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第14部 ― 西暦622年以降 ― 神の意志に服する目ざめよ! 1989 | 7月22日
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シーア派とスンニー派は二大勢力となっていますが,それぞれに,無数の小さな分派があります。イスラム教徒100人中,83人ほどがスンニー派で,15人ほどがシーア派です。その他の人は,ドルーズ派やブラック・ムスリム団,さらにはイスラム教に仏教やヒンズー教や土着の諸宗教を混合した,インドネシアのアバンガン派など極めて多様な分派に属しています。
シーア派は少数派であり,宗教とクルアーンには奥義,つまり隠された意味があるという信条を特色としています。しかし,シーア派が実際に分離したのは,後継者問題からでした。シーア派(“党派”を意味する語であり,“アリーの党派”を指す)は,正統主義と呼ばれる教義を固守して,支配権はマホメットのいとこで女婿であるアリーと,アリーの子孫に限定されると主張しています。
アリーとその子孫は,イマーム,つまり絶対的な霊的権威を持った指導者でした。イマームが何人いたかに関しては意見の相違がありますが,十二イマーム派と呼ばれるシーア派最大のグループは,12人のイマームがいたと信じています。西暦878年に,第12代イマームは“隠れ”ました。つまり,公正なイスラム政府樹立のために,世の終わりに戻って来ることを約束した後,姿を消しました。
シーア派イスラム教徒は,マホメットの孫,フサインの殉教を毎年記念しています。作家ラフマンはこう解説しています。「シーア派イスラム教徒は,子供のころから,劇の上演のようなこの行事を見て育つので,悲劇と不公正に対する鋭い感覚を発達させるようであり,その結果,殉教を理想とみなすようになっている」。
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第14部 ― 西暦622年以降 ― 神の意志に服する目ざめよ! 1989 | 7月22日
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近代になって形成された著名な分派としては,19世紀中葉のイランにおいてシーア派イスラム教から発展したバハーイ教があります。
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