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ダビデ王と音楽ものみの塔 2009 | 12月1日
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古代イスラエルにおける音楽の役割
歌詞を口ずさむと,その歌のメロディーが連想される場合は少なくありません。聖書には数多くの歌の歌詞が収められています。それらに付けられていた曲は,残念ながら分かっていませんが,きっと美しいものだったに違いありません。崇高でさえあったでしょう。「詩編」の言葉の気高さは,それぞれの曲もたいへん美しいものであったことを示唆しています。
楽器に関しては,聖書には簡単な描写しかありません。(「聖書時代の楽器」という囲みをご覧ください。)ダビデがどんなたて琴を用いたかも,定かではありません。とはいえ,イスラエル人が,希少で高価な木製のたて琴など,幾つかの楽器を考案したことは注目に値します。―歴代第二 9:11。アモス 6:5。
しかし,一つのことは確かです。それは,音楽がヘブライ人の生活,とりわけ神への崇拝において,重要な役割を果たしていたことです。音楽は,戴冠式の際に演奏され,宗教儀式の際に奏でられ,戦争の際に一役買いました。宮廷を魅了し,婚礼や家族の集いを活気づけ,ぶどうや穀物の収穫の祭りを盛り上げることもありました。嘆かわしいことに,不道徳が行なわれる場所でも利用されました。また,死者が出た時には,嘆き悲しむ遺族を慰めるものともなりました。
イスラエルでは音楽が,さらに別の目的でも演奏されました。音楽は精神を高揚させ,預言者の霊的な感受性を鋭くさせるものとして知られていました。エリシャが神の霊感を受けたのも,弦楽器の調べを聞いた時のことでした。(列王第二 3:15)音楽は,暦の上での様々な行事を知らせるためにも用いられました。新月や祭りの始まりは,二つの銀のラッパで知らされました。ヨベルの日には角笛が吹き鳴らされて,奴隷に自由が,また土地や家を没収されていた人にはその返還が知らされました。貧しい人々は,自由や所有地が戻ってくることを知らせる音楽を耳にして,大きな喜びを感じたに違いありません。―レビ記 25:9。民数記 10:10。
イスラエル人の中には,楽士あるいは歌うたいとして非凡な才能を持っていた人もいたに違いありません。事実,アッシリアの浅浮き彫りから分かるように,セナケリブ王はヒゼキヤ王に,男女の楽士たちを貢ぎとして要求しました。それらの人は一流の音楽家だったようです。しかし,並み居る名手の中でも卓越していたのはダビデです。
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ダビデ王と音楽ものみの塔 2009 | 12月1日
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[28ページの囲み記事/図版]
聖書時代の楽器
弦楽器としては,リュート,たて琴,十弦の楽器などがありました。(詩編 92:3)それらの楽器は,アラモトとシェミニトに合わせて調律されました。アラモトおよびシェミニトとは,高音オクターブと低音オクターブのことであろうと思われます。(歴代第一 15:20,21; 脚注)管楽器としては,笛,フルート,角笛,また『高らかに吹き鳴らされる』ラッパなどがありました。(歴代第二 7:6。サムエル第一 10:5。詩編 150:3,4)神殿の献堂式の時には,ラッパを吹く者と歌うたいたちが「一人のようになって一つの声を聞かせ」ました。(歴代第二 5:12,13)これは,両者の音が合っており,不協和音がなかったことを意味しているようです。打楽器としては,タンバリン,がらがらのような音をたてるシストラム,「ねず材のあらゆる楽器」があり,小型で「美しい響きの」シンバルと大型で「鳴り響くシンバル」と呼ばれるものもありました。―サムエル第二 6:5。詩編 150:5。
[図版]
上: イタリアのローマにあるティツスの凱旋門の細部(西暦70年にエルサレムの神殿から運び出されるラッパが描かれている)。西暦130年ごろの硬貨(ユダヤ人の楽器が描かれている)
[クレジット]
Coins: © 2007 by David Hendin. All rights reserved.
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