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  • ユダヤ教 ― 経典や伝承による神の探求
    神を探求する人類の歩み
    • ユダヤ教に関心を抱くべき理由

      3,4 (イ)ヘブライ語聖書は何により成り立っていますか。(ロ)ユダヤ人の宗教とそのルーツを考慮すべき幾つかのどんな理由がありますか。

      3 一つの理由は,ユダヤ人の宗教には歴史を4,000年ほどさかのぼるルーツがあると共に,ほかの主要な宗教が多かれ少なかれ,ユダヤ教の聖典に負うところがあるということです。(220ページの囲み記事をご覧ください。)1世紀のユダヤ人であったイエス(ヘブライ語,エーシューア)により創設されたキリスト教のルーツはヘブライ語聖書にあります。また,クルアーン(コーラン)のある箇所を読むと,分かりますが,イスラム教もヘブライ語聖書に多くを負っています。(クルアーン,スーラ 2:49-57; 32:23,24)ですから,ユダヤ人の宗教を調べれば,ほかの何百もの宗教や宗派のルーツを調べることになります。

      4 第二の極めて重要な理由は,ユダヤ人の宗教がまことの神を探求する人類の歩みの中の肝要なつながりを示しているということです。ヘブライ語聖書によれば,ユダヤ人の父祖アブラムはおよそ4,000年前に既にまことの神を崇拝していました。a それで,ユダヤ人とその信仰はどのようにして生じたのだろうかと問うのは筋の通ったことです。―創世記 17:18。

      ユダヤ人はどのようにして生じたか

      5,6 手短に言って,ユダヤ人とその名称の起源にはどんないきさつがありますか。

      5 一般的に言えば,ユダヤ人はセム語族の古代ヘブライ語派の人々の子孫です。(創世記 10:1,21-32。歴代第一 1:17-28,34; 2:1,2)およそ4,000年前のこと,ユダヤ人の父祖アブラムは,シュメール地方のカルデア人の繁栄した主要都市であったウルから,神が,「わたしはこの地をあなたの子孫に与える」と述べておられた,カナンの地に移住しました。b (創世記 11:31-12:7)アブラムは創世記 14章13節で「ヘブライ人アブラム」と呼ばれていますが,その名は後にアブラハムと改められました。(創世記 17:4-6)ユダヤ人はこのアブラムの家系から出ており,アブラムの家系はその子イサク,次いでその孫ヤコブから始まっており,このヤコブは名をイスラエルと改められました。(創世記 32:27-29)イスラエルには十二部族の基となった12人の息子がいました。それらの息子のうちの一人がユダで,やがてこの名から「ユダヤ人」という名称ができました。―列王第二 16:6,ユダヤ。

      6 時たつうちに,「ユダヤ人」という語は,ユダの子孫だけでなく,イスラエル人すべてを指して使われるようになりました。(エステル 3:6; 9:20)ローマ人がエルサレムを完全に破壊した西暦70年には,ユダヤ人の系図の記録も滅ぼされたため,今日のユダヤ人で自分がどの部族の出身者かを確定できる人は一人もいません。それにしても,古代のユダヤ人の宗教は何千年もの間に発達し,また変化してきました。今日,ユダヤ教はイスラエル共和国とディアスポラ(世界の至る所にある離散の地)の何百万人ものユダヤ人により行なわれています。その宗教の基盤となっているのは何ですか。

