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イスラム教 ― 服従により神に達する道神を探求する人類の歩み
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12章
イスラム教 ― 服従により神に達する道
[アートワーク ― アラビア文字]
1,2 (イ)クルアーンの冒頭の章にはどんなことが記されていますか。(ロ)これらの言葉はムスリムにとってなぜ重要な意味を持っていますか。(ハ)クルアーンは元々どんな言語で書かれましたか。「クルアーン」という言葉は何を意味していますか。
「慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において」。この一文はクルアーン,もしくはコーランの上記アラビア語本文の訳文です。この文章はさらにこう続いています。「万有の主,アッラーにこそ凡ての称賛あれ,慈悲あまねく慈悲深き御方,最後の審きの日の主宰者に。わたしたちはあなたにのみ崇め仕え,あなたにのみ御助けを請い願う。わたしたちを正しい道に導きたまえ,あなたが御恵みを下された人々の道に,あなたの怒りを受けし者,また踏み迷える人々の道ではなく」― クルアーン,スーラ 1:1-7,日本ムスリム協会; ピクタール訳。a
2 これらの言葉はイスラム教徒の聖なる書,聖クルアーンの巻頭の章,もしくはスーラである,アル・ファーティハ(「開端」の意)章の全文です。世界人口の6分の1余りの人々がイスラム教を奉じており,信心深いムスリム,つまりイスラム教徒は毎日の祈りの中でこれらの節を少なくとも5回復唱して祈るので,これらの言葉は地上で最もよく読誦されるものの中に入るに違いありません。
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イスラム教 ― 服従により神に達する道神を探求する人類の歩み
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5 (イ)ムスリムはイスラム教に関して何を信じていますか。(ロ)聖書とクルアーンとの間にはどんな類似点がありますか。
5 ムスリムは,自分たちの信仰は昔の忠実なヘブライ人やクリスチャンに与えられた啓示の終極的な結果であると考えています。しかし,ムスリムがヘブライ語聖書とギリシャ語聖書の双方から引用するとはいえ,その教えは幾つかの点で聖書からそれています。b (285ページの囲み記事をご覧ください。)
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イスラム教 ― 服従により神に達する道神を探求する人類の歩み
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a 「クルアーン」(「読誦」の意)はイスラム教の著述家の好んで用いる呼び方なので,本書でもこの呼び方が用いられています。注目すべき点は,クルアーンの原語はアラビア語であって,英語では広く一般に受け入れられている翻訳はないということです。引照箇所の最初の数字は章,もしくはスーラの番号で,次の数字は節の番号を表わしています。
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イスラム教 ― 服従により神に達する道神を探求する人類の歩み
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[285ページの囲み記事]
クルアーンと聖書
「かれは真理をもって,あなたに啓典を啓示され,その以前にあったものの確証とし,また先に律法と福音を下され,この前にも人びとを導き,今また正邪の識別を御下しになる。」― スーラ 3:3,4(3:2,ダウッド訳)。
「コーランの中で歴史上の物語の箇所にはほとんどすべて,聖書の並行記述が見られる。……旧約聖書の人物の中では,アダム,ノア,アブラハム(25の別々のスーラの中で70回ほど言及されており,アブラハムの名はスーラ 14の表題とされている),イシュマエル,ロト,ヨセフ(スーラ 12では専らヨセフのことが扱われている),モーセ(この名は34の別々のスーラに出て来る),サウル,ダビデ,ソロモン,エリヤ,ヨブ,およびヨナ(この名はスーラ 10に出て来る)が一際目立っている。……創造とアダムの堕落に関する物語は5回,洪水は8回,ソドムも8回引き合いに出されている。実際,コーランには聖書の他のどの書よりも五書<ペンタチューク>の並行記述が多く見いだされる。……
「新約聖書の人物の中で強調されているのは,ゼカリヤ,バプテストのヨハネ,イエス(イーサー),マリアだけである。……
「コーランと聖書双方の物語……を比較・研究してみると……逐語的に依存してはいない[つまり,直接引用されてはいない]ことが分かる……」g ―「アラブ人の歴史」。
[脚注]
g [しかし,300ページ,30節のスーラ 21:105も参照]
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