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    聖書に対する洞察,第2巻
    • [446-448ページの図表]

      ユダとイスラエルの歴代の王たちが治めた時代の顕著な年代

      注記: この表は,ユダとイスラエルの王たちに関連した重要な出来事の概略を示して理解を助けるために掲げられています。ユダの歴代の王が治めた期間の年数に関する聖書の記録は,他の年代を定める際の基準になりました。ユダの王たちの支配した期間を示すために載せられている年代は,記されている年の春から翌年の春までの期間です。イスラエル王国の歴代の王の治世として載せられている年代は,ユダのそれと合致するよう考慮されています。聖書には同じ時期の出来事に関する記述が多いので,それらの年代を算出する際,そのような記述が考慮されました。

      歴代の様々な王たちとの関連で聖書の記録に名前の出て来る大祭司や預言者がこの表に載せられています。しかし,この一覧表は決して完全なものではありません。アロンの家系の祭司たちは最初は幕屋で,後には神殿で職務を行ない,バビロンへの流刑に処せられる時まで途絶えることがなかったと思われます。また聖書は,名前の挙げられている預言者のほかにも多くの人が預言者というこの神聖な職務に就いて仕えたことを示唆しています。―王一 18:4; 代二 36:15,16。

      十二部族王国

      年代は西暦前

      サウルは全12部族の王として治め始める(40年間)

      預言者: サムエル

      大祭司: アヒヤ,アヒメレク

      1117年

      ダビデの誕生

      1107年

      サムエルは「裁き人の書」を書き終える

      1100年ごろ

      サムエルはルツ記を書き終える

      1090年ごろ

      サムエル記第一が書き終えられる

      1078年ごろ

      ダビデはユダの王としてヘブロンで治め始める(40年間)

      預言者: ナタン,ガド,ザドク

      大祭司: アビヤタル

      1077年

      ダビデは全イスラエルの王となり,エルサレムを首都にする

      1070年

      ガドとナタンはサムエル記第二を書き終える

      1040年ごろ

      ソロモンは王として治め始める(40年間)

      預言者: ナタン,アヒヤ,イド

      大祭司: アビヤタル,ザドク

      1037年

      ソロモンの神殿の建設が始まる

      1034年

      ソロモンによりエルサレムに建てられた神殿が完成する

      1027年

      ソロモンは「ソロモンの歌」を書く

      1020年ごろ

      ソロモンは「伝道の書」を書く

      1000年以前

      ユダ王国

      年代は西暦前

      イスラエル王国

      レハベアムは王として治め始める(17年間)。国は二つの王国に分かれる

      預言者: シェマヤ,イド

      997年

      ヤラベアムは北の10部族の王として治め始め,最初はシェケムで,後にティルツァで治めたものと思われる(22年間)

      預言者: アヒヤ

      エジプトのシシャクはユダに侵入し,エルサレムの神殿から財宝を奪う

      993年

      アビヤ(アビヤム)は王として治め始める(3年間)

      預言者: イド

      980年

      アサはこの年に治め始めたものと思われるが(41年間),その在位第1年は977年から数えられている

      預言者: アザリヤ,オデド,ハナニ

      978年

      976年ごろ

      ナダブは王として治め始める(2年間)

      975年ごろ

      バアシャはナダブを暗殺し,その後,王として治め始める(24年間)

      預言者: エヒウ(ハナニの子)

      エチオピア人ゼラハはユダに向かって来て戦いを交える

      967年

      952年ごろ

      エラは王として治め始める(2年間)

      951年ごろ

      軍隊の長ジムリはエラを暗殺し,その後,王として治める(7日間)

      951年ごろ

      軍の長オムリは王として治め始める(12年間)

      951年ごろ

      ティブニは民の一部を治める王となり,国はさらに分裂する

      947年ごろ

      オムリはティブニの反対に打ち勝ち,イスラエルの単独の支配者となる

      945年ごろ

      オムリはサマリアの山を購入し,そこに首都を建設する

      940年ごろ

      アハブは王として治め始める(22年間)