      モーセ,律法,および国民

      7 神はアブラハムに対してどんな誓いをお立てになりましたか。それはなぜですか。

      7 西暦前1943年に,c 神はアブラムをご自分の特別の僕として選び,アブラムが息子イサクを進んで犠牲にしようとして示した忠実さゆえに,たとえその犠牲が完全にささげ尽くされたわけではなかったにせよ,神は後にアブラムに対して厳粛な誓いをお立てになりました。(創世記 12:1-3; 22:1-14)神はその誓いの中でこう言われました。「わたしは自らにかけて誓う,と主[ヘブライ語,יהוה,YHWH]は言明される。あなたがこのことを行ない,あなたの子,あなたの恵まれた者を差し控えなかったので,わたしはわたしの祝福をあなたに授け,あなたの子孫を天の星のように数多くする。……地のすべての国の民はあなたの子孫[「胤」,ユダヤ]によって自らを祝福するであろう。あなたがわたしの命令に従ったからである」。こうして誓って述べられたこの誓いの言葉は,アブラハムの子に,またその孫に対して繰り返し語られ,その後,ユダの部族,さらにはダビデの家系のうちに存続しました。人間を直接扱う人格神に関するこの厳密な一神教の概念は,当時の古代世界では特異な事柄でしたが,その概念がユダヤ人の宗教の基盤となりました。―創世記 22:15-18; 26:3-5; 28:13-15。詩編 89:4,5,29,30,36,37(詩編 89:3,4,28,29,35,36,新世)。

      8 モーセとはだれでしたか。彼はイスラエルでどんな役割を演じましたか。

      8 神はアブラハムに対するご自分の種々の約束を果たすため,アブラハムの子孫と特別の契約を設けることにより,一国家の土台を据えられました。この契約は,偉大なヘブライ人の指導者で,神とイスラエルとの仲介者であったモーセを通して制定されました。モーセとはだれでしたか。モーセはユダヤ人にとってどうしてそんなに重要な人物なのですか。聖書の出エジプト記の記述によれば,モーセは,イスラエルの他の人々と共に捕らわれて奴隷の身となっていたイスラエル人の両親の間にエジプトで生まれました。(西暦前1593年)彼は約束の地であるカナンに主の民を導いて自由を得させるために「主が選び出された」人物でした。(申命記 6:23; 34:10)モーセはイスラエルの預言者,裁き人,指導者,ならびに歴史家であった上に,神がイスラエルにお与えになった律法契約の仲介者としてのたいへん重要な役割をも果たしました。―出エジプト記 2:1-3:22。

      9,10 (イ)モーセを通して伝えられた律法はどのようなものでしたか。(ロ)“十戒”は生活のどのような面を包含するものでしたか。(ハ)律法契約はどんな義務をイスラエル人にもたらしましたか。

      9 イスラエルに授けられた律法は,“十の言葉”,つまり“十戒”と日常生活のための指示や指針の総合的な便覧とも言うべき600以上の法律でできていました。(211ページの囲み記事をご覧ください。)律法には俗事と聖なる事柄 ― 神の崇拝と共に身体的,ならびに倫理的な要求が関係していました。

      10 この律法契約,つまり宗教的な憲法は,族長たちの信仰に形と実体を付与しました。その結果,アブラハムの子孫は神への奉仕に献身した一国民となりました。こうして,ユダヤ人の宗教は具体的な形を取るようになり,ユダヤ人は自分たちの神の崇拝や奉仕のために組織された一国民となりました。出エジプト記 19章5節と6節で,神は彼らに,「もしわたしに忠実に従い,わたしの契約を守るなら……あなた方はわたしにとって祭司の王国,ならびに聖なる国民となる」と約束なさいました。ですから,イスラエル人は神の目的のために仕える“選ばれた民”になり得たのです。しかし,その契約の約束の成就は,『もし従うなら』という条件を守るかどうかにかかっていました。献身したその国民には今や,自分たちの神に対する義務がありました。ゆえに,後代になって(西暦前8世紀),神はユダヤ人に対して,「あなた方はわたしの証人 ― 主[ヘブライ語,יהוה,YHWH]は言明される ― わたしの選んだ,わたしの僕」と言うことがおできになりました。―イザヤ 43:10,12。

      祭司,預言者,および王のいる国民

      11 祭司職や王権はどのようにして生じましたか。

      11 イスラエル国民がなお砂漠にいて,約束の地に向かっていたころ,モーセの兄弟アロンの家系に祭司職が設けられました,また,運搬用の大きな天幕,つまり幕屋がイスラエル人の崇拝と犠牲のための中心的な場所となりました。(出エジプト記 26-28章)やがて,イスラエル国民は約束の地カナンに到着し,神が命じておられたとおり,その地を征服しました。(ヨシュア 1:2-6)やがて,地的な王権が確立され,西暦前1077年にユダの部族出身のダビデが王になりました。その支配と共に,王権と祭司職の双方が新しい国家的な中心地であるエルサレムで確立されました。―サムエル第一 8:7。

