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  • 研究3 ― 時の流れの中で出来事の年代を算定する
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • 3 (イ)国事に関するどんな記録は聖書中の年代を確定するのに役立ちますか。(ロ)在位年とは何ですか。即位年とは何ですか。

      3 在位年と即位年。聖書はユダやイスラエルの政府の国事に関する記録はもとより,バビロンやペルシャの国事にも言及しています。これら四つの王国ではいずれも,歴代の王の在位期間にしたがって国事の年代が正確に算定され,年代順に記録されましたが,この同じ算定方法が聖書にも取り入れられました。聖書には,例えば,「ソロモンの事績の書」などのように,引用された文書の名称がしばしば出てきます。(列王第一 11:41)王の治世にはある期間の即位年が含まれており,その後まる1年ごとの在位年が続きました。在位年は王が位についていた公式の年数で,普通ニサンからニサンまで,つまり春から春までを数えました。王が位を継承すると,次の春の月ニサンまでの間の何か月かはその王の即位年と呼ばれ,その間は前任者のためにその任期を勤め上げました。しかし,その王自身の公式の在位期間は次のニサン一日に始まるものとして数えられました。

      4 聖書に記録された出来事の年代は在位年数にしたがってどのように計算されるかを述べなさい。

      4 例えば,ソロモンは西暦前1037年のニサン以前のある時に統治し始めたようですが,その時ダビデはなおも生存していました。その後ほどなくしてダビデは死にました。(列王第一 1:39,40; 2:10)しかし,ダビデの最後の在位年は西暦前1037年の春まで続き,依然として40年にわたる統治期間の一部として数えられました。ソロモンの治世の始まりから西暦前1037年の春までの1年未満の期間は,ソロモンの即位年と呼ばれていますが,その在位年としては数えることができませんでした。というのは,彼は依然として父の統治期間を勤め上げていたからです。したがって,ソロモンの最初の在位満1年は西暦前1037年のニサンまで始まりませんでした。(列王第一 2:12)やがて,満40年の在位年がソロモンの王としての統治期間として認められるようになりました。(列王第一 11:42)このようにして,在位年と即位年とを別個に扱うことにより,聖書の年代記述の個々の年代を正確に算定することができます。a

  • 研究3 ― 時の流れの中で出来事の年代を算定する
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
    • 7 (イ)ソロモンの死後,王国が分裂した時までの年数はどのようにして逆算できますか。(ロ)エゼキエルの預言によってこのことはどのように支持されていますか。

      7 西暦前607年から同997年まで。エルサレムの陥落の時から,ソロモンの死後王国が分裂した時までさかのぼるこの期間を算定するには,数多くの難問題を克服しなければなりません。しかし,列王記第一および第二に記されているイスラエルとユダの歴代の王の治世を比較すると,この期間は390年に及ぶことが分かります。この数字が正しいことを示す強力な証拠はエゼキエル 4章1節から13節の預言です。この預言に示されているとおり,これはエルサレムが攻囲され,その住民が諸国民によってとりことして連れて行かれる時を指し示しています。そのことは西暦前607年に起きました。それで,ユダの場合に関して述べられている40年の期間はエルサレムの荒廃と共に終わりました。イスラエルの場合に関して述べられている390年の期間は,サマリアが滅ぼされた時に終わったわけではありません。なぜなら,エゼキエルが預言をした時には,それはすでに遠い昔の出来事だったからです。この預言は,エルサレムの攻囲と滅びを指し示していることをはっきりと述べています。ですから,「イスラエルの家のとが」もまた,西暦前607年に終わりました。この年代から逆算すると,390年の期間は西暦前997年に始まったことが分かります。ソロモンの死後,ヤラベアムはその年にダビデの家と関係を絶ち,「イスラエルをエホバに従うことから引き離し,彼らに大いなる罪をおかさせ」ました。―列王第二 17:21。

      8 (イ)どのようにして出エジプトの時代までさかのぼって年代を計算できますか。(ロ)この時代のどんな変化が聖書の年代記述に影響を及ぼしますか。

      8 西暦前997年から同1513年まで。ソロモンの在位満40年の最後の年は西暦前997年の春に終わりましたから,その最初の在位年は西暦前1037年の春に始まったことになります。(列王第一 11:42)聖書の記録は列王第一 6章1節で,ソロモンがその治世の第四年の第二の月にエルサレムでエホバの家を建て始めたことを述べています。これはその治世の満3年1か月がたった時であることを示していますから,神殿を建て始めた時は西暦前1034年の4月から5月にわたる時期ということになります。しかし,その同じ聖句は,それが「イスラエルの子らがエジプトの地を出てから四百八十年目」であったとも述べています。ここでも,480年目というのは序数ですから,満479年を表わしています。したがって,1034年に479年を足すと,イスラエルがエジプトから出た年として西暦前1513年という年代が得られます。研究 2の19節は,西暦前1513年以降,アビブ(ニサン)がイスラエルにとって「一年の最初の月」として数えられるようになったこと(出エジプト記 12:2),そしてそれ以前は1年が秋のティシュリの月に始まったことを説明しています。「新シャフ-ヘルツォーク宗教知識百科事典」(英文)は1957年版,第12巻,474ページでこう注解しています。「歴代の王の在位年数を計算する仕方は,春に始まる年に基づいており,これは一般的に行なわれていたバビロニア人の方法と類似している」。1年の始まりを秋から春に変えて年代を定める仕方が聖書中の期間に適用されるようになった時には,決まって時を数える際どこかで6か月が失われたり,加えられたりしたものと考えられます

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