      預言者: エリヤ,ミカヤ

      エホシャファトはこの年に治め始めたものと思われるが(25年間),その在位第1年は936年から数えられている

      預言者: エヒウ(ハナニの子),エリエゼル,ヤハジエル

      大祭司: アマルヤ

      937年

      920年ごろ

      アハブの子アハジヤは『王となった』が(2年間),その父はなお生きていたものと思われる

      アハジヤが治めた期間の年数は919年ごろから数えられるかもしれない

      預言者: エリヤ

      エホシャファトの子エホラムは何らかの仕方で父と共同で統治を行なう

      919年ごろ

      917年ごろ

      アハブの子エホラムはイスラエルの単独の王として治め始めるが(12年間),少なくとも一つの本文の中では,息子をもうけずに死んだ,エホラムの兄弟アハジヤの短い治世もエホラムの治世とされているのかもしれない

      預言者: エリシャ

      エホラムはエホシャファトの公式の共同統治者となる。王としてのエホラムの在位期間はこの時から数えられているのかもしれない(8年間)

      預言者: エリヤ

      913年

      エホシャファトは没し,エホラムは単独で支配者となる

      911年ごろ

      エホラムの子アハジヤは治め始める(1年間)。ただし,油そそがれて王位に就いたのは907年ごろだったと思われる

      大祭司: エホヤダ

      906年ごろ

      アタリヤは王位をさん奪する(6年間)

      905年ごろ

      軍隊の長エヒウはエホラムを暗殺し,その後,治め始めるが(28年間),王としてのその在位期間の年数は904年ごろから数えられているように思われる

      預言者: エリシャ

      アハジヤの子エホアシュは王として治め始める(40年間)

      大祭司: エホヤダ

      898年

      876年

      エホアハズは王として治め始める(17年間)

      862年ごろ

      エホアシュは父エホアハズと共同で王として統治していたものと思われる

      859年ごろ

      エホアハズの子エホアシュはイスラエルの王として単独で治め始める(16年間)

      預言者: エリシャ

      アマジヤは王として治め始める(29年間)

      858年

      イスラエルのエホアシュがアマジヤを捕らえ,エルサレムの城壁を破り,神殿から財宝を奪う

      858年以後

      844年ごろ

      ヤラベアム2世は王として治め始める(41年間)

      預言者: ヨナ,ホセア,アモス

      ヨナ書が書かれる

      ウジヤ(アザリヤ)は王として治め始める(52年間)

      預言者: ホセア,ヨエル(?),イザヤ

      大祭司: アザリヤ(2世)

      829年

      恐らくヨエル書が書かれる

      820年ごろ

      ウジヤは何らかの特別な意味で,恐らくヤラベアム2世の支配下から今や自由になったという意味で『王となった』

      818年ごろ

      アモス書が書かれる

      804年ごろ

      803年ごろ

      ゼカリヤはある意味でこのころから,『統治を始めた』が,その王権は792年ごろまでは十分に確立されなかったものと思われる(6か月間)

      791年ごろ

      シャルムはゼカリヤを暗殺し,その後,王として治める(1か月)

      791年ごろ

      メナヘムはシャルムを暗殺し,その後,治め始めたが,王としての在位期間の年数は790年ごろから数えられているように思われる(10年間)

      780年ごろ

      ペカフヤは王として治め始める(2年間)

      778年ごろ

      ペカハはペカフヤを暗殺し,その後,王として治め始める(20年間)

      預言者: オデド

      ヨタムは王として治め始める(16年間)

      預言者: ミカ,ホセア,イザヤ

      777年

      アハズはこの年に治め始めたものと思われるが(16年間),その在位第1年は761年から数えられている

      預言者: ミカ,ホセア,イザヤ

      大祭司: ウリヤ(?)

      762年

      アハズはアッシリアのティグラト・ピレセル3世の進貢者になったものと思われる

      759年ごろ

      758年ごろ

      ホシェアはペカハを暗殺し,その後,ペカハに代わって『統治を始めた』が,ホシェアの支配が十分に確立された,あるいは恐らく彼がアッシリアの帝王ティグラト・ピレセル3世の支持を受けたのは748年ごろのように思われる(9年間)

      ヒゼキヤはこの年に治め始めたものと思われるが(29年間),その在位第1年は745年から数えられている

      預言者: ミカ,ホセア,イザヤ

      大祭司: アザリヤ(2,または3世)