      12 神はダビデに対してどんな約束をなさいましたか。

      12 ダビデの死後,その子ソロモンは,幕屋に取って代わる壮大な神殿を建立しました。神はダビデと契約を結んで,王権がその家系に永遠にとどまることを約束しておられたので,油そそがれた王,つまりメシアがいつかダビデの家系から来るものと理解されていました。預言は,このメシアなる王,もしくは「胤」を通して,イスラエルとすべての国の人々が完全な支配権の益を享受するようになることを示唆していました。(創世記 22:18,ユダヤ)この希望は根づき,ユダヤ人の宗教のメシア的な性格は明確な形を取りました。―サムエル第二 7:8-16。詩編 72:1-20。イザヤ 11:1-10。ゼカリヤ 9:9,10。

      13 神はイスラエルの堕落した状態を矯正するためにだれをお用いになりましたか。一例を挙げてください。

      13 ところが,ユダヤ人はカナン人や周囲の他の国民の偽りの宗教の影響を自ら受けるにまかせ,その結果,神との契約関係を破りました。エホバは彼らを矯正し,立ち返るよう導くため,ご自分の音信を民に伝える預言者を次々に遣わされました。こうして,預言がユダヤ人の宗教のもう一つの独特な特色となり,ヘブライ語聖書の相当の部分を占めています。事実,ヘブライ語聖書の18の書に預言者の名が付されています。―イザヤ 1:4-17。

      14 イスラエルの預言者の正しさは種々の出来事によりどのように立証されましたか。

      14 それら預言者の中でも際立っていたのはイザヤ,エレミヤ,およびエゼキエルで,この3人は皆,偶像崇拝のゆえに国民が間もなく受けようとしていたエホバからの処罰について警告しました。その処罰は西暦前607年に起きました。というのは,イスラエルが背教したため,同607年にエホバは当時の最も優勢な世界強国であったバビロンがエルサレムとその神殿を破壊し,その国民を捕囚として連れ去るのを許されたからです。それら預言者の予告していた事柄は正しかったことが証明され,またイスラエルが西暦前6世紀の大半を占める70年間,流刑に処せられたことは,歴史の記録に残る事柄となりました。―歴代第二 36:20,21。エレミヤ 25:11,12。ダニエル 9:2。

      15 (イ)新たな崇拝様式はユダヤ人の間にどのように根づきましたか。(ロ)会堂はエルサレムで行なわれる崇拝にどんな影響を及ぼしましたか。

      15 西暦前539年に,ペルシャ人キュロスはバビロンを破り,ユダヤ人が祖国に再び定住してエルサレムの神殿を再建することを許しました。残りの者はそれにこたえ応じたものの,ユダヤ人の大半はバビロニア社会の影響のもとにとどまりました。その後,ユダヤ人はペルシャ文化の影響を受けました。したがって,ユダヤ人の共同社会が中東や地中海沿岸地方の至る所に出現しました。その各々の地域共同体には,会堂,つまり各々の町のユダヤ人のための会衆の中心的な場所が関係する,新たな崇拝様式が生まれました。当然のこととして,この取り決めにより,エルサレムの再建された神殿はあまり重視されなくなりました。遠く広がったユダヤ人は,今や確かにディアスポラ(離散した者)となりました。―エズラ 2:64,65。

      ギリシャの衣装をまとって現われたユダヤ教

      16,17 (イ)どんな新たな勢力が西暦前4世紀の地中海沿岸世界をふうびしましたか。(ロ)ギリシャ文化を広める器となったのはだれでしたか。どのようにしてそうなりましたか。(ハ)こうして,ユダヤ教は世界の舞台にどのような姿で現われましたか。

