の中の最初の書としてこの書を扱っていました。

  • 聖書の23番目の書 ― イザヤ書
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • 8 この書が霊感を受けていることはメシアに関する預言の成就からどのように証明されますか。

      8 イザヤ書の中で際立っているのは,メシアに関する預言です。イザヤは「福音預言者」と呼ばれています。彼の予告したことで,イエスの生涯の出来事において成就を見たものは非常に多くあります。

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