      746年

      745年以後

      ホセア書が書き終えられる

      742年

      アッシリアの軍隊はサマリアを攻囲し始める

      740年

      アッシリアがサマリアを征服し,イスラエルを服従させる。北王国は終わりを迎える

      セナケリブがユダに侵入する

      732年

      イザヤ書が書き終えられる

      732年以後

      ミカ書が書き終えられる

      717年以前

      「箴言」の編さんが完了する

      717年ごろ

      マナセは王として治め始める(55年間)

      716年

      アモンは王として治め始める(2年間)

      661年

      ヨシヤは王として治め始める(31年間)

      預言者: ゼパニヤ,エレミヤ,女預言者フルダ

      大祭司: ヒルキヤ

      659年

      ゼパニヤ書が書かれる

      648年以前

      ナホム書が書かれる

      632年以前

      エホアハズは王として治める(3か月間)

      628年

      エホヤキムは王,つまりエジプトの進貢者として治め始める(11年間)

      預言者: ハバクク(?),エレミヤ

      628年

      恐らくハバクク書が書かれる

      628年ごろ

      ネブカドネザル2世はエホヤキムをバビロンの進貢者にする

      620年

      エホヤキンは王として治め始める(3か月と10日間)

      618年

      ネブカドネザル2世がとりこにしたユダヤ人と神殿の財宝とをバビロンへ運び去る

      617年

      ゼデキヤは王として治め始める(11年間)

      預言者: エレミヤ,エゼキエル

      大祭司: セラヤ

      617年

      ネブカドネザル2世が再びユダに侵攻する。エルサレムの攻囲が始まる

      609年

      第4月の9日にエルサレムの城壁が破られる

      607年

      第5月の10日にエルサレムの神殿が焼き払われる

      607年

      第7月の半ばごろ,最後のユダヤ人たちがユダを去る

      607年

      エレミヤは「哀歌」を書く

      607年

      オバデヤ書が書かれる

      607年ごろ

      注記: サマリアが攻め取られた後,イスラエル王国の十部族は流刑に処せられました。しかしその土地は,西暦前607年にエルサレムが滅ぼされたあとのユダのように荒れ廃れたままにはされませんでした。アッシリアの王はバビロン,クタ,アワ,ハマト,セファルワイムなどから人々をイスラエルの諸都市に移住させ,そこに住まわせました。それらの人々の子孫は,西暦前537年にユダヤ人が神殿を再建するためエルサレムに帰還した時にも依然としてそこにいました。―王二 17:6,24; エズ 4:1,2。

  • 年代計算,年代学,年代記述
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 西暦前1513年から,王国の分裂まで 「イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四百八十年目」,ソロモンの治世の第4年に,エルサレムで神殿の建設が始まりました。(王一 6:1)「四百八十年目」という数字は,まる479年に幾らかの補足的な時間,この場合は1か月を加えた期間を表わす序数です。エジプト脱出(西暦前1513年ニサン)の時から479年を数えると,西暦前1034年となり,この年の第2月,ジウ(4月から5月にわたる期間)に神殿の建設が始まりました。これはソロモンの統治期間の第4年(これも序数)でしたから,その治世はまる3年前の西暦前1037年に始まりました。40年にわたるその統治期間は西暦前1037年ニサンから西暦前997年ニサンまで続いたようで,王国はその西暦前997年に分裂しました。ですから,この時期の年代計算の仕方は下に示されているような形になります。

      出来事

      年代

      双方の出来事の間の期間

      エジプト脱出

      西暦前1513年

       

      その時からイスラエルがカナンに入った時まで

      西暦前1473年

      40年

      その時から裁き人の時代が終わってサウルの治世が始まった時まで

      西暦前1117年

      356年

      その時からダビデの治世が始まった時まで

      西暦前1077年

      40年

      その時からソロモンの治世が始まった時まで

      西暦前1037年

      40年

      その時から王国が分裂した時まで

      西暦前997年

      40年

      エジプト脱出から王国の分裂まで(西暦前1513年から997年まで)の合計年数

       