      16 西暦前4世紀までに,ユダヤ人社会は流動化していたので,地中海沿岸世界やそれ以外の地域をも包含しようとしていた非ユダヤ系文化の大波の犠牲になりました。その大水はギリシャから出て来たので,ユダヤ教はギリシャ思想の衣装をまとって現われました。

      17 西暦前332年にギリシャの将,アレクサンドロス大王は電撃的な速さで中東を征服してエルサレムに入城した時,ユダヤ人から歓迎されました。d アレクサンドロスの後継者たちは同大王のギリシャ化計画を続行し,帝国内のあらゆる場所にギリシャ語やギリシャの文化や哲学を染み込ませました。そのために,ギリシャ文化とユダヤ文化は融合するようになり,驚くべき結果がもたらされることになりました。

      18 (イ)ヘブライ語聖書のギリシャ語セプトゥアギンタ訳が必要になったのはなぜでしたか。(ロ)ユダヤ人はギリシャ文化の特にどんな面から影響を受けましたか。

      18 ディアスポラのユダヤ人はヘブライ語ではなく,ギリシャ語を話すようになりました。それで,西暦前3世紀初頭にかけて,ヘブライ語聖書のギリシャ語への最初の翻訳が始められ,そのセプトゥアギンタ訳を通して,多くの異邦人がユダヤ人の宗教に対して敬意を抱き,それをよく知るようになり,中には改宗する人さえ出ました。e 一方,ユダヤ人はギリシャ思想に親しみ,中にはユダヤ人にとっては全く新奇な存在である哲学者になった者さえいました。その一例は西暦1世紀のアレクサンドリアのフィロンで,彼はあたかもユダヤ教とギリシャ哲学が両方とも同一の究極的真理を表現するものであるかのように,その哲学用語を使ってユダヤ教を説明しようとしました。

      19 ユダヤ人の一著述家はギリシャ文化とユダヤ文化が結合した時期についてどのように述べていますか。

      19 ギリシャ文化とユダヤ文化の間で思想の交換が行なわれたこの時期のことを要約したユダヤ人の著述家マックス・ディモントは,こう述べています。「プラトンの思想,アリストテレス論理学,およびユークリッド幾何学で思想を豊かにされたユダヤ人の学者は,新しい道具を用いてトーラーと取り組んだ。……そして,ユダヤ人特有の啓示にギリシャ的理念を加味するようになった」。ギリシャ帝国,次いで西暦前63年にエルサレムを併合したローマ人の支配下で起きた出来事は,さらに重要な変化をもたらす道を開くものとなりました。

      ローマ人による支配を受けたユダヤ教

      20 西暦1世紀当時,ユダヤ人の間にはどんな宗教事情が見られましたか。

      20 西暦1世紀当時のユダヤ教は特異な段階を迎えていました。マックス・ディモントによれば,ユダヤ教は「ギリシャ的思考とローマの剣」のはざまに立たされていました。政治的な圧制のため,またメシアに関する預言,特にダニエルの預言の解釈ゆえに,ユダヤ人の期待は高まりました。ユダヤ人は分派で分けられていました。パリサイ人は神殿での犠牲よりも口伝律法を重視しました。(221ページの囲み記事をご覧ください。)サドカイ人は神殿や祭司職の重要性を強調しました。それから,エッセネ派や熱心党やヘロデ党の人々がいました。これらの人々は皆,宗教的にも哲学的にも争い合っていました。ユダヤ人の指導者はラビ(「主人,教師」の意)と呼ばれ,律法に関する自分たちの知識のゆえに名声を高め,新しい型の精神的な指導者になりました。

      21 西暦一,二世紀当時のユダヤ人はどんな出来事のために徹底的な影響を受けましたか。

      21 しかし,特にイスラエルの地では,ユダヤ教内部および外部の分裂は続き,ついにローマに対する公然たる反逆が引き起こされ,西暦70年にローマ軍はエルサレムを攻略して,その都を荒廃させ,神殿を灰じんに帰させて,その住民を四散させました。やがて,エルサレムへのユダヤ人の立ち入りはお触れにより完全に禁止されました。神殿もなければ,国土もなく,また民はローマ帝国の至る所に追い散らされたため,ユダヤ教が生き残るには,新たな宗教的表現を必要としました。