      516年

      これらの数字の根拠は申命記 2章7節,29章5節,使徒 13章21節,サムエル第二 5章4節,列王第一 11章42,43節,12章1-20節などの句にあります。一部の批評家はこの時期に4回出て来る各々40年の期間に注意を引いて,これは正確な年代計算ではなく,聖書筆者が『単に均整美を求めた』証拠であると主張します。しかし,そうではありません。イスラエル人がカナンに入る前に放浪した期間は,民数記 14章33,34節に記録されている神の裁きの成就として,ほとんど正確に40年間でした。(出 12:2,3,6,17; 申 1:31; 8:2-4; ヨシュ 4:19と比較。)それに対し,他の三つの期間にはすべて,端数が含まれていたかもしれません。例えばダビデの治世は,サムエル第二 5章5節によれば,実際には40 1/2年続いたことが示されています。これは,もしこれらの王たちの在位年が,当時の習慣だったと思われる,ニサンからニサンまでという方式で数えられたとすれば,サウル王の治世は39 1/2年しか続かなかったものの,次のニサンまでの残りの月々はサウルの治世中とみなされたので,公式にはダビデの40年間の在位年に含まれなかったということになるでしょう。このような事柄は,少なくともメソポタミアのセム系の支配者たちの間ではよく知られた習慣であって,王が没した時から次のニサンまでの間の月々は後任の王の「即位期間」と呼ばれ,その王の統治期間の公式の第1年はニサンの月が来るまでは数えられませんでした。

      カナンに入った時から裁き人の時代の終わりまでの期間の長さは直接述べられていませんが,差し引きするだけで算定できます。すなわち,エジプト脱出の時からソロモンの第4年までの479年から,分かっている期間(荒野での放浪の期間,サウルとダビデが治めた期間,およびソロモンの治世の最初の3年間)の123年を引くと,356年となります。

      この356年(西暦前1473年にイスラエルがカナンに入った時から西暦前1117年にサウルが統治を始めた時までの期間)をどのように振り分けるべきかは聖書には述べられていません。しかし,種々の期間がかなり重複しているようです。なぜでしょうか。「裁き人の書」に挙げられている,虐げられた期間,裁き人の在任期間,平和だった期間などの種々の期間をつなげると,合計410年になるからです。この期間が前の356年の期間内に収まるとすれば,ある期間は順次続いたのではなく,同時に進行していたに違いありません。大抵の注解者もそのような見方をしています。聖書の記述の中で描かれている状況はそのような説明に合致しています。圧制を被ったのはその地の別々の異なった地方だったので,その圧制の影響を受けたのは別々の異なった部族でした。(第1巻,743ページの地図)そのようなわけで,イスラエル人が虐げる者たちに対して収めた勝利について語った後に使われている,『その地には何の騒乱もなかった』という表現は,どの場合でも,全12部族が取得した地域全体を包含するというわけではなく,特定の圧制をおもに被った地区に当てはまるのかもしれません。―裁 3:11,30; 5:31; 8:28。ヨシュ 14:13-15と比較。

      使徒パウロは使徒 13章の中で,神が『父祖たちを選んだ』時から,エジプト滞在期間,エジプト脱出の時期,荒野での放浪期間,カナン征服の時期,さらにその地を配分した時期を通じて神がイスラエルを扱われた仕方を回顧し,次いで,「このすべてはおよそ四百五十年間のことです。そして,こうした事の後,預言者サムエルの時に至るまで彼らに裁き人をお与えになりました」と述べました。(使徒 13:20)この句はジェームズ王欽定訳では,「その後,預言者サムエルの時まで,おおよそ四百五十年の間,彼らに裁き人をたまえり」と訳されたため,かなりの誤解を招きました。しかし,古代の大抵の写本(シナイ写本,バチカン写本1209号,アレクサンドリア写本を含む),それに大抵の現代語訳(エルサレム,ノックス,その他; 19,20節,ア標,改標,聖ア)は皆,この節の初めに挙げた訳し方を支持しており,その訳はこの450年の後に裁き人の期間が始まったことを示しています。この「およそ四百五十年」の期間は神がイスラエルの『父祖たちを選ばれた』時に始まったので,その期間はアブラハムに約束されていた元の「胤」であるイサクが生まれた西暦前1918年に始まったと考えられます。そうであれば,その期間は,カナンの当初の征服が終了し,土地の配分を行なえるようになった西暦前1467年ごろ終わったことになります。その数字はおよそのものであると述べられていますから,1年そこそこの相違があっても,全く取るに足りないことと言えるでしょう。