      22 (イ)エルサレムの神殿を失ったため,ユダヤ教はどのような影響を受けましたか。(ロ)ユダヤ人は聖書の内容をどのように分類していますか。(ハ)タルムードとは何ですか。それはどのようにして出来上がりましたか。

      22 神殿が破壊されると共に,サドカイ人は消滅し,パリサイ人の擁護した口伝律法が新たなラビ的ユダヤ教の中心を成すものとなりました。一層熱心な研究,祈とう,ならびに敬虔な業が,神殿での犠牲や巡礼に取って代わりました。ですから,ユダヤ教はどこでも,いつでも,またいかなる文化的環境のもとでも実践できるようになりました。ラビたちはその口伝律法を文字に記し,その本文に関する注解を付記して,それにさらに注解を加え,そのすべてが集大成されて,タルムードとして知られるようになりました。―220,221ページの囲み記事をご覧ください。

      23 ギリシャ思想の影響で重点の置き方がどのように変わりましたか。

      23 こうした様々な影響はどんな結果をもたらしましたか。マックス・ディモントは自著,「ユダヤ人,神,および歴史」の中で,パリサイ人はユダヤ人のイデオロギーや宗教の炎を燃やし続けたものの,「炎それ自体はギリシャの哲学者によって点火されたのである」と述べています。タルムードの内容はおおかた高度に律法主義的なものですが,その例証となる事柄や解説は明らかにギリシャ哲学の影響を反映するものでした。例えば,霊魂不滅などのギリシャの宗教的概念がユダヤ的な用語で表現されました。確かに,この新しいラビ時代に ― 当時までに律法主義的哲学とギリシャ哲学とが混合してできた ― タルムードに対する崇敬の念がユダヤ人の間で高まり,ついに中世にはタルムードが聖書そのものよりも崇敬されるようになりました。

  • ユダヤ教 ― 経典や伝承による神の探求
    神を探求する人類の歩み
    • [211ページの囲み記事/図版]

      十戒,崇拝と行為を律する規定

      “十戒”について聞いたことのある人は数え切れないほどいますが,一度も読んだことのない人も少数ながらいますから,“十戒”の主な句を次に掲げます。

      ■ 「あなたにはわたしのほかに他の神々があってはならない。

      ■ 「あなたは自分のために,刻んだ像,もしくは上は天にあり,下は地にあり,また地の下の水の中にあるものに似たいかなるものも作ってはならない。あなたはそれらに身をかがめたり,それらに仕えたりしてはならない。……[西暦前1513年もの初期の時代に,この禁令は偶像崇拝を退ける点で特異なものでした。]

      ■ 「あなたはあなたの神,主[ヘブライ語,יהוה]の名にかけて偽って誓ってはならない。……

      ■ 「安息日を覚えて,これを神聖に保つように。……主は安息日を祝福して,これを神聖にされたのである。

      ■ 「あなたの父母を敬いなさい。……

      ■ 「あなたは殺人をしてはならない。

      ■ 「あなたは姦淫を犯してはならない。

      ■ 「あなたは盗んではならない。

      ■ 「あなたは隣人に対して偽りの証言をしてはならない。

      ■ 「あなたは隣人の家……妻……男性,もしくは女性の奴隷……牛,もしくはろば,または隣人のものであるどんなものもむさぼってはならない」― 出エジプト記 20:3-14。

      宗教上の信条や崇拝に直接関係のある戒めは最初の四つだけですが,他の戒めは正しい行為と創造者との正しい関係とのかかわりを示すものでした。

      [図版]

      神からの特異な律法があったにもかかわらず,イスラエルは異教徒の隣人の行なっていた子牛崇拝を模倣しました(金の子牛,ビブロス出土)

日本語出版物(1954-2026)
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