      西暦前997年からエルサレムの荒廃まで 歴代の王たちの治めたこの期間全体の長さを知る有用な助けは,預言者エゼキエルが神の指示に従って行なったエルサレムの模擬的な攻囲の記されているエゼキエル 4章1-7節にあります。エゼキエルは『イスラエルの家のとがを負う』ために左わきを下にして390日間,また『ユダの家のとがを負う』ために右わきを下にして40日間横たわらなければならず,その各々の1日は1年を表わすということが示されました。こうして象徴的に示された二つの期間(390年と40年)は,偶像礼拝の道を歩んだ二つの王国に対してエホバが堪忍を示された期間を表わしていたようです。ソンキノ版聖書(エゼキエル書に関する注解,20,21ページ)の中で示されているように,ユダヤ人はこの預言を次のように解していました。「北王国の罪科は390年の期間に及んだ。(セーデル・オーラーム[ヘブライ語で保存されてきた流刑後の最初期の年代記],[およびラビ・]ラシや[ラビ・]イブン・エズラ[による])マルビムはアバーバネルの言葉を引用しているが,アバーバネルは,サマリアが罪科を負った期間の長さを,レハベアムのもとで分裂が起きた時から……エルサレム陥落の時までと計算している。……右[わき,エゼキエルが下にして横たわった側]は南,すなわち南の方に,つまり右の方に位置していたユダ王国のことを示唆している。……ユダの腐敗した状態はサマリアが陥落した後に間もなく始まって40年間続いた。マルビムによれば,その40年は……エレミヤが奉仕を開始した……ヨシヤの治世の第13年から数えられている。(エレ 1:2)」― A・コーヘン編,ロンドン,1950年。

      西暦前997年に王国が分裂した時から西暦前607年にエルサレムが陥落した時までの期間は390年でした。確かに北王国の首都サマリアはヒゼキヤの第6年に当たる西暦前740年にはすでにアッシリアの手に落ちていましたが(王二 18:9,10),多分,その住民の一部はアッシリア人が進軍して来る前に南王国に逃げていたことでしょう。(代二 10:16,17で説明されている,王国の分裂後のユダの状況にも注目。)しかし,さらに重要な点として,流刑に処せられた北王国のイスラエル人のことをエホバ神が引き続き心に留めておられ,その預言者たちの音信にはサマリア陥落の時よりもずっと後代のイスラエル人のことが相変わらず含まれていたという事実は,首都エルサレムが依然として彼らの権益を代表しており,西暦前607年における同首都の陥落がユダだけでなく,イスラエル国民全体に対するエホバの裁きの表明であったことを示しています。(エレ 3:11-22; 11:10-12,17; エゼ 9:9,10)その都が陥落した時,この国民全体(真の信仰を保った少数の人たち以外)の望みはついえてしまいました。―エゼ 37:11-14,21,22。

      前のページに掲げられている表では,その390年の期間が年代計算上の一つの確かな基準として組み込まれています。レハベアムからゼデキヤまでのユダの王たちの治世すべての各年数を加算すると,合計393年になります。一部の聖書年代学者は王たちに関する情報をユダの側の数多くの共同統治期間や“空位期間”によって期間を一致させようとしていますが,示す必要がある共同統治期間はただ1回だけのようです。それはエホラムの場合で,彼は『エホシャファトがユダの王であった時に』王となったと述べられており(少なくとも,マソラ本文や最古の聖書写本の幾つかの中で),したがって共同統治期間があったと考える幾らかの根拠があります。(王二 8:16)このようにして,その期間は全体として390年の範囲内に収まります。

      その表は絶対的な年代記述としてではなく,むしろ二つの王国の歴代の王の治世を表にすればこうなるかもしれないという一つの例として掲げられています。霊感を受けた古代の筆者たちは自分たちや当時のユダヤ人がよく知っている事実や数字を扱っていたので,ある時点で異なった年代計算上の見解を採用しても別に問題は起きませんでした。しかし,今日では事情が違います。したがって,聖書の記録と無理なく調和する配列を提示するだけで十分でしょう